私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

ipodに英語音声を

2011年03月31日 23時37分25秒 | Weblog
今日も昨日に引き続き、ipodを更新するためのiTunesを復活させようと四苦八苦。

iTunes自体は昨日の夜、寝る直前に古いバージョンをインストールして起動することに成功。

インストールしたばかりのiTunesは、中身は空です。

ただ、ipod内に入っている曲をどうやってiTunesに移すか。

移すこと自体はさほど難しくはありませんでした。

ただ、iTunesのお店で購入した曲だけは、移すことはできても、どうしても聴くことができませんでした。

著作権ロックがかかってるようです。

iTunes storeで認証をすれば聴けるそうですが、バージョンが古いので接続できません。

そういった理由で聴けなくなった曲がたくさんあります。

残念です。

ただ、ipod内のデータを更新することが可能になりました。

もうずっと何年間も中身が同じだったipodがついに、です。

これで英語の音声も入れることができます。

インターネット上にある英語の音声をダウンロードして、いくつかipodに入れたりしました。

そのままでは余分なところがあったりするので、英語のとこだけを抽出するため、音声編集ソフトでいらない部分をカットしたりしてました。

今日は一日中そんなことをしてました。

TUTAYAに行ってiTunesで購入したのに聴けなくなった曲のCDでも借りてこようかとか思ってたのですが、ネットで英語の音声を見つけては編集する作業に夢中になってました。

編集って楽しいですね。

いらない部分をそぎ落として必要な部部だけにするのってある種の心地よさがあります。

そんなこんなで、ipod復活にまつわる作業のために、昨日といい、今日といい、日課としていたことをやらずに過ごしました。

漢字の勉強と、将棋を指すこと、です。

英語耳による発音練習だけは欠かさずやりました。

毎日やっていたことをやらないということは、なにか不安を煽る一面があります。

iTunesは動作を停止します

2011年03月30日 23時55分11秒 | Weblog

私はipodを持っていますが、曲の更新をもうずっとせずにいます。

というのも、パソコンを買い替えて、パソコン内のiTunesが空っぽになったからです。

この状態でipodをパソコンにつなげると、ipod内のデータも空っぽになるので、ヘタに接続ができず、ipodに曲を増やせずにいるのでした。

ただ、英語の勉強をするにあたりどうしても携帯音楽プレイヤーというのが重要で、なんとかipodを復活させる必要性が出てきたのです。

そこでまずはiTunesを開いてみることに。

これはipooに曲を増やすためのPCソフトです。

これをアップル社のサイトからダウンロードしたのですが、なんと開くことができません。

iTunesは動作を停止します、となります。

なんとか問題を解決しようと、今日はもう一日中それに躍起になってました。

インターネットにて解決策を検索しては試みてみるのですが、どれもことごとく上手くいきません。

途方に暮れる中、最終的にipodを買ったときに付属してるiTunesのCDで、昔のバージョンをインストールしてみると、ようやくiTunesの画面を開くことができました。

やっとです。

一時はどうなるかと思いました。

今度はipodの中のデータを、このiTunesにコピーする必要があります。

すぐにでもやりたいのですが、今日はもう就寝の時間です。

今日一日、この問題に振り回されて、やるべきこともやれませんでした。


英語の歌で英語の学習

2011年03月30日 11時57分19秒 | Weblog
「英語耳」による英語の勉強を始めて一週間が経ちました。

子音、母音、R、そして音声変化の発音練習を毎日やってきました。

それでももっともっと繰り返す必要があるのですが、本にも練習を続けながら次に進んでもいいとあるので、そうすることにしました。

「生の英語を使った学習法」というページをめくります。

ここでまず、歌を使った練習方法が紹介されています。

歌は日常会話と違って子音、母音がゆっくりと発音されているため、練習にいいそうです。

また音の変化が緩やかにおこなわれているのも練習に向いてるそうです。

そしてここでも「繰り返し」が必要なのですが、音楽は繰り返し聴きやすいことも、これまたいいそうです。

英語の曲をたくさん聞くのではなく、何か一曲に絞って、その一曲を徹底的に身につけます。

まずは練習の題材にする曲を決める必要があります。

曲を決められない人向けに、本の中で何曲か紹介していのですが、その中で私のアイポッドに入ってる曲はビートルズくらいでした。

ビートルズはイギリス人なのですがイギリス英語の癖がなくワールドワイドな英語らしいです。

ただ、ビートルズの曲を題材にするのはどうも気が向きませんでした。

できるだけゆっくりと、はっきり発音してるスローテンポのバラードが練習に向いてるそうです。

私は自分のアイポッドの中からHoobastankの「The Reason」という曲で練習することにしました。

まずはこれを「ただ100回聴く」という作業です。

音になれるためです。

繰り返し聴くことで、意味はわからなくてもとりあえず聴きとれる音というのができてくるそうです。

何もしなくて良くても「100回聴け」と言われると、実はそう簡単ではなかったりします。

4分弱の曲なので100回で400分、即ち6時間40分です。

一日では無理でしょうから地道に毎日聴いていきます。

実はこの「ただ聴く」の100回のあとにも「発音記号付き歌詞カードを見ながら聴く」を100回、「一緒に歌う」を100回と続くのです。

この曲はこれまでにもうすでに何十回と聴いてきた曲なのですが、それは関係なしに一から始めようと思います。

計300回、Hoobastankさん、よろしくお願いします。

悪癖

2011年03月27日 13時21分52秒 | Weblog
誰にでも癖はある。

私にもあります。

私の場合、癖っていうかもう趣味の域です。

ひげを抜くことです。

一度抜き始めれば、もう抜く毛がないというまで、ずっと抜き続けます。

一時間でも二時間でも。

たぶんひげさえ尽きなければ一生やってます。

指先で顎を触って、髭が毛穴からわずかでもはみ出しているのを感じたら、もう抜かずにはいられない。

髭抜きが一体なぜこんなに気持ちいいと感じるのか。

人間の遺伝子に関係してるんじゃないかとすら思えます。

雨降る中をさらに遠くへ

2011年03月24日 18時19分02秒 | Weblog
財布の中が小銭だけになりそうなので、銀行へ行ってきました。

母がお金を振り込んでくれているそうです。

ありがたいです。

近くのコンビニまで自転車に乗って行きます。

小雨がパラついています。

雨に濡れるのは嫌いなので、今日はやめにしようかと思いましたが、結局傘も持たずに行きました。

自転車をこいですぐ、外に出るのって久しぶりだなと思いました。

最近は食品を買いにスーパーへ行くことだけが、唯一の外出になってました。

図書館へも今期、今回の通常期、は行ってません。

そろそろ本が恋しくなる時期。

結局、コンビニでは通帳記入ができず、母からの振込みをちゃんと確認するためにも、銀行まで行くことにしました。

雨降る中をさらに遠くへ。

銀行は電車の駅の近くということもあって、わりと人が多いです。

生身の人。

テレビ画面の中の人ではない人。

創価学会員の家庭訪問で悩まされている私ですが、少し気分が晴れる思いでした。

英語、始めました。

2011年03月24日 11時45分33秒 | Weblog
昨日から英語の勉強を始めました。

昔買った「英語耳」っていう参考書を使用しています。

前々からこの本を開いてって思ってたんですが、ほったらかしのその本は埃をかぶっていて、アレルギー体質な私は部屋に埃が舞ってくしゃみが止まらなくなるのが恐くて、結局手つかずにしていました。

でもいつかはやるつもりではいました。

そう思いながら、とりあえず漢字の勉強をしていました。

漢字の勉強は、基本は一度書いた字を繰り返し書くという作業で、新しい情報が入ってくるわけではありません。

漢字学習に使用している教科書は中学生の頃のもので、そこで紹介されてる漢字は一通り学習して、あとは忘れないための日々の繰り返し学習です。

それで、新しい情報に飢えてる節があります。

高校生レベルの漢字の教科書みたいなのも入手しないとなって思います。

それはそうと英語です。

疎んじてた参考書の埃を払い落して中を開いたことは、とてもよかったと思っています。

どこかで、まだ今じゃない、とか、心の準備がまだ、とか考えていましたが、結局始めてしまえば問題なく始まるわけです。

ファイナルファンタジー11壁紙

2011年03月24日 09時24分04秒 | Weblog
ネットでパソコンの壁紙を探してました。

見てて楽しくなったり落ち着いたり、とにかく飽きないようなのがいいですね。

そこでファイナルファンタジー11の壁紙を見つけました。

ゲーム内に出てくる飛空挺という乗り物がアップになってる画像です。

その向こう側にタブナジアという街が見えてます。






この眺めが好きで、壁紙に張ってみました。

壁紙の画像は人物が一人だけのような簡単なものではなく、微に入り細に穿った画像の方が好きです。

それにこの画像は、見てるだけで落ち着きますし楽しい気持ちになります。

実際には存在しない乗り物に街です。

でもこういった架空の世界に心癒される感じがします。

創価学会員3世の苦悩

2011年03月21日 18時12分57秒 | Weblog
今日と昨日と、創価学会員が家に来ました。

応じることはありませんが、こんだけしつこく訪問されるのはここに住むようになって初めてです。

どうやら最近ここの地区に来た人のようです。

私は以前住んでたところでも同じように学会員の家庭訪問で悩んでいました。

そのときは祖母と一緒に住んでいたので無視することができませんでした。

祖母も学会員です。

いまでは一人暮らしなので無視しようと思えばできますが、そのしつこさにまた精神的ショックを覚えます。

近々、前に住んでいたところに引っ越ししますが、そこでの家庭訪問はどんなだろうか。

家庭訪問のない静かな暮らしがしたいです。

親にも訴えてるのですが、大丈夫そんなに来ないからと言われたり、来たらちゃんと応じないといけないと言われたり。

この悩みに苛まれる度、脱会を考えるのですが、家族や親戚が学会員であるという私のような場合は、現実的に難しいです。

親が許さないでしょうし、脱会なんて口にしようものなら親を悲しませるでしょうし。

十代の頃から、親が生きてる間は一生この悩みを抱えるんだろうなと思っていました。

私がどこに住もうが、親がその住所を学会に知らせて、家庭訪問の悪夢からは解放されません。

今日も家庭訪問を受け、これからもこのしつこい家庭訪問が続くのかと思うと、今日は一日中何もできませんでした。

インターネットで「創価学会 脱会」や「創価学会 3世」などで検索し、同じ悩みを持つ人のサイトを見たりしていました。

「池田大作 死去」というワードでも検索しました。


たしかにいま私自身、過食症という病気にかかり、まともに社会人として生活できず、幸福とはいえません。

そんな今の状況が「信心が足りないからだ」という言葉で済まされそうです。

しかし嫌なのです。

しつこく家庭訪問され、行きたくもない会合に参加させられる。

無理やり押し付けられることが嫌で嫌でたまらない。

参加しないでいいのなら、自分が関与せずにいられるなら、創価学会自体は別に嫌いではありません。

学会員の人たちも、私の知る限りではそんな嫌な人はいません。

でも強制や強要の塊で、拒否することを受け付けない感じが大嫌いです。


それはそうと早く仕事見つけないとな。

3ヶ月間過食が止まってからと考えていますが、なんか急に今後のことが案じられます。

新たな悩みができたことで過食の発作が出ないかも心配です。

都合のいい目

2011年03月20日 20時46分35秒 | Weblog
PCの将棋ソフトを買ってから、毎日のように将棋を指してます。

こう指したら相手はどう応じるだろうか、って考えながら指すわけですが、どうもその予測が自分にとって都合のいいものになっている気がします。

自分ではこう来られたら嫌だなって思いながら予測しているつもりでも、いざ指してみたら「ああそうか、その手があった」ってなることがあります。

なんでこんな単純な手を見落としてたんだろうって。

どうも自分にとって本当に都合の悪い一手には目をつぶっているきらいがあります。

リベンジ電話

2011年03月19日 21時27分39秒 | Weblog
昨日、やられっぱなしだった母からの電話。

今日の朝、今度はこちらから母に電話しました。

学会員の家庭訪問に対する拒絶の旨を伝えるために。

躊躇われました。

すんなりと言葉が出てきませんでした。

それでも何とか言って、思っていたよりあっさりとした感じだったことにホッとしました。

引っ越ししても学会の名簿を新住所に移動させないで欲しいという要望は言ってません。

家庭訪問されるのは嫌というと、わかったとのことだったので、とりあえず良しとしました。

幾分か、気分は晴れました。

ただ、引っ越し先の家は居留守で対処するのが難しそうです。

とにかく拒みたい。

そう思う一方で、もう自分というものを捨てて、この意味のない命を何かに捧げてみようかという、排他的思考が自分の中にはあります。

そんなものは通用しないのでしょうけど、過食をしてどうしようもないときなんかはよくそんな考えに陥るのでした。

そういうときは得てして死への距離が近いお年寄りを羨ましく思い、テレビ報道で誰かが死んだというニュースを見る度、なんで俺じゃないんだろうって思うのでした。