私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

引っ越し序曲

2011年04月11日 23時03分02秒 | Weblog

わたしは近々、引っ越しをします。

引っ越し先は近所です。

業者には依頼せず自分たちだけで実行します。

一日にすべての荷物を移すのではなく、先に移動させても生活に困らない本やCDなどは先に運搬しておくことにしました。

引っ越し先の家には創価学会関連のものがたくさんあります。

創価関係の本やら額縁やら。

そういった創価臭を消したい。

そんな家では生活したくないから。

本棚にある創価関係の本をとりあえず私が持ってきた本に並べ替えました。

棚から下ろされた創価本はどうするつもりなんだろう。

母に持って帰ってもらうよう言おうと思いますが、なんせ大量にありすぎるので、どんなもんでしょうか。

それに学会から贈られた表彰状の額縁もたくさん飾ってますが、これもできれば消したい。

とにかく学会臭を消したい。

本は邪魔になるからと理由づけできますが、飾ってある額縁を片付けろとは、なかなか親には言いにくいところもありますが、正直、目障りです。

創価本を下ろして空いた棚に置いた本は、学生時代の教科書や参考本などです。

あまり読まれることもなく新品に近い本もあります。

これまでは普段あまり目に触れることのないような場所で眠っていた本たちです。

こういう学習本を見ていると希望がわいてきます。

学習意欲が反応します。

この本の中には希望と未来がある。

こういう目触りのいいもの、見ているだけで気力が沸きそうになるもの、そういったもので部屋を飾りたいのです。


ニュースで英会話

2011年04月09日 23時39分50秒 | Weblog
リトルチャロの他にも、英語学習に役立ちそうな番組やそのサイトがあります。

「ニュースで英会話」って番組もよさそうです。

1分ほどの英語によるニュースを題材にしている番組です。

とくに、番組の公式サイトがいいです。

音声が聴けるのに加え、ちゃんと文章を載せてあるのが助かります。

土日祝を除き、一日につき一つのニュースがアップされています。

さらに、バックナンバーとして2008年まで遡ることができ、これだけの大量のニュース音源があるのはとても優秀なサイトだと思います。

ただ、今年の5月から大半の音源が聴けなくなるそうです。

英語に対する欲が強く、まさに欲張りになっているのか、消される前にすべてのニュース音源を保存しておきたい気になります。

ただ惜しむらくは、英語音声のスピードが通常版と速い版の二種類から選べるはずが、通常版の方はもう既に削除されており、速い版しか聴くことができないことです。

そして、数日後にその速い版も削除され聴けなくなります。

ただ、バックナンバーの大半の音声が削除されるにしても、これからも平日は毎日、英語ニュースが音声と文章ともにアップされるでしょうから、英語学習に役立つ優良サイトであることに間違いありません。

ラジオ版リトル・チャロ

2011年04月08日 14時09分22秒 | Weblog
英語アニメ「リトルチャロ2」のラジオ音源を録音しました。

文章の方はテレビアニメの方で表記されているのでそちらで入手できます。

ただ、ラジオ版とテレビ版とではアニメの内容が微妙に違っているんですね。

話自体は同じなんですが、ラジオ版の方が1分ほど長くなっているのです。

それで、テレビ版にはない個所がプラスアルファされてたり、場合によってはナレーション自体が少し変更されている個所もあります。

それで、カットされている短いほうのテレビ版の文章は入手できても、ラジオ版の文章はどうしたもんでしょうか。

ネットでどっかにあるかと思ったのですが、これがどこにもない。

リトルチャロの本が販売されていて、そこにはカットされてないラジオ版のものも全文記載されているようです。

そんなのを見ていると、欲しくなってきます。

続編であるシーズン2はまあいいのですが、前作シーズン1の方なんかはもう放送もされてませんし、そちらの方でも学習してみたい気はします。


どうも英語への意欲が強すぎて、漢字の方がおろそかになりそうな気もします。

リトル・チャロ2

2011年04月06日 23時59分35秒 | Weblog
英語の勉強を始めてから、英語の音声に貪欲になってる気がします。

求めてやまないといいますか、より多くの英語に触れたいを思っています。

リトル・チャロってご存知ですか。

NHKの英語番組です。

英語のオリジナルアニメを題材にした教育番組です。

それをたまたま先週の月曜日の午前中に見ました。

そして、それがたまたま初回だったのです。

リトル・チャロのシーズン2が今日から始まりました、って番組の冒頭で言うもんだから、チャンネルも変えずに見たのでした。

この番組の存在自体は知ってましたし、チラッとならこれまでにも見たことはあります。

でもいまいちよくわかってませんでした。

この番組は一回の放送時間は10分で、月曜から木曜、週4回放送しています。

一週間の4回分はアニメの話は同じですが、曜日によって難易度が違います。

月曜日はナレーションが日本語で登場人物のみが英語、字幕はなし。

火曜日はナレーションも英語になっており、英語の字幕が付く。

水曜日は英語の字幕に日本語訳の字幕付き。

木曜日は訳も英語字幕もなし、てな具合です。

先週の4日分は全部見ました。

そして放送のない週末はちょっと寂しいくらいで、週が明けて今週の月曜日、新たにストーリが進展するかと思われたのに、なんとまた同じ回を放送しています。

どういうことかしら。


それはそうと、このアニメの英語部分を何度も聴けるようにしたい。

家にはDVDレコーダーがなくビデオで録画することはできますが、やはりipodに入れたいもんです。

それでネット上でNHK公式サイトより、ラジオのストリーミングが配信されてます。

この番組、実はラジオでも放送されているのです。

ただ、ダウンロードではなくストリーミングのため保存できません。

それで今日は半日を、ネットでストリーミング音声を保存する方法を調べることに費やしました。

これがなかなか上手くいかない。

パソコンのスピーカーから流れている音を録音するというソフトをインストールして、それでストリーミング再生中に録音ボタンを押してみたのですが、録音したものをいざ再生してみると無音なのです。

これの理由を調べるのに悪戦苦闘です。

ステレオミキサーなるものを入手し、作動させて、ようやくストリーミングの録音に成功。

いやあ、喜びの瞬間でした。

これを集めてしっかり勉強するのが楽しみです。

Come As You Are

2011年04月06日 18時32分35秒 | Weblog
Hoobastankの「The Reason」という曲を聴いて英語の学習をしています。

この曲、歌詞カードに表記されてる歌詞とボーカルが歌う歌詞とが一致していない箇所があります。

英語の知識がないもんだから最初は「ネイティブはそういう発音なのか」なんて思いましたが、インターネットで調べてみるとどうもそういうわけでもなさそうです。


「there are many things I wish I didn't do」


という歌詞。

日本語に訳すると「しなければよかったと思うことがたくさんある」となります。

この「there are」の部分がどう聴いてもそうは聴こえません。

ネットで歌詞を調べると「there's」となってます。

たしかに聴く限りではそっちに聴こえますが、後に来るのが(many things)と複数形なので、文法としては「there are」の方が正しいと思われます。

どうしたもんかな、と思いました。

英語学習の題材にするには、こういうのがあると困ります。

それで、他の曲にすべきかな、なんて考えが生まれました。

結論から言うと、せっかく100回聴いたわけですし、乗り掛かった船です、最後までこの曲でやり抜きますが、このとき他の曲について考察した際に出てきたのがニルヴァーナというバンドの「Come As You Are」という曲です。

この曲はそもそも英語学習になんの曲を使おうかと考えてるときに浮かんだ曲でもあります。

けしてテンポの遅いバラードではありませんが、単語を一つ一つ丁寧に音に乗せてる感じがわりと初心者向きかななんて思ったのです。

なにより曲がいい。

それで、come as you are でやってたらって考え始めると、もうどうしても聴きたくて仕方ありません。

それで、発音記号付きの歌詞カードを作成し聴いてみました。

英語素人ながら日本語に訳するとこんな感じです。



お前らしくあれよ

かつてのお前のように

俺が望むお前のように

友のように、友のように

かつてのライバルのように

時間を使えよ

急げよ

決めるのはお前だ

遅れるな

休め

友のように

昔の思い出のように

泥にまみれろよ

漂白剤に浸かれよ

俺が望むお前のように

流行りのように

友のように

昔の思い出のように

誓うよ

銃は持ってない

いや、銃は持ってないんだ



最後の「銃を持ってないことを誓います、いいえ銃は持ってません」ってところがいいんですよね。

最初の100回 終了

2011年04月05日 00時04分05秒 | Weblog
英語の学習としてHoobastankの「The Reason」という曲を聴いています。

この学習法は3段階に分かれていて、その最初の1段回を昨日終えました。

最初の1段階とは「ただ聴く」を100回です。

なかなか大変でした。

英語の音になれるために聴くのですが、ややともするとボーっと聴きがちで、ああもう(曲が)こんなとこまできてる、ってなることがあります。

かと思えば、聴きとろうとして注意深く聴くこともあり、そうなってくると何度も繰り返すうちに場所によっては音が聴き取れそうな感じになります。

ただ、ここまでは英語の発音をメインに勉強してきました。

単語や文法の勉強はやってないのです。

そのため、聴きとれたところでそれに対応する知識がないためか、頭に英語が浮かんでこない。

そのことがとてももどかしく感じるのです。

それで、早く歌詞を見たくなってきました。

それを堪えて100回聴くのがたいへんでした。

100回聴き終えて、ようやっと歌詞カードを見ることができました。

いわば答え合わせです。

歌詞カードの英文を見て、やっぱりかと思ったり、なるほどあの音はこの単語かと思ったり。

歌詞カードの英文の意味を解釈してみますが、ここでもやはり文法の知識などが乏しいせいか、意味がわかりかねる個所もあります。

それで和訳カードを見ましたが、それでも正確な文法知識がないと、なんでここにこの単語が?と疑問に思うこともあります。


さて、次の2段階は「発音記号付きの歌詞カードを見ながら聴く」を100回です。

「発音記号付き歌詞カード」は自分で作りました。

歌詞の英文を書いてその下に発音記号を書きます。

日本語訳は基本的に書きませんでした。

一つ一つの英単語の言葉の意味がわかっていれば問題ないと思ったからです。

「ただ聴く」の100回に比べれば、今度の100回はもどかしさもないでしょうし、歌詞を見ながらなのでボーっとすることもないし、まだ楽しくやれるのではと思いますが、如何せん100回です。

いやはや先は長い。

漢字検定2級の本

2011年04月03日 19時31分13秒 | Weblog
今日は期日前投票に行きました。

ということは先々の記事にて報告済みですが、最後にもう一つ。

選挙のあとに寄った私の今度の引っ越し先兼こないだまで兄の住んでいた家にて、あるものを見つけました。

漢字検定2級の参考本です。

兄のものです。

それを手にとって中を見ました。

ちらっと見ただけなのですが、決して難しいものではありませんでした。

表紙には高校1年・2年レベルと書かれているのですが、私が中学生漢字であると把握している漢字がそこにはありました。

じっくりと見なかったのは、いい加減な形ではなく、正式なテスト形式でどこまで解けるかをやってみたかったから、その場ではチラ見しただけです。

ただ、私がここ最近やってきた漢字の学習に手ごたえを感じました。

生意気なことは言えませんが、あの程度なら漢字検定2級はすぐにでも獲れると思います。

もっともっと勉強してやろうと思いました。

そういえば 兄に会うのも 久しぶり

2011年04月03日 19時14分31秒 | 過食症

今日は選挙の期日前投票に行きました。

ということは先の記事にて報告済みですが、まだまだ。


その後、私の引っ越し先である家へと向かいました。

元々、兄が住んでいたところです。

まだ兄の荷物があります。

しばらくして兄が来ました。

兄はこの春から社会人です。

職に就いたのです。


投票場所である役所からその家までの車中で、母から「何かアルバイトはしないのか」という問いを受けました。

心苦しい問いです。

当然、しなければならないことはわかっています。

しかし、過食がいつ顔を出すかわからない今の状況ではまだ少し難しい。

当初の予定通り、とりあえず3カ月。

でも、そんなこと言えない。

過食という言葉を口にできない。

なぜ言えないのか。


引っ越し先の家に着いて、兄も合流して、そのあと母が近くのスーパーまで買い物に行っている間、兄からも同じ問いを受けました。

やっぱり皆それが心配なのです。


立派な大人になりたい。

一人立ちした社会人に。

兄はそれを成し遂げました。

 

 

(さらに次の記事へと続きます)


全国統一選挙 期日前投票

2011年04月03日 18時14分02秒 | Weblog

選挙の期日前投票に行ってきました。

私はいま住んでいる家の住所と戸籍上の住所が違います。

だから役所に行って投票するにしても、最寄りの役所へ、というわけにはいきません。

戸籍登録している役所は、自宅から電車に乗って小一時間。

選挙といっても一苦労です。

なのになぜ選挙に行くのか。

それは創価学会員だからです。


ところで、今月は引っ越しをします。

私の望むところではありませんが、家庭の事情から。

望むところでない一つの要因は、学会の家庭訪問。

今の家にも最近よく来ますが、今度の新しい住所にも来られたら堪らない。

それで親に、創価学会の住所登録を新しい引っ越し先に変えないでくれ、ということを今日は言うつもりで、家を出て選挙に行ったわけです。

役所に行くと、母がいました。

帰りは家まで車で送ってくれる約束になっています。

投票を終えて役所の駐車場に行こうとして、そこで初めて父も来ていることに気付きました。

まずいな、と思いました。

引っ越しの日にちを告げられました。

なんとなく今月中とは思ってましたが、具体的な日付まで決まっており、引っ越しの話はもう走り出しています。

父とはそこで別れて、車に乗ったのは私と母と祖母の三人。

安心しました。

私の家まで着く車の中が、話を切り出す絶好の機会です。

この車中に父が居合わせたら言いだしにくいこと極まりない。

それで一先ず安心はしたのですが、いざとなるとなかなか言い出せない。

なんで言いだせないのか。

すぐにでも言いだせそうな気もする一方、ウンともスンとも出てこない。

こうやって俺は何も言えないまま死んで行くんだな、なんて考えていた矢先、事情が変わりました。

兄も先日、引っ越しをしたのですが、なにやら兄が住民票を変えたことによりどこの選挙にも行けなくなったそうです。

創価学会では地区ごとに「誰々は投票に行った」ということを報告する必要があるのですが、兄の一票分の報告を地区の人にできないと母がハンドルを握りながら嘆きました。

どうやら兄の学会の登録地区は実家になっているようです。

そのタイミングで言いました。

おれもそうしてくれと。

最初は難色を示しましたが、無事受け入れてくれました。

これでもはや何の憂いもありません。

それさえクリアになれば、明るい未来に向かって走りだせます。

ただ、引っ越しを機に兄の学会の登録カードを実家から新しい住所に移すと母が言ってました。

余計なお世話かもしれないけれど、それすらも止めてあげて欲しいと思いました。

親としてはきっと私にも現地の地区で、と考えているでしょう。

しかし、そこを優しく受け入れてくれたことに感謝します。

いつまでも過食症だって言ってられません。

焦りは禁物ですが、恩を返すつもりで、安心させてあげるためにも、なんとか職に就きたいです。

 

次の記事へと続きます)


記憶と繋がる曲

2011年04月01日 23時48分35秒 | 過食症
今日はTSUTAYAに行ってきました。

ipodで聴けなくなった歌を取り戻すために。

8枚ものCDを借りました。

2000円かかりました。

こんなにお金を使ったのは久しぶりです。

iTunesストアで購入したばっかりに今では聴けなくなったという曲の中で、私がどうしても取り戻したかったのが、all-american rejectsというバンドの「move along」というアルバムです。

その昔、このアルバム一枚丸々をiTunesストアで購入しました。

これが思いのほか当たりで、よく聴いていました。

これだけ取り戻せればいいやと思っていたアルバムで、今回TSUTAYAに行った最大の理由です。

他にも、hoobstankの「THE REASON」。

これもかつてアルバムごとiTunesストアでダウンロードしたやつです。

なんと言っても、私が個人的に英語学習の題材にしてる「the reason」が収録されてるので、再度ipodに復活させる必要があります。

実はこの2枚のアルバムをiTunesでダウンロード購入したのは、おそらく私が過食症を発症させた頃と時を同じくしているはずです。

私が過食を発症させた当初、夜の街をただひたすら歩きながらコンビニなどで買い食いをするという行為をしていた記憶があります。

ひょっとすると初めてのやつがそうかもしれない。

当時のアルバイト勤務地は電車を乗り継いで自宅から一時間ほどの場所にあります。

夜中に勤務を終えて、そこで過食して(そのときはこの世に過食症なんて病気があることも知らないから過食っていう意識はなかったと思いますが)、でも太りたくないもんだから自宅まで歩いて帰ったのでした。

でも道すがら、コンビニを見つけては中に入って食べ物を買って、歩きながら食べてました。

季節は冬でした。

2月か、3月か。

結局、家にたどり着けず、電車ももう動いていないから、カラオケ店に一人入った記憶があります。

明け方店を出て、コンビニでアイスを買って食べたのも覚えてます。

マックでメガマックを買って食べたのも。

それでですね、そういったことをしながらipodで聴いていた曲がリジェクツだったりフーバスタンクだったりするわけです。

冬の夜に歩きなれない街を独りムシャクシャ食べながら歩きながら聴いていたのです。

過食症発症の直前は、体重を落とすためによく歩いていたのですが、そのときもたしかこれらの曲を聴いてました。

だからこの二枚のアルバムは、私の中で“あのとき”のメロディなのです。

発症前後の。

それは悪しき過去の記憶で、そんな曲聴くのも嫌じゃないのかって思われるかもしれませんが、決してそうではありません。

あのときは恋をしてたから恋心を思い出させるのかもしれません。

とまれ、私にとっては心の古傷を優しくくすぐられるような、そんな曲たちなのです。

TUSTAYAに行った話をするつもりが、思わぬ方向に進んでしまいました。