私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

冬のはじめの駄文

2010年09月29日 22時48分58秒 | 過食症

夕方の6時を過ぎているというのに、窓の外が明るい。

西の空に浮かぶ夕日のおかげで、ほのかに明るい。

つい先日まではそんな感じだったのですが、いつの間にやら6時を過ぎればすっかり外は真っ暗に。

冬がやってくるって感じですね。

四季の中で人気者といえば夏というイメージがありますが、私は個人的に、ひょっとすると冬の方が好きかもしれません。

肉体的な寒さが精神的な寒さを喚起しそうでありながら、誰かのぬくもりがありがたく感じる、そんな季節。

私にとってのいい思い出、貴重な体験が冬という季節と密着していて、冬になると頭のどこかでその記憶が蘇って、それで冬が好きなのかもしれません。

過食症にかかる前、まだ健常者だった頃の私の、最後の季節も冬でした。

冬の終わり、まだ春にはなっていない、そんな時期に発症しました。

今日、夕方、暗くなった街を30分ほど音楽を聴きながら散歩しました。

なんとなく部屋でじっとしているのがつまらなく思えて、外に出ようって気になりました。

歩くなら暗くなった夜がいい。

過食症にかかる直前、あの頃よくそんな時間帯に外を散歩してました。

当時のことが思い出されるのです。


キングオブコント2010

2010年09月25日 11時44分25秒 | Weblog
まずまず平穏無事に暮らしております。

先日、キングオブコントを見ました。

その中でジャルジャルの2本目のネタ、バス停でバスを待つおばさんが中学生に絡まれるというコントを見て、久しぶりに大爆笑しました。

こんだけ笑えることって人生においてそうあることでもないでしょうから、ありがたいことだなというか、貴重な時間を過ごせたなというか、そんな感じです。

毎日、あんなに笑える何かに出会えれば、どれだけ幸せか。

やっぱり笑って過ごす人生が何よりです。

免許書き換え近し

2010年09月14日 21時09分23秒 | 過食症

運転免許の更新が間もなくです。

そのことを知らせるハガキが実家に届いているそうで、先日母親と電話で話しました。

そのときに、バイトをしてみたけど過食が出たから一カ月ほどで辞めたことを伝えました。

「過食がでた」ということに母親は驚いていました。

そういえば、母親との会話で「過食」というワードが出てくるのが久しぶりです。

ここしばらく、それを避けるようにして会話してたのは母親の優しさと思っていましたが、あの驚きからするとひょっとして、もう息子は過食に苦しんでいない、そのことは解決したと思い込んでいたのかもしれません。

過食症の人の中には過食しながらも働いている人もいる、ということを言われました。

過食症を治すことは二の次、そう言われたように感じました。

「過食しながら働け」=「過食しながら生きろ」であるからして・・・。

なんか残念な気持ちになりました。

でも実は、一か月という短い期間でも過食しながら働いていたのは、親を安心させるためにという、そういう気持ちがなくはなかったのです。


心に目を向ける

2010年09月10日 23時54分48秒 | 過食症

今は通常状態。

過食をしていません。

今日は過食をおさめて7日目です。

前回はこの7日目に突如、強い過食衝動に苛まれ崩壊しました。

今回はとりあえず無事でした。

今はネットゲームをやっています。

それで気持ちが落ち着いているのかもしれません。

私の場合、虚無感とともに過食衝動がやってくることが多いです。

何かに夢中になっていたり、そこに楽しさを見いだせているうちは、大丈夫なのかもしれません。

これまではなんとなく、とにかく過食という症状を治めようと考えてました。

強引に、半ば闇雲にそう考えていました。

強制的に過食できないような状況に自分を置いてほしい。

それこそ牢獄の中にでも。

でも最近は「自分の心はどうなってるんだろう」と考えるようになりました。

一説によれば。

ある気持ちを感じたくなくて過食をする。

過食しているときはその気持ちを感じなくて済む。

受け入れられないその感情が過食を引き起こしている。

だそうです。

私の感じたくない感情、受け入れられない気持ちとは一体なんだろう。

虚しい、物足りない。

そういった感情ではないかと、とりあえずはそこに落ち着きました。

これらの感情と素直に向き合い、そういったことを感じてしまう自分を、ありのままの自分なんだと認めて前進すること。

それが過食克服の方法らしいです。

言うは易しです。

大切なのは「ココロで感じること」とあります。

「ああ、いまこういう感情がここにあるな」と。

別にそれを排除しようとか、悪しきものであるとか考える必要もなく、ただそこにあるなと思う。

今、過食せずにいられるのは、虚しい、物足りないという気持ちと素直に向き合い、そんな気持ちの自分を認めているからではありません。

単純にそいうった感情を感じていないだけにすぎません。

でもそう遠くないいつか、そういった感情を感じる時がまたきそうです。

そしてその時は十中八九、過食衝動を伴っているでしょう。

理論的には、過食衝動を伴っていてるようでは、その時点でもうダメなのです。

なぜならそれは、虚しい、物足りないという感情を感じたくないと思っているからです。

過食して一時的にその感情から守られる。

そうならないために、そういった感情がすぐ目の前にあるとき、目を逸らそうとせずに向き合えるかどうか。

向き合うということが何を意味しているかはわかりませんが、私はその日が楽しみでもあり怖くもあります。


心が枯渇してる感じ?

2010年09月01日 23時30分18秒 | 過食症

先日までは順調に過食のない生活を送っていましたが、そんな非過食状態に入った7日目のある日、過食再開。

この日、昼食を終えたのが13時ごろ。

15時ごろに過食衝動のはしっこを確認。

対峙開始。

18時15分ごろ、夕食開始時刻の45分前であるにもかかわらず、この時刻まで過食衝動が去らず、ついに崩壊。

過食衝動は素晴らしいです。

神がかってます。

もはや称賛に値します。

必死に耐えしのびました。

嵐よ去れとばかりに。

でも駄目でした。

この病的な状態はなんなんだろう。

何が過食衝動を連れてくるんだろう。

飢えではありません。

それが証拠に、やつは空腹感に関係なく現れます。

過食症は心の病といいます。

私もそうなんだろうか。

自分では思い当たる節がありません。

思考が過食に乗っ取られたとき、自分の心に問うてみることが大事と、あるネットのサイトで読みました。

確かに今まで一度もそんなことしたことないかもしれません。

今度やってみようかな。

何か答えてくれるとも思わないけど。