私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

ライアーゲーム

2012年04月29日 18時02分58秒 | Weblog
ドラマ「ライアーゲーム」を見ました。

ヒロインの神崎直がかわいいです。

演じている戸田恵梨香がかわいいんじゃなく、神崎直がかわいいです。

現実にはこんな人間いないんでしょうけど、でもだからこそ魅力的に感じます。

疑うことを知らない生き方は、この腐った俗世では通用しない損な生き方かもしれませんが、騙されても騙されても人を信じ続けるということは、とても強くとても美しいことです。

その強さと美しさに惹かれます。

この歳になって劇中の人物を好きになることもあるんですね。

これから「好きなタイプは?」って訊かれたら、バカ正直な人って答えることにします。

申し訳ないがのしかかる

2012年04月26日 16時38分03秒 | Weblog
昨日、静かな暮らしを邪魔する子供たちに注意しました。

それも1回では効果がなく、2回注意してやっと去ってくれました。

今日、また彼らが現れました。

やかましく遊ぶ子供たち。

昨日注意したのに今日また遊ぶってことは、こちらの迷惑を全く理解してもらえていないってことですね。

私は何も、彼らに反省してもらいたいだなんて思ってるわけではありません。

ただ阻害される私の静かな暮らしを少しでも守りたいだけです。

今日もまた注意することにしました。

注意を終えて家の中に戻って、子供らも去って静かになりましたが、どうも心苦しいです。

子供らの遊び場を奪ったことに対する罪悪感のようなものが疼きます。

子供らがうるさいと集中して何かをすることができませんが、注意をした後も平常心を失って、それはそれでしばらく何もできない。

私の注意を受けた子供らは、いつもどこか不服そうです。

私も彼らから受ける自分の苦痛を切実に訴えるわけでもなく、言葉少なに「うるさいからここで遊ばんといて」と言うだけです。

「ここで遊んでると変なおっさんに邪魔される」ってことで、子供らがもう私の家の前を遊び場にしなくなれば、私としてはそれで問題は解決して一件落着です。

でもできれば、子供らにも納得してもらいたい。

自分たちが他人に迷惑をかけながら自分たちだけで楽しんでいるってことを、子供らにわかってほしい。

いつまで経っても治らない

2012年04月25日 01時36分23秒 | Weblog
「気がつけばそういや、いつまで経っても治らんな」って話をします。

数週間前、子供らがうるさくて、イライラが爆発しそうになり、自分の拳を思いっきり壁に叩きつけました。

壁に穴があいてもいいという覚悟のもと繰り出されたそのパンチは、結果的に壁ではなく拳の方に傷を負わせました。

皮膚が破れて軽く血が出ました。

傷はやがてかさぶたとなりました。

その傷ついた皮膚がいつまでたっても元に戻りません。

若いころならとっくに治ってそうですが、もう歳ですね。

皮膚の再生がおっつかない。

玄関扉の内側で

2012年04月23日 23時38分55秒 | Weblog
玄関扉の内側で、外の様子をうかがいながらジリジリ。

外では子供たちがやかましく遊んでいます。

そんなことをされると、もう何もできない。

テレビを見ることも、本を読むことも。

下手に何かしようとすれば、余計にイライラは募りストレスが溜まる。

だから何もしないで、玄関に立って外の様子をうかがう。

外に出て子供らに注意をしよう。

そう考えて玄関に立つのですが、なかなか外に出れない。

何を子供相手にこんなにもドキドキしているのか。


すぐに外に出ないのは、タイミングをうかがっているからです。

注意するのに最適なタイミングを。

子供らが一塊りになっているときがベストです。

バラバラに散って遊んでいるときに、一人の子を捕まえて注意しても効き目は薄いのです。

子供らはかくれんぼをしています。

鬼の子供が一人で皆を探しているっていう状況で外に出ても、意味がない。

鬼が全員を見つけて子供らが一同に会しているときが狙い目です。

そのタイミングをうかがって、私は玄関扉の内側に潜んでいるのです。

そんなの一切気にせずに、躊躇なく外に飛び出し、子供らに大声で注意する。

そんなことができる人が羨ましい。

大きな声で注意すると、周囲の大人たちの目を引くことになる。

「ここで遊ぶな」って私が子供らに注意しているときに、第三者が「別にいいじゃないか」って横やりを入れてくることを私は何よりも恐れています。

私の主張はけして間違っていないと思うのですが、私に子供らの遊び場を完全に奪う権利などあるのだろうかと不安にもなるのです。

現に、近くに公園があるにもかかわらず、子供らは一向にそこで遊ぼうとはせず、いつもいつも私の家の前に集まってきて遊びます。

公園には先客がいて遊ぶことが出来ないのかもしれない。

さらに遠くにもう一つ大きめの公園があるのですが、そこまで行って遊べっていうのも無茶な気がします。

どうも私一人が無茶なことを主張しようとしているのではないのかと不安になるのです。


そんなこんなで、私はこんなにもドキドキしているのでしょうか。

「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野晶午

2012年04月19日 00時31分50秒 | 読書感想
こいつはおもしろいですね。

やっぱこういうのこそがミステリですよね。

作者の歌野さんも、トリックが無いのはミステリとは思わない、と考えているそうです。

私と同じ価値観だなと思いました。

久しぶりに夢中になって読んだ気がします。

いろいろと邪推する心があったりして、「フンだっ、そんなわけないよ」みたいな気になってしまったりするのですが、久しぶりに本の中に入って読めた感じがします。

それが証拠に、就寝まで読書をして、翌朝、悪徳商法組織に正体がばれてまずい目に遭うっていう夢を見たりしました。

それにこの作品、ドラマなり映画なり、そういった映像化不可能な作品ですよね。

小説を原作としたドラマや映画が溢れ、人気の小説はいずれ映像化される運命にある昨今、小説好きな私としてはなんと愚かなって思っていたりするので、そういったなんでもすぐに映像化しようとするドラマ業界や映画業界に対して、「ざまあみろ、こんなおもしろいのが映像化できないでくやしいだろ」って、そんな気になります。

タイトル変更のお知らせ

2012年04月17日 23時42分39秒 | Weblog
私はなんでブログをやっているのだろう。

日記を書きたければ個人的な日記帳に書けばいい。

それなのにこうやってブログを用いるのは、やっぱり誰かに見てもらいたいから。

ときどき意識します。

このブログをひょっとしたら家族が見てないだろうか、なんて。

このブログを隅々まで読んでいる人は、家族なんかよりよっぽど私のことを知っている。

誰か私の本音に耳を傾けて。

そんな願望が知らず知らずのうちに実ってるのかもしれません。

昔から引っ込み思案で臆病だった私は、自分ではそれなりに生きているつもりです。

でもいつか死にます。

どんな死に方かしりませんが、孤独死の可能性高し。

それでも数少ない遠い親戚、もしくは近所に住む人、もしくは役所の人、誰でもいい、誰かが遺品整理をしているときに、ひょっとしたらひょっとして、パソコンの履歴からこのブログの存在に気付くかもしれない。

そのときでもいい。

死んでからでもいいから私の心を聴いてほしい。

最近はそんなことも考えます。


ブログのタイトルを変えます。

ブログを始めてからずっと「落書き帳」という、いかにも面倒くさいからつけたの丸出しのタイトルでした。

今日からは、「私が死んだあとであなたが読む物語」。

「となり町戦争」 三崎亜記

2012年04月15日 15時57分23秒 | 読書感想
ある日、自分の住む町がとなり町と戦争を始めた。

しかし、町役場が戦争を管理しているようで、一般人の日常生活には何ら変化が無い。

主人公は戦争を感じないまま、今までどおり会社に通勤する。

そんな主人公が役場に選ばれて民間人として戦争に関与することに。

現実感を伴わずに始まったこの戦争、主人公はどうやって戦争を感じるのか。

戦争が終わったとき、自分の上を通り過ぎていったこの戦争に対し何を考えるか。


戦争というものを一風変わった視点から描いて考えるという設定はよいと思います。

ただ、所々で文章がまどろっこしく感じる部分があって、どうも箸が進まない感じがしました。

柄にもなく不眠症

2012年04月08日 20時15分12秒 | 過食症
過食状態から通常状態に戻って今日で4日目。

過食状態のときは赴くままの生活です。

時間にはとらわれない不規則な生活になります。

強いていえば、スーパーの閉店時間だけを気にかける。

これを逃せば次の開店まで過食買いができないって思うから。

いざとなれば24時間営業のコンビニがあるのですが、スーパーの方が何かと安いです。

とくに閉店間際はお弁当関係が値引きされていたりします。

でも、うちの近所のスーパーはケチでせいぜい30%offくらいです。


このあいだの過食状態の2週間は、風呂にすら入っていません。

部屋も散らかりっぱなし。

いつものことです。

起きれるだけ起きて睡魔に襲われたら寝ます。

時間に不規則な過食状態から規則的な通常状態に戻すのは、そういった意味でも難しい。

過食意欲は弱くても、睡眠が本来の生活リズムに戻らないと、過食状態の方も元に戻す気にはならない。

今回、通常状態に戻った直後は上手く眠りに就けませんでした。

それはきっと、そういった生活スタイルのズレの修正のために、眠たくなくても無理に寝ようとしたからだと思います。

しかし、それだけともいえません。

床に付いて、なかなか寝付けない頭でいろいろと不安を感じていました。

いまのこの生活環境をおもうとどうも心が落ち着かず、明日が嫌になる。

そのまた明日も嫌になる。

もし別の静かな場所で生活を送れたらな、とそんな夢を描いてみると、なおさら今の生活環境に吐き気がする。

なまじっか脳があるから考えてしまうんだ。

ただ生きるってだけでも、つらいときはつらい。

結婚式の日に過食

2012年04月08日 17時59分54秒 | 過食症
兄の結婚式の日、家に帰って一人になって過食しました。

45日振りの過食です。

式に出席しているあいだは別に大丈夫でした。

出された食事を食べても、別に過食に走ることなく冷静でいれました。

少し食べすぎたかなとやんわり後悔している部分もありましたが、家に帰ったら少し運動でもしようと考えたりしていました。

家族と別れて一人になり家にあがるまで、過食をするつもりなんて微塵もありませんでした。

しかし、家には弟が置いていった食べさしのチョコ菓子がありました。

弟は結婚式に行く前、私の家へとやって来ました。

そのときコンビニで買ったお菓子を持参していました。

一人で食べていたのですが、全部食べずにそれを私の家に置いていきました。

私は「要らない」と言ったのですが、強くは拒めませんでした。

善意なわけですから。

そのときは「あとで捨てよう」と考えました。

とにかく、置いていかれたとしても、無理やり口に押し込まれでもしない限り、食べるか食べないかの決定権は私にあるわけですから、なんら問題はないと思いました。

でも間違っていました。

式を終えて家族と別れ一人になり、家の中にお菓子があることを思い出した私は、なぜかすぐにそれを捨てることができませんでした。

家に入るまでこれっぽっちも過食衝動なんて無かったのに。

この先の将来にうまく自分を馴染ませることができなかった、とでもいいましょうか。