柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

女性スタッフ 葬儀本番中

2008年05月13日 | 葬祭スタッフ
今、研修をしている女性スタッフは
やっと、葬儀の現場に立ち始めています。

まだまだ勉強中ですが、教えたことを実践しています。

私が彼女たちを面接したとき
必ず、質問したことは、「ご遺体を触れますか?」です。

大抵は、「わかりません」と答えますね。
不安そうな様子で。

ご遺体の処置は、葬儀社の大事な仕事です。
病院でも死亡時の処置はしてくれますが
病院から、お預かりした故人は、葬儀社が管理するしかありません。

ご家族と別れる最後まで、きれいな状態でいて頂くために
最善の努力で、ご遺体の処置をします。

鼻、耳、口、目など、すべて防腐処置をやり直します。
目や口の閉じ方や、自然な顔の復元やメイキャップ
等を必ずします。

私は週に2回しか研修にいきませんので
一度、実際に処置を施しましたが
後は、研修時に何度も講義をして教えました。

ご遺体が持っているかも知れない感染症の対策も教えます。

皆さん、ご存じないでしょうが
亡くなられた方の体には、気がつかないうちに感染する病気が
存在していることがあるのです。

この知識がないと、葬儀スタッフも、ご遺族の皆様も
安全に守ることができません。

このことは、また詳しくお知らせしたいと思います。

研修で習ってはいても。実際にやってみるのは勇気が要ります。
「怖がらずに、自信を持って、やりなさい。
故人がきれいなままでいたら、一番喜ばれるのはご家族でしょう」

この言葉に、押されて、ご自宅に安置した後、
処置を始めさせていただいたそうです。

本来は、ご家族に退室していただいて、行うのですが
ほかに移動する部屋がなかったそうで
結局、皆様の前で処置をし始めました。

故人様に合唱をして、「失礼いたします」と声をかけ
処置用の手袋をつけ、無事にすべてを終わらせ
きれいなった故人に、お参りをしていただいたそうです。

一部始終をご覧になったご家族は
彼女たちの処置に十分納得されました。

きっと彼女たちも、処置の大切さと、ご家族の安堵を
感じ取ったはずです。

それから、もっと、驚いたのは
孤独死をされ、警察に検視されたご遺体を
男性の搬送者と一緒に、女性スタッフが
お迎えに行ったというのです。

初めてながら、ちゃんと棺に納めて、お連れしてきたそうです。
警察の検視に、女性はあまり出入りしません。
よく、初めてなのに出向いたと感心しました。
(後で聞いたら、皆に「行け!」とゲキを飛ばされたそですが・・女の仲間はすごいですね)


その話を他の葬儀社の女性に話したら
「アラ?忘れたんですか? 確か、私もお迎えに行ったことないのに
柴田さんに、やり方は教えてあるでしょう。行け!って初心者だけで行かされましたけど」と言われました。
忘れてます。


誰でも、はじめからベテランはいません。
皆、最初があるのです。

心を込めて、一生懸命にやるしかないのです。

何も処置をせず、ただ、ドライアイスを乗せておしまい。
そんな、葬儀社が多い中で
ご家族のために、がんばった彼女たちは
きっといい葬儀スタッフになります。



ドキドキ  心、震えて

2008年05月13日 | sibatanoriko?

前回、紹介した葬儀専門学校の生徒や、研修先のスタッフ達が
生き生きして見えるのは、自分のやりたいこと見つけたからでしょうね。

まわりを見回しても「やりたい事」が分かっている人って、そういない。

見つけるコツというか、クセというか
分からないのかも・・・。

電車の中で、おばあちゃんに席を譲ろうかな?どうしよう?
そんな迷いってあるでしょう。

いい事なのは分かっていても
声を掛けるのって難しい。

今度、目が合ったら声かけようか、
断られたら、かっこ悪いし、
いいか、もうすぐ私、降りるし

なんてね、心の中で問答繰り返して。

でも、勇気を奮って声かけて
おばあちゃんがお礼を言ってくれたら
心が晴れ晴れするでしょう。

エ~!経験まったく無いの?
今度、一生に一度だけでいいから、こういう時、席、譲ってみて。

心が震えるのが分かるから。

こういう、心が震える、ちょっと勇気が要るけど、いい事を
沢山、経験すると、何がしたいのか分かってくるかも。



私の心が初めて震えた経験を話しましょうか。チョット、変だけど。

私ごとですが、
小さい頃は、赤面対人恐怖症で、人と話も出来なかった。
外で食事もたべられなかった。
無理に食べると、もどしてしまう。
小学校の給食は、ほとんど食べてない。

家で、家族となら話せるし、食べれる。
でも外では、家族がいても、ダメ。
小学校の低学年の時は先生に話しかけられるだけで泣いてた。

母が、心配してお医者様と相談して
精神安定剤を貰っていた。
小学校5年くらいから。

でも、今では大勢の人の前でも、ぜんぜん上がらない。
自分でも、不思議なくらい。

今、思い返してみると
私は、自分に自信が無かった・・・と思う。
誰かに、何かを言われたらどうしよう。  そればっかりだったかな。
すぐにドキドキしていた。

そんな自分が変われた、大きな転機はって言うと
心が震えた、いい事って
多分受験勉強だったと思う。それも中学受験。

小学校4年から家庭教師がついた(この頃、塾は無かったんですよ!)
両親は、ただ、学校の勉強を見てもらおうと思っただけ。
受験なんて考えてなかった。
週に2回位で2時間くらいと、軽い気持ちだったと思う。


でも、お願いした先生が悪かった。
おっかない、年寄りの先生(今、思えば55才位)で、時間をもてあましていた人
教え子から東大生を出すのが夢。

私と、弟、妹と3人を並べ、午後5時頃から家に来て、先ず勉強。
夕食を家族と食べ1時間休憩。
その後、年の順に勉強は終わり、最後は11時頃まで勉強。
その先生は終電で帰っていく。
それを、なんと362日。お正月3ヶ日は休み、で3年間。
(私は小学校終了と共に終わり、弟、妹も小学校卒業まで)

誤解の無いように。別に家が裕福だった訳ではないのです。
先生が勝手に、毎日来ちゃう。
初めの頃は、両親も訳が分からず、
日曜の朝、一家で寝坊をしていると、そこに突然現れる!
慌てふためいて、急いで勉強の仕度をする。
こんな具合。

それがまた、すごく怖い。大声で怒る。頭は叩かれる。
テーブルもバンバン叩く。
一度、紙の下に10円玉があって、そこの上を何度も叩いたので、
テーブルに10円玉の跡がクッキリ。スパルタそのもの。

おとなしい私達兄弟は、されるがまま、勉強を続けていたけど、
私は、心の中でいつも吠えていた。
「コレは本当の勉強じゃない!! 勉強はもっと楽しくするものだ!!!」

ある日、事件が起きた。
弟が、言われた勉強をしていなくて、怒られている。
泣きながら、やろうとする弟の勉強道具を取り上げて、「やらなくていい」と先生が言った瞬間、おとなしい私がキレタ。

「先生!、やらなかったのは弟が悪いけど、謝って、やろうとしてるじゃない。
何で、そんなことするのヨー」
すごい勢いで、言いそうも無い子がいったので、先生ビックリして、さらに怒って帰っちゃった。

私達兄弟は大喜びだったけど、母親が部屋に飛び込んできて
「先生、すごい顔で帰っちゃたけど、何があったの?」
訳を話したら、怒られなかった。

「もう先生、来ないね。良かったね」と兄弟で話してたら、次の日、ちゃんと来た

この戦いで3年間。すっかり勉強が嫌いになりました。
この間に私が少しずつ、変わってきたと思う。
ドキドキしながらだけど、自分の考えを言った。(イヤミくらいだったのかな?)

結果は、誰も東大にいけなかったし、エリートの道も歩まなかった。
素材が大したこと無いのに、押し付けた勉強では無理です。

でも、そこそこの学校に進学は出来た。
そこでも、勉強大嫌いだから、学ばずに8年間すごしてしまった。

でもね、その後、自分が学びたいと思った事は、とても楽しく勉強できました。
やっぱり、楽しい学びでないと、身につかない。

この受験勉強で、自分に自信がつたのは間違いない。
この苦しみに耐えた。言うべき事はいったほうがいいって気がついた。
ドキドキするけど、自分の意見を言えた時は、確かに心が震えた。
それも、自分や他の人を守る為の発言や行動には、心が震えましたね。

ちっちゃな、身勝手な正義だったのかもしれないけど。




私の心の震えは、変な例えですが、参考にしてください。

ならないか!