葬祭ジャーナリストの碑文谷創氏が書かれている
デス・ケア「死の今日の問題と今後の葬祭業のあり方」を
紹介したいと思います。
私は、葬儀の世界に入って
従来の葬儀のやり方を、裏側から見たとき
「何てすごい仕事だ」と感心する一方で
不誠実、無責任な行動に不信感も抱いていました。
葬儀の担当すらしたことが無い私が、何のご縁か
葬儀社の立ち上げに携わり
「こうすべきだ」の持論だけで、無我夢中でやってきましたが
碑文谷氏の著書を目にしてから
尚一層の自信が深まりました。
碑文谷氏は私の行動を、逐一、議論付けていたのです。
私のそれは、碑文谷氏の書かれていた事の、
ほんの何分の一にしか当たりませんが
葬儀の仕事をする上では、とても大きな支えになりました。
そこで、今回から「今後の葬蔡業のありかた」として
碑文谷氏の書かれている事をご紹介しながら
デス・ケアについて書いてみようと思います。
デス・ケアという視点
「デス・ケア」とは近年北米で
人間の死後に関係するサービスの総体を指して言う。
・・・とあります。
葬儀のケアの対象は死者本人とその家族である遺族である
日本の古来の葬儀は
死後の通夜は遺族関係者は死者に食事を供したり、
寝ずに守ったりして、死者にひたすら仕えた。
そしてそれは同時に、遺族が死を受け入れるための準備作業であった。
遺体を浄めるための湯灌は、死者の罪障を浄め
葬りの準備をすることであり、遺族はこのために自ら作業に
加わったのである。
死者の往生、成仏を願う葬儀式は同時に遺族の安心のためでもあった。
葬儀後、四十九日までは中陰壇で、それ以降は仏壇で死者を遺族は
ひたすら供養し、同時にそれは遺族のグリーフワークとして営まれた。
日本の葬儀を見直してみれば、それがひたすら死者のために営まれ、それが同時に家族を喪失して深い悲嘆の中にある遺族のためにも意味深い営みとしてあったことが明確である。
しかし、これだけではない・・・と、碑文谷氏は
そこに付け加えられていることがあります。
日本の葬儀はそれを運営する者として地域共同体が不可欠の要素としてあった
死者を供養する者として遺族がいて、その遺族をケアする存在として
地域社会が存在するという構図である。
それゆえに葬儀には死を社会的に告知するという社会的機能はあるが
地域社会の関わりの最も大きな精神的要素は「共感」なのである。
90年代後半以降特に顕著な日本の葬儀の変化は、地域社会の関係の衰退
という点である。勢い社会性を失い、個人化の方向に進まざるをえない
そしていま、死者と遺族を有機的に結びつけていた家族という紐帯
宗教的関係もまたあやふやなものになりつつある。
葬祭業がデス・ケアのプロフェッショナルであろうとするならば
葬儀の原点を再構築し、葬儀を意味あるもにしていく必要があるだろう。
今、世の中は忙しくなりすぎて
隣近所の付合いが疎ましく
もっとさっぱり付き合いたい・・・と暮してきましたね。
でも、本当にこれでいいの?
そんな疑問が持たれ始めています。
家族と疎遠、社会と疎遠
そして、隣の人にもきづかれずに死んでいく・・・
本人は、もう亡くなっているので何も言わないけれど
ほんの近くに暮らしながら
そこにいる人の死も気付かなかった周りの人々は
「こんな事があって、いいわけがない」と
気付き始めています・・・
きっと、あなたもそう感じていませんか?
次回からは、碑文谷氏が掲げる「7つのケア」を順番に
紹介していきます。
デス・ケア「死の今日の問題と今後の葬祭業のあり方」を
紹介したいと思います。
私は、葬儀の世界に入って
従来の葬儀のやり方を、裏側から見たとき
「何てすごい仕事だ」と感心する一方で
不誠実、無責任な行動に不信感も抱いていました。
葬儀の担当すらしたことが無い私が、何のご縁か
葬儀社の立ち上げに携わり
「こうすべきだ」の持論だけで、無我夢中でやってきましたが
碑文谷氏の著書を目にしてから
尚一層の自信が深まりました。
碑文谷氏は私の行動を、逐一、議論付けていたのです。
私のそれは、碑文谷氏の書かれていた事の、
ほんの何分の一にしか当たりませんが
葬儀の仕事をする上では、とても大きな支えになりました。
そこで、今回から「今後の葬蔡業のありかた」として
碑文谷氏の書かれている事をご紹介しながら
デス・ケアについて書いてみようと思います。
デス・ケアという視点
「デス・ケア」とは近年北米で
人間の死後に関係するサービスの総体を指して言う。
・・・とあります。
葬儀のケアの対象は死者本人とその家族である遺族である
日本の古来の葬儀は
死後の通夜は遺族関係者は死者に食事を供したり、
寝ずに守ったりして、死者にひたすら仕えた。
そしてそれは同時に、遺族が死を受け入れるための準備作業であった。
遺体を浄めるための湯灌は、死者の罪障を浄め
葬りの準備をすることであり、遺族はこのために自ら作業に
加わったのである。
死者の往生、成仏を願う葬儀式は同時に遺族の安心のためでもあった。
葬儀後、四十九日までは中陰壇で、それ以降は仏壇で死者を遺族は
ひたすら供養し、同時にそれは遺族のグリーフワークとして営まれた。
日本の葬儀を見直してみれば、それがひたすら死者のために営まれ、それが同時に家族を喪失して深い悲嘆の中にある遺族のためにも意味深い営みとしてあったことが明確である。
しかし、これだけではない・・・と、碑文谷氏は
そこに付け加えられていることがあります。
日本の葬儀はそれを運営する者として地域共同体が不可欠の要素としてあった
死者を供養する者として遺族がいて、その遺族をケアする存在として
地域社会が存在するという構図である。
それゆえに葬儀には死を社会的に告知するという社会的機能はあるが
地域社会の関わりの最も大きな精神的要素は「共感」なのである。
90年代後半以降特に顕著な日本の葬儀の変化は、地域社会の関係の衰退
という点である。勢い社会性を失い、個人化の方向に進まざるをえない
そしていま、死者と遺族を有機的に結びつけていた家族という紐帯
宗教的関係もまたあやふやなものになりつつある。
葬祭業がデス・ケアのプロフェッショナルであろうとするならば
葬儀の原点を再構築し、葬儀を意味あるもにしていく必要があるだろう。
今、世の中は忙しくなりすぎて
隣近所の付合いが疎ましく
もっとさっぱり付き合いたい・・・と暮してきましたね。
でも、本当にこれでいいの?
そんな疑問が持たれ始めています。
家族と疎遠、社会と疎遠
そして、隣の人にもきづかれずに死んでいく・・・
本人は、もう亡くなっているので何も言わないけれど
ほんの近くに暮らしながら
そこにいる人の死も気付かなかった周りの人々は
「こんな事があって、いいわけがない」と
気付き始めています・・・
きっと、あなたもそう感じていませんか?
次回からは、碑文谷氏が掲げる「7つのケア」を順番に
紹介していきます。