柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

7つのデス・ケア  ②遺体のケア

2009年07月20日 | 葬儀の世界
(2)遺体のケア
 葬儀は、やはり遺体と対面し、別れを告げるということが充分になされなければならない。遺体の尊厳を守るためにも、これまで必ずしも充分ではなかった遺体のケアに力を尽くす必要があるだろう。
 遺体ケアの技術で最も優れた技法がエンバーミングである。日本人エンバーマーの養成も開始されている。商売の差別的道具としてではなく、葬祭業者が共通して利用できるセンター機能が各地にできることが望ましい。いまエンバーミングは1体15万円程度かかるが、利用が多くなれば8万円程度でお客に提供できるようになるはずである。
 もちろんエンバーミングするかしないかは本人や遺族の意思に関わる。処置を選ぶ自由、選ばない自由は尊重されるべきである。現在はセンターが圧倒的に少ないため、選ぶ自由が大幅に制限されていることが問題である。行うにはIFSAが厚生労働省に届け出た基準があるので、これに従って実行・普及する必要があることは言うまでもない。
 最低限、公衆衛生を考えた遺体の保全がなされる必要があるだろう。
 遺体の安置の場所、遺体と遺族の交流ということにも配慮されるべきだろう。
(葬送ジャーナリスト碑文谷創氏の著より)



ここからは私の見解です。
葬儀に携わっていて一番感じるのは、遺体の持つ影響力です。
医師から死の宣告を受け、「この人は死んだ」と解っていても
触れば温かい、柔らかい体からは死の感触が得られません。
あるとき、搬送中に葬儀社の不手際で担架から遺体がズレ落ちそうになった時
それを見ていた親族からは悲鳴と「痛い思いをさせないで!」と言う声が上がりました。
たまたま、側でこれを目撃した私には「痛い思いをさせないで!」の言葉が
強烈な印象として残っています。
親族にとってこの方は「まだ、死んでいないなのだ」と思いました。

たとえ、体が冷たくなっても、硬直しても、顔色が生気を失っても
死臭が感じられても・・・
体が有る限り、心の片隅に「死」を受け入れない領域が見られます。

その領域が取れるのは火葬して遺骨になった時です。
生身の体が無くなって、諦めがつくのでしょう。

そこから考えても
遺体が遺族に与える影響は多大で、体が存在している間は
出来るだけ綺麗で、通常に近く保つ必要が有ります。
そして、遺族は遺体に触れながら、話しかけながら、次第に死を受け入れる
準備がなされる・・・

その時間が必要なのです。
遺体との十分な別れをするには遺体が衛生面でも安全に保たれなくては
いけません。
故人から遺族への感染を防ぐのは、葬儀社として今や当然の務めです。
そして、故人の容貌も出来れば安らかに保たれる方が良いのです。
遺体を安置したときの葬儀社の遺体処置は、重大な責務なのです。

火葬をするのにエンバーミングは必要ない・・と言う方がいますが
エンバーミングは、遺体の長期保存だけが目的ではなく
遺族と故人の最後の触れ合う時間をより良いものにする事が一番の
目的なのです。


まだほんの一部の葬儀社ですが、
葬式の中にいかに故人と遺族の時間を持たせるかに努力がされるようになり始めました。
とても大事なことに、葬儀社が気付き始めました。