古い資料を見ていたら、14年前のアメリカの葬儀の記事が出てきました。
そこには個性的な葬儀が紹介されてました。
●残された子供たちの為に企画された葬儀
夫、フィリップが癌に犯され余命1年と宣告を受けた時、妻のビバリーは
出来ることなら、幼い子供たちに「死を理解させたい」と特別な葬儀を夫に提案しました。
フィリップも妻の考えに同意し、やがてフィリップは亡くなり、ビバリーは牧師と葬儀社に夫と考えた特別な葬儀を依頼します。
牧師も葬儀社もその提案に驚きましたが、快く承諾をして葬儀が始まりました。
ビバリーは家族や知人に葬儀の連絡をしますが
「子供たちの為に葬儀をしたいので、出来ればあなた方の子供も参列して欲しい」
と伝えます。
葬儀場には3歳から7歳までの子供が25人以上集まりました。
ビバリーは子供たちに話しかけます。
「みんな、今日はフィリップのお葬式に来てくれて有難う。
隣の部屋には棺があってフィリップがその中に横たわっているの。
でも寝ているわけではなく、彼は死んでいるのよ。
もし、イヤじゃなかったら、彼の身体を見て、触ってみてね」
そして牧師も「死」について子供たちと話をし「泣いてもいいんだ、
知りたい事はなんでも聞きなさい」と説明をしました。
子供たちは棺の前に置かれたイスに登って
死んだフィピップの身体に触り、その後皆で輪になって牧師の話を聞きました。
牧師はさなぎと繭と蝶について話し、フィリップは蝶のように肉体から
魂が抜け出ると説明をします。
すると子供たちから多くの質問がされました。
『どこに天国はあるの?』
『彼は天国で僕達を見ているの?』
『彼と話すことが出来るの?』
『彼はなぜ死んだの?』
『彼はどのようにガンにかかったの?』
『彼はどこで死んだの?どの様に葬儀場へ着いたの?』
『どうして、遺体を埋めるの?』
『彼は天国で歩いたり、車を運転することが出来るの?』
『彼は今、幸福ですか?』
ビバリーと牧師と子供たちの両親は子供たちの質問にオープンに、正直に
答え、参加した人々からはすすり泣きが聞こえました。
最後に皆で賛美歌を歌い、棺に花をいれ式は30分ほどで終わりました。
日本でも今、個性的な葬儀が望まれています。
でも、こういう考えはまだ皆無でしょうね。
最近は自分の家からお葬式を出す機会が減っています。
おじいちゃんやおばあちゃんは別に住み
亡くなっても、子供たちが遺体に触れることも少なくなりました。
めったに逢わないおじいちゃんが死んでも淋しさを感じない子供たちもいます。
他人の死と同じになっているのです。
葬式は「人が死ぬ」ことを子供に教える時間であったはずなんですが・・・
葬式が立派である必要はないけれど
葬式が無くなってはいけない・・・と思います。
そこには個性的な葬儀が紹介されてました。
●残された子供たちの為に企画された葬儀
夫、フィリップが癌に犯され余命1年と宣告を受けた時、妻のビバリーは
出来ることなら、幼い子供たちに「死を理解させたい」と特別な葬儀を夫に提案しました。
フィリップも妻の考えに同意し、やがてフィリップは亡くなり、ビバリーは牧師と葬儀社に夫と考えた特別な葬儀を依頼します。
牧師も葬儀社もその提案に驚きましたが、快く承諾をして葬儀が始まりました。
ビバリーは家族や知人に葬儀の連絡をしますが
「子供たちの為に葬儀をしたいので、出来ればあなた方の子供も参列して欲しい」
と伝えます。
葬儀場には3歳から7歳までの子供が25人以上集まりました。
ビバリーは子供たちに話しかけます。
「みんな、今日はフィリップのお葬式に来てくれて有難う。
隣の部屋には棺があってフィリップがその中に横たわっているの。
でも寝ているわけではなく、彼は死んでいるのよ。
もし、イヤじゃなかったら、彼の身体を見て、触ってみてね」
そして牧師も「死」について子供たちと話をし「泣いてもいいんだ、
知りたい事はなんでも聞きなさい」と説明をしました。
子供たちは棺の前に置かれたイスに登って
死んだフィピップの身体に触り、その後皆で輪になって牧師の話を聞きました。
牧師はさなぎと繭と蝶について話し、フィリップは蝶のように肉体から
魂が抜け出ると説明をします。
すると子供たちから多くの質問がされました。
『どこに天国はあるの?』
『彼は天国で僕達を見ているの?』
『彼と話すことが出来るの?』
『彼はなぜ死んだの?』
『彼はどのようにガンにかかったの?』
『彼はどこで死んだの?どの様に葬儀場へ着いたの?』
『どうして、遺体を埋めるの?』
『彼は天国で歩いたり、車を運転することが出来るの?』
『彼は今、幸福ですか?』
ビバリーと牧師と子供たちの両親は子供たちの質問にオープンに、正直に
答え、参加した人々からはすすり泣きが聞こえました。
最後に皆で賛美歌を歌い、棺に花をいれ式は30分ほどで終わりました。
日本でも今、個性的な葬儀が望まれています。
でも、こういう考えはまだ皆無でしょうね。
最近は自分の家からお葬式を出す機会が減っています。
おじいちゃんやおばあちゃんは別に住み
亡くなっても、子供たちが遺体に触れることも少なくなりました。
めったに逢わないおじいちゃんが死んでも淋しさを感じない子供たちもいます。
他人の死と同じになっているのです。
葬式は「人が死ぬ」ことを子供に教える時間であったはずなんですが・・・
葬式が立派である必要はないけれど
葬式が無くなってはいけない・・・と思います。