「お花入れは嫌いです。あまりに顔つきが変わってしまい怖かった経験があります」こんな声を聞くことがよくあります。
闘病はその方の姿を徐々に変え、中には著しい変化をして今までの面影を失った方もいらっしゃいます。
私の父の最期もそうでした。意識のないま25日後に亡くなりましたが、挿管された唇は損傷が見受けられて、背中は褥瘡がひどい状態でした。
霊安室に安置された父は目も口もあきかけていて死を感じさせる情けない風貌です。
その場にいた葬儀社の方に「目と口を閉じていただけませんか」とお願いしましたが「できない」と断られてしまいした。
葬儀社で長年遺体処置をしてきた私には信じられない言葉です。
まだ亡くなって1時間ほどの父の修復は十分に可能です。手袋を借りて私が目と口を閉じました。
それだけでも父らしい面影が戻ります。
父はそのあとエンバーミング(遺体の血液を抜き、防腐剤の液体を入れて体の腐敗を防ぐ施術)を行い、その際に家族や友人たちが知る父の容貌に修復をしていただきました。
母の支度していた着物を着て愛用していたカツラをつけ、おしゃれだった父の復活です。
通夜時に駆けつけてくださった方々に柩の蓋を開けて父との対面の場を用意しました。
多くの方が語り掛け、手や頬を触ってくださり、人好きなだった父は大喜びしていたと思います。
葬儀に従事していた頃は、病院から戻られたご遺体は全て処置をし直し、体液等の漏れないようにして、ご家族が安心して触れられるように努めていました。
「そんなにドライアイスを使うんですか、冷たくて可哀そうだ」との声を聞いてから遺体の処置をいかにするべきか勉強を始め、多くの商品を試し、実践に基づきドライアイスを極力使用せず、遺体の腐敗防止剤を使用して体が冷たくないように整えました。
家族にとっては故人はまだそこにいる存在なのです。
痛い想いや冷たい想いをさせたくないのです。
顔つきも、できるだけ温和に整えます。
葬儀従事者は故人様を知ることができません。
ご家族から聞く故人様だけを知ることができるのです。
それなら家族の中にいるその方のイメージを大切にしたていただきたいものです。
「故人の尊厳は最期の姿にあり」と私には思えるのです。
死の直後に家族は悲嘆だけでなく、憎悪の気持ちを抱くこともありますが長い年月とともにそれも変化していきます。
多くの方は「いい思い出」とされることを遺族の語らいの場から教えていただきました。
病床で苦痛に耐えたお顔より、柩の温和な顔が心に残るようにするにはエンバーミングや湯かん、死化粧も役立ちますね。