近隣の集会所で月に1回終活セミナーを、2年間実施していたことがあります。
そこに親友が毎回通ってきてくれました。
私自身の実体験も交えながら、具体的に高齢になると起きうる事態とその対処法を話すのが
私のセミナーです。介護の話なら、介護制度の仕組みよりある日突然、脳梗塞になった義母の様子や、その時の介護の選び方や、家族の想いや、費用問題などを話します。
葬儀も家族葬ばやりですが、手間暇や価格の点ばかりでなく、家族として悔いのない葬儀は、どんな葬儀なのか、実際に遺族のケアをした経験を踏まえて普通では聞けない心情を話します..
老後のお金の問題や、保険の活用法や、看取ることや、終末期の意思表示や相続問題も、なるべく身近に起きた例を取り上げて話しています。高齢になった私自身が気になった事柄を伝えるようにしています。
親友のご主人が脳梗塞で倒れ介護生活に入った時も、介護施設に入所の決断をするときも
いよいよ余命が迫ってきた時も「あなたの話を聞いていて良かった。慌てずに済んだ」と言ってくれました。
先週、このご主人が亡くなりましたが、介護施設で容態が悪化し病院へ入院、その頃から家族でご主人の「もしもの時の話」を何度も繰り返ししてきたそうです。
入院中に食事が取れなくなった時点で、担当医と相談して、介護施設にご主人を戻しました。
コロナで家族は思うように会えない日々が続く中、ご主人の最期には長い間お世話をしてくれた多くのスタッフがいる介護施設の方がご主人への声かけも多いのではないか、との判断です。
そして1週間後、ご主人は穏やかに息を引き取ったそうです。
遠方に住む子供達も後悔のないように、父親との面会を重ねてきました。
葬儀社とも事前に相談をして見積もりも立ててもらいました。
施設から葬儀社へ向かう時は、介護施設の医師や看護師、介護スタッフが大勢で列を作って見送ってくれたそうです。
その時にご主人とスタッフとの触れ合いも聞かせてもらったようで「嬉しい時間だった」と伝えてくれました。
私は入院中でお葬式にも参列はできませんでしたが、思いがけない出来事があったのです。
ご主人の入院先は私がリハビリで入っている同じ病院で同じ病棟だったのです。
親友がご主人を病院から介護施設に戻すその瞬間に、偶然にも私は車椅子で廊下に出て、お二人を見かけました。外部の人や患者同士での対面は叶いませんでしたが、少し離れたところでストレッチャーに横たわったご主人の横顔が見れたのです。
付き添っていた親友は穏やかな顔で目線を交わしてくれました。
神様がくれた粋な計らいでしょう。
その数日後に「すべて無事に終わりました、ありがとう」とメールが届きました。
哀悼の花言葉 イトスギ
そこに親友が毎回通ってきてくれました。
私自身の実体験も交えながら、具体的に高齢になると起きうる事態とその対処法を話すのが
私のセミナーです。介護の話なら、介護制度の仕組みよりある日突然、脳梗塞になった義母の様子や、その時の介護の選び方や、家族の想いや、費用問題などを話します。
葬儀も家族葬ばやりですが、手間暇や価格の点ばかりでなく、家族として悔いのない葬儀は、どんな葬儀なのか、実際に遺族のケアをした経験を踏まえて普通では聞けない心情を話します..
老後のお金の問題や、保険の活用法や、看取ることや、終末期の意思表示や相続問題も、なるべく身近に起きた例を取り上げて話しています。高齢になった私自身が気になった事柄を伝えるようにしています。
親友のご主人が脳梗塞で倒れ介護生活に入った時も、介護施設に入所の決断をするときも
いよいよ余命が迫ってきた時も「あなたの話を聞いていて良かった。慌てずに済んだ」と言ってくれました。
先週、このご主人が亡くなりましたが、介護施設で容態が悪化し病院へ入院、その頃から家族でご主人の「もしもの時の話」を何度も繰り返ししてきたそうです。
入院中に食事が取れなくなった時点で、担当医と相談して、介護施設にご主人を戻しました。
コロナで家族は思うように会えない日々が続く中、ご主人の最期には長い間お世話をしてくれた多くのスタッフがいる介護施設の方がご主人への声かけも多いのではないか、との判断です。
そして1週間後、ご主人は穏やかに息を引き取ったそうです。
遠方に住む子供達も後悔のないように、父親との面会を重ねてきました。
葬儀社とも事前に相談をして見積もりも立ててもらいました。
施設から葬儀社へ向かう時は、介護施設の医師や看護師、介護スタッフが大勢で列を作って見送ってくれたそうです。
その時にご主人とスタッフとの触れ合いも聞かせてもらったようで「嬉しい時間だった」と伝えてくれました。
私は入院中でお葬式にも参列はできませんでしたが、思いがけない出来事があったのです。
ご主人の入院先は私がリハビリで入っている同じ病院で同じ病棟だったのです。
親友がご主人を病院から介護施設に戻すその瞬間に、偶然にも私は車椅子で廊下に出て、お二人を見かけました。外部の人や患者同士での対面は叶いませんでしたが、少し離れたところでストレッチャーに横たわったご主人の横顔が見れたのです。
付き添っていた親友は穏やかな顔で目線を交わしてくれました。
神様がくれた粋な計らいでしょう。
その数日後に「すべて無事に終わりました、ありがとう」とメールが届きました。
哀悼の花言葉 イトスギ