2月17日付 産経新聞より
樺太を露領と認めたのはいつか 東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090217/plc0902170324002-n1.htm
≪首相の決意もむなしく≫
米国に史上初の異色の大統領が登場し、その政治がいよいよ開始されたことから、報道界や論壇の耳目はそちらに集中し、我が国内の重要な問題に向かふべき注意が疎(おろそ)かになつてゐる嫌ひがある。
2月7日の北方領土の日に開催された北方領土返還要求全国大会に麻生首相が出席し、領土問題の最終解決に向けての決意表明をされたのは結構だつたが、その姿勢を支持乃至(ないし)批判する様な論壇の関心が特に紙上に見受けられたわけでもない事に、或(あ)る淋(さび)しさを覚える。
建国記念の日の祝賀式典について、政府が此事に寄せる公的な祝意が数年来次第に稀薄(きはく)になつてゆく現状に対しては当日の本紙「主張」が憂慮を表明してゐるし、筆者も昨年のその日付の本欄で「国民的団結」と「主権の尊厳」といふ契機を焦点としてこの祝日の意義を再考し、それを実践的な行動に反映させる事を訴へた。この二つの契機を殊に本年北方領土問題を考へるための踏台として再認識することを再度訴へたい。
麻生首相はメドべージェフ大統領の招待に応じて、領土問題についての会談のためサハリン(樺太)を訪問するといふ。その積極的姿勢は一応評価に値するが、然(しか)しそれには、本紙2月7日付の主張が述べてゐる如(ごと)く〈日本は戦後、サハリンを放棄はしたが、その帰属がロシアにあるとは認めていない。首相訪問はそれを自ら認めることになる〉との危惧(きぐ)の声が生ずるのも当然である。
ところで、筆者の本日の意見はそこに関はつてくるのだが、本紙の翌8日付第2面の記事にも見えてゐるこの危惧の念と警告は、もはや手遅れといふべきではないか。
≪「実効支配」で片づける≫
何故ならば、平成13年1月の事、日本時代の豊原市、現在サハリン州の州都になつてゐるユジノサハリンスクに、日本政府は総領事館を設置してゐる。領事館を開設したといふことは、日本政府がその地をロシア領であると認めての上であると解されるのだから、日本外務省は麻生氏の訪問に俟(ま)つまでもなく、サハリンがロシア領である事を既に認めてしまつてゐるのである。〈その帰属がロシアにあるとは認めていない〉といふ本紙の主張は、他ならぬ我が外務省によつて夙(つと)に否定されてゐる事になる。
最近或る知人から工藤信彦著『わが内なる樺太』といふ論著の存在を教へられた。工藤氏は樺太生れで戦前から戦後にかけての樺太といふ島の歴史と運命を極めて着実に考察してきた人の様であるが、平成13年のサハリンでの総領事館開設(駐在事務所の昇格)事件の不条理を「樺太連盟」の機関紙で直ちに広く訴へたのに、それは政界からも学界・言論界からも何の反響も得られなかつたらしい。氏が外務省国内広報課に見解を質(ただ)したところ、返つてきた答の中に〈サハリンにおけるロシアの実効支配が長く、現在では外国人の出入りが認められ〉云々(うんぬん)との説明があつた由である。
≪主権感覚の無残な欠如≫
この説明に少々注釈をつけるとすれば、この〈実効支配〉の一語こそは所謂(いわゆる)「既成事実への屈服」といふ日本の外務省に特徴的な心的機制の修辞であり、しかもそれは客観的にその実在を認めざるを得ない確たる事実についてとは限らず、相手が政治的意図を以て造り出してゐる虚構を、それと戦ふだけの努力を厭(いと)ふが故に偽善的に公正を装つて認めてゐるといふ場合が多い。竹島の不法占拠に毅然(きぜん)たる対応ができないのも、実効支配といふ擬装に怯気(おじけ)づいて、屈服といふよりは横着を決め込んでゐるだけである。
「従軍慰安婦」問題といふ露骨な虚構による恫喝(どうかつ)に脆(もろ)くも屈服して謝罪談話を出し、国家国民全体の名誉を敵に売渡して自己一身の安泰を図つた政治家の醜行も同じ横着に発する。因(ちな)みに当時のイワノフ露国外相と水面下の取引をしてサハリン領事館の開設を企んだのは「従軍慰安婦」問題で国民の顔に泥を塗る罪を犯した男と同一人物である。
金持ち喧嘩(けんか)せずといふ俗諺がある。紛争の負担を避けるためには謂れなき侮辱や不利益を忍ぶ方がよいといふ選択は、私人の次元でならばそれも又宜しといふ場合があり得よう。然し、国家の名誉と尊厳とに責任を有する、外交折衝の現場の人間がその選択をするといふのは端的に売国奴の所業である。サハリン領事館開設事件が広く一般の認識に達してゐなかつたのは、当事者が己の売国的行為に対する疾(やま)しさを自ら感じてゐて、出来る限りその始終を人眼から隠す工作をしてゐた故ではなかつたか。国家主権の尊厳についての感覚の無残な欠如である。建国記念の日の意義をめぐつての深刻な憂慮のたねが又一つ増えた。
樺太を露領と認めたのはいつか 東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090217/plc0902170324002-n1.htm
≪首相の決意もむなしく≫
米国に史上初の異色の大統領が登場し、その政治がいよいよ開始されたことから、報道界や論壇の耳目はそちらに集中し、我が国内の重要な問題に向かふべき注意が疎(おろそ)かになつてゐる嫌ひがある。
2月7日の北方領土の日に開催された北方領土返還要求全国大会に麻生首相が出席し、領土問題の最終解決に向けての決意表明をされたのは結構だつたが、その姿勢を支持乃至(ないし)批判する様な論壇の関心が特に紙上に見受けられたわけでもない事に、或(あ)る淋(さび)しさを覚える。
建国記念の日の祝賀式典について、政府が此事に寄せる公的な祝意が数年来次第に稀薄(きはく)になつてゆく現状に対しては当日の本紙「主張」が憂慮を表明してゐるし、筆者も昨年のその日付の本欄で「国民的団結」と「主権の尊厳」といふ契機を焦点としてこの祝日の意義を再考し、それを実践的な行動に反映させる事を訴へた。この二つの契機を殊に本年北方領土問題を考へるための踏台として再認識することを再度訴へたい。
麻生首相はメドべージェフ大統領の招待に応じて、領土問題についての会談のためサハリン(樺太)を訪問するといふ。その積極的姿勢は一応評価に値するが、然(しか)しそれには、本紙2月7日付の主張が述べてゐる如(ごと)く〈日本は戦後、サハリンを放棄はしたが、その帰属がロシアにあるとは認めていない。首相訪問はそれを自ら認めることになる〉との危惧(きぐ)の声が生ずるのも当然である。
ところで、筆者の本日の意見はそこに関はつてくるのだが、本紙の翌8日付第2面の記事にも見えてゐるこの危惧の念と警告は、もはや手遅れといふべきではないか。
≪「実効支配」で片づける≫
何故ならば、平成13年1月の事、日本時代の豊原市、現在サハリン州の州都になつてゐるユジノサハリンスクに、日本政府は総領事館を設置してゐる。領事館を開設したといふことは、日本政府がその地をロシア領であると認めての上であると解されるのだから、日本外務省は麻生氏の訪問に俟(ま)つまでもなく、サハリンがロシア領である事を既に認めてしまつてゐるのである。〈その帰属がロシアにあるとは認めていない〉といふ本紙の主張は、他ならぬ我が外務省によつて夙(つと)に否定されてゐる事になる。
最近或る知人から工藤信彦著『わが内なる樺太』といふ論著の存在を教へられた。工藤氏は樺太生れで戦前から戦後にかけての樺太といふ島の歴史と運命を極めて着実に考察してきた人の様であるが、平成13年のサハリンでの総領事館開設(駐在事務所の昇格)事件の不条理を「樺太連盟」の機関紙で直ちに広く訴へたのに、それは政界からも学界・言論界からも何の反響も得られなかつたらしい。氏が外務省国内広報課に見解を質(ただ)したところ、返つてきた答の中に〈サハリンにおけるロシアの実効支配が長く、現在では外国人の出入りが認められ〉云々(うんぬん)との説明があつた由である。
≪主権感覚の無残な欠如≫
この説明に少々注釈をつけるとすれば、この〈実効支配〉の一語こそは所謂(いわゆる)「既成事実への屈服」といふ日本の外務省に特徴的な心的機制の修辞であり、しかもそれは客観的にその実在を認めざるを得ない確たる事実についてとは限らず、相手が政治的意図を以て造り出してゐる虚構を、それと戦ふだけの努力を厭(いと)ふが故に偽善的に公正を装つて認めてゐるといふ場合が多い。竹島の不法占拠に毅然(きぜん)たる対応ができないのも、実効支配といふ擬装に怯気(おじけ)づいて、屈服といふよりは横着を決め込んでゐるだけである。
「従軍慰安婦」問題といふ露骨な虚構による恫喝(どうかつ)に脆(もろ)くも屈服して謝罪談話を出し、国家国民全体の名誉を敵に売渡して自己一身の安泰を図つた政治家の醜行も同じ横着に発する。因(ちな)みに当時のイワノフ露国外相と水面下の取引をしてサハリン領事館の開設を企んだのは「従軍慰安婦」問題で国民の顔に泥を塗る罪を犯した男と同一人物である。
金持ち喧嘩(けんか)せずといふ俗諺がある。紛争の負担を避けるためには謂れなき侮辱や不利益を忍ぶ方がよいといふ選択は、私人の次元でならばそれも又宜しといふ場合があり得よう。然し、国家の名誉と尊厳とに責任を有する、外交折衝の現場の人間がその選択をするといふのは端的に売国奴の所業である。サハリン領事館開設事件が広く一般の認識に達してゐなかつたのは、当事者が己の売国的行為に対する疾(やま)しさを自ら感じてゐて、出来る限りその始終を人眼から隠す工作をしてゐた故ではなかつたか。国家主権の尊厳についての感覚の無残な欠如である。建国記念の日の意義をめぐつての深刻な憂慮のたねが又一つ増えた。