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ニッポンのゆる~い日常

敵基地調査が必要ではないか

2009-05-26 09:20:57 | 正論より

5月26日付     産経新聞より



敵基地調査が必要ではないか   評論家・西尾幹二氏

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090526/plc0905260342005-n1.htm


 ≪戦争と背中合わせの制裁≫

 東京裁判でアメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人は、日本に対する経済的圧力が先の戦争の原因で、戦争を引き起こしたのは日本ではなく連合国であるとの論証を行うに際し、パリ不戦条約の起案者の一人であるケロッグ米国務長官が経済制裁、経済封鎖を戦争行為として認識していた事実を紹介した。日米開戦をめぐる重要な論点の一つであるが、今日私は大戦を回顧したいのではない。

 経済制裁、経済封鎖が戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対してすでに「宣戦布告」をしているに等しいのではないか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んできても、かつての日本のように、自分たちは「自衛戦争」をしているのだと言い得る根拠をすでに与えてしまっているのではないか。

 勿論(もちろん)、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁は当然だ、という言い分がわが国にはある。しかし、経済制裁に手を出した以上、わが国は戦争行為に踏み切っているのであって、経済制裁は平和的手段だなどと言っても通らないのではないか。

 ≪北の標的なのに他人事?≫

 相手がノドンで報復してきても、何も文句を言えない立場ではないか。たしかに先に拉致をしたのが悪いに決まっている。が、悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国など他の国の人々がそう思うかどうか分からない。武器さえ使わなければ戦争行為ではない、ときめてかかっているのは、自分たちは戦争から遠い処にいるとつねひごろ安心している今の日本人の迂闊(うかつ)さ、ぼんやりのせいである。北朝鮮が猛々(たけだけ)しい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵(ののし)っているのをアメリカや他の国は笑ってすませられるが、日本はそうはいかないのではないだろうか。

 アメリカは日米両国のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本だけである。この誤算がばかげた悲劇につながる可能性がある。「ばかげた」と言ったのは世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く手を打たなかったのかと、他の国の人々は日本の怠惰を哀れむだけだからである。

 拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、と分かったとき、経済制裁から武力制裁に切り替えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り替えないで、経済制裁をただ漫然とつづけることは、途轍(とてつ)もなく危ういことなのである。

 『Voice』6月号で科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルでの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っている。「独裁国家が強力な破壊力をもつ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的な事例を見つけることはできない」と。

 よく人は、北朝鮮の核開発は対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だと言うが、それはアメリカや他の国が言うならいいとしても、標的にされている国が他人事(ひとごと)のように呑気(のんき)に空とぼけていいのか。北の幹部の誤作動や気紛れやヒステリーで100万単位で核爆死するかもしれない日本人が、そういうことを言って本当の問題から逃げることは許されない。

 ≪2回目の核実験を強行≫

 最近は核に対しては核をと口走る人が多い。しかし日本の核武装は別問題で、北を相手に核で対抗を考える前にもっとなすべき緊急で、的を射た方法があるはずである。イスラエルがやってきたことである。前述の「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する」用意周到な方法への準備、その意志確立、軍事技術の再確認である。私が専門筋から知り得た限りでは、わが自衛隊には空対地ミサイルの用意はないが、戦闘爆撃機による敵基地攻撃能力は十分そなわっている。トマホークなどの艦対地ミサイルはアメリカから供給されれば、勿論使用可能だが、約半年の準備を要するのに対し、即戦力の戦闘爆撃機で十分に対応できるそうである。

 問題は、北朝鮮の基地情報、重要ポイントの位置、強度、埋蔵物件等の調査を要する点である。ここでアメリカの協力は不可欠だが、アメリカに任せるのではなく、敵基地調査は必要だと日本が言い出し、動き出すことが肝腎(かんじん)である。調査をやり出すだけで国内のマスコミが大さわぎするかもしれないばからしさを克服し、民族の生命を守る正念場に対面する時である。小型核のノドン搭載は時間の問題である。例のPAC3を100台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。25日には2回目の核実験が行われた。

 アメリカや他の国は日本の出方を見守っているのであって、日本の本気だけがアメリカや中国を動かし、外交を変える。六カ国協議は日本を守らない。何の覚悟もなく経済制裁をだらだらつづける危険はこのうえなく大きい。(にしお かんじ)

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4島譲歩では上坂さんも泣く

2009-05-12 09:28:07 | 正論より
5月12日付    産経新聞より


4島譲歩では上坂さんも泣く    杏林大学客員教授・田久保忠衛氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090512/plc0905120334001-n1.htm



 ≪何よりもロシアの不道徳≫

 亡くなった上坂冬子さんはとにかく怒っていた。2006年に第31吉進丸の船長坂下登氏が、北方領土周辺海域でロシアの監視船に一方的に銃撃されて甲板員を殺され、国後島(くなしりとう)に連行され、有罪判決を受け根室に戻ってきた。即座に彼女は行動を起こす。坂下船長にインタビューし、抗議デモに参加した。すでに本籍を国後島に移していた上坂さんは、モスクワでのシンポジウムに出席し、言いたいだけの抗議をぶちまけてきた。

 私は上坂さんと月刊『正論』で対談し、それは産経新聞から出された『北方領土は泣いている-国を売る平成の「国賊」を糺(ただ)す』の一書に収められている。

 領土問題にかぎらず、何ごとも力を基準に発言し、行動するロシアには、その弱点が現れてくるのを待って対応しなければならないと私は述べた。すると即座に「田久保先生は思ったより楽観主義者ですね。見通しが明るすぎる。私は気分的にもうこれ以上、『待つ』ことに耐えられません」とお叱(しか)りを被った。

 彼女の立腹の対象はロシアの不道徳だった。石油・天然ガス開発事業「サハリン2」にクレムリンが横車を押して経営権を強奪したり、反体制ジャーナリストを次から次へと殺す。近代国家ではとうてい考えられない蛮行を平気で繰り返す異常さへの痛憤だった。

 ≪スターリンの暴挙改めよ≫

 この対談後、私はたまたま『フォーリン・アフェアーズ』誌に載った前ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏の一文を読んだ。当時のジュリアーニ氏は共和党大統領候補の一人としてキャンペーンを展開中で、同じ共和党ながらブッシュ政権第2期の外交に不満を抱いていたらしい。外交には「力」が結びついていなければ役に立たぬと当然の主張をしていたのだが、その「力」の内容はズバリ「軍事力、経済力、道徳」の3つだと明言していた。

 いまさら砲艦外交でもあるまいが、ロシアや中国は明らかに軍事力を外交に直接投影し、それを隠そうともしない。が、日本には自衛力の強化が外交力の強化につながることを理解する政治家が何人いるのか。シーファー前駐日米大使は離任にあたって外国人特派員協会で講演し、過去10年間、米国、中国、ロシア、韓国が軍事費を増やしたにもかかわらず、日本の防衛費だけがGDP(国内総生産)比で減っているのはどういうわけかと首をかしげていた。

 日本の外交上の切り札は、経済あるいはそれに関連する技術くらいのものであろう。だが、私はロシアが北方領土問題の原点でもある道徳的に劣った国であるとの指摘をやめてはいけないと考えている。ジュリアーニ氏は決して外交の専門家とはいえないけれども、道徳を欠いた「力」の外交がいかなるものかも知っている。上坂さんは「力」の重要な要素である道徳を最も問題にし、「北方領土問題の解決の道は、民主ロシアがスターリンの暴挙を“実績”と認めるのか、それとも暴挙を一新して先進国の態(てい)をとるのかにかかっているというのに、日本は一向に事件の核心に触れずにいる」と力説していた。

 ≪主権の切り売りは許せぬ≫

 日本の外交官の中でも私が尊敬する一人、谷内正太郎政府代表が北方領土問題で、3・5島でもいいのではないかと毎日新聞紙上で発言したニュースは、私はワシントンで聴いた。その直後に空港で帰国の便を待っていた私は谷内氏と偶然会った。「自分の真意は毎日に正確に伝わらず、欧州など外国との関係が悪化し、天然ガスや石油価格の下落に見舞われたロシアをして日本を必要とする方向に持っていく戦略的外交が必要だ」と説く谷内氏の説明にさしたる違和感を覚えることなく帰国した。

 家に着くや否や私は、谷内発言をめぐる議論に巻き込まれた。よく調べてみたら、発言記録の中に「私は3・5でもいいのではないかと考えている」が含まれていた。政府高官の発言としては国会における全党一致の決議を踏みにじるものでジャーナリズムが騒いで当然だろう。私は躊躇(ちゅうちょ)なく日本国際フォーラムの「対露交渉の基本的立場を崩してはならない」とする新聞用意見広告の代表署名者の一人に名を連ねた。

 北方四島の面積を2分の1に分割する考え方は、麻生太郎首相が2006年の外相当時、毎日新聞のインタビューで述べ、さらに衆院での質疑応答で内容を明らかにした。当時、外務次官だった谷内氏に直接会って私は同志とともに抗議した。今年の2月に麻生首相はメドベージェフ大統領と樺太で会い、「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」で解決することに合意した。そのうえでの谷内発言である。地下で何かが動いているのであろうか。

 当初は「返せ」の要求が「返してほしい」の要請になり、実力者に来日してもらえないかのお願いになった。あげくの果てに主権を切り売りするところまで日本外交は落ちていくのだろうか。道徳すら引っ込めたら日本は国家と言えるのか。(たくぼ ただえ)

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小沢代表辞任

2009-05-12 09:18:11 | 陸山会(小沢一郎)
5月12日付   産経新聞より

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090512/stt0905120337002-n1.htm


【主張】小沢代表辞任 判断遅すぎ、信頼を失う 後継選びで基本政策を競え



 民主党の小沢一郎代表が、西松建設の違法献金事件をめぐる混乱回避を理由に、代表を辞任すると表明した。

 そもそも小沢氏と一心同体である公設第1秘書が、政治資金規正法上の違法行為を犯したとして逮捕・起訴された事件である。当初から小沢氏の政治的かつ道義的な責任は明確であり、代表辞任は遅すぎたと言わざるを得ない。

 秘書の起訴後、小沢氏は1カ月以上、代表に居座り続け、巨額な政治資金の使途などについて説明しようとはしなかった。きわめて遺憾であり国民の信を失っていることを理解していない。離党もしくは議員を辞職するような事態であることを認識すべきである。

 小沢氏の続投を容認し、秘書逮捕から2カ月余にわたり、十分な自浄能力を発揮できなかった党執行部の責任も重大だ。

 新代表選びでは、信頼回復の方途を模索すると同時に、基本政策を含めた論争を徹底すべきだ。

 小沢氏は会見で「今日でも政権交代は可能だが、さらに万全にするため」と辞任の理由を述べ、続投への批判が党内外にあり、自分自身が挙党態勢の支障になっている点は認めた。

 ≪説明責任は果たされず≫

 同時に「衆院選を通じた政権交代の実現が国民生活重視の政治への転換を可能にする」と述べ、新体制を支えていくという名目で引き続き衆院選対策の実務に取り組む強い意欲も隠さなかった。

 これでは、辞任要求が拡大する前に自発的に辞任し、影響力を残したということではないのか。小沢氏は「政治資金について、一点のやましいところもない」と強調したが、事件について反省し、説明責任を果たそうとはしなかった。辞任するだけで、違法献金事件の批判や疑念を一気に払拭(ふっしょく)できると思っているのだろうか。

 政治とカネをめぐる国民の政治不信を増幅させたのに、こうした辞め方が党の信頼回復に結び付くとは思えない。民主党は自民党よりもクリーンな政党だというイメージを、大きく壊した事件であることを忘れてはなるまい。

 事件の説明責任が消滅するわけではない。有権者は新体制がどれだけ自浄能力を発揮できるか厳しい視線を向けるだろう。

 この5年間を見ると、平成16年に菅直人氏が年金未納問題、17年には岡田克也氏が衆院選敗北、18年には前原誠司氏が偽メール問題で、それぞれ任期途中で代表を辞任した。

 小沢氏自身、16年にいったん党代表に内定した後、年金未加入問題で就任を辞退したことがあるほか、19年には自民党との大連立構想をめぐり混乱を招いたことから辞意を表明し、その後撤回した経緯がある。

 ≪個人依存から脱却を≫

 小沢氏が19年の参院選を勝利に導き、政権交代の可能性を高めた力量、手腕が大きいことは多くの人が認めるところだろう。しかし、そのために「政局至上主義」と呼ばれる国会戦術を押し通し、社民党などとの野党共闘を優先した。外交・安全保障政策がゆがめられていないか。異論を唱える動きが広がりを持たない党の現状を直視する必要がある。

 今回の事件でも、小沢氏個人の力量に依存しすぎていたために、有権者の多数が辞任を求めていても、党内で党首の責任をほとんど追及しなかった。その背景にも、党内での政策論争の不足が指摘されよう。

 今国会で、民主党はソマリア沖での海上自衛隊を主体とした海賊対策に強い疑問を示し、海賊対処法案の早期成立に応じようとしていない。

 在沖縄米海兵隊のグアム移転をめぐる日米両国の協定締結承認案には、反対の方針をとっている。日米同盟や国際協調行動にかかわる具体的な政策対応で、民主党の政権担当能力を疑わせる事例が進行している。

 新代表選びに手を挙げる候補者は、こうした基本政策に関する論争を避けてはなるまい。

 内閣支持率の急落などで、一時は政権の危機も取りざたされていた与党は、小沢氏の秘書の逮捕起訴という「敵失」によって息を吹き返したにすぎない。

 民主党の新体制にどう対応するのか。自民党への不信は払拭されていない。

 違法献金事件では、複数の自民党議員への資金提供をめぐる疑惑も指摘された。政治資金の透明化へ与党の努力が必要なことに変わりはない。

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 恥ずかしい国に住んでないか

2009-05-08 09:36:21 | 正論より
5月8日付   産経新聞より



恥ずかしい国に住んでないか   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090508/plc0905080342000-n1.htm



 ≪日本の世界史的役割に目を≫

 もういいかげんに覚悟を決めたらどうだろうか。中国には海を奪われ、油田をかすめ取られ、毒食を送りこまれて知らぬ顔の半兵衛を決めこまれ、国連で常に妨害され、韓国には島を占拠され、野球のWBCのマウンドに太極旗を立てて侮辱され、北朝鮮には人さらいをされ、ミサイルを発射され、これら特定アジアからそろって偽史まで強要されている。そのような恥ずかしい国に住んでいくという覚悟を、もう決めた方がよいのではないか。

 海の向こうには三種一様の国がある。日本軍と戦わずしてアメリカに解放してもらった国(韓国)、少しゲリラ戦をしたが大負けに負けてソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国(北朝鮮)、別の人たちが日本軍と戦っている間に山で英気を養い、戦後、前に戦っていた人々を追い出して独立した国(中国)。これらは日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない国々であり、これからも絶えず日本と戦っていると国民にアピールするために、日本の主権をおかし、侵略をしつづけることであろう。

 日本がかつて彼らに悪辣(あくらつ)なことばかりしてきた、などという進歩的文化人や良心的知識人のウソを、いつまでご託宣のように信じているのだろうか。日本は彼の地を征服し、近代の民法典や私有財産制を移植した。仏人にそういうと、「なんだ。ナポレオン・ボナパルトではないか」との答えが返ってきた。日本の世界史的役割とは、案外そんなものだったのかもしれない。日本が敗れてからは、それらの遺産を活用した韓国は栄え、払拭(ふっしょく)して社会主義を始めた中国や北朝鮮は、あるいは遅れ、あるいは衰えていったのであろう。



 ≪独裁国家同士による大団円≫

 時代は変わって、いまや世界は四つの国家群に分けることができるようになった。進歩主義は幻想となり、静的に四群が並存するだけの世界である。いわく、資本主義も民主主義もできる国、資本主義はできるが民主主義ができない国、資本主義も民主主義もできない国、何もできない国、以上である。後ろの三つは大体独裁国であるから、いかに人間存在が独裁好きかということがよく分かると思う。独裁国家は民主主義を排除するために、陰に陽に協力し合う。

 4月5日の昼、北朝鮮のミサイルの脅威が日本列島に躍りかかった。ミサイル実験のデモンストレーションは武器の販路を広げ、北朝鮮製の装甲車やロケット弾を積んだ偽装船舶はさらにインド洋を北上することであろう。結局、国連での事後処理は民主主義国家に脅威を与えたい中国やロシアにまかされ、独裁国家同士の大団円となって終わった。なぜ我が国民は怒り、立ち上がろうとはしないのだろうか。

 今年からグーグル地図が一部更新され、北朝鮮の火力発電所が盛大に煙を上げているのが上から見られるようになった。プルトニウム開発の寧辺から河をはさんだ南方に北倉火力発電所がある。そもそもソ連の技術援助で1982年に完成したもので、出力が150万キロワットもあるが、長い年月で老朽化していた。2007年6月、ここに国家科学院と、機械工学研究所の研究員が入り、再開発の意図がはじめて明らかになった。


≪良好な北のエネルギー事情≫

 7月には、電力工業省傘下の火力発電局の担当が降りていき、8月には灰処理基本工事を完成、11月からはボイラーとタービンの大々的な補修が報じられた。12月には、北倉郡の近隣で各出力20万キロワットと推定される安州市の清川江と、順川の火力発電所のボイラー並びに発電設備の補修が同時進行中であることも報じられた。

 以後、北倉は手厚い支援を受け、08年3月にはボイラーに重油が入っていることが確認され、4月には「工業試験所の技術者たちはボイラーに新しい重油供給装置を全面的に取り入れ燃料効率を高めた」と労働新聞(4月29日付)に載る。

 のみならず、先の火力発電所群と同じ北緯39度から40度の間で、元山、金野江、水洞区、寧遠などに、水力発電所が次々に建設された。元山では4基計8万キロワットの水力発電所が、金野江では写真から30メートル級のダムが建設され、寧遠では発電機、タービン、変圧器など新しいものが次々と搬入されていると去年の6月に報じられたが、いまグーグル地図を見ると、中型のダムをそこに認めることができる。目下、北朝鮮のエネルギー事情は良好であり、ウラン濃縮のためには万全の体制が整ったと言えよう。

 現在中国は、外貨備蓄を米国債の購入に充てアメリカに無言の圧力をかけるとともに、北朝鮮のエネルギー開発を援助することにより、日本に有形の脅威を間接的に与えている。資本主義はできるが民主主義ができない国々がテロ国家を番犬のように使い、影響力を世界に拡大しようとする戦略は、かつては社会主義で貧乏だった大国が、昔の野望を実現できるようになったということだけなのかもしれない。(ふるた ひろし)

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首相の「次の課題」は憲法改正

2009-05-01 10:31:23 | 正論より
5月1日付   産経新聞より


首相の「次の課題」は憲法改正   日本大学教授・百地章氏

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090501/plc0905010328002-n1.htm


 ≪総選挙前のチャンスに≫

 昨年9月の発足以来、マスメディアによって一方的なバッシングを受け続けてきた麻生太郎内閣の支持率がようやく底をうち、上昇し始めた。麻生首相は100年に1度といわれる世界的な金融経済危機に臨んで、総額約75兆円におよぶ緊急経済対策を実施し、更に15兆円の追加経済対策を発表した。後は成果を待つばかりということか、首相主催の「桜を見る会」でも「開花はこれから」と上機嫌であったという。

 とすれば麻生首相が次に正面から取り組むべき最重要課題の一つは憲法問題であるべきだ。憲法改正こそ自民党の結党以来の悲願であり、わが国が当面している防衛・安全保障問題の抜本的解決は、まず憲法を改正して対処するしかないからである。しかも、これらの問題は民主党にとってのアキレス腱(けん)であることを考えれば、秋までにある総選挙対策としても格好のテーマとなろう。

 前回の参議院選挙では、安倍晋三首相の率いる自民党は、マニフェスト「155の約束」のトップに「新憲法制定の推進」をあげていた。だが、折からの年金問題に埋もれてしまい、憲法改正問題はまともに論ぜられなかった。それ故、今度こそ与野党間での本格的な論戦を望みたいと思う。

≪集団的自衛権が焦眉の急≫

 防衛・安全保障問題について、麻生首相は昨年暮れ以来、着々と手を打ってきた。「テロとの闘い」のため、海上自衛隊のインド洋派遣を延長させ、3月には海賊対処のため護衛艦2隻をソマリア沖に派遣している。

 先の北朝鮮によるミサイル発射に際しては、自衛隊法に基づき初の「破壊措置命令」を発し、イージス艦やパトリオットミサイルを配備して万一に備えた。現在、国会で審議中の海賊対処法案も、今国会で成立する見通しである。麻生内閣のこのような積極的な対応は高く評価すべきであろう。

 その中で新たに浮上してきたのが集団的自衛権の問題であった。北朝鮮のミサイル発射の際、アメリカのゲーツ国防長官はミサイルが米本土に向かってこない限り迎撃しないと述べた。発言どおりとすれば、たとえ日本が攻撃されようとも、アメリカは集団的自衛権を発動して日本を守ることはないということになろうが、これでは日米同盟は破綻(はたん)する。

 奇妙なことに、わが国政府は、従来、集団的自衛権は「保持」するが「行使」できないとしてきたから、アメリカ本土や米軍基地に向けて発射されたミサイルを日本は迎撃できない。

 このような解釈をわが国が採り続ける限り、米中関係を重視するオバマ政権の下では、万一の際、アメリカによる日本防衛を期待することはますます困難となろう。北朝鮮がわが国に対してミサイル攻撃を行う場合はもちろん、より現実的な課題として、もし中国が尖閣諸島への上陸を強行した場合、アメリカは本当に応援に駆けつけてくれるだろうか。

 麻生首相は、就任直後から集団的自衛権を認めるべしと発言してきたが、連休明けにはいよいよ政府解釈の変更に向けて、本格的検討に入るという(産経新聞4月24日、日経新聞4月25日)。今こそ首相の決断で集団的自衛権の行使を容認し、アメリカに対しその意思を表明して、同盟関係の遵守(じゅんしゅ)を要求すべきである。


 ≪領域警備と武器使用の緩和≫

 とはいうものの、アメリカに頼る前にまずなすべきことは、もちろん、自らの手で日本を守り、平時から尖閣諸島や対馬などわが国土を断固防衛することである。

 そのためには、一日も早く自衛隊法に「領域警備」規定を定める必要がある。その際、必要なことは、武器使用についても国際標準を採用することで、「任務遂行のための武器使用」を認めなければならない。今国会で成立予定の海賊対処法では、正当防衛や緊急避難のための武器使用以外に、新たに「船体射撃(危害射撃)」も認めるという。

 海賊対処のためだから憲法上問題はないというが、しかし、はるかアフリカ沖での武器使用基準を緩和しておきながら、最も肝心なわが国の領土、領海の警備に当たる自衛隊の「海上警備行動」や「領域警備」については相変わらず武器使用を制限するというのでは、本末転倒であろう。

 今後、「集団的自衛権の行使」を容認し、自衛隊法に「領域警備」規定を定め、「任務遂行のための武器使用」を承認することができれば、自衛隊はまた一歩、普通の国の「軍隊」へ近づくことになる。そうなれば、憲法に「自衛軍の保持」を明記するのは、もはや時間の問題であろう。これこそ、憲法9条2項改正の突破口と呼ぶゆえんである。

 再軍備より経済復興を優先した吉田茂元首相も、本音は再軍備に賛成であり、国防問題について非常に責任を感じていたという。そのDNAを受け継ぐ麻生首相であれば、経済の次の課題は「憲法改正」のはずである。今こそ、その第一歩を踏み出すときではなかろうか。(ももち あきら)

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