9月26日付 産経新聞【正論】より
中国と北朝鮮に国際法を順守を求めるのは“蛙の面に水” 国民の身を守る「殻」こそ重要だ
拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏
http://www.sankei.com/column/news/160926/clm1609260006-n1.html
明治維新が成り、ようやく新政権が軌道に乗ろうとしていた。しかし、政権の主導権は薩長人士が握り、その専制政治(「有司専制」)に対する国民の批判には根強いものがあった。この批判を背に板垣退助らは「民撰議院設立建白書」を政府に提出した。明治13年には「国会期成同盟」が結成され、自由民権運動として知られる改革主義的なセンチメントが朝野を覆い、「国権論」と「民権論」を軸とする激しい論争が展開されるにいたった。
≪民権論はナイーブ過ぎる≫
国権論とは、国家権力が強ければこそ国民の権利・自由が保障されるという考えを基本とし、対するに民権論は、国民の権利・自由が保障され初めて国権も強化されるというものであった。民権論は内治派とも呼ばれた。
幼い論争のようにも思われようが、昨年9月に成立した安保関連法をめぐる与野党間の論戦や、法案に反対する憲法学者のいかにも生硬で猛々(たけだけ)しい「立憲主義論」を聞かされていると、日本の政治思想は明治の初年以来まるで成熟することなく、むしろ劣化の様相を呈している感さえ抱かされる。
福澤諭吉は自由民権運動をめぐる論争をみつめて、明治14年に『時事小言』なる警告の書を刊行した。天賦人権説や社会契約説の主唱者の福澤はとかく民権論者だと捉えられがちであり、そんなふうに記している概説書が今もあるほどだが、不勉強も甚だしい。
私(福澤)は民権論に反対する者ではない。国会開設も必要なことだ。しかし、民権の伸長を図っていかなる「国柄」の国家を創るべきかを論じない民権論などには与(くみ)するわけにはいかない。「民権伸暢(しんちょう)するを得たり、甚だ愉快にして安堵(あんど)したらんと雖(いえ)ども、外面より国権を圧制するものあり、甚だ愉快ならず」という。
国権そのものが外国によって屈服させられかねない帝国主義的な国際環境にあって、これに顧慮することのない内治重視の民権論はナイーブに過ぎて、到底ついていけないといっているのである。
≪正道を顧みるいとまはない≫
ここで福澤は「正道(しょうどう)」と「権道(けんどう)」という用語法をもって自らの論理を鮮明に示す。民権論は純理においては正しい天然の正道であり、国権論は人為を加えて造られた便宜上の概念である。つまり国権論は権道である。権道とは“手段や方法は道義から外れてはいるものの、結果からみれば正道に適(かな)う政治選択である”といった意味合いの概念である。
帝国主義勢力がアジアに着々と勢力拡大を謀るこの「西力東漸」の時代にあって、正道を顧みるいとまは日本にはない。権道というべき人為の国権論に「我輩は従う者なり」と福澤は宣言する。そして「眼を海外に転じて国権を振起するの方略なかるべからず。我輩畢生(ひっせい)の目的は唯(ただ)この一点に在るのみ」と喝破するのである。
“青螺(さざえ)が殻の中に収まりすっかり安堵していたのだが、急に外の方が騒がしくなったのでこっそり頭を殻から出して周辺をうかがえば、思いがけないことに何と自分の身は殻と一緒に魚市場の俎(まないた)の上に乗せられているではないか”という例え話を引き合いに、福澤はこういう。「国は人民の殻なり。その維持保護を忘却して可(か)ならんや。近時の文明、世界の喧嘩(けんか)、誠に異常なり。或(あるい)は青螺の禍(わざわい)なきを期すべからず」
≪外交に不可欠な気力と兵力≫
現在の中国は国際法秩序を無視して、力による海洋の現状変更に強硬な態度を崩さない。ハーグの仲裁裁判所の裁定には国連安保理常任理事国にあるまじき野卑な言動をもってこれを難じている。中国が信奉するものは力のみであり、力によって新勢力圏を創出しようというのがその真意である。
北朝鮮が5回目の核実験を敢行し、続いて6回目の実験の挙に出る蓋然性が高い。かくして積み上げられた技術的成熟により、核兵器の小型化・弾頭化の可能性が高まり、核搭載弾道ミサイルを北朝鮮が掌中にするのはもはや時間の問題だと専門家はみなす。
明治11年の『通俗国権論』において福澤は「大砲弾薬は以(もっ)て有る道理を主張するの備(そなえ)に非ずして無き道理を造るの器械なり」という。「無き道理を造」ろうとしている中国と北朝鮮に国際法を順守せよといっても所詮は“蛙の面に水”である。「苟(いやしく)も独立の一国として、徹頭徹尾、外国と兵を交ゆべからざるものとせば、猶(なお)一個人が畳の上の病死を覚悟したるが如(ごと)く、即日より独立の名は下(く)だすべからざるなり」という。
外交が重要であるのはいうまでもないが、弓を「引て放たず満を持するの勢を張」る国民の気力と兵力を後ろ盾にもたない政府が、交渉を通じて外交を決することなどできはしないと福澤はいう。
極東アジアの地政学的リスクが、開国・維新期のそれに酷似する極度の緊迫状況にあることに思いをいたし、往時の最高の知識人が何をもって国を守ろうと語ったのか、真剣に振り返る必要がある。私が『士魂-福澤諭吉の真実』を著した理由でもある。(拓殖大学学事顧問・渡辺利夫 わたなべとしお)
中国と北朝鮮に国際法を順守を求めるのは“蛙の面に水” 国民の身を守る「殻」こそ重要だ
拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏
http://www.sankei.com/column/news/160926/clm1609260006-n1.html
明治維新が成り、ようやく新政権が軌道に乗ろうとしていた。しかし、政権の主導権は薩長人士が握り、その専制政治(「有司専制」)に対する国民の批判には根強いものがあった。この批判を背に板垣退助らは「民撰議院設立建白書」を政府に提出した。明治13年には「国会期成同盟」が結成され、自由民権運動として知られる改革主義的なセンチメントが朝野を覆い、「国権論」と「民権論」を軸とする激しい論争が展開されるにいたった。
≪民権論はナイーブ過ぎる≫
国権論とは、国家権力が強ければこそ国民の権利・自由が保障されるという考えを基本とし、対するに民権論は、国民の権利・自由が保障され初めて国権も強化されるというものであった。民権論は内治派とも呼ばれた。
幼い論争のようにも思われようが、昨年9月に成立した安保関連法をめぐる与野党間の論戦や、法案に反対する憲法学者のいかにも生硬で猛々(たけだけ)しい「立憲主義論」を聞かされていると、日本の政治思想は明治の初年以来まるで成熟することなく、むしろ劣化の様相を呈している感さえ抱かされる。
福澤諭吉は自由民権運動をめぐる論争をみつめて、明治14年に『時事小言』なる警告の書を刊行した。天賦人権説や社会契約説の主唱者の福澤はとかく民権論者だと捉えられがちであり、そんなふうに記している概説書が今もあるほどだが、不勉強も甚だしい。
私(福澤)は民権論に反対する者ではない。国会開設も必要なことだ。しかし、民権の伸長を図っていかなる「国柄」の国家を創るべきかを論じない民権論などには与(くみ)するわけにはいかない。「民権伸暢(しんちょう)するを得たり、甚だ愉快にして安堵(あんど)したらんと雖(いえ)ども、外面より国権を圧制するものあり、甚だ愉快ならず」という。
国権そのものが外国によって屈服させられかねない帝国主義的な国際環境にあって、これに顧慮することのない内治重視の民権論はナイーブに過ぎて、到底ついていけないといっているのである。
≪正道を顧みるいとまはない≫
ここで福澤は「正道(しょうどう)」と「権道(けんどう)」という用語法をもって自らの論理を鮮明に示す。民権論は純理においては正しい天然の正道であり、国権論は人為を加えて造られた便宜上の概念である。つまり国権論は権道である。権道とは“手段や方法は道義から外れてはいるものの、結果からみれば正道に適(かな)う政治選択である”といった意味合いの概念である。
帝国主義勢力がアジアに着々と勢力拡大を謀るこの「西力東漸」の時代にあって、正道を顧みるいとまは日本にはない。権道というべき人為の国権論に「我輩は従う者なり」と福澤は宣言する。そして「眼を海外に転じて国権を振起するの方略なかるべからず。我輩畢生(ひっせい)の目的は唯(ただ)この一点に在るのみ」と喝破するのである。
“青螺(さざえ)が殻の中に収まりすっかり安堵していたのだが、急に外の方が騒がしくなったのでこっそり頭を殻から出して周辺をうかがえば、思いがけないことに何と自分の身は殻と一緒に魚市場の俎(まないた)の上に乗せられているではないか”という例え話を引き合いに、福澤はこういう。「国は人民の殻なり。その維持保護を忘却して可(か)ならんや。近時の文明、世界の喧嘩(けんか)、誠に異常なり。或(あるい)は青螺の禍(わざわい)なきを期すべからず」
≪外交に不可欠な気力と兵力≫
現在の中国は国際法秩序を無視して、力による海洋の現状変更に強硬な態度を崩さない。ハーグの仲裁裁判所の裁定には国連安保理常任理事国にあるまじき野卑な言動をもってこれを難じている。中国が信奉するものは力のみであり、力によって新勢力圏を創出しようというのがその真意である。
北朝鮮が5回目の核実験を敢行し、続いて6回目の実験の挙に出る蓋然性が高い。かくして積み上げられた技術的成熟により、核兵器の小型化・弾頭化の可能性が高まり、核搭載弾道ミサイルを北朝鮮が掌中にするのはもはや時間の問題だと専門家はみなす。
明治11年の『通俗国権論』において福澤は「大砲弾薬は以(もっ)て有る道理を主張するの備(そなえ)に非ずして無き道理を造るの器械なり」という。「無き道理を造」ろうとしている中国と北朝鮮に国際法を順守せよといっても所詮は“蛙の面に水”である。「苟(いやしく)も独立の一国として、徹頭徹尾、外国と兵を交ゆべからざるものとせば、猶(なお)一個人が畳の上の病死を覚悟したるが如(ごと)く、即日より独立の名は下(く)だすべからざるなり」という。
外交が重要であるのはいうまでもないが、弓を「引て放たず満を持するの勢を張」る国民の気力と兵力を後ろ盾にもたない政府が、交渉を通じて外交を決することなどできはしないと福澤はいう。
極東アジアの地政学的リスクが、開国・維新期のそれに酷似する極度の緊迫状況にあることに思いをいたし、往時の最高の知識人が何をもって国を守ろうと語ったのか、真剣に振り返る必要がある。私が『士魂-福澤諭吉の真実』を著した理由でもある。(拓殖大学学事顧問・渡辺利夫 わたなべとしお)