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ニッポンのゆる~い日常

慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである

2017-11-29 15:20:35 | 日本
慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである


http://ironna.jp/article/8262?p=1


山岡鉄秀(AJCN代表)


 訪韓した米国のトランプ大統領を歓迎する晩餐(ばんさん)会の最中、元慰安婦を称する女性がトランプ氏に抱き着いたことが記憶に新しい。多くの日本人は心底あきれ、苦々しく思ったことだろう。ただ、西洋社会で長く暮らした人なら分かることだが、トランプ氏は元慰安婦を「ハグ」などしていない。失礼にならない程度に受けただけで、むしろ右手で元慰安婦の腕を押さえて距離を取っている。あれはハグとは言わない。

 ハグするときは、両手を背中まで回して、ほほ笑みながら親しみを表現しなければならない。あれは「一生懸命、拒否しなかった構図」とみるべきである。こんな陳腐なことを国家レベルでやってみせるのが真の「韓流」だ。日本の文化とはまさに対極だが、識者によれば「先祖返り」だという。親日派排除といいながら、李氏朝鮮時代のメンタリティーに急速に戻っているというのである。筆者にはそれを検証する術がないが、一つだけ言えることは、日本統治時代に教育を受けた韓国人に会うと、今の日本人よりもずっと立派な人が多いということだ。そのような人たちは文在寅政権の幼稚な振る舞いを心底軽蔑している。

 ところで、韓国の「ゲスな演出」に憤るのは無理もないが、もっと大事なことがある。それは、日本政府が慰安婦問題に関して、トランプ氏にあらかじめどのようなブリーフィングをしたか、ということだ。というのも、韓国が訪日後にやってくるトランプ氏へ何か仕掛けるであろうことは十分予想できたからだ。


覚えている方も多いだろうが、2014年4月にやはり日本の後に韓国を訪れたオバマ前大統領が、共同記者会見で突然、「慰安婦問題は重大な人権侵害で、戦時中であったことを考慮してもショッキングだ」と発言した。これは当時の朴槿恵政権が仕掛けた演出である。この時も多くの日本人が憤慨した。同年4月26日の産経ニュースによれば、オバマ氏は「何が起きたのか正確で明快な説明が必要だ」とも述べたという。

 オバマ氏からこのような発言が飛び出すということは、日本政府はオバマ氏が次に訪韓することを知りながら、慰安婦問題について明確な説明をしなかったことを意味する。もし、本当に何のブリーフィングもしていなかったとしたら、信じ難い怠慢である。

 韓国文化では、告げ口をし、人前で感情的になって他人の悪口をわめき散らすことが許容される。米国の大統領が来るのであれば、必ず何かチープトリックを仕掛けてくる。そういうことをしない民族ならば、慰安婦問題などとっくに解決している。十分に予測できることだ。オバマ氏の失敗に学んでいれば、今回はトランプ氏に十分なブリーフィングを行ったはずだが、どうであっただろうか。



仮に、ブリーフィングを行っていたと想定しても、問題はその中身である。わざわざ日本の立場を弱くするような説明をしていなければいいと思うが、筆者が心配するのには根拠がある。最近、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に慰安婦関連資料が登録されようとしているのを、日本の官民の努力で先送りにしたことは記憶に新しい。しかし、国連には「人種差別撤廃委員会」「女性差別撤廃委員会」「拷問禁止委員会」「奴隷廃止委員会」など、さまざまな条約委員会があり、その全てで慰安婦問題が日本の人権侵害の例として取り上げられ、日本政府は苦しい答弁を強いられてきた。そして先月末、下記の記事を見かけた。




政府、慰安婦問題は「解決済み」
国連委に検証も困難と回答
2017/10/31 15:31
©一般社団法人共同通信社


 【ジュネーブ共同】旧日本軍の従軍慰安婦問題を巡り、日本に適切な補償などの包括的解決を求めた国連人種差別撤廃委員会の勧告に対し、日本政府が昨年12月に「補償に関してはサンフランシスコ平和条約などにより解決済み」と回答していたことが10月31日、分かった。委員会が回答を公表した。

 委員会は責任者を裁判にかけるようにも勧告したが、日本政府は「今からの具体的な検証は極めて困難」で、責任者追及も考えていないと指摘。一方で、慰安婦問題の解決に関する2015年の日韓合意に言及し「高齢の元慰安婦のためにも日韓両政府で協力し合意を実施していく」と強調した。



これだけ読むと、日本政府は旧来のパターンを繰り返しているように見える。つまり、「日本はもう謝罪して補償しました。解決済みの案件です」と許しを請うパターンだ。まして、「高齢の元慰安婦のためにも…」などといえば、「悪いことをしたのは本当です。でも、もう謝って弁償しました。もっと努力致します」と言っているのに等しい。16年2月16日の国連女性差別撤廃委員会における杉山晋輔外務審議官(当時)の発言によりこのパターンを脱したはずだったが、またもや逆戻りしてしまったのか。このときの日本政府の英文回答を探し出して読み直した。

 まず、対日審査をしている委員会側は、完全に「慰安婦制度は多くの女性を軍隊のための性奴隷にした犯罪行為で日本政府の対応は不十分」という前提で対応を要求してきている。杉山発言は完全に無視されている。ならば、杉山発言の内容を繰り返すべきだが、それをせずに旧来のパターンに逃げ帰っている。委員会側の日本政府に対する要求は以下の通りだ。




1.早急に責任者を探して処罰せよ。
2.生存する慰安婦とその家族に対する誠実な謝罪と十分な補償を含む、包括的かつ完全で継続的な対策を講じろ。
3.慰安婦問題を否定したり侮辱する言動を取り締まれ。





まだこんなことを国連委から言われているのである。これに対する日本政府の回答を要約すると以下の通りになる。




1.当委員会で慰安婦問題を取り上げるのは適切ではないと考える。なぜならば、日本が95年に人種差別撤廃条約を批准する以前の出来事だからである。
2.15年12月28日に日韓合意が成立し、日本政府は10億円を韓国政府に支払った。
3.90年代に慰安婦問題が浮上した際、日本政府は詳細な調査を行った。その結果、インドネシアなどで犯罪行為が行われたことがわかったが、発覚とともに軍によって閉鎖されており、首謀者は戦後の戦犯裁判で処刑を含めて断罪されており、今から個別のケースで加害者を見つけて処罰することは困難なのでやるつもりはない。
4.韓国に対する補償は51年のサンフランシスコ講和条約で最終的に解決済み。
5.95年にはアジア女性基金を設立して、元慰安婦の尊厳の回復に努力し、首相の署名入り謝罪レターを元慰安婦個人に直接手渡した。
6.07年にアジア女性基金が解散した後も、日本政府は償い事業を停止せずにフォローアップした。
7.日本政府は慰安婦問題を否定したり、矮小(わいしょう)化したりすることはしない(例として、安倍首相戦後70年談話の戦時の女性の人権に関わる一節を引用)。





こんな具合である。これを英語話者が読めば、「日本は昔のことだからと逃げようとしている。また、罪を全面的に認めながら、十分な償いはしたと主張している」と感じるだろう。日韓合意が一方的に破られているというのに、どうしても「土下座外交」を続けたいらしい。これでは、韓国や中国が「日本にとって最大の急所」と見て執拗(しつよう)に攻撃してくるのも当然だ。弱いと思われたら徹底的に攻撃されるのが国際社会の常識だからである。



 この日本政府からの回答に対する委員会のコメントは以下のようなものだ。



 「日本政府の対応については理解した。しかし、最近、そのような努力に反抗するトレンドがあると報告を受けている。例えば、被害者が日本で起こした裁判はすべて却下されている。また、教科書から慰安婦の記述が削除された。したがって、当委員会は、全ての要求事項の遂行を再度要求する。次回の対日審査で進捗(しんちょく)を報告するように」



 完璧な上から目線である。そして、日本政府の説明は何の効果も上げていない。「これだけ償ったと言いたいんだな。でも、おまえらの努力を無にするような右派どもがいるだろう。しっかり取り締まって報告しろよ」と言われているだけである。これでは民間の努力も水の泡だ。百歩譲って、このような「おわびと償いアプローチ」が功を奏するなら、慰安婦問題はとっくに過去のものになっているだろう。しかしながら、結果は逆で謝れば謝るほど状況が悪くなっている。



理由は二つある。韓国や中国相手は「効果があった」と思ってますます攻撃の度合いを強めてくるからだ。そして第三国は、日本政府が謝罪してお金を払う姿を見て、「ああ、やっぱり日本は言われていたようなひどいことをしたんだな、今まで隠そうとしていたんだな」と思ってしまう。「潔く謝ったのだから、この件は終わりにしよう」とはならないのである。なぜこんな基本的なことが分からないのか、本当に理解できない。


 では、日本政府の説明に完全に欠けているものは何か。それは、「そもそも慰安婦制度とは何だったのか?」という定義である。上記の日本政府の回答にあるように、慰安婦問題が国際問題化した際、政府はかなり詳細に調べたはずだ。その結果、何が分かったのか。「いくつかの犯罪的なケースがあったことが分かりました」とだけ説明すれば、やっぱり「慰安婦は犯罪的な制度だった」と思われてしまう。



海外暮らしが長い筆者が、日本政府の立場に立ったなら、まずは一次資料に基づき、日本政府が認識する「慰安婦制度の実態と問題点の定義」を述べ、それを軸に議論を展開する。つまり、立論から始めるのである。それをせずに「償った」とばかり繰り返しても、ごまかしているように聞こえてしまう。これが、前述のオバマ氏の「何が起きたのか正確で明快な説明が必要だ」という発言につながるわけだ。謝って許しを請うばかりで、説明になっていない。このありさまでは、やはりトランプ氏にも明確な説明がなされていないと推測すべきだろうか。


90年代ならともかく、現在までには研究もかなり進み、慰安婦制度とは何だったかがかなり正確に分かってきた。一次資料に基づいて、「慰安婦制度とは何だったのか。強制連行は行われず、慰安婦は性奴隷ではなかった」ことを明確に説明することは困難ではない。日本政府は明確で簡潔な「定義=立論」を作成し、それを一貫して使い続けるべきだ。それには、例えばソウル大学の李栄薫(イ・ヨンフン)教授の研究などが参考になるだろう。




慰安婦制度の定義(例)


「慰安婦制度とは、日本国内で施行され、日本統治下の朝鮮半島と台湾でも施行された公娼(こうしょう)制度の軍隊への適用である。目的は兵士による性犯罪や性病の蔓延(まんえん)の阻止、スパイ行為の防止などである。当時も軍が売春制度を管理することには躊躇(ちゅうちょ)があったが、性犯罪防止を優先した。慰安婦制度の導入と同時に、戦場における兵士の性犯罪を刑事犯罪として立件できるようにした。厳格な法律の下に運用されていたので、だまして売春をさせたり、強制的に連行したりすることは明確な法律違反であった。慰安婦は契約期間が終了すれば廃業して帰国できた」




慰安婦制度の問題点


「兵士による性犯罪を防止するのが主目的であったが、それでも戦争犯罪と呼べるケースは発生した。代表的なものがインドネシアで発生したスマラン事件であるが、管轄する日本軍将校によって取り締まられ、首謀者は戦後の戦犯裁判で処刑された。また、女性の募集は現地の業者によって行われたが、特に朝鮮半島で朝鮮人業者による暴力を含む犯罪行為でだまされたり強制的に連れ去られたりしたケースがあった。日本の警察が取り締まったケースが数多く報告されているが、取り締まりきれなかった可能性がある」





日本政府はなぜ謝罪し、賠償してきたのか?


「当時の慰安婦制度は合法であり、軍隊による一般女性の組織的強制連行などは行われていない。慰安婦強制連行説は吉田清治という詐欺師の嘘を朝日新聞が検証せずにばらまいた虚偽である。朝日新聞は2014年に誤報を認めて記事を撤回している。しかし、当時は貧しさから家族に売られたり、悪質な業者にだまされたりするケースが多かったことは事実であるから、そのような女性たちの境遇に心から同情を示すものである」





もちろん、これは一例であり、詳しく書こうと思えば、いくらでも長く書ける。しかし、ここでのポイントは、誰でもすぐに覚えられるように、簡潔な定義をしておくことである。そして、その定義を一貫して矛盾なく使い続けることが肝要だ。慰安婦を「売春婦」と切り捨てるような発言は控えるべきだ。わざわざ反感を買って、絶好の攻撃機会を与えることになる。

 あのトランプ氏に抱き着いた元慰安婦も、おそらくは朝鮮戦争中の慰安婦だと思われるが、哀れな存在であることに変わりはない。あのような女性の背後には、満足な教育も受けられないままに親に売られてしまった女性たちが数多く存在した。日本政府に法的責任はなくとも、同情するから何度も謝罪し、お金を払ってきたと説明すべきだ。



筆者は一貫して「反論よりも立論が大事」と主張している。立論がないままに反論や説明を試みても、有効な議論はできない。明確な立論は、それ自体が有効な反論になり得るのである。日本政府は「誠意をみせて許してもらおう」とするあまり、何度も謝罪したり金を払ったりしては「罪を認めた犯罪者」呼ばわりされる愚を犯している。察するに、かつて保守系知識人が米紙に出した意見広告が反発を買ったことがトラウマ(心的外傷)になっているのかもしれない。



 センセーショナルな物言いをする必要はまったくない。あくまでも淡々と一次資料に基づく立論を行うのだ。今年8月に、筆者はジョージア州の州議会議員2人に資料を見せながら「慰安婦制度とは何か」を説明する機会を得た。二人ともひどく驚いた様子で、「日本政府は強制連行や性奴隷を否定する証拠を持ちながら謝罪しているのか?」と聞いてきたのが印象的だった。


 「抱き着き慰安婦」に立腹するのはよい。無理やり「独島エビ」を晩餐会メニューに含める極左親北の韓国政府に何を言っても無駄だろう。しかし、大切なことは、トランプ氏をはじめ、第三国のキーパーソンに誤解が生じないように「慰安婦制度とは何だったのか?」を明確な立論を持ってしっかりと説明することである。


国の名誉を守るのに、反発を恐れてはいけない。恐れるのなら、その分隙のない立論を作ればよいのだ。謝ってばかりでは、犯罪者認定されてしまうのがオチである。「罪を認めるなら責任を取れ、もっと賠償しろ」と言われ続けるのが国際社会の常識だ。今となっては、なぜ謝ったのかも明確に説明しなくてはならない。ゆめゆめトランプ氏に「何が起きたのか正確で明快な説明が必要だ」と言わせてしまってはならない。













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なぜ韓国の文化は「ウリジナル」なのか? 「『分からないもの』に対して何をするかが問われている」

2017-11-07 10:31:20 | 正論より
11月7日付     産経新聞【正論】より


なぜ韓国の文化は「ウリジナル」なのか? 「『分からないもの』に対して何をするかが問われている」 
羽生善治さんの至言が示す人文科学の危機   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/171107/clm1711070004-n1.html



◇命題に気づくのは一瞬の直観


 最近私は、民族には「脱落のプロトコル(命題)」があると主張している。歴史上、その民族が関心を持たなかったものは、どうにもこうにも分からないのである。

 たとえば古代エジプト人の「歴史」、だから歴史書が一冊も残っていない。日本人の「奴隷制」、故にシベリア捕囚を抑留と勘違いして、奴隷労働をさせられてしまった。韓国人の「文化」、文化はシナ文化しかなく、自分の文化には関心がなかった。だから彼らは「入ってきたら内の物」だと思う。剣道も華道も韓国起源、孔子は韓国人だったという。外国人はこうのたまう彼らの文化(?)を俗にウリジナルといっている。

 実に身もふたもない。だが、はじめから分かっていたわけではない。今から30年前の自分の本を読み返してみると、「なぜ彼らは受容しても自分の文化だと思うのだろうか」と、真剣に考えているのである。人間が真剣に何かしている過程は美しいので、文章も国語の入試問題に使えそうなできばえだ。今は一言でいえる。「コリアンはシナ文化しかなかったので、文化に関心を持たなかった」。書いている私がえげつなく見える。

 もちろんこの思考過程では、いろいろと勉強するのであって、大阪市大の野崎充彦さん(朝鮮古典文学の専門家)は、長い研究の末、「朝鮮古典文学の特徴は朝鮮の不在である」という結論に達してしまった。舞台も主人公もほとんどシナだから。ウソをつかない、立派な学者だと私は思った。

 でも、脱落のプロトコルに気づくのはほんの一瞬の直観なのだ。



◇世界認識に必要な「因果律」


 真剣に考えに考えた末、30年後に、ハイデッガーの言葉を使えば急に「到来」し「時熟」したのである。「韓国人は文化が何かよく分からない」という単文で到来する。到来したら、自分が勉強した思考経験や現地で体験した知覚経験から、自分の体内時間を「今」のカーソルのようにして、記憶から次々とコマを切り出していく。

 そしてならべて因果のストーリーを形成する。これが「超越」だ。なぜそうするか。人間は因果のストーリーなしには世界を認識できないからである。人間の体内時間はベルクソンにならって「持続」というが、これには明らかに流れがある。フィルムのコマみたいに現実を写し取って記憶の方に送りこんでいく。だから因果のストーリーがないとダダモレになってしまうのだ。地図なしに世界中を運転するようなものである。

 新聞は、天気予報と今日のテレビ番組表以外は、ほとんど昨日以前のことが書かれていて、これはもう「歴史学」といっていい媒体なので、未来のことを書くとボツになりやすい。だが、あえていえば、AI(人工知能)は生命体ではないので、「持続」を生きることはできない。だから、人間とは別の量子物理学の時間で生きることになると思う。

 当然、因果の意味は分かるわけがない。鉄骨が人間の頭に落ちてきたら、人間は死ぬくらいの「直近の因果」は分かるらしいから、もう意識を持っている。ただそれは植物以下の「静謐(せいひつ)な意識」だと思われる。




◇人文系が生き残るのは難しい


 将棋の羽生善治さんが、すごいことを言っている。「分かっていることに対する答えや予測は、どう考えてもAIの方が得意です。残されている『分からないもの』に対して何をするのか、が問われる。それは若い人たちだけにかぎらないと思います」(月刊「正論」11月号)

 どこがすごいのかといえば、大学ではそれが今問われているからである。うちの大学などでは、文系の人文社会科学はもう、のけもの扱いである。なぜなら、知識を教えることしかしてこなかったからだ。そんなものはもうネットで簡単に手に入る。問題があるとすれば、学生がどの検索サイトに現実妥当性と有用性があるのか、分からないことくらいである。新しい知識もやがて一般人とAIが供給することになるから問題ない。


 ほかの学科は元気である。物理学、化学、工学、農学、生物学などは全部実験という、知識以前の「分からないもの」を扱っている。医学、体育、芸術、看護学、コーチングなどは、みな体得の科目だ。「分からないこと」を考える余地がある。


 さて、わが人文社会系はどうするのか。因果律の形成を体得させるという教育方針以外に、生き残る道はないと思われる。人文系はさらに難しい。歴史学ならば、渡辺浩さん(東大名誉教授)がいうように、文字記録というタイムマシンに乗って記録の向こう側へと超越し、戻ってきて報告してもらわなければ有用性がない。今を説明できる歴史学でなければ、その研究者の懐古趣味で終わってしまう世の中になったのだ。

 私は今、ゼミの新入生たちに言っている。「君たちは入試まで既に分かっていることを考えさせられてきたのだ。これからは分からないことを考えなければならない」と。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるたひろし)









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モリカケで生き延びようとする「民進党なるもの」たち

2017-11-03 00:22:36 | 民主党
モリカケで生き延びようとする「民進党なるもの」たち

http://ironna.jp/article/8057?p=1



田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 自民党の圧勝に終わった総選挙だが、この1週間余り、テレビの報道は立憲民主党と希望の党に関するものでほぼ埋めつくされている印象がある。もちろん民放局は営利企業なので、視聴率のとれる話題を扱うのはやむをえない面がある。ただし、立憲民主党も希望の党も、まだ残存している民進党ももちろん、すべて「民進党なるもの」であることに注意が必要だ。つまり希望の党も、代表の小池百合子東京都知事以外はほぼ旧民進党系の議員で占められているし、他の政党は言うまでもない。


 つまりテレビの報道は、「民進党なるもの」の宣伝をこの1週間積極的にしているとみていいだろう。テレビの報道はさておき、民主党政権の負のイメージを抹消するために党名を変更し、そして今はアメーバのように生き残りをかけて分裂を繰り返すその政治的な生命力には感心するよりも、あきれているというのが率直なところだ。


 さて、その政治的生命力たくましい「民進党なるもの」が国会で追及するとマスコミで意気込んでいるのが、例によって「モリカケ問題」である。つまり森友学園・加計学園についての安倍晋三首相への「疑惑」解明である。

 さすがに半年近くやって「疑惑」以上のことがまだ何も出てこない話をまたやるのか、とあぜんとせざるをえない。いま、「与党2割、野党8割」という国会の質問時間の配分があまりに野党側に偏りすぎていることを、自民党の若手議員が問題提起して話題になっている。賛否あると思うが、単純に半々にして、少数派の声も反映させるのがいいのではないか、と思った。ところが、野党が「またモリカケ問題をやる」というあまりに無反省な発言をみて考えなおした。やはり議席配分通りでいいのではないか。


 議会は政治的やりとりの場ではあるが、マスコミというかワイドショーのネタを提供する場では少なくともない。なんの論理的・実証的なものがない「疑惑」をショーのように野党がやろうとするならば、これはなんらかの歯止めが必要だろう。さらに特殊な事情もある。それは現時点の野党の三大勢力は事実上、冒頭でも書いたようにみんな「民進党」だからだ。これでは民進党の単独ショーに国会がなりかねない。


 国民の大半は、野党に票をいれたのではなく、与党に票をいれたのだ。しかも最近では、国会での質問が議員の評価にもつながる傾向がある。「モリカケショー」はもういいだろう。だが、それで納得しない人のために以下にモリカケ問題とは何か、その現状の論点を書いておく。これを読んでまだ納得しない人たちは政治イデオロギーに汚染させているのだろう。




 森友学園問題とは、同法人に払い下げた国有地が周辺の取引価格の実勢よりも極端に低かったことだ。最近の報道によれば、会計検査院の調査では、値引き額が最大6億円過剰だったという。このような過剰な値引きがなぜ起きたのか、というのが第一の論点になる。

 第二の論点は、このような過剰な値引きについて安倍首相や安倍昭恵夫人が関わったのではないか、という問題である。過剰な値引きが、法的もしくは道義的な責任を伴うものならば、当然首相も昭恵夫人もその責任を問われてしかるべきものである。典型的には、贈収賄などが考えられるだろう。だが、現時点でそのような事実はまったくない。


 ところが、安倍首相が国会で「私や妻が(土地の値引き交渉に)関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と発言したことが異様な拡大解釈を生み出すことになる。この「関係」を野党や反安倍系の識者、マスコミは、不法なものや道義的なものではなく、後述する「忖度(そんたく)させた罪」という一種の「魔女狩り」にまで発展させた。このことで森友学園問題は理性という歯止めを失ったと筆者は解釈している。

 この「忖度させた罪」とは以下のような話である。財務省近畿財務局をはじめ、関係した省庁や職員などが、安倍首相や昭恵夫人を「忖度」して、森友学園に対して土地の価格値引きなどの便宜が図られたのではないか、という「疑惑」である。そしてこの官僚たちの「忖度」(相手の気持ちをおもんばかること)の責任を、安倍首相に要求していることだ。つまり官僚たちに「忖度させた罪」を首相は認めて、政治的責任をとれということである。

 もちろんこのような「忖度させた罪」は違法でもなければ、そもそもなんらかの罪でもない。言い掛かり以上のものではない。疑いをかけられた官僚も「忖度」はないと答えればそれで終わりだ。もちろん国会でも野党の質問に官僚側はそう答えている。ましてや、赤の他人がどう思って行動しようが、基本的にわれわれには関係ない。ある日、あなたの家に警察が訪ねてくる。あなたがよく知らない他人が「あなたの気持ちを忖度して盗みを働いたかもしれないので、あなたを逮捕します」と宣告する。これを暗黒社会といわずしてなんというだろうか。


 森友学園問題について、野党やマスコミが追及するには、信頼できる証言や物証を掲示しなければいけない。つまり挙証責任は追及する側にある。だが、野党や一部の反安倍系の識者、そしてマスコミの一部もそのような理性的な態度ではない。これが森友学園をめぐる魔女狩りの構図である。

 このようなことを書くと、「安倍首相があんな発言をするのが悪い」と魔女狩りへの擁護論がでてくるが、本当に「いじめられるのはいじめられた方が悪い」と同じ幼稚な言いぐさである。だが、そのような幼稚な論理がまかり通っているのが日本の現状でもある。一時期ほどではないが、いまだにこのような魔女狩りとその弁護は有力なのである。


 森友学園問題で最も参考になるのが、嘉悦大教授の高橋洋一氏の『大手新聞・テレビが報道できない「官僚」の真実』(SB新書)、『ついにあなたの賃金上昇が始まる!』(悟空出版)などの著作である。

 高橋氏が指摘する森友学園問題の真因は簡単明瞭である。過剰に安い土地価格取引になったのは、森友学園と直接に交渉した近畿財務局の失敗である。土地に大量のごみが投棄されている可能性が大きいのに、このごみの埋設の事実を隠して、あるいは告知することを怠って森友学園と契約したことにある。そのためごみの埋没が明らかになった過程で、森友学園側に土地価格で大幅な譲歩を迫られたというのが、高橋説である。そもそも近畿財務局は、森友学園と直接の契約(随意契約)ではなく、入札方式で行うべきだったとも高橋氏は指摘する。さらにこの経緯を記した財務省側の資料が廃棄されたことも、厳しく批判している。要するに、財務省、直接の交渉者である近畿財務局の責任である。


 ところが野党やマスコミ、一部の識者は、政争的思惑などから昭恵夫人や安倍首相の「忖度」責任追及に忙しい。これではむしろ野党などは、国民の多くに真実を伝えない努力をしていると指摘されても仕方がない。



 加計学園問題については、野党やマスコミの姿勢はさらに深刻なものである。端的にいえば「報道しない自由」とフェイクニュースの問題である。それに加えてこの問題を追及している野党側の方こそ政治的・道義的な問題が生じていることである。


 さて、あらためて加計学園問題とはなにか。加計学園の加計孝太郎理事長が首相と友人関係にあり、そのため同学園の獣医学部新設について優遇されたという疑惑のことである。この問題についても筆者は何度もこの問題について書いてきた。そもそも獣医学部の新設についての申請自体を認めない状況がおかしい。文科省などの官僚側の規制のひずみが深刻であった。そのため獣医学部新設の申請を認める、という議論が国家戦略特区会議で行われた。申請されたが、それを認めるかどうかは別問題である。この点さえもごっちゃにする議論は後を絶たない。

 そして、日本獣医師会からの圧力などもあり、なんとか1校だけ申請が認められた。そのときに、十数年にもわたり繰り返し申請許可を求めていた加計学園が最優先で認められただけである。新潟市の候補も長年にわたり申請許可を求めていたが、あまりに時間がかかりすぎて途中で断念した。またしばしば話題になる京都産業大学は最近プレーヤーとして登場してきたにすぎない。京産大自身の説明でも、準備不足ということが辞退の主因になっている。時間がかかりすぎてライバル校が断念、または準備不足でもまた別のライバルが断念したために、加計学園が長年の準備を認められて申請することを許されただけである。

 ここに安倍首相の「友達」だからそのような申請を認めたとする余地はない。しかも八田達夫国家戦略特区ワーキンググループ座長が明瞭に指摘しているように、国家戦略特区制度では、ある一つの特区で認められた改革は他の特区でも適用されるということである。つまり重複した議論をする必要がなくなる。八田氏の発言を引用しよう。


 「話を獣医学部に戻せば、この特区法の原則では、今治市だけに特区を与えることは不可能です。1区域でできれば他でも同様にできて、必ず競争が生まれる。つまりわれわれとしては、まず『特区ができる』ことが大事なのであって、それが『どこで最初にできるのかは』重要ではありません。新しい獣医学部ができるのが、京都でも、新潟でも、愛媛でも、どこでも構わない。WGの議事録から明らかなように、実際に私は、どこが出してきたときでも賛成しています。特区の原則の下では、加計学園が最初の新設獣医学部になったとしても、それは利権になり得ません」(八田達夫「『岩盤規制』を死守する朝日新聞」『Hanada』2017年10月号)。


 しかも最大のポイントは、獣医学部の申請校を複数から一つに絞ることが、国家戦略特区の目的ではない。国家戦略特区を悪用して、1校に絞る画策を安倍首相がしたかのような「疑惑」をマスコミなどは繰り返し報道して、世論を誘導している。これは完全に誤りだ。国家戦略特区の目的は、先に述べたように、獣医学部の申請を、異常といえるほど何十年も認めなかったその「規制を撤廃」することにあり、それに尽きる。


 獣医学部の規制撤廃は、特定の組織や関係者に利益をもたらすものではない。むしろ現状のように、獣医学部の申請さえも受け付けない官僚とその背後になる既得権団体や政治家たちの存在こそが、特定者の利益温存に動いているのである。この既得権者たちの利害構造については、国会などで前愛媛県知事の加戸守行氏は鋭く批判を展開している。しかしこの加戸氏の発言を紹介するテレビや大新聞はほとんどない。また先の八田氏も、朝日新聞に対して岩盤規制の側に立つか否か公開質問をしているが、その八田氏自身の主張の紹介を含めて、まったく朝日からは返答はない。加戸・八田両氏はともに加計学園問題のキーマンである。その証言や発言をほとんど無視するマスコミの「報道しない自由」ほど、今回深刻なものはない。


 さらに野党側にも「疑惑」がある。希望の党(前民進党)の玉木雄一郎議員は、国会で首相追及の急先鋒(せんぽう)だった。しかし報道にもあるように、玉木氏には獣医師連盟から100万円の献金が行われていた。つまり規制で守られている側と親しい。このことは玉木氏が国会で行った一連の質問が、既得権者の利益を代弁して行ったものである「疑惑」がある。安倍首相のケースと違い、金銭の授受が明瞭である。この点の「疑惑」を与野党やマスコミはむしろ追及すべきだろう。ただしこの点でもネットではともかく、新聞・テレビでの追及はほとんど行われなかった。

 さて、間もなく開かれる国会で、「民進党的なるもの」たちがどのようにまたモリカケ問題を追及するのか、またそれをどのようにマスコミが報道するのか、そして識者たちはどのようにコメントするのか、もういいかげんうんざりな向きも多いだろう。実際に今まで書いてきたように、根拠なき「疑惑」をまき散らすマスコミや、それを安易に信じてしまう世論にこそ反省を求めるときだと、筆者は思う。









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