4月28日付 産経新聞【正論】より
日本人と「ポツダム宣言」の呪縛 京都大学名誉教授・佐伯啓思氏
http://www.sankei.com/column/news/150428/clm1504280001-n1.html
大型連休直前の4月28日などといっても、旅行ムード満載の今日の日本人は気にも留めないのであろうが、この日はいわゆる「主権回復の日」である。1952年の4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効したからである。沖縄は返還されず、また同時に日米安保条約が発効し、日本国内の米軍駐留の継続が決定されたわけであるから、真の主権回復なのか、という疑問はもっともであろう。
《非軍事化と民主化の占領政策》
とはいえ、この日をもって戦争は終結し「完全な主権を回復する」とこの条約には記されている。したがって、厳密にいえば今年は戦後70年ではなく、63年というべきであろう。戦後は45年に始まったのではなく、公式的には52年に始まったのである。いわば、45年に敗戦が決定し、52年に終戦が確定した、ということになる。
では、その間は何だったのか。連合国による占領期間である。そして、占領政策とは何だったのか。端的にいえば、アメリカによる日本の非軍事化および民主化であった。そのことは、戦後処理として占領政策を想定していたポツダム宣言からも明らかである。
以前、学生にポツダム宣言を読んだことがあるかと聞いてみたが、予想通りとはいえ、ほとんどいない。これはかなり奇妙なことで、もしも45年の8月15日をもって「戦後」への移行、とするならば、その起点にはポツダム宣言が置かれなければならないからである。日本の「戦後」はポツダム宣言によって始まったといっても過言ではないからである。
8月14日に日本はポツダム宣言受諾を決定して降伏した。それに従って戦争犯罪人が処罰され、日本の「戦争遂行能力」が完全に破砕されるまで日本は占領下に置かれることとなった。さらに、日本に平和的で責任ある政府が樹立されたときをもって占領は終了するという。従って占領政策は何よりも、日本の非軍事化と民主的政府の樹立を目的としたものだった。
《植えつけられた歴史観》
ところで、このポツダム宣言の背後にはひとつの歴史観がある。それは、今回の戦争についての次のような解釈に示されている。
この戦争は、無分別な打算をもった我儘(わがまま)な軍国主義者たちが日本国民を騙(だま)して、世界征服の意図をもって行った戦争であった。そして、今や世界の自由な人民たちが立ち上がりドイツは壊滅した。日本も同様に自由で平和愛好的な人民の徹底的な逆襲を受けている。
これがポツダム宣言に示された戦争観であった。端的にいえば、日本の軍国主義者は、平和的な世界秩序の破壊者であり侵略者である。アメリカは世界の自由や民主主義を守るために、この「悪」と戦ったというのである。
ここに一つの歴史観を透かし見ることができる。それは世界史とは専制政治やファシズム、軍国主義などの「野蛮」から、自由や民主主義という「文明」を守る戦いにほかならないという思想である。アメリカにとって世界史とは自由を実現する舞台であり、常時戦場なのである。それは常に「正義」と「悪」の戦いであった。
占領政策とは、ハード面でいえば、憲法も含めて新生日本の「国のかたち」を礎定するものであったが、ソフト面でいえば、あの戦争についてのアメリカ的解釈と、それを支えるアメリカの歴史観を日本に植えつけるものであった。
《公式的見解となった戦争解釈》
そしてそのことにアメリカは見事に成功した。「大東亜戦争」から「太平洋戦争」へと名称を変更されたあの戦争は、日本による侵略戦争であり、天皇を中心とする万世一系的大家族という後進的・封建的社会構造をもった軍国主義国家と自由や民主主義を原則とする文明国との対決だとする戦争解釈は、戦後日本のほぼ公式的な見解にまでなってしまった。
平和憲法によって日本の非軍事化を徹底し、民主化政策や民主的理念の教化によって日本を文明化するというアメリカの方針は、占領政策によって、戦後日本人の精神に叩(たた)き込まれたのである。
45年の8月15日には、多くの人々は、この敗戦をアメリカの圧倒的な力に対する敗北とみていたであろう。これが愚かな戦争だったとすれば、それは勝算もなく、強国アメリカに対して無謀な戦争を仕掛けた点にあったと考えたであろう。それが、52年の4月28日には、日本は道義的あるいは文明的に誤った戦争を仕掛けたがゆえに敗北したという観念が支配的となる。連合国軍総司令部(GHQ)は日本国民の解放者で、民主化の伝道者とみなされたのである。
もとより、自由や民主主義や人権観念が間違っているというわけではない。しかし、それらを普遍的な価値とみなして、その実現に世界史的な使命を求めるアメリカの価値観は日本のものではない。日米安保体制の基礎に、日米共通の価値が存在するとしばしばいわれるが、もしもそれをアメリカ型の歴史観、戦争観まで含めていうとすれば、われわれはいまだにポツダム宣言の呪縛から解かれてはいないことになるだろう。(さえき けいし)
日本人と「ポツダム宣言」の呪縛 京都大学名誉教授・佐伯啓思氏
http://www.sankei.com/column/news/150428/clm1504280001-n1.html
大型連休直前の4月28日などといっても、旅行ムード満載の今日の日本人は気にも留めないのであろうが、この日はいわゆる「主権回復の日」である。1952年の4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効したからである。沖縄は返還されず、また同時に日米安保条約が発効し、日本国内の米軍駐留の継続が決定されたわけであるから、真の主権回復なのか、という疑問はもっともであろう。
《非軍事化と民主化の占領政策》
とはいえ、この日をもって戦争は終結し「完全な主権を回復する」とこの条約には記されている。したがって、厳密にいえば今年は戦後70年ではなく、63年というべきであろう。戦後は45年に始まったのではなく、公式的には52年に始まったのである。いわば、45年に敗戦が決定し、52年に終戦が確定した、ということになる。
では、その間は何だったのか。連合国による占領期間である。そして、占領政策とは何だったのか。端的にいえば、アメリカによる日本の非軍事化および民主化であった。そのことは、戦後処理として占領政策を想定していたポツダム宣言からも明らかである。
以前、学生にポツダム宣言を読んだことがあるかと聞いてみたが、予想通りとはいえ、ほとんどいない。これはかなり奇妙なことで、もしも45年の8月15日をもって「戦後」への移行、とするならば、その起点にはポツダム宣言が置かれなければならないからである。日本の「戦後」はポツダム宣言によって始まったといっても過言ではないからである。
8月14日に日本はポツダム宣言受諾を決定して降伏した。それに従って戦争犯罪人が処罰され、日本の「戦争遂行能力」が完全に破砕されるまで日本は占領下に置かれることとなった。さらに、日本に平和的で責任ある政府が樹立されたときをもって占領は終了するという。従って占領政策は何よりも、日本の非軍事化と民主的政府の樹立を目的としたものだった。
《植えつけられた歴史観》
ところで、このポツダム宣言の背後にはひとつの歴史観がある。それは、今回の戦争についての次のような解釈に示されている。
この戦争は、無分別な打算をもった我儘(わがまま)な軍国主義者たちが日本国民を騙(だま)して、世界征服の意図をもって行った戦争であった。そして、今や世界の自由な人民たちが立ち上がりドイツは壊滅した。日本も同様に自由で平和愛好的な人民の徹底的な逆襲を受けている。
これがポツダム宣言に示された戦争観であった。端的にいえば、日本の軍国主義者は、平和的な世界秩序の破壊者であり侵略者である。アメリカは世界の自由や民主主義を守るために、この「悪」と戦ったというのである。
ここに一つの歴史観を透かし見ることができる。それは世界史とは専制政治やファシズム、軍国主義などの「野蛮」から、自由や民主主義という「文明」を守る戦いにほかならないという思想である。アメリカにとって世界史とは自由を実現する舞台であり、常時戦場なのである。それは常に「正義」と「悪」の戦いであった。
占領政策とは、ハード面でいえば、憲法も含めて新生日本の「国のかたち」を礎定するものであったが、ソフト面でいえば、あの戦争についてのアメリカ的解釈と、それを支えるアメリカの歴史観を日本に植えつけるものであった。
《公式的見解となった戦争解釈》
そしてそのことにアメリカは見事に成功した。「大東亜戦争」から「太平洋戦争」へと名称を変更されたあの戦争は、日本による侵略戦争であり、天皇を中心とする万世一系的大家族という後進的・封建的社会構造をもった軍国主義国家と自由や民主主義を原則とする文明国との対決だとする戦争解釈は、戦後日本のほぼ公式的な見解にまでなってしまった。
平和憲法によって日本の非軍事化を徹底し、民主化政策や民主的理念の教化によって日本を文明化するというアメリカの方針は、占領政策によって、戦後日本人の精神に叩(たた)き込まれたのである。
45年の8月15日には、多くの人々は、この敗戦をアメリカの圧倒的な力に対する敗北とみていたであろう。これが愚かな戦争だったとすれば、それは勝算もなく、強国アメリカに対して無謀な戦争を仕掛けた点にあったと考えたであろう。それが、52年の4月28日には、日本は道義的あるいは文明的に誤った戦争を仕掛けたがゆえに敗北したという観念が支配的となる。連合国軍総司令部(GHQ)は日本国民の解放者で、民主化の伝道者とみなされたのである。
もとより、自由や民主主義や人権観念が間違っているというわけではない。しかし、それらを普遍的な価値とみなして、その実現に世界史的な使命を求めるアメリカの価値観は日本のものではない。日米安保体制の基礎に、日米共通の価値が存在するとしばしばいわれるが、もしもそれをアメリカ型の歴史観、戦争観まで含めていうとすれば、われわれはいまだにポツダム宣言の呪縛から解かれてはいないことになるだろう。(さえき けいし)