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父・晋太郎に見た命懸けの対ソ外交 安倍晋三首相は新たな日露時代を切り開けるか

2016-11-30 11:55:24 | 歴史
【北方領土 屈辱の交渉史(6)=完】


父・晋太郎に見た命懸けの対ソ外交 安倍晋三首相は新たな日露時代を切り開けるか


http://www.sankei.com/politics/news/161130/plt1611300004-n1.html




日ソ共同宣言から4年後の昭和35(1960)年1月19日、訪米中の首相、岸信介はホワイトハウスで改定日米安全保障条約を調印し、米大統領のドワイト・アイゼンハワーと固く握手を交わした。これで日米関係はより対等となり、日米同盟もより強固となったが、日ソ間の北方領土返還交渉は膠着(こうちゃく)状態に陥った。



 ソ連外相、アンドレイ・グロムイコが、駐ソ大使の門脇季光に手渡した覚書には、安保改定を理由に、日ソ共同宣言で約束した色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島の引き渡しを撤回すると宣告していた。


 昭和36(1961)年8月、ソ連首脳として初来日した第1副首相、アナスタス・ミコヤンは「色丹島と歯舞群島は日米安保体制が解消するまで返還しない」と断言した。3年後の昭和39(1964)年5月に来日した際も、首相の池田勇人に「択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島は小さな島だが、カムチャツカへの出入り口であり、放棄するわけにはいかない」とにべもなかった。



 × × ×




 長く閉ざされた対話の扉が再び開き始めたのは、昭和60(1985)年3月、ミハイル・ゴルバチョフが新たな指導者に就任してからだ。ゴルバチョフは「新思考外交」を掲げ、昭和61(1986)年1月には、グロムイコに代わってソ連外相となったエドアルド・シェワルナゼが来日し、笑顔を振りまいた。


 5月には、現首相、安倍晋三の父で外相の安倍晋太郎がモスクワを訪れた。ゴルバチョフは「日ソの接触が広がる傾向にあるのは好ましいことだ。日本を訪問する希望を持っている」と自らの訪日に意欲を示したが、領土問題には「日本は取り上げてはならない問題を取り上げようとしている」と冷ややかだった。



 平成元(1989)年5月、外相の宇野宗佑は訪ソの際、「拡大均衡論」を打ち出した。それまでの「政経不可分」を改め、経済関係の強化を先行させることにより、領土問題解決の糸口をつかもうと考えたのだ。シェワルナゼは日米安保条約が存続しても平和条約締結は可能だとの考えを示した。ソ連が公式に日米安保体制を容認したのはこれが初めてだった。


日ソ友好ムードが醸成される中、ゴルバチョフは平成3(1991)年4月16日、ソ連の最高指導者として初めて来日した。


 元首相の鳩山一郎の訪ソから35年。日ソ関係を打破する大きな好機だった。これを水面下で実現に動いたのが安倍晋太郎だった。すでに病魔に侵されていたが、前年の平成2(1990)年1月、モスクワを訪れ、ゴルバチョフと直談判、「来年の桜の咲く頃にぜひおいでください」と訪日を促した。


 ゴルバチョフと首相の海部俊樹の首脳会談は3日間で計6回、延べ12時間40分以上に上った。ゴルバチョフは「ソ日間に禁じられたテーマはない。どんな問題でも話し合おう」と語り、領土問題の存在を初めて公式に認めた。共同声明には、領土問題の対象として択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島が明記され、平和条約締結時に領土問題を含めて解決されなければならないことが盛り込まれた。



平成3(1991)年4月18日に衆院議長公邸で開かれた歓迎昼食会で、ゴルバチョフは安倍晋太郎にこう語りかけた。


 「桜がそろそろ咲きますね。私は約束を果たしましたよ」


 安倍晋太郎は笑顔で応じたが、体力は限界に近づいていた。5月15日、安倍晋太郎は不帰の客となった。日ソ関係改善に心血を注いだ安倍晋太郎を秘書として支えてきたのが、現首相の安倍晋三である。

 残念ながら同年12月にソ連は崩壊、ゴルバチョフも失脚した。領土問題はまたもや振り出しに戻った。




   × × ×




 ロシア初代大統領のボリス・エリツィンは首相の橋本龍太郎と個人的な関係を深めた。橋本は平成9(1997)年11月1日、東シベリアのクラスノヤルスクを訪れ、エニセイ川で魚釣りをするなどネクタイなしで計8時間をエリツィンとともにした。


 「このエニセイ川の会談を歴史的会談にしたい」


 小雨交じりの中、船中でエリツィンは机をドンとたたいて訴えた。橋本も「領土問題を次世代に渡すべきではない」と応じ、「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」と期限を設けた。これは「クラスノヤルスク合意」と呼ばれる。


 平成10(1998)年4月の会談で、橋本は、択捉島とウルップ島の間に国境線を画定し、施政権は当面ロシアに委ねるという「川奈提案」を行い、ある程度の感触を得たが、橋本は同年の参院選敗北の責任を取り退陣。ロシアもウラジーミル・プーチンの時代に変わろうとしていた。

  


 × × ×




 プーチンと友情を結んだのが、平成12(2000)年4月に首相に就任した森喜朗だった。

 森は翌13(2001)年3月、露イルクーツクを訪れ、プーチンとともにイルクーツク声明に署名した。日露が平和条約締結後に色丹島と歯舞群島を引き渡すことで合意した日ソ共同宣言を「交渉の出発点」と位置付け、法的有効性を文書で確認した。


 だが、森はこの1カ月後に退陣。日露交渉は小泉純一郎に引き継がれたが、本格的な領土交渉に至らなかった。2008(平成20)年に露大統領にドミートリー・メドベージェフが就くと領土問題は完全に後退してしまった。


 平成24(2012)年12月、首相に返り咲いた安倍晋三は、領土問題解決を「政治的使命」と公言。兄貴分の森の助力もあり、同じく大統領に返り咲いたプーチンとの友情を深めてきた。

 今年12月15日、自らの地元である山口県長門市の温泉旅館「大谷山荘」にプーチンを迎え、膝詰めの会談に臨む。果たして領土問題で揺さぶられた屈辱の日露交渉史に終止符を打ち、新たな時代を切り開くことができるのか-。

(敬称略)

=おわり




























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「抑留者の命には限りがある」 領土問題棚上げでも日ソ国交回復急いだ鳩山一郎

2016-11-29 08:32:45 | 歴史
【北方領土 屈辱の交渉史(5)】


「抑留者の命には限りがある」 領土問題棚上げでも日ソ国交回復急いだ鳩山一郎


http://www.sankei.com/politics/news/161129/plt1611290002-n1.html



昭和31(1956)年8月19日、軽井沢の別荘で静養中の首相、鳩山一郎の元に農相、河野一郎が訪ねてきた。もはや外相、重光葵に日ソ国交回復交渉を任せていては、らちが明かないと踏んだからだ。


 河野「今こそ先生がお出かけになるときでしょう」

 鳩山「そうだな。もうこうなった以上、僕が出かけるほかあるまい」

 鳩山は、脳出血の後遺症に苦しんでいたが、ついに訪ソを決意した。


 鳩山が注目したのは西独首相のコンラート・アデナウアーの対ソ交渉だった。東西ドイツ分断など難しい問題を棚上げして国交樹立を優先させた「アデナウアー方式」については今もなお評価が分かれるが、鳩山は、そうしなければシベリア抑留者たちの命を救えないと考えた。

 そこで交渉の基本方針として、領土問題を「継続交渉」として棚上げし、「戦争状態の終結」「大使の交換」「抑留者の送還」「日本の国連加盟の支持」「漁業条約発効」の5条件を掲げた。

 鳩山はソ連首相、ニコライ・ブルガーニンに宛てて親書を送った。ブルガーニンは返書で鳩山の5条件の受け入れを表明したが、「領土問題の継続交渉」には触れなかった。

 そこで鳩山は訪ソに先立ち、外務次官を務めた衆院議員、松本俊一をモスクワに派遣した。領土問題の継続交渉とする確約を取り付けるためだった。


9月29日、松本は第1外務次官だったアンドレイ・グロムイコと会談し、継続交渉の確約を求める書簡を渡した。グロムイコは「両国間の正常な外交関係が再開された後、領土問題を含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意する」と書簡で返答した。

 


  × × ×




 10月7日午後9時15分、鳩山は羽田空港を出発した。搭乗したのはスカンジナビア航空(SAS)のプロペラ機。モスクワまで6日間の長旅だった。

 病身の鳩山にとって訪ソは命がけだった。出発前、鳩山の妻、薫は、幼い孫の鳩山邦夫(元総務相、今年6月21日死去)に「おじいさまはお骨になって帰ってくるかもしれないから、よく見ておきなさいよ」と語りかけたという。

 12日、鳩山が降り立ったモスクワの空港は歓迎ムード一色だった。ブルガーニンがにこやかに出迎え、君が代が演奏された。

 正式な会談は10月15日に始まった。まず河野がソ連共産党第1書記、ニキータ・フルシチョフと協議した上で、鳩山はブルガーニンと交渉を仕上げる方針だった。


 だが、鳩山が交渉方針を一部変更せざるを得なかった。出発直前に自民党が「歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島を即時返還し、択捉島と国後島は日本の主権が回復されるよう引き続き協議する」と党議決定したからだった。

 翌16日、河野が、共同宣言に歯舞、色丹の返還を盛り込み、択捉、国後の継続協議を明記するよう求めたところ、フルシチョフは激怒した。


 「約束が違うじゃないか。領土問題に触れないということではなかったのか。北方四島を返せと言うが、米国はまだ沖縄を返していないではないか!」。


 河野も引き下がるわけにはいかない。翌17日には、歯舞、色丹を即時返還し、択捉、国後は継続交渉とすることを条文化した日本政府案を提示した。フルシチョフは「色丹、歯舞を引き渡すことには同意しているが、その時期は平和条約が締結され、かつ米国が沖縄を返還したときだ」と応じた。

 実はこの回答は「領土問題を継続交渉にする」という鳩山の当初方針と合致する内容だった。鳩山はこう考えた。


 「歯舞、色丹の返還時期を平和条約発効の時とするのは致し方ない。『米国が沖縄を返還したとき』という文言さえ削れば、これで結構じゃないか」


 18日の会談でフルシチョフは「沖縄返還後」を削除することに同意したが、「領土問題を含む平和条約の締結交渉を継続する」という一文から「領土問題を含む」を削るよう強硬に求めた。択捉、国後の継続交渉を認めることになるからだ。結局、河野はこの要求をのまざるを得なかった。


10月19日の日ソ共同宣言の調印式はクレムリンで行われた。日本側から鳩山、河野、松本の3人、ソ連側からブルガーニンと外相のドミトリー・シェピーロフの2人がひな壇に並んだ。


 宣言には「領土問題を含む」の文言はなかったが、日本側は、同時発表された松本・グロムイコ書簡によって択捉、国後の継続協議は約束されたと解釈した。一方、ソ連は「途中経過の文書であり、共同宣言により効力は失われた」とみなした。

 玉虫色決着ではあるが、これでシベリア抑留者の帰還に道が開けた。12月18日には、日本の国連加盟が国連総会で全会一致で承認された。鳩山は自らの回顧録にこう記している。


 「一部に択捉、国後を取らないうちは断じて日ソ復交はすべきではないなどと言っている人のいることも知っていたが、それこそ抑留者のことなど少しも念頭に置かない非現実的な考え方だ。領土は何年たってもなくなることはないが、人の命には限りがある」

 実際、帰国した鳩山を国民は喝采で迎えた。東京・音羽の邸宅周辺は日の丸であふれた。邦夫の兄で元首相の鳩山由紀夫は子供心に「大パパはすごいことをしたんだな」と感じたという。

(敬称略)








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「歯舞、色丹の2島返す」揺さぶるソ連 窮地の重光葵を待っていたのは… 米国の恫喝「4島返還でないと沖縄返さない」

2016-11-28 09:10:37 | 歴史
【北方領土 屈辱の交渉史(4)】


「歯舞、色丹の2島返す」揺さぶるソ連 窮地の重光葵を待っていたのは… 米国の恫喝「4島返還でないと沖縄返さない」


http://www.sankei.com/politics/news/161128/plt1611280003-n1.html



 昭和30(1955)年1月25日早朝、首相、鳩山一郎の邸宅に向かう東京・音羽の坂道を小太りの男が上っていた。よほど人目を気にしたのか、表玄関を避けて勝手口に回ると、秘書の石橋義夫が出迎えた。




◇署名・日付なき書簡


 小太りの訪問者は駐日ソ連代表部首席代理、アンドレイ・ドムニツキーだった。2階の応接間で鳩山が出迎えると、ドムニツキーは「ソ連政府からの文書をお渡ししたい」と緊張した表情で切り出したが、鳩山は言い放った。

 「ご承知だと思うが、僕は共産主義は大嫌いだ。国交回復して日本に共産主義を宣伝しようということなら同意できない」

 ドムニツキーは「よく分かっている。イデオロギーを押しつけようとは全く考えていない」と語り、書簡を手渡した。

 ソ連に国交回復交渉を開始する用意があることを伝える内容だった。しかし発信者の氏名も日付も記載されていない。鳩山がその点を尋ねてもドムニツキーは「この文書は本国からの命令によるものだ」と返答するばかりだった。書簡がソ連政府の公式文書だったことは、国連大使、沢田廉三が確認を取った。




◇握りつぶされた機密


 日本は昭和27(1952)年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約により主権を回復し、国際社会への復帰を果たしたが、調印を拒んだソ連とは国交回復していなかった。

 日本が国連に加盟するにはソ連の同意が不可欠。しかもシベリアには「戦犯」とされた日本兵ら2千人ほどが抑留され強制労働に従事していた。鳩山にとってソ連との国交回復は喫緊の課題だったのだ。


 一方、ソ連では政変が起きていた。独裁者のヨシフ・スターリンが1953(昭和28)年3月に死去し、共産党第1書記に就任したニキータ・フルシチョフが権力を掌握しつつあった。フルシチョフは米ソ対決路線と決別し、平和共存路線に転換、日本との関係改善にも前向きだった。ドムニツキー書簡はその意思表示だった。


 鳩山はソ連との国交回復交渉に踏み切った。

 交渉は昭和30(1955)年6月3日、ロンドンのソ連大使館で始まった。日本側全権は外務次官や駐英大使を務めた衆院議員の松本俊一。ソ連側全権は元駐日大使のヤコブ・マリクだった。

 交渉は北方領土問題をめぐって難航したものの、まもなく転機が訪れた。


 「歯舞、色丹を日本側に引き渡してもよい」


 8月5日の公式会談後、在英日本大使館の庭内でお茶を飲みながらマリクは松本に唐突にこう打診した。9日の公式会談でソ連側は正式に歯舞群島と色丹島の2島返還を提示した。


 松本は直ちに機密電報を東京に打ったが、鳩山に届くことはなかった。外相、重光葵が握りつぶしたのだ。重光は親米派の外務省幹部と協議し、あくまでも択捉島と国後島を含めた4島返還を要求すべきだと意思統一した。


 「2島返還で妥協してはならない。4島返還を主張すべきだ」


 8月27日、外務省の訓令が松本に打電された。これにより交渉は暗礁に乗り上げ、昭和31(1956)年3月20日、決裂した。





◇米「沖縄戻らないぞ」


 交渉決裂を受け、ソ連は翌21日、北洋水域に一方的な漁業規制区域を設け、日本のサケ・マス漁船を締め出した。明らかに交渉決裂への報復措置だった。ソ連首相、ニコライ・ブルガーニンの名から「ブルガーニン・ライン」と呼ばれる。

 やむなく日本政府はソ連に漁業交渉を申し入れた。鳩山は交渉役に自民党の実力者で農相の河野一郎を任命した。河野はすぐにモスクワに飛んだが、漁業相、アレクサンドル・イシコフ相手ではらちが明かない。河野はブルガーニンとの直接交渉を要請した。

 会談は5月9日に実現した。河野は通訳もいれずにブルガーニンと直談判し、日ソ漁業条約をまとめ上げ、国交回復交渉の再開も決めた。


 電光石火の早業だった。ただ、これが後に「河野-ブルガーニンの密約」として問題視される。河野が会談で「制限区域内の漁業を認める代わりに択捉、国後の返還要求を取り下げる」という条件をのんだという内容だが、真相はやぶの中だ。

 日ソ交渉は7月31日、モスクワを舞台に再開した。日本側全権代表は重光、ソ連側は外相、ドミトリー・シェピーロフだった。

 重光が択捉、国後を含む4島返還を求めても、ソ連に譲歩する気はない。さすがの重光も「刀折れ、矢尽きた」と漏らし、2島返還を鳩山に打診したが、鳩山は同意しなかった。


 8月中旬、重光は交渉を中断して国際会議出席のためロンドンに向かった。待ち受けていたのは米国務長官のジョン・フォスター・ダレスの恫喝だった。

 
 「もし国後、択捉をソ連に渡せば、沖縄は永久に戻ってこないぞ」


 ダレスは、米ソ冷戦下で日ソが和解することは米国の不利益になると考えていたからだ。日ソ国交回復交渉はまたも中断した。もはや事態を打開するには、鳩山自らがモスクワに乗り込むしかなかった。








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密約にスターリンは狂喜した 米ソのパワーゲームに翻弄された千島列島

2016-11-26 12:57:09 | 歴史
【北方領土 屈辱の交渉史(3)】


密約にスターリンは狂喜した 米ソのパワーゲームに翻弄された千島列島


http://www.sankei.com/premium/news/161126/prm1611260028-n1.html


1945(昭和20)年2月、クリミア半島の保養地ヤルタに米英ソ首脳が集まり、第二次世界大戦後の世界の割譲を決めた。戦後の世界になお暗い影を落とす「ヤルタの密約」である。


 ソ連の独裁者であるヨシフ・スターリンはユスポフ宮殿に宿舎を構えた。2月8日朝、スターリンは書斎を子供のようにぐるぐる回り、何度も快哉(かいさい)を叫んだ。

 「ハラショー(いいぞ)、オーチン(すごいぞ)、ハラショー!」。握りしめていたのは米大統領、フランクリン・ルーズベルトからの手紙だった。「米政府は日本の占領下にある南樺太と千島列島についてソ連の領有権を承認する」と記されていた。



 米ソ両首脳による対日参戦に関する非公式会談でも千島列島の扱いはあっさり了承された。


 スターリン「ソ連の対日参戦の条件について討議したい」


 ルーズベルト「南樺太と千島列島がソ連に引き渡されることについては、何ら問題はない」



 これには伏線があった。

 43(昭和18)年10月5日、ルーズベルトは、国務長官のコーデル・ハルら政府高官をホワイトハウスに招集した。


「ソ連の対日参戦と引き換えに千島列島はソ連に引き渡されるべきである」

 ルーズベルトが提起したプランに高官たちは驚愕(きょうがく)し、一部高官はソ連の参戦に反対したが、ルーズベルトは聞く耳を持たなかった。日本軍の徹底抗戦により、米軍の犠牲者が増えることを恐れていたのだ。

  

 
× × ×



 だが、日本側はソ連の対日参戦など想定さえしていなかった。41(昭和16)年4月13日に締結した日ソ中立条約を固く信じていたからだ。

 日ソ両政府が条約締結交渉入りしたのは40(昭和15)年。日本側代表は外相、松岡洋右、ソ連側は外相のビャチェスラフ・モロトフだったが、スターリンも顔を見せた。


 スターリンは、「南樺太と千島列島を返してもらいたい」と松岡に迫った。松岡は頑として応じなかったが、ソ連は、迫りくるドイツ軍に焦りを強め、この要求を引っ込めた。

 米国は日ソの条約交渉を暗号解読で把握していた。つまりルーズベルトは、スターリンが千島列島を虎視眈々(たんたん)と狙っていることを当時から知っていたのだ。


 米政府内でも一部の高官は千島列島の戦略的重要性に気付いていた。


ヤルタ会談を約2カ月後に控えた44(昭和19)年12月6日、米国務省領土調査課はルーズベルトに極秘文書(ブレークスリー文書)を提出した。

 「南部千島列島は日本によって保持されるべきである」「ソ連の南部諸島に対する要求を正当化する要因はほとんどない」

 文書はこう警告していたが、ルーズベルトは見向きもしなかった。千島列島が太平洋の覇権をめぐる要衝であることを全く理解していなかったのだ。

   


× × ×



 ヤルタ会談から2カ月後の45(昭和20)年4月12日、ルーズベルトは急死し、ハリー・トルーマンが大統領に就任した。

 トルーマンは筋金入りの反共主義者であり、「米国にとって利益となるのは、ドイツとロシアが互いに殺し合うことだ」と公言してはばからない人物だった。ヤルタ密約の存在を知り、驚愕したトルーマンは、ソ連の対日参戦を封じ込めに動いた。

 くしくも45(昭和20)年7月16日、米国はニューメキシコ州で原爆実験を成功させた。もはやソ連の力は不要となった。トルーマンは日本を早期降伏させ、スターリンの野望を打ち砕こうと動いた。

 8月6日、広島市にウラン型原爆「リトルボーイ」を投下。日本の即座の降伏を恐れたスターリンは予定を早めて8月8日に日本に宣戦布告、翌9日に満州などに軍を一斉侵攻させた。



 昭和天皇の聖断により、日本政府は14日深夜、ポツダム宣言を受諾した。翌15日、トルーマンは「一般命令第1号」と呼ばれる書簡をスターリンに送った。

 文書には日本が明け渡すべき地域が列挙されていたが、ソ連が求めた千島列島は含まれていなかった。


 スターリンは修正を求める密書を送った。それには千島列島全島に加え、北海道の北半分の割譲も要求していたが、トルーマンは千島列島の軍事使用権を要求して切り返した。

 結局、スターリンは北海道上陸作戦を中止した。唯一の核保有国である米国とこれ以上関係が悪化するのは得策ではないと考えたからだった。

   


× × ×



 敗戦当日から日本はなすすべなく、千島列島は米ソのはざまで漂流する「浮遊物」のように扱われた。

 スターリンはトルーマンとの交渉をやめ、占領を既成事実化する手段に出た。ソ連第2極東方面軍は8月18日、カムチャツカ半島を南下、千島列島北端のシュムシュ(占守)島に侵攻。8月28日に択捉島、9月1~5日までに国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土全てを占領した。



日本が米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印したのは9月2日。北方領土への侵攻は明らかに国際法を踏みにじる行為だった。それでもスターリンは国民向けの演説でこううそぶいた。

 「南樺太と千島列島がソ連に移り、これらの地域がソ連を大洋と直接に結びつける手段として、またわが国を日本の侵略から防衛する基地として役立つようになるのだ。今世界の諸国民にとって待ち焦がれた平和がやってきたのだ」









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樺太千島交換条約を主導したのは「太陽の沈まない国」だった…

2016-11-26 12:51:09 | 歴史
【北方領土 屈辱の交渉史(2)】


樺太千島交換条約を主導したのは「太陽の沈まない国」だった…


http://www.sankei.com/premium/news/161125/prm1611250007-n1.html


 明治8(1875)年3月8日、ロシアの首都サンクトペテルブルク(当時)。駐露特命全権公使を拝命した榎本武揚(たけあき)は露外務省アジア局長のピョートル・スツレモーホフと向き合った。

 榎本「千島全島を譲るべきだ」

 スツレモーホフ「それは大島たる幌筵(パラムシル)島までも望むのか?」

 榎本「幌筵島のみならずカムチャツカまで連なる島々をすべて譲っていただきたい」

 スツレモーホフとの協議は延々と続いたが、榎本は粘りに粘り、ついに樺太を放棄する代わりに、カムチャツカ半島まで延びる千島列島全島の譲渡を勝ち取った。榎本がロシア側全権のアレクサンドル・ゴルチャコフと樺太千島交換条約の調印を交わしたのは5月7日だった。

 旧幕府海軍の指揮官だった榎本は、箱館戦争(五稜郭の戦い)で敗北し、投獄されたが、その命を救ったのは、オランダ留学中に手に入れた「海の国際法と外交」の写本2巻だった。

 明治政府は発足したばかりで外交や国際条約は門外漢ばかり。榎本が所蔵する写本の存在を知った黒田清隆が、知人の福沢諭吉に翻訳を頼むと、福沢は一読してこう言った。

 「この万国公法は海軍にとって非常に重要だ。これを訳すことができるのは講義を直接聴いた榎本以外にない。榎本に頼めないようでは邦家のため残念だ…」


黒田は榎本の助命嘆願に駆け回り、榎本は明治政府の要人としてその後活躍する。ロシアとの領土交渉はその大きな成果の一つだ。




× × ×



 北海道の北東洋上に浮かぶ択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島からなる北方領土(計5千平方キロ)は、ただの一度も外国の領土になったことはない。その先にはカムチャツカ半島まで占守(しゅむしゅ)島を最北端に千島列島が延びる。オホーツク海と太平洋を隔てる地政学上の要衝だといえるが、なぜ明治政府が樺太と千島を交換しようと考えたのか。

 安政2(1855)年2月、江戸幕府はロシアと日魯(ろ)(露)通好条約を締結。国境を択捉島と得撫(うるっぷ)島の間に引き、樺太を「日露両国民の混住の地」と決めた。

 ところが、ロシアは明治2(1869)年に樺太を「流刑地」に一方的に指定した。以後、樺太へのロシア人の流入が急増し、暴行や窃盗が頻発、殺人事件も起きた。樺太の日本人居留地を守るため国境線策定は喫緊の課題だったのだ。

 そこで白羽の矢が立ったのが、北海道開拓使を務めていた榎本だった。北海道事情に詳しく国際法にも強い。榎本は渋ったが、黒田は太政官(中央政府)に人事案を提起して榎本を無理やり帰京させ、天皇臨席による閣議で駐露全権特命公使(海軍中将)に任命してしまった。


榎本は明治7(1874)年3月10日に横浜港を出帆し、スエズ運河経由でイタリアに上陸。サンクトペテルブルクに到着したのは6月10日だった。

 樺太を全て領有したいロシア。日本も樺太放棄に異存はない。合致点は見えていたにもかかわらず、交渉は難航した。

 ロシア側は、樺太で起きた殺人事件の処分など細々とした懸案を次々と取り上げて引き延ばしを図り、本交渉が始まったのは11月14日だった。その後、日本側の交渉方針がぶれたこともあり、交渉は難航し、日露両国では「弱腰外交」という批判が渦巻いた。




× × ×



 ロシアから見ると、広大な樺太を捨て、碁石が並んだような千島列島を欲しがる日本の姿は奇異に映ったかもしれない。

 確かに当時の明治政府は脆弱(ぜいじゃく)で、樺太を統治する財政的・軍事的な余裕はなかった。だが、それ以上に英国の入れ知恵が大きい。

 「日本の国力では樺太開発は無理だ。防衛もできない。千島列島ならば周囲が海なので防衛しやすい」「樺太をこのまま放置すれば、むしろロシアの南下は北海道に及ぶ」「ロシアが侵攻してきても千島列島ならば英海軍が援軍に送ることができる」-。


 英国は、明治政府の要人にこのようなアドバイスを送り続けた。その元締は駐日英公使のハリー・パークス。「維新の三傑」といわれる大久保利通にも直接働きかけたとみられる。



 当時の英国は「太陽の沈まない国」と称される世界一の海軍国家だ。海洋戦略に長けた英国は、ロシア海軍が将来太平洋に進出することを懸念し、千島列島を日本に領有させることでオホーツク海に封じ込めようと考えたのだ。

 ロシアは幕末の万延元(1860)年、北京条約で中国から沿海州を奪い、ウラジオストクを軍港にした。翌文久元(1861)年には露軍艦ポサドニック号が対馬・浅茅湾に侵入し、島の中心部を占拠。艦長のニコライ・ビリリョフは幕府に「対馬の租借」「兵営施設建設」「食料」「遊女」を要求した。

 結局、英国の仲裁を受け、ポサドニック号は退去したが、英国はこの頃からロシアの太平洋進出に神経をとがらせるようになる。千島列島と日本列島による露海軍の封じ込めは英国の国家戦略だったのだ。


 ロシア側で千島列島の重要性に気づいたのは、旧ソ連の独裁者であるヨシフ・スターリンだった。


 ロシアは千島列島だけでなく、日露戦争後のポーツマス条約で南樺太までも日本に割譲していた。露海軍が北太平洋に進出しようとしても、この海域を通過する露艦艇は全て監視され、標的とされてしまう。米国に対抗する海軍国家建設をもくろんでいたスターリンにとって千島列島と南樺太の割譲は絶対に譲れぬ「戦利品」だったのだ。

 樺太千島交換条約から70年後の昭和20(1945)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏した。8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻したソ連軍は一向に戦闘をやめず、領土拡張を続けた。占守島への侵攻は8月18日、北方領土を占領したのは日本が米艦ミズーリ号で降伏文書を調印した9月2日以降だった。








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12・15長門会談で歴史的決着なるか? その前に幾重もの罠が… 合意阻むプーチン「取り巻き」

2016-11-26 12:46:25 | 歴史
【北方領土 屈辱の交渉史(1)】


12・15長門会談で歴史的決着なるか? その前に幾重もの罠が… 合意阻むプーチン「取り巻き」


http://www.sankei.com/premium/news/161124/prm1611240005-n1.html


 択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島の島々からなる北方領土は、日本固有の領土でありながら、旧ソ連時代を含め、戦後71年間にわたり、ロシアの実効支配を許してきた。

 「領土問題を解決し、戦後71年を経ても平和条約のない異常な状態に終止符を打ち、日露協力の大きな可能性を開花させる。首脳同士のリーダーシップで交渉を前進させます」

 北方領土問題の解決を「政治家の使命」と公言する首相、安倍晋三は、9月26日の所信表明演説で強い意気込みを示した。

 領土問題は首脳間で解決するしかない。それならば、大統領のウラジーミル・プーチンが強大な政治権力を掌握する今は最大のチャンスだといえる。しかも原油安でロシア経済は低迷しており、ウクライナ問題などで悪化した欧米との関係に改善の兆しは見えない。安倍の目には「千載一遇の好機」だと映った。

 十分なアメは用意した。資源・エネルギー開発、原子力、IT、生産技術-。日本政府が示す8項目の協力プランは、極東開発をロシア発展の中核に据えるプーチンの国家戦略に配慮した豪華なメニューが並ぶ。

 安倍は12月15日に予定される山口県長門市での日露首脳会談で一気に事態を打開したい考えだが、ロシアは一筋縄でいく相手ではない。北方領土をめぐる日露交渉史は、幾度も裏切られ、煮え湯を飲まされてきた歴史でもある。今回の交渉の裏には幾重もの罠(わな)が仕掛けられている。

 ペルーの首都リマで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に合わせて、11月19日に行われた15回目は、国際会議中の会談としては異例の1時間10分に及んだ。このうち35分間は安倍、プーチンだけで部屋に籠もった。会談後、安倍は「2人きりで平和条約について腹蔵ない意見交換を行うことができた」と胸を張った。

 ところが、翌20日にいきなり冷や水を浴びせられた。リマで記者会見したプーチンは「北方領土で共同の経済・人道面の活動ができるか、日本側と協議した」と説明した。ロシアの管轄下で共同経済活動を行えば、ロシアの主権を認めることになり、領土問題は棚上げになる。とても日本側がのめる話ではない。

 それだけではない。色丹島、歯舞群島の2島引き渡しを明記した昭和31(1956)年の日ソ共同宣言についても、プーチンは「どのような根拠で、誰の主権の下に置かれ、どのような条件で引き渡すか書かれていない」と言い放った。

 22日にはインタファクス通信が、択捉島と国後島に露軍が地対艦ミサイル「バル」と「バスチオン」を配備したことを報じた。


このような動きは、プーチンの背後に「決して領土問題で妥協しない」という強硬な勢力がいることを物語る。安倍は自分に言い聞かせるようにこう語った。

 「平和条約は70年間できなかった。そう簡単な課題ではない。道筋は見えてきているが、一歩一歩山を越えていかねばならない。着実に一歩一歩…」

 安倍がなお北方領土問題解決を諦めていないのは、会談を重ねる中で「プーチンには問題を解決したいという思いがある」と確信しているからだ。

 その契機となったのは、5月6日に露ソチで開かれた13回目の首脳会談だった。当時、欧州連合(EU)はウクライナ問題をめぐる対露経済制裁延長を検討しており、安倍の訪露は、欧米の意向に背く行為だった。安倍の誠意と熱意を感じ取ったプーチンは大いに喜び、会談は夕食会を含めると3時間を超えた。

 「領土問題については今までの交渉の停滞を打破し、2人で解決しよう。2国間の視点だけではなく、グローバルな視点を考慮に入れた新しいアプローチが必要ではないか。ぜひこの後は2人きりで話をしようじゃないですか」

 領土問題について安倍がこう切り出すと、プーチンの表情がにわかに険しくなった。日露の同席者は一斉に退席しようと立ち上がった。露外相のセルゲイ・ラブロフだけは強引に居座ろうとしたが、プーチンが手を払い、引き下がらせた。



安倍、プーチンの膝詰めの会談は35分間。その中身は明かされていないが、会談を終えた2人の表情は晴れやかだった。

 会談に際し、安倍はプーチンに日本製双眼鏡を贈った。「お互いに日露の遠い将来を見渡そう」という思いを込めた。プーチンは「次に会うときは、これでシンゾーを見つけよう」と笑顔で応じた。

 ロシアには領土問題で一切の妥協を許さぬ勢力が少なからずある。外務省と軍はその代表格だといえる。

 中でも外務省は、旧ソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンの下で薫陶を受け、30年近く外相を務めたアンドレイ・グロムイコが育て上げた機関だ。国連で拒否権を連発し、「ミスター・ニエット(=NO)」の異名をはせたグロムイコは「領土問題を提案するなら日本に行かない」と言い放ち、北方領土問題でも拒否権を発動し続けた。

 12年にわたり、露外相を務めるラブロフは「グロムイコ学校」の最後の門下生。12月の長門会談についても、ラブロフ率いる露外務省は、領土問題で安倍に主導権を握られぬようさまざまな策謀を巡らしてきた。

 まず、12月16日に都内で開かれる経済フォーラムへのプーチンの出席を早々と決めた。首脳会談は東京で仕切り直し、経済協力を主要テーマに差し替える算段だという。

 これらの日程は日露間で調整中だったにもかかわらず、駐米大使も務めた外務省出身の露大統領補佐官、ユーリー・ウシャコフが11月17日に一方的に発表した。何としても長門での決着を避けたいようだ。


15日には、経済協力に関するロシア側窓口を務める経済発展相、アレクセイ・ウリュカエフが露当局に巨額収賄容疑で刑事訴追された。プーチンは即座に「信頼の喪失」を理由にウリュカエフを解任した。

 プーチン政権では、対外強硬派のシロビキ(軍や治安・特務機関の出身者など武闘派)がなお主導権を握っており、既得権益を手放すまいと抵抗している。前大統領で現首相のドミートリー・メドベージェフとプーチンの確執も取り沙汰される。これらの権力闘争が複雑に絡み合い、交渉を揺さぶっているのだ。

 プーチンの言葉のブレがこれを如実に物語る。10月27日、プーチンはソチで開かれた国際会議で北方領土交渉について質問を受けるとこう語った。

 「平和条約締結に期限を設けてはならない。それは不可能であり、有害ですらある」

 続けて中国との国境確定に40年を要した例を挙げ、「それは露中が特権的な戦略パートナーと呼べる水準の協力関係を築けたからだ。日露はそのような域に達していない」と語った。

 額面通り受け取れば、長門会談のゼロ回答を事前通告したに等しい。日本側の期待値を下げようとしたのか。それともこちらが本音なのか-。




北方領土返還交渉は、日露トップ間の合意をロシア側の「取り巻き」に妨害された歴史でもある。

 「あの時、大統領報道官のセルゲイ・ヤストルジェムスキーが隣にいなかったら、あるいは違った展開になっていたのではないか、と今でも思うことがある。惜しい瞬間であった」

 元駐露大使の丹波実(10月7日死去)は、平成10年4月に静岡県伊東市の川奈ホテルで行われた首相(当時)の橋本龍太郎と露初代大統領、ボリス・エリツィンの会談について著書「日露外交秘話」にこう記した。

 会談で橋本は「もし日露の国境線がウルップ島と択捉島の中間線にあることを平和条約に明記するならば、別途合意するまでの当面の間、ロシアの四島支配を認める」と提案した。エリツィンは「おもしろい提案だ」と半ば身を乗り出したが、ここでヤストルジェムスキーが何やら耳打ちするとエリツィンは「持ち帰って検討する」と押し黙ってしまい、その後、提案を拒否してしまった。


 同じようなエピソードは枚挙に暇(いとま)がない。


 平成12年4月29日、首相(当時)の森喜朗は、露サンクトペテルブルクのロシア美術館で、次期大統領への就任を決めていたプーチンと2人きりで会談した。予定の30分を超えると、側近が「時間です」と伝えにきたが、プーチンは「いいと言うまで入ってくるな」と追い返した。


 森の訪露はプーチンの来日を決めることが主眼だったが、続く全体会談でも日程調整は不調に終わった。

 ロシア側は、森が帰国するまでに回答すると約束したが、その後の共同記者会見でプーチンは「訪日時期は両国外務省で決める」と語った。直前に差し出された露外務省のメモをそのまま読み上げたのだ。

 その夜、森とプーチンはアイスホッケーの世界選手権を一緒に観戦した。森は試合の休憩中にプーチンをつかまえ、来日日程を確約させようとしたが、その度に誰かが割り込み、動きを封じられた。

 「どいてくれ、僕はウラジーミルと話があるんだ」。森は見知らぬロシア人を半ば恫喝(どうかつ)してプーチンに近づき、こう言った。

 「あなたは本当は日本に来たいんだけど周りが許さないんだろう。それじゃあ昔のソ連のやり方だ。今はロシアじゃないか。それではいけない」

 森の直談判を受け、プーチンは、9月の訪米前後に訪日したいという考えを明かし、「それでは失礼にならないか」と逆に尋ねてきた。森は「それは一向に構わない」と笑顔で応じた。

 果たしてプーチンは9月3日、大統領専用機で羽田空港に降り立ち、出迎えた森と握手を交わした。その後もプーチンと親交を深めてきた森はこう断じる。

 「プーチンは昔かたぎの日本人のようだ。柔道をやっているからなのかな。気難しいところもあるが、約束を守る男だ」(敬称略)







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日韓通貨スワップ協定 江川達也氏が韓国を猛批判「恩をアダで返してきた人を助けてはいけない」

2016-11-18 17:02:42 | 自民党
【DHC】11/14(月) 青山繁晴・有本香・居島一平【虎ノ門ニュース】




日韓通貨スワップ協定 江川達也氏が韓国を猛批判「恩をアダで返してきた人を助けてはいけない」


http://military38.com/archives/48890090.html


引用元:【日韓通貨スワップ協定】江川達也氏が韓国を猛批判「恩をアダで返してきた人を助けてはいけない」[11/17] [無断転載禁止]c2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1479383659/


1: ダース・シコリアン卿 ★@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 20:54:19.09 ID:CAP_USER

17日、漫画家の江川達也氏が自身のFacebookアカウントで、韓国を厳しく批判する内容の持論を展開した。

ことの発端は、14日に配信された報道番組「真相深入り!虎ノ門ニュース」(CS放送・DHCシアター)にある。同番組の中で、自民党参議院議員の青山繁晴氏が、党の部会に出席した際のエピソードを披露した。

「(中略)」
青山氏は、政府が日韓通貨スワップを推進する理由として、担当省庁が「韓国に恩を売った方がいい」という考えを持っていると指摘したうえで、「韓国は恩を売ってもアダで返すって言ったじゃないですか!」「そんなことはみんな知っている」と、韓国に対する姿勢を真っ向否定した。

江川氏はこうした青山氏の発言を取り上げたまとめサイトの記事を引用し「恩をアダで返してきた人を助けてはいけない」「助ければ助けるほど攻撃してくる」「むしろ、攻撃すると攻撃が減る」「小学生のころから教えるべきこと」と綴った。

「(中略)」



3: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 20:56:25.40 ID:FdwmYiUR

チョッパリの要請で仕方なくってのが事実w


7: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 20:59:07.00 ID:XZWmarW+

>>3
無い無い。
日銀が数ヶ月ウォンを手にして何に使える?
なぜ日本だけがドルを出さなきゃならんのだ?


259: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:22:53.71 ID:fgwvU3e7

>>3
そんなこと言ってるからいつまでも再開されないんだな
「韓国から」要請されれば受けるって言ってますやん


290: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:39:46.60 ID:BW17b0dC

>>3
あいつら本当にこんな考えだからな。


5: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 20:58:44.64 ID:EwZMZpjY

青山氏イイね


6: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 20:59:00.37 ID:8o6ymhII

今もなお世界中で捏造慰安婦を吹聴し、像を立てようと工作しまくってるのにな
こういうのを放置してスワップとか、日本国民をなめんな


13: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:01:20.86 ID:n6YRFqwy

まあ当然っちゃ当然の話だわな


19: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:03:59.76 ID:tG3YT12T

ぐうの音の出ねえ正論


21: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:04:56.36 ID:EwY1EaRA

そーだ、そーだ


23: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:06:04.79 ID:8udpqR3H

韓国ってあほだよなあ・・・

日本ほど利用しやすい国も無いのに、
調子に乗って叩きまくってブチギレさせるとか。

叩くのは程ほどにしておいて、
上手く利用してれば日本を永久に利用できただろうし
完全に日本を抜くことも出来たかもしれないのに。


28: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:07:44.82 ID:OkY8rClB

お!分かってるじゃん


33: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:09:24.07 ID:BcbgjURP

こういう当然のことを政治家が普通に発言する国にしないといけないね


53: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:17:26.75 ID:RQR5snW0

江川ってまともな奴なんだな


54: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:17:56.19 ID:MAXF805D

そらそうよ (´・ω・`)


58: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:18:46.62 ID:z9Yq0tw1

通貨スワップなんかしたら、韓国は通貨危機を恐れずに、
通貨を刷り、金利を下げて、がんがんウォン安に誘導してくる。

またもや円高ウォン安で競争力をなくしたエルピーダの再来だ。


60: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:19:05.67 ID:TzYVdH9V

前からこんなんだった?


78: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:22:14.91 ID:Ut0BjtaS

>>60
日露戦争物語書いた頃から、色々資料読み込んでるから朝鮮の歴史には詳しい。


65: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:19:48.91 ID:6XdH8p4t

結構、虎の門ニュースが有名になってきたな


80: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:22:30.05 ID:4NlLmjTu

これは完全に正論


82: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:23:11.64 ID:WGtE0AlL

>>1
ごく当たり前の、これ以外ないと言う正論


85: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:24:09.00 ID:FmDmBHGl

正しい意見だ


86: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:24:31.88 ID:Q1jFhPZ8

>>1
どうでもいいけど、日露戦争物語の続き描けよ。


100: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:27:06.04 ID:Ghyvkpzj

支援なんかいらねー
経済制裁したいくらいだ


108: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:28:17.73 ID:iEVmWRQU

スワップやったらウォン安円高攻勢を仕掛けられて
技術を技術者ごと奪われていくなまた。


158: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:47:28.27 ID:z9Yq0tw1

>>108
スワップなんてしたら、間違いなく、韓国はウォン安に誘導してくる。
今、韓国が通貨安にできないのは、通貨危機の再来が怖いから。


179: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:52:29.27 ID:iEVmWRQU

>>158
あの危機に強い日本がいざって時にお金を出すって約束があるんですよ
で外国人はウォンを持つし、ウォンは暴落しない。
ホルホルじゃなくて事実だからな。


109: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:28:19.33 ID:Ut0BjtaS

南鮮「国交正常化してやるから朝鮮戦争で侵略したのを謝れ!」
中共「じゃあ、やらない」
南鮮「ぐぬぬ…」

やっぱりこういう扱いしないとダメなんだよなあ。


128: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:35:38.44 ID:5EzH3M1F

今更 スワップで どうこうできる段階じゃないんだけどね 来年後半の不動産がキモなのにww


135: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:38:05.45 ID:5EzH3M1F

予算も決まらず 場当たり的な財閥支援で不動産バブル崩壊、そして支那の引きはがしww
どうするんだろう以前なんだよねぇ


138: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:39:50.55 ID:DwIjD7rF

>>135
シナのバブル崩壊とどっちが早いかな。


142: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:41:23.59 ID:9FSmQnvh

戦争はお金がないとできない
日露戦争も高橋是清が1000万ポンドを調達したからできた
金融危機に陥るということは
韓国軍も機能しなくなるということ
そうなると在韓米軍も困る

われわれがほんとうに望むのは
韓国を見捨てて
日本国とアメリカだけを守る戦略に移行する――ということ

そのためにはトランプ政権とアメリカ議会が
その戦略を承認せねばならない


149: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:43:21.66 ID:dItaty3l

攻撃もやめろ恩も売るな 関わるな


160: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 21:47:44.08 ID:nA6kXpD1

どうしてここまで関ろうとするのか不思議でしようがない


206: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:00:37.77 ID:fIEKrcSt

どうでも韓国を助けたいのなら、政治家役人の個人資産でやってくれ


209: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:01:55.89 ID:xnr7YOcO

本当は慰安婦像あちこち立てまくってる時点で国交断絶して良いレベルなんだけどな。
こういうところは、ロシアのプライドある態度見習った方が良い。


215: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:04:12.88 ID:yfDrPtHk

まったく持ってそのとおりでがんす


226: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:07:01.33 ID:o+8vwqVI

正論!


229: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:07:35.67 ID:yf97pvDM

スワップしたら自民党には絶対に入れない


239: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:12:40.99 ID:PgbpJ+Z6

ほんとこれ
関わらない方がいいんだよ
敬して遠ざける
物乞いしてきても無視


244: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:15:03.36 ID:9tbwLun9

あんまりこいつのマンガ好きじゃないんだけど、言ってることは正論すぎる


258: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:22:53.36 ID:JSG+39MD

日露戦争物語描いてたからな、あの時に韓国に関しては嫌になるくらい調べたろうよ


265: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:25:40.52 ID:HY8PyVam

隣国を援助する国は亡びるとはよく言ったもんだわ

日本がもっとも援助してきた中韓が反日の急先鋒だもんな
相手に侮られるために税金使ってるんだから政治屋・外務官僚の給料は全額返還して欲しいくらいだわ


279: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止 2016/11/17(木) 22:32:08.90 ID:rrHQW2+S

ありがとうを言えない国を助けても無駄






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韓国宗教家の国政介入事件 今も尾を引く「古代性」

2016-11-09 13:18:46 | 正論より
11月9日付     産経新聞【正論】より



韓国宗教家の国政介入事件 今も尾を引く「古代性」   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/161109/clm1611090005-n1.html



 韓国が女性実業家にして宗教家、崔順実容疑者の国政介入疑惑で揺れている。これは簡単に言えば、李氏朝鮮が朱子学を国教とする儒教国家だったにも関わらず、宮中に巫術師が出入りしていた伝統の回帰である。口寄せや占いを専業とする巫女(ふじょ)は王朝としては禁令だったが、宮中がこの密儀の誘惑に勝てたことはなかった。

 また、朴槿恵大統領と一宗教人との関係がこれほどずぶずぶになってしまうのは、コリアという不信社会で「チョン・トゥルダ(情が入る)」の間柄になると、このような結末に終わることが多いということで、これは後述しよう。




 ≪不信社会が生んだ強権政治≫


 不信社会なのは南のみならず北も同様である。朝鮮半島は東部には山地があるが、西側は平坦(へいたん)で、17世紀に侵攻した満洲軍は、奉天(瀋陽)を出発してソウルを陥落させるまで2週間しかかからなかった。地政学的に「行き止まりの廊下」なので国を守ることができない。契丹族、モンゴル、豊臣秀吉、満洲族いずれの侵攻のときも王は真っ先に逃げた。朝鮮戦争では南も北も為政者が遁走(とんそう)した。

 致命的な地形であり、日本の隣にあるのは、イタリア半島やバルカン半島ではなく、少しましなパレスチナと思ったほうが良いだろう。ましというのは、南北からしか侵攻できず、すそが海で切れて行き止まりになっているからである。そこに溜(た)まった民衆は伝統的に為政者に不信感を持っているので言うことを聞かない。支配するには強権政治しかないのである。


 李朝時代では刑政の官以外にも各役所に牢獄(ろうごく)があり、不服従だとみなされるとその場で獄に繋(つな)がれた。これを「濫囚の弊」という。みだりに捕らえる伝統があり、産経新聞ソウル支局長の名誉毀損(きそん)起訴事件でも、私はこの伝統を指摘しておいたのだ。




 ≪伝統だった告げ口と威嚇≫


 朴槿恵大統領の告げ口外交は、コリアの宮廷のイガンヂル(離間策)が起源である。王は朝から晩まで臣下たち相互のイガンヂルを聞かなければならない。史料を読むと、役人の嫁の不倫まで王の裁定を仰ぐ形で言いつけている。王と臣下同士もすべて不信の関係である。ゆえに朝鮮政治は王権と官僚群のシーソーゲームとしてあらわれ、後者は武人と組んで、王を廃することもあった。



 今の北朝鮮で一番これを恐れているのが金正恩氏であり、家臣団に排除される恐怖からの威嚇と、国威発揚による人気獲得のため、すでに父を超える2倍のミサイルを日本海に発射したのである。

 このイガンヂルは東洋の国際関係にも有用だった。明の時代を例にとれば、朝鮮も満洲族もモンゴル族も互いに相手の悪口を明に言いつけるのだ。内容は突然、李朝が攻めてきて大量虐殺されたとか、満洲族が国境を越えて民を奴隷として拉致したとか、そういう文書による告げ口なのである。


 明の裁定で埒(らち)があかないと、満洲族は李朝に朝貢して臣下になってしまうこともする。そうすると、明が礼の違反だとして李朝を叱責する。汝は明の東藩(東の王侯)ではないか、満洲族はあくまで「外の人」だと牽制(けんせい)する。つまり華夷秩序とは、王国内の日々の君臣関係を国同士の関係にまで拡大したものなのである。

 忠貞の厚い臣下と薄い臣下、臣下同士の告げ口と引きずり落とし、王の牽制と威嚇。伝統的にこのような関係しかなかったので、中国は今も威嚇と牽制の国際政治しか知らないのである。





 ≪進歩史観では歴史を被えない≫


 コリアに戻れば、前述の不信社会なので、韓国ではひとたび「情が入る」関係になると、すべてを許し合う魅惑の信頼関係へと変ずるのである。朴槿恵氏と崔容疑者の関係がこれであり、こうなると底がない関係になることはすべての韓国人が知っている。この関係を築くために、崔容疑者の父の宗教団体の創設者、崔太敏氏が朴槿恵氏の家族関係を故意に破壊したというのはあり得る話である。



 要するに、日本以外の東洋諸国は、ほんの100年前は古代王朝だったのであり、その古代性がいまも尾を引いている。その伝統の桎梏(しっこく)はあまりに強力で、中国や北朝鮮は過去を反芻(はんすう)し、韓国まで先祖返りを起こしているということなのである。


 われわれは明治以来、ドイツ渡来の進歩史観に支えられ、古代・中世・近代へ直線的に発展する自己像を描いてきた。それでうまくゆけたのは、ヨーロッパと同じ中世があったからだ。全土が王土で所有権などなく、商業活動も自由でなく、貧しく非衛生な古代が近代まで続いた国があったことは歴史の「例外」ではないのである。

 のみならず、古代がいつ始まるかもわからない。古代エジプトは前40世紀、古代ギリシアの都市国家ができてくるのは前9世紀、古代インカ帝国の前身のクスコ王国ができるのは後13世紀である。歴史には遅速がありジグザグしている。まずは、進歩史観では歴史を被(おお)いきれないという認識と反省から始めないと、これからの世界はますます分からなくなるだろう。(ふるた ひろし)











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反日歴史認識に実証的反論を

2016-11-09 13:06:40 | 歴史
【解答乱麻】


反日歴史認識に実証的反論を  明星大特別教授・高橋史朗氏


http://www.sankei.com/life/news/161109/lif1611090015-n1.html


 慰安婦問題の資料展示施設「女たちの戦争と平和資料館」(wam)は先月末、同館の爆破を予告するはがきが届いたと明らかにした。wamは「言論を暴力に結びつけない社会を」と題するメディア向けの呼びかけ文を発表し、産経新聞に「櫻井よしこ氏の連載や高橋史朗氏の記事(6月15日付「解答乱麻」)にwamの名前だけでなく個人名も挙げた批判記事が掲載」されたことを問題にした。


 11月1日付韓国紙「ハンギョレ」は「高橋史朗氏、櫻井よしこ氏など日本の右翼が主に産経新聞の紙面でwamと局長を名指しで批判するコラムを相次いで寄稿した」「日本政府と言論右翼が一丸となって阻み、一部の右翼が『爆破脅迫』に乗り出したわけだ」と解説した。

 私は同コラムで、ユネスコ「世界の記憶」に共同登録申請された慰安婦資料をwamが主導しているという事実を申請文書の分析に基づいて客観的に指摘したにすぎず、個人名を名指しで批判などしていない。


 呼びかけ文は「産経新聞は歴史認識の違いを『歴史戦』と名付け、歴史をめぐる言論を『戦争』という暴力に結び付け語っています。同調者への影響力は計りしれない」と批判している。しかし脅迫状を産経批判に利用して、「歴史をめぐる言論を『戦争』という暴力に結びつけ語っている」というのは不当な言いがかりだ。単なる「歴史認識の違い」では済まされない「歴史認識」問題があるのだ。



 そもそも「南京大虐殺・慰安婦」問題が外交問題に発展し「歴史戦」となった原因は昭和57年(教科書誤報事件)と平成4年(朝日の慰安婦報道)にあった。それを日本の学者、市民運動団体、弁護士等が中韓や国連にご注進してマッチポンプ式に騒ぎ立て、外交問題化させたために「歴史戦」が激化した。



 首相の靖国神社参拝を中韓が外交カードとして利用し始めたのも全く同じ構図で、不当に日本を非難する反日歴史認識が外交を阻害し、日本の名誉を傷つけ国益を損ねてきたのである。



 「慰安婦」共同登録申請書には、「申請が日本の名誉を傷つけるものであると誤解して申請に反対する者」もいるが、「我々の意図は、日本を非難することではなく、歴史、人権、平和について人道意識のために人々を啓発することにある」と書かれている。


 しかし「慰安婦とは1931年から1945年にかけて日本軍によって性奴隷を強制された婦女子を指す婉曲(えんきょく)表現である」という申請書の定義や、日本軍「慰安婦」制度は「ホロコーストに匹敵する」などと申請書で決めつけること自体が「日本の名誉を傷つけるもの」である。


 ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」と書かれている。


 加盟国間の友好、協力、相互理解の促進がユネスコ設立の目的である。慰安婦像の世界的意義を申請書は強調しているが、友好、協力、相互理解を阻害する「紛争のシンボル」と化し、「人の心の中に平和」ではなく、「紛争の砦」を築いている事実を直視する必要がある。

 「言論を暴力に結びつけない社会を」という呼びかけの趣旨には全面的に賛同するが、中韓などに働きかけて外交問題化させ「歴史戦」を激化させてきた当事者が責任を転嫁し、産経新聞や櫻井・高橋個人を批判するのは本末転倒である。今月30日に都内文京区民センターで開催する「歴史認識問題研究会」設立記念シンポで、この点を明確にし、実証的研究を積み重ねて国際発信していきたい。

2016.11.9


                   
                        ◇



【プロフィル】高橋史朗

 たかはし・しろう 元埼玉県教育委員長。明星大特別教授のほか、麗澤大道徳科学教育センター客員教授。親学推進協会会長。男女共同参画会議議員。




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ロシアの「対日戦術」を見極めよ 

2016-11-08 12:34:40 | 正論より
11月8日付    産経新聞【正論】より


安倍晋三首相がいま博打に出る必要は少しもない ロシアの「対日戦術」を見極めよ 


北海道大学名誉教授・木村汎氏


http://www.sankei.com/column/news/161108/clm1611080009-n1.html


 ロシアのプーチン大統領の訪日が近づくにつれて、ロシア側の対日交渉戦術が明らかになってきた。“領土”では少しも譲ることなく、しかも“経済”支援はなるべく多くを獲得したい-この基本戦略に基づく矢が次々に放たれるようになった。交渉の前哨戦は既に始まっているのだ。




≪ジャブを飛ばす「悪い警官」≫


 国際交渉学の第一人者、W・ザートマン(ジョンズ・ホプキンス大学名誉教授)は交渉の過程を3つの段階に分ける。(1)交渉に入るまでの予備折衝(2)交渉本番(3)文書による合意の詰め。交渉当事者がテーブルを挟んで直接向き合い、討議する(2)の前に、既に広義の交渉は(1)の形で始まっていることを決して看過してはならぬ。教授はこう力説してやまないのである。


 (1)の段階でジャブを飛ばすのはいわゆる「悪い警官」(もしくは「悪玉」)とあだ名されるプーチン大統領の側近や部下たちである。その典型例は国後島や択捉島にあえて上陸したメドベージェフ大統領(その後、首相)。また、口を開けば「(日露間の)領土問題は第二次世界大戦の結果、既に解決済み」との強硬論を吐くラブロフ外相。直近の例ではマトビエンコ上院議長。山口県での日露首脳会談では「“島”の交渉は行われず、ただロシア法の枠組み内での北方領土での日露共同経済活動のみが討論の主題になる」と、日本側の期待にクギを刺した。


 ちなみに言うならば、日本側にこのような「悪玉」役を買って出る人物が皆無なのは、腑(ふ)に落ちない。例えば岸田文雄外相。国会での審議で「北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結することに努力する」とは述べる一方で、四島の「日本への」帰属を明言することに逡巡(しゅんじゅん)した。安倍晋三首相を「善玉」に見せかけるためにも、この際、思い切って「悪玉」役を買って出る勇気が望まれる。


 大抵の場合は、プーチン大統領が「善玉」の得な役回りを演じる。「メドベージェフ、ラブロフ、マトビエンコ氏らに代表されるロシア国内の強硬派の声を抑えて、日本に対し可能な限りの好意を示すのは柔道愛好家の自分ならばこそ。支持率80%台を誇る自分が政権の座にいる今を除いては、日本が対露平和条約を結ぶ好機は永遠に訪れないであろう」-と。




≪狙いは日本からの半永久的支援≫


 最終段階になると「良い警官」役を演じるプーチン氏自身も訪日前は当然の如(ごと)く強硬論を唱える。10月27日の発言がそうである。

 同大統領は「日本との平和条約締結の期限を設定するのは良くない。有害でさえある」と述べた。大統領はさらに続けた。「確かにロシアは2004年に中国との間で国境画定に合意した。が、それは中露関係が戦略パートナーシップ関係に到達していたからだった」。日本が類似のことを望むのならば、特定の期限を区切ることなく経済協力などを先行させるべきであることを示唆した。

 
 このプーチン発言は、改めて解説するまでもなく、同大統領の訪日前の揺さぶりである。安倍首相下の日本がまずなすべきことは、日露関係を中露間の戦略パートナーシップ関係の水準にまで引き上げるための努力を示すことだ。その誠意を見定めるのはあくまでロシア側であり、その程度に応じる形ではじめて日露間の平和条約交渉は進捗(しんちょく)するであろう-。このように説くことによって、モスクワは歯舞、色丹の2島の引き渡しですら、いまだ既定の路線ではないことを思い起こさせ、東京から半永久的に対露支援を引き出そうと狙っているのだ。




≪期限設定は敗北につながる≫


 ところが、物事は100%悪いということは少なく、プラスの側面も伴う。今回のプーチン発言は、明らかに日本に対するブラフであるが、受け取り方次第では安倍政権に対する貴重な教訓がある。それは「平和条約締結の期限を設定するのは、有害でさえある」という点に他ならない。


 民主党政権時代に鳩山由紀夫首相は口癖のように「就任後半年か1年以内に、私は日露間の領土問題を解決する」と述べた。ところがその民主党のアンチテーゼとして華々しく再登場したはずの安倍首相もまた、鳩山元首相と似たようなせりふを口にするようになった。両人の間には政治思想上の違いはあるものの、ともに己こそソ連/ロシア問題の本家であるとの自負心の呪縛にとらわれている。


 交渉ごとで期限設定することは、それだけで自らに敗北を導く愚行だと評さねばならない。相手側は当方が交渉の早期妥結を欲していることを知って、故意に焦(じ)らしや引き延ばし戦術に出ることが必定だからである。その結果、当方は自らが敷いた土俵で「独り相撲」をとる羽目になりかねない。

 総裁任期を3期9年に延長した安倍首相には十分な時間が残されているはずである。またプーチン氏も18年の大統領選挙に勝利することがほぼ確実視される。その間ロシア、とりわけ極東部の経済情勢が好転する気配はない。安倍首相がいま博打(ばくち)に出て全ての有り金をかける必要は少しもないのだ。

(北海道大学名誉教授・木村汎 きむらひろし) 






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