lurking place

ニッポンのゆる~い日常

半島危機に過去の「教訓」生かせ

2018-03-07 20:53:45 | 正論より
3月7日付    産経新聞【正論】より



半島危機に過去の「教訓」生かせ   福井県立大学教授・島田洋一氏


http://www.sankei.com/column/news/180307/clm1803070005-n1.html



≪示唆に富むキューバとイラク≫


 「核の脅威」への対処をめぐって世界を揺るがした1962年のキューバ危機と2003年のイラク戦争は、アメリカの対北朝鮮政策を考えるに当たり、とりわけ示唆に富む。


 ソ連がキューバに核ミサイルを搬入・設置中との情報がケネディ大統領に届いたのが1962年10月16日早朝。「世界を震撼(しんかん)させた13日間」が始まった。11月6日の中間選挙までわずか3週間という時期であった。以後、米統合参謀本部は一貫して、キューバの軍事施設に対する全面空爆を主張する。ミサイル基地のみを標的とした「外科手術的爆撃」では、キューバ空軍による報復でフロリダなどにかなりの被害が出かねない。

 核ミサイルの実戦配備までまだ2週間はかかるとみられ、今なら通常戦力だけで作戦を遂行できる、先送りするほど核戦争の危険が増すとテイラー統参本部議長は強調した。当初これに同調したロバート・ケネディ司法長官は、キューバが「先に手を出した」形を作るため、米艦の撃沈などの秘密工作を行うよう進言している。


 一方、政権内の「ハト派」は、先制攻撃はキューバ内のソ連軍将兵(約4万人)に多数の死傷者を生む、西ベルリンで報復を招くなどを理由に、海上封鎖で核ミサイルの追加搬入を阻止し、「キューバ不侵攻宣言」およびトルコに配備済みの米核ミサイルの撤去を交換条件に妥協的解決を図ることを主張した。ケネディは概(おおむ)ねハト派の意見を容(い)れ、ただしソ連が取引に応じない場合、ミサイル基地に限定し外科手術的爆撃を行うとの方針で臨む。フルシチョフが取引に応じたため、危機は終息した。



 さて現下の北朝鮮情勢と比べてみよう。まず北の核ミサイルは独自開発かつ本国への設置であり、第三国への「持ち込み」核の撤去というキューバ型の取引が成り立つ余地はない。一方、独自開発だけに、北の基地にロシアや中国の支援部隊がいる可能性はなく(いれば安保理決議違反)、米側にとり攻撃のハードルはその分低い。




 ≪軍事力の全面発動が犠牲減らす≫


 フロリダへの報復被害を抑えるため軍事施設全般への空爆が必要という論理は、フロリダをソウルに置き換えれば、今日にも当てはまる。ケネディから「撃ち漏らし」の可能性を問われた統参本部議長は「100%はあり得ない。必要な期間波状攻撃を繰り返すのみ」と答えている。軍の回答としては、それ以外にないだろう。



 なお韓国の在留外国人は約200万人。6割近くがソウルおよび近郊に住み、中国人が最も多くベトナム人、アメリカ人と続く(2016年。韓国法務省)。中国の対韓投資額も増えている。半島有事に際し、中国は北に「火の海にする」対象は米軍基地に限るよう強く要求するだろう。


 ケネディもニクソン同様、ホワイトハウス内の会議を秘密録音していた。「まずは海上封鎖」との意向を大統領が示して退室後、軍首脳らが「小出しにやれば大失敗する」「のらくらやるな。ミサイルを除去しに行けが結論だ」と不満を口にする様子が記録されている。統参本部は、北朝鮮に関しても「軍事力を発動するなら全面空爆で」との立場を取るだろう。


 2003年3月17日、サダム・フセイン親子に「48時間以内の国外退去」を求めた「最後通告」演説において、ブッシュ(子)大統領は、「戦争で確実なのは犠牲だけだ。しかし、被害と戦争期間を減らす唯一の道はわが軍の力の全面発動である」と述べ、その通り全面攻撃を行った。


 当初計画では南北からイラクを挟撃するはずだったが、北のトルコが米軍の基地使用を拒否したため、南のサウジアラビアの基地が圧倒的重要性を持つに至った。ブッシュは回顧録に「我々がかつて行った最重要の要請だったが、NATO(北大西洋条約機構)同盟国たるトルコはアメリカを見捨てた」と憤りを記している。


 一方、サウジからは、今度は湾岸戦争時(1990年)のように「サダムを生き延びさせることはないのか」と覚悟を問う照会があった。「今回は片を付ける」とチェイニー副大統領が確約し、サウジの納得を得たという。




 ≪尖閣諸島防備を一段と強めよ≫


 朝鮮有事に関し、アメリカは韓国にトルコの影を見ているだろう。その分、日米の緊密な意思疎通と協力が一層重要となろう。


 なお、キューバ危機が進行中の10月20日、中国軍が東西2カ所でインドに侵攻した。虚を突かれたインド軍は潰走する。ガルブレイス駐インド米大使は日記に、「ワシントンは完全にキューバ一色だった。一週間に亘(わた)り、一片の指示もないまま、私は戦争への対応を迫られた」と記している。ケネディがようやくネール首相宛てに「全面支持」書簡を書いたのが28日(キューバ危機終息の当日)。武器を積んだ米軍機がインドに到着し始めたのが11月2日。すでに中国は占領地を固めていた。


 歴史の教訓は明確である。朝鮮有事に際しては、尖閣諸島周辺の防備を一段と強めねばならない。


(福井県立大学教授・島田洋一 しまだ よういち)























  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「のらりくらり、じわじわと北の核が真綿で日本の首しめる」

2018-02-03 00:12:12 | 正論より
【神戸「正論」懇話会詳報】


「のらりくらり、じわじわと北の核が真綿で日本の首しめる」


同志社大前学長の村田晃嗣氏


http://www.sankei.com/west/news/180202/wst1802020069-n1.html



神戸市中央区の神戸ポートピアホテルで1月31日に開催された神戸「正論」懇話会の第3回講演会で、同志社大前学長で教授の村田晃(こう)嗣(じ)氏が「東アジア情勢と日米関係」と題して講演した。主な内容は次の通り。



 まず、われわれが今どういう時代に生きているのかを考えたい。今年は明治維新から150年にあたるが、これから日本の人口は30年間で約2700万人が減少する。しかも、戦争や疫病ではなく、自然減するとみられる。自然減でここまで人口が減少した国は歴史上ない。つまり、日本は人類史上、未曾有(みぞう)のチャレンジに直面している。四国の人口が約450万人なので、四国が計6回なくなるということ。これが、明治維新150年の日本の現実だ。


 さて、今年はどうなるのか。日本は米国の政治の変化に、どう向き合っていくかが問われている。今年11月には、米国で中間選挙が行われる。現在は上院・下院ともに共和党が民主党を上回っているが、共和党が負ければトランプ政権は大打撃を受け、トランプ氏は残る2年間をレームダック(死に体)として過ごすことになる。そうなれば、北朝鮮政策どころではなくなるだろう。


北朝鮮が核・ミサイル開発を続けるなか、米国側が北朝鮮に軍事行動を起こせない理由を考えたい。朝鮮半島で戦争が起きれば、100万人が死亡するといわれているが、韓国には米国人20万人、日本人7万人、欧州系の人が何万人と暮らしている。有事の際に民間人の退避行動が取れるのか。



 日本はそもそも退避計画すらないが、大規模かつ周到な計画がないと無理だ。また、日米で退避計画を作れば、北朝鮮を刺激することになる。よほどの覚悟がない限り、米国から攻撃は仕掛けられない。


 北朝鮮は今年ものらりくらりとミサイルと核兵器の開発を続けるだろう。北朝鮮は韓国と日本を同時に攻撃できる能力を保有している。今は20発の核弾頭を持っているとされるが、40~50発になるとイスラエル(と同レベル)になり、90~100発になればパキスタンになる。じわじわと北朝鮮の核開発が進み、真綿で首を絞められるように日本の安全保障は非常に厳しい状況になる。


 北朝鮮の核開発だけでなく、中国の軍拡、ロシアの動きも不透明だ。そんななか、日本はGDP(国内総生産)の1%程度の5兆1千億円の防衛費でどう対応するのか。米国が持つ人工衛星や原子力空母などの安全保障機能を、日本が自前で保有しようとすれば、現状の5倍近くの23兆円が毎年必要になる。


世の中には「自分の国は自分で守れ」といった意見があるが、果たしてそれは現実的か。日本はミサイル防衛システムを導入しているが、北のミサイルを全て打ち落とすのは困難だ。だからこそ、北の攻撃に反撃できるという抑止力になる敵地攻撃能力を持つかどうかを、真剣に議論すべき時期にきている。



 また、尖閣諸島(沖縄県)を守るために何が必要かを考えないといけない。海上自衛隊が自衛権を行使する事態になる前に、中国との戦争を避けるため海上保安庁が警察力の行使で守りきれるかどうかが大切だ。

 ただ、海保の予算は2100億円でこれは東京大学の年間予算よりも少ない。これで尖閣諸島を含めて日本にある6千の島を守れといっても無理だ。海保の予算を倍増させるといった覚悟が必要。

 口先だけの愛国心による国防論は意味がない。防衛予算をつけない国は必ず滅ぶ。観念的な国防論は終わりにしよう。北朝鮮の核開発など日本を取り巻く緊迫した状況をきちんと認識し、数字に裏打ちされた大人の安保が必要だ。

2018.2.2












  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学問と自己錬磨への熾烈な欲望なき民族に堕した日本 吉田松陰の「リアリズム」に覚醒せよ

2018-01-29 09:55:51 | 正論より
1月29日付    産経新聞【正論】より



学問と自己錬磨への熾烈な欲望なき民族に堕した日本 吉田松陰の「リアリズム」に覚醒せよ 


文芸評論家・小川榮太郎氏


http://www.sankei.com/column/news/180129/clm1801290004-n2.html



 とりわけ、水戸学の大家、会沢正志斎らとの邂逅(かいこう)は転機となつた。帰国後、『日本書紀』『続日本紀』を直ちに読み始め、“身皇国に生まれて、皇国の皇国たるを知らずんば、何を以て天地に立たん”と嘆声を挙げてゐる。

 これが松陰の「日本」発見である。それは、例へば本居宣長の発見した「日本」とは異なる。宣長は『古事記』に漢心(からごころ)以前の日本の心の質朴さを、『源氏物語』にもののあはれを見いだしたが、松陰は『日本書紀』に、古代日本史における歴代天皇の雄大な国際経営を発見したのである。


 日録によれば、帰国後半年の間、松陰の読書は『詩経』『名臣言行録』『孟子』と漢籍に戻り、再び『日本逸史』『続日本後紀』『三代実録』『職官志』『令義解』『日本外史』、そして再度翻つて『史記』『漢書』を繙(ひもと)き、日支の歴史・精神の比較研究の様相を呈してゐる。ところが、かうした日本国といふネーションの自覚の過程が、松陰にあつては単純な排外主義にはつながらないのである。寧ろ、九州遊学、佐久間象山らとの交際による正確な国際情勢認識と共振してゆく。




≪明治政府が継承した建国思想≫


 水戸学も開国論も松陰は鵜呑みにしない。鵜呑みにしてゐないから、正志斎と会つた後、自ら国史の猛勉強を始めるのである。開国論も同じである。同時代の知識人らと同様、彼もまたアヘン戦争に強い危機を覚える。ではどうすべきか。松陰の場合、尊王はそのまま能動的開国論に展開する。外国語や先端技術の積極的な選択の主張となる。『日本書紀』の記す半島・大陸進出が航海通商政策のヒントとなる。かうして尊王と近代ネーションとが、松陰の中で一つの思想へと育つてゆくのである。


 これは幕末思想の中でも際立つて統合的な性格の思想だつたと言へる。実際、この思想的統合を明治政府を形成した弟子たちが継承してゐなかつたなら、脆弱(ぜいじゃく)な明治国家といふ仮普請が短時日に列強に伍(ご)してゆくまでに成熟するのは困難だつたと、私は思ふ。

 それにしても、なぜ松陰にこの独創が可能だつたのだらう。恐らくそれは、松陰の学問が単なる知的構想ではなく、彼自身がどう建国事業に参与するかといふ、己の生の意味そのものを追求する営みだつたからではなかつたか。




≪国の為にできることはなにか≫


 彼は一藩の微臣である上、罪を得て獄中生活を繰り返してゐた。生きて、政治的な結果を作り出すことが不可能な立場にゐた。ならばどうすべきか。このジレンマは松陰に、無力な自分を最大限活かすにはどうすべきかを厳しく省察することを要求し、自己省察が苛烈になるにつれ、松陰の世界観や時局観もまた正確になつてゆく。


 松陰が最後、老中・間部詮勝の暗殺を企てたとき、高杉晋作、久坂玄瑞ら直弟子は時機ではないとして反対する手紙を出す。それを読んだ松陰が「僕は忠義をする積り、諸友は功業をなす積り」と慨嘆したのはよく知られてゐる。


 功業は結果だが、松陰はその結果を作れない立場にある。しかし一人の人間に、匹夫だらうが、獄に婁がれてゐようが、国の為(ため)にできることがあるとすれば、それは何か。諸友に先駆けて死ぬことによる覚醒の促しではないか。これが松陰が錬磨と迷悟とを重ねた揚げ句、辿(たど)り着いた思想であり、結果を見れば、悲しい程時宜を得たリアリズムだつたのである。



 今、学問と自己錬磨への熾烈(しれつ)な欲望なき民族に堕した日本には、果敢なリアリスト松陰もまた出現しようがない。今の日本に歴史のダイナミズムを体で生き抜くやうな真のリアリストが出現すれば、逆にアナクロニストとして失笑されるだけであらう。

 中国の台頭を支へる若手愛国エリートたちと交際するにつけ、既に初老にして浅学・菲才(ひさい)の私の焦慮は、只(ただ)ならない。(文芸評論家・小川榮太郎 おがわえいたろう)










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ韓国の文化は「ウリジナル」なのか? 「『分からないもの』に対して何をするかが問われている」

2017-11-07 10:31:20 | 正論より
11月7日付     産経新聞【正論】より


なぜ韓国の文化は「ウリジナル」なのか? 「『分からないもの』に対して何をするかが問われている」 
羽生善治さんの至言が示す人文科学の危機   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/171107/clm1711070004-n1.html



◇命題に気づくのは一瞬の直観


 最近私は、民族には「脱落のプロトコル(命題)」があると主張している。歴史上、その民族が関心を持たなかったものは、どうにもこうにも分からないのである。

 たとえば古代エジプト人の「歴史」、だから歴史書が一冊も残っていない。日本人の「奴隷制」、故にシベリア捕囚を抑留と勘違いして、奴隷労働をさせられてしまった。韓国人の「文化」、文化はシナ文化しかなく、自分の文化には関心がなかった。だから彼らは「入ってきたら内の物」だと思う。剣道も華道も韓国起源、孔子は韓国人だったという。外国人はこうのたまう彼らの文化(?)を俗にウリジナルといっている。

 実に身もふたもない。だが、はじめから分かっていたわけではない。今から30年前の自分の本を読み返してみると、「なぜ彼らは受容しても自分の文化だと思うのだろうか」と、真剣に考えているのである。人間が真剣に何かしている過程は美しいので、文章も国語の入試問題に使えそうなできばえだ。今は一言でいえる。「コリアンはシナ文化しかなかったので、文化に関心を持たなかった」。書いている私がえげつなく見える。

 もちろんこの思考過程では、いろいろと勉強するのであって、大阪市大の野崎充彦さん(朝鮮古典文学の専門家)は、長い研究の末、「朝鮮古典文学の特徴は朝鮮の不在である」という結論に達してしまった。舞台も主人公もほとんどシナだから。ウソをつかない、立派な学者だと私は思った。

 でも、脱落のプロトコルに気づくのはほんの一瞬の直観なのだ。



◇世界認識に必要な「因果律」


 真剣に考えに考えた末、30年後に、ハイデッガーの言葉を使えば急に「到来」し「時熟」したのである。「韓国人は文化が何かよく分からない」という単文で到来する。到来したら、自分が勉強した思考経験や現地で体験した知覚経験から、自分の体内時間を「今」のカーソルのようにして、記憶から次々とコマを切り出していく。

 そしてならべて因果のストーリーを形成する。これが「超越」だ。なぜそうするか。人間は因果のストーリーなしには世界を認識できないからである。人間の体内時間はベルクソンにならって「持続」というが、これには明らかに流れがある。フィルムのコマみたいに現実を写し取って記憶の方に送りこんでいく。だから因果のストーリーがないとダダモレになってしまうのだ。地図なしに世界中を運転するようなものである。

 新聞は、天気予報と今日のテレビ番組表以外は、ほとんど昨日以前のことが書かれていて、これはもう「歴史学」といっていい媒体なので、未来のことを書くとボツになりやすい。だが、あえていえば、AI(人工知能)は生命体ではないので、「持続」を生きることはできない。だから、人間とは別の量子物理学の時間で生きることになると思う。

 当然、因果の意味は分かるわけがない。鉄骨が人間の頭に落ちてきたら、人間は死ぬくらいの「直近の因果」は分かるらしいから、もう意識を持っている。ただそれは植物以下の「静謐(せいひつ)な意識」だと思われる。




◇人文系が生き残るのは難しい


 将棋の羽生善治さんが、すごいことを言っている。「分かっていることに対する答えや予測は、どう考えてもAIの方が得意です。残されている『分からないもの』に対して何をするのか、が問われる。それは若い人たちだけにかぎらないと思います」(月刊「正論」11月号)

 どこがすごいのかといえば、大学ではそれが今問われているからである。うちの大学などでは、文系の人文社会科学はもう、のけもの扱いである。なぜなら、知識を教えることしかしてこなかったからだ。そんなものはもうネットで簡単に手に入る。問題があるとすれば、学生がどの検索サイトに現実妥当性と有用性があるのか、分からないことくらいである。新しい知識もやがて一般人とAIが供給することになるから問題ない。


 ほかの学科は元気である。物理学、化学、工学、農学、生物学などは全部実験という、知識以前の「分からないもの」を扱っている。医学、体育、芸術、看護学、コーチングなどは、みな体得の科目だ。「分からないこと」を考える余地がある。


 さて、わが人文社会系はどうするのか。因果律の形成を体得させるという教育方針以外に、生き残る道はないと思われる。人文系はさらに難しい。歴史学ならば、渡辺浩さん(東大名誉教授)がいうように、文字記録というタイムマシンに乗って記録の向こう側へと超越し、戻ってきて報告してもらわなければ有用性がない。今を説明できる歴史学でなければ、その研究者の懐古趣味で終わってしまう世の中になったのだ。

 私は今、ゼミの新入生たちに言っている。「君たちは入試まで既に分かっていることを考えさせられてきたのだ。これからは分からないことを考えなければならない」と。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるたひろし)









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮の恫喝に曝され、核の恫喝に屈すれば、日本は近代国家たり得ない

2017-10-05 17:43:08 | 正論より
10月4日付     産経新聞【正論】より



北朝鮮の恫喝に曝され、核の恫喝に屈すれば、日本は近代国家たり得ない 東洋学園大学教授・櫻田淳氏


http://www.sankei.com/column/news/171004/clm1710040004-n1.html


 日本列島を飛び越す2度のミサイル発射や6回目の核実験を経て、この1カ月あまりの間、北朝鮮情勢の一層の緊迫が語られてきた。日本にとって北朝鮮情勢に絡む「最悪事態」とは「朝鮮半島が火を噴き、日本も火の粉を被(かぶ)る」事態を指すのか。それとも「北朝鮮が核・ミサイル開発を成就させ、絶えず日本が北朝鮮の恫喝(どうかつ)に曝(さら)されるようになる」事態を指すのか。この点はきちんと考えておいた方が宜(よろ)しかろうと思われる。


 一般的には、「最悪事態」は、前者の事態を以(もっ)て語られるかもしれないけれども、日本の人々は、後者の事態を耐えることができるのであろうか。





 ≪米国の信条に対する敵意の表明≫


 目下、ドナルド・J・トランプ大統領下の米国政府が示す対朝姿勢の背景にあるのは、「北朝鮮から核の脅迫を受けながら生きる事態を米国は甘受しない」という認識である。そもそも、北朝鮮は中露両国と同様、カール・A・ウィットフォーゲル(歴史学者)が呼ぶところの「東方的専制主義」(oriental despotism)の様相を色濃くする国家である。こうした「専制主義」の相貌を持つ北朝鮮は、「(核攻撃手段の誇示によって)米国本土までが阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄と化した」という類いの言辞を折々に披露している。


 それは、北朝鮮の立場からは、金3代体制という「国体」を護持するための対米牽制(けんせい)を意図するものであったとしても、米国の立場からは「自由・民主主義・人権・法の支配」に絡む自らの信条に対する敵意の表明に他ならない。「理念の共和国」と称される米国は自らの価値が脅かされた局面において、その対外姿勢は特に強硬になる。


 実際、米国の外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』(2017年6月号)に掲載された論稿「北朝鮮に対する強硬策を-外交やエンゲージメントでは問題を解決できない」には、次のような記述がある。「北朝鮮の非核化を平和的に実現するための残された唯一の道筋は、『核を解体し、改革を実施しない限り、滅亡が待っている』と北朝鮮に強く認識させることだろう。そのためには、容赦なき政治的後方攪乱(かくらん)と金融孤立に向けたキャンペーンを展開する必要がある」

 金正恩朝鮮労働党委員長を「ロケットマン」と揶揄(やゆ)するようなトランプ大統領の言辞に幻惑され、実際の対朝政策展開もが彼一流の「暴走」や「逸脱」の所産だと誤解しないことが、大事であろう。




 ≪「対話」求める声が沸騰するのか≫

 そして、「北朝鮮から核の脅迫を受けながら生きる事態を甘受できない」のは、米国だけではなく日本にとっても同じはずである。北朝鮮は、彼らが米国の「追従勢力」の筆頭と見ているらしい日本に対しては「日本列島四島を核爆弾で海に沈めなければならない」と既に威嚇している。

 また、北朝鮮が核・ミサイル開発成就の暁には、その「核の恫喝」を米国に対してではなく、まず日本に対して向けるであろうというのは、平凡な予測にすぎない。具体的には、北朝鮮が「核の恫喝」を背景にして戦時賠償の名目で10兆円を序の口として日本に要求するような挙に走ったとしても、それ自体は驚くに値しない。

 それにもかかわらず、「平和主義」感情が横溢(おういつ)した日本では、「北朝鮮から核の脅迫を受けたとしても、生きていられればいい」と反応する空気は残るのであろう。こうした空気の上で事態がいよいよ切迫すれば、「とにかく対話を」とか「対話を切り出さない首相が悪い」とかという声が沸騰するであろうというのも、平凡な予測である。





 ≪恫喝に屈すれば国家の資格喪失≫


 しかし、そうした声が勝り、日本が「核の恫喝」に屈してしまえば、その時点で日本は「近代の価値」を奉じる国家としての資格を喪失することになる。それは、日本が「自らの『自由』の価値のためにすら闘わなかった」ことを意味するからである。


 二十余年前、高坂正堯教授(国際政治学者)は、遺稿の中で「安全保障政策の目的は、その国をその国たらしめている価値を守ることにある」と書いた。高坂教授の認識を踏まえるならば「日本を日本たらしめている価値」とは、近代以前の永き歳月の中で培われた「八百萬(やおよろず)の神々」の価値意識と、近代以降に受容した「自由・民主主義・人権・法の支配」の価値意識の複合であるといえる。「朝鮮半島の核」は、そうした価値意識に彩られた社会を次の世代に残せるかということを、当代の日本の人々に問うているのである。



 この度の解散・総選挙には、朝鮮半島情勢が一瞬にせよ「凪(なぎ)」に入ったという安倍晋三首相の判断が反映されていよう。


 しかしながら選挙後、朝鮮半島情勢の「嵐」が本格的に訪れる局面を見越すならば、「日本を日本たらしめている価値」の確認は大事になる。それは、日本の人々にとっては、来る「嵐」を前にして自らを見失わないための「縁(よすが)」になるであろう。(東洋学園大学教授 櫻田淳 さくらだ じゅん)









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米朝軍事衝突の危機…生存の自意識に目覚めよ、日本

2017-09-28 15:59:21 | 正論より
9月28日付     産経新聞【正論】より



米朝軍事衝突の危機…生存の自意識に目覚めよ、日本 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏


http://www.sankei.com/column/news/170928/clm1709280005-n1.html




 私は自分がどんな顔の人間であるかを知っている。鏡という「他者」に「自己」を投影して自らを確認しているからである。

 自己が他者から孤立している状態にあっては、自己がどんな存在であるかを確認することはできず、それゆえ「自意識」が育つこともない。日本は四方を海に囲まれ、国内統治に万全を期すれば安泰は保たれた。少なくとも幕末まではそうだった。自己、ここでは「自国」とは何かという自意識は日本人には薄かったのである。





 ≪文明の看取目指した岩倉使節団≫


 幕末に至ってこの日本が強烈な「西洋の衝撃」を受ける。ペリーの黒船来航によって激甚なインパクトを与えられ、日本の指導者は新しい自意識の形成を余儀なくされた。列強の目に映る日本は、文明国ではない。だからこそ、不平等条約を押しつけられたのだ。

 危機から日本を脱却させるには、主権国家としての内外条件を整備して自らが文明国となるより他ない。そういう自意識が新たに形成されたのである。維新政府は列強を列強たらしめている「文明」の受容を差し迫った課題として把握した。


 自意識のこの反転は迅速だった。旧体制にしがみつき、その場をやり過ごした清や朝鮮と、日本とは近代化の起点における自意識の転換に大きな相違があった。


 象徴が岩倉使節団の欧米派遣である。明治4年に右大臣の岩倉具視を特命全権大使、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らを副使とする総勢百余名の大デレゲーションであった。維新政府の中枢部が、米国、英国、フランス、ドイツ、ロシアなど全12カ国を1年9カ月にわたり訪問し、文明というもののありようを精細に観察しつづけた。新生明治政府それ自体が、ユーラシア大陸を長駆一巡したかのごとき壮図であった。

 旧体制を倒したとはいえ、どういう国づくりをやったらいいのか。文明国の文明国たるゆえんを新政府自身が自分の目で子細に実地踏査しようとしたのである。

 産業発展の重要性はもとより、共和制、立憲君主制、徴兵制、議会制度、政党政治など文明のありとあらゆる側面の看取に精出した。使節団の実感を一言でいえば文明の圧倒的な力量であった。その後の日本は富国強兵、殖産興業、帝国憲法と帝国議会などを驚くほどの速さで実現していった。岩倉使節団は日本の指導者の自意識の転換を確かに証している。


 第二次大戦の敗北により日本人は明治維新、もしくはそれ以上の圧力をもって自意識の転換を強いられた。憔悴(しょうすい)し切った自らの顔を圧倒的な強者・米国という鏡に投影し、連合国軍総司令部(GHQ)による新憲法に沿って生きることを規範として受け入れた。






 ≪安穏に堕した冷戦時代のつけ≫


 その後の日本では、強まる左翼リベラリズムの中で憲法第9条が「神聖にして侵すべからざる」条文となってしまった。戦争放棄はもとより、自衛隊もまた専守防衛を旨とし、日米安全保障条約には集団的自衛権が明記される一方、その行使は憲法の制約上、不可能とされてきた。

 こんな安穏が許されてきたのも、日本が東西冷戦のフロントラインに位置し、米軍への基地貸与と引き換えに、米軍の核の傘の下で安全を保障されてきたからである。東西冷戦が崩壊して二十数年がたつ。この間、中国の大膨張により米国一極体制は相対的にその力を弱化させてきた。中国による東・南シナ海の内海化、同海域諸島の軍事基地化、北朝鮮の核ミサイルによる恫喝(どうかつ)を押しとどめる日本の力は極めて手薄である。


 振り返れば、冷戦崩壊は日本人の自意識に3度目の転換を迫る一大事であった。冷戦時代の惰性に流され拱手(きょうしゅ)傍観、この間に日本は中国や北朝鮮の挑発行動に為(な)すべきを為すことができなくなってしまった。集団的自衛権の行使が可能になったのは一昨年9月の平和安全法制の成立によってだが、その行使は「存立危機事態」というハードルの高い状況をクリアしなければならない。






 ≪憲法9条2項削除に肚を据えよ≫


 憲法改正を政治信条としてきた安倍晋三首相ですら、第9条第1項、第2項は変更せず、第3項に自衛隊の根拠規定を追加することで改憲に臨むらしい。70年以上にわたって国民の自意識の中に刻み込まれた左翼リベラリズムの克服はどうにも無理だ、そういう判断が首相にあってのことであろう。


 米朝が軍事衝突を起こせば、極東アジアの地政学的秩序がいかなる形で覆るか。日本の生存は一体可能なのか。それでも「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と言い続けられるか。


 岩倉使節団が新政府の要人中の要人を引き連れて横浜を出港したのは明治4年11月であった。明治4年といえばその年の7月に廃藩置県を断行、武士の地位を失った不平士族が反乱の刃(やいば)を研いでいた時期であった。よほど肚(はら)を据えての出発であったに違いない。国人よ、第9条第2項削除に肚を据えようではないか。(拓殖大学学事顧問・渡辺利夫 わたなべ としお)










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮の脅威の下、日本は「非核二原則」への転換を目指せ

2017-09-27 11:27:16 | 正論より
9月27日付    産経新聞【正論】より



北朝鮮の脅威の下、日本は「非核二原則」への転換を目指せ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏


http://www.sankei.com/column/news/170927/clm1709270007-n1.html




 ≪核武装への調査は注目に値する≫


 金正恩体制下で加速する北朝鮮のミサイル発射と核実験を、日本の国民はどう見ているだろうか。

 産経新聞・FNN合同世論調査(9月16・17日)では、北朝鮮による核実験強行や日本の上空を通過する弾道ミサイル発射について、脅威を「感じる」が84・7%、「感じない」が14・4%、北朝鮮に対し「対話」と「圧力」のどちらに重点を置くべきかでは「対話」が38・4%、「圧力」が56・8%だ。要するに北朝鮮の核・ミサイル開発の急進展を脅威と受け止め、圧力をもって対応すべきだとの声が圧倒的に強い。

 さらに興味深いのは、非核三原則についての反応である。三原則見直しの是非については、「肯定」が43・2%、「否定」が53・7%。また米国核の日本への持ち込みの可否については、それを「可」とする声は26・2%、「否」は68・9%だ。持ち込み賛成論は反対論の4割に満たない。


 もうひとつ、「日本が将来核兵器を保有すべきだと思うか」と問われると、「思う」は17・7%、「思わない」は79・1%で、わが国の核武装を是認する声は、それを拒否する声に対して、なんと2割程度でしかない。

 注目に値するのは、わが国の核武装の是非が設問として登場したという事実そのものだろう。実際、非核三原則についての世論調査は従来、なきに等しかった。




 ≪曖昧だった「持ち込ませず」≫


 非核三原則、すなわち日本は核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」は昭和42年12月11日、佐藤栄作首相により衆議院予算委員会において表明された。しかし、これまで同原則に対する異論がなかったわけではない。


 平成18年11月、当時は自民党政調会長だった中川昭一衆院議員が、非核三原則はいまや非核四原則化していると語り、「言わせず」原則が加えられていると指摘した。そのうえで、非核三原則の是非を議論することさえ許されないのであれば、それは「考えさせず」を加えた非核五原則だと語った。同年10月9日に北朝鮮が金正日体制下で初の核実験を強行したときのことである。


 当時の私の考えでは、非核三原則は四原則化していた。中川議員の口を封じようとした勢力は、核問題について「議論せず」を求めていたからである。そのころ最も議論が分かれたのは、第3の「持ち込ませず」原則をめぐってであった。というのも、米軍核の「持ち込み」には、その陸上配備か一時寄港かが問題だったからだ。


 この区別はまことに奇妙というほかなかった。陸上配備された米軍核は当然、その使用、つまり発射を前提としている。他方、一時寄港した核搭載米艦は、その乗員の休養と燃料補給を目的としている。だから一時寄港も含む非核三原則とは、実質的に非核三・五原則に他ならなかった。議論は混迷していた。

 私見では、今日のわが国で必要なのは非核二原則、すなわち「持たず、作らず」へと非核三原則を変更することである。右に述べたように、第3の「持ち込ませず」原則にはもともと曖昧なところがあった。仮に核搭載艦の一時寄港を三原則に含むとしても、該当艦の核搭載の有無を確認する手立てがわが国になかったからである。





 ≪開発能力を北に示すことが重要≫


 わが国が「持ち込ませず」原則を放棄する場合、何がプラスに、何がマイナスになるだろうか。マイナス要因として考えられるのは、国民の間にみられる根強い核アレルギーである。これは、わが国が「唯一被爆体験国」であることからきている。

 他方、プラス要因としては何が考えられるか。核搭載米艦の一時寄港は、その目的が核使用ではないから省いてよい。陸上配備される米軍核は、わが国にとっての「人質」にほかならない。

 それはかつて冷戦期に、駐留米軍の核を自国にとっての人質だと考えた西ドイツのシュミット政権にみられた発想である。同政権は自党内からの激しい批判に晒(さら)されながらも、踏みとどまり冷戦の終結に向けての礎石を築いたのであった。問題は今日の安倍晋三政権に非核二原則化を敢行する決意があるかどうかである。


 折から、自民党の石破茂元防衛相が9月14日、核搭載米艦の日本領海通過や一時寄港の是非を問われて、それを認めた方が抑止力が高まるのであれば、許容すべきであったと語った。ただ、私の知る限りで、石破議員は米軍核のわが国領土配備をよしとするか否かについては何も語っていない。その点もぜひ、話してもらいたい。


 最後に、非核二原則に立つ場合のとるべき核政策について私見を述べる。わが国は核兵器を「作らず、持たない」が、しかし、核兵器開発研究は行うべきだ。研究を行うことと、実際に核兵器を持つこととは同じではない。ただ、核兵器能力を持ち、静かにそれを外国に、殊に北朝鮮をはじめ周辺の核保有国に対して示すことは、安全保障政策として必要である。それが、わが国の転換点となろう。(防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛 させ まさもり)











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉原千畝は有名なのに…樋口季一郎中将はなぜ忘却されたのか

2017-09-27 10:28:36 | 正論より
9月26日付    産経新聞【正論】より



杉原千畝は有名なのに…樋口季一郎中将はなぜ忘却されたのか 新潟県立大学教授・袴田茂樹氏


http://www.sankei.com/column/news/170926/clm1709260007-n1.html




 9月初め、露ハバロフスクに近いユダヤ自治州ビロビジャンのユダヤ教会を訪問した。スターリン時代にユダヤ移住地に指定された自治州は、実際は辺鄙(へんぴ)な「幽閉地」で、移住したユダヤ人も殆(ほとん)ど逃げ、人口の2%以下だ。

 教会内展示室には、1940年に「命のビザ」で多くのユダヤ人を救ったリトアニア領事代理の杉原千畝の写真もあった。




◇ パターン化された歴史認識


 教会の案内人に、では杉原以外にも、38年にソ連・満州国境で、ナチスの弾圧を逃れソ連を通過した数千人のユダヤ難民を救った日本人がいるのをご存じかと尋ねたら、全く知らないと言う。

 樋口季一郎中将(1888~1970年)のオトポール事件のことで、彼の名はユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」にも載っている。わが国でも、樋口を知っている人は少ない。露でも日本でも政治により戦前の歴史には蓋がされて、国民にリアルな現実認識がないからだ。このような状況下で、今日また深刻化した戦争や平和の問題が論じられている。

 近年、冷戦期に二大陣営の枠組みに抑えられていた民族、宗教、国家などの諸問題が、国際政治の表舞台に躍り出て、混乱と激動の時代となり、世界の平和と安定の問題が喫緊の課題となっている。


 われわれ日本人がリアルな現実認識を欠き、パターン化した歴史認識のままで、複雑な戦争や平和問題を論じ安保政策を策定するのは危険である。一人の日本人による満州でのユダヤ難民救済事件を例に、歴史認識のパターン化について少し考えてみたい。


 樋口は陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸大卒の超エリートだ。戦前の陸大は東京帝大より難関とされた。1938年のユダヤ難民事件のころ彼は諜報分野に長(た)けた陸軍少将で、事実上、日本の植民地だった満州のハルビン特務機関長であった。同機関は対ソ諜報の総元締で、樋口は日本陸軍きってのロシア通だった。





◇ 捨て身でユダヤ難民を助けた


 38年3月10日、彼は満州のユダヤ組織代表、カウフマンから緊急依頼を受けた。ソ満国境のオトポールにたどり着いた多数のユダヤ人が、満州への国境通過許可がもらえず、酷寒の中で餓死者、凍死者も出る事態になっており、すぐにも彼らをハルビンに通してほしいとの必死の依頼だ。


 当時、日本はナチスドイツと防共協定を結んでおり、ナチスに追われたユダヤ人を満州に受け入れることは、日本の外務省、陸軍省、満州の関東軍にも反対論が強かった。しかし緊急の人道問題だと理解した樋口は馘(くび)を覚悟で、松岡洋右満鉄総裁に直談判し、2日後にはユダヤ難民を乗せた特別列車がハルビンに到着した。


 案の定、独のリッベントロップ外相から外務省にこの件に関して強い抗議が来た。樋口の独断行為を問題にした関東軍の東条英機参謀長は、新京の軍司令部に樋口を呼び出した。しかし強い決意の樋口は、軍の「五族協和」「八紘一宇」の理念を逆手にとり、日露戦争時のユダヤ人の対日支援に対する明治天皇の感謝の言葉なども引き、ナチスのユダヤ人弾圧に追随するのはナンセンスだと、人道的対応の正しさを強く主張した。

 樋口の捨て身の強い信念と人物を見込んだ東条は、彼の行動を不問に付すことに決めた。樋口は関東軍や東条の独断専行には批判的だったが、後に「東条は頑固者だが、筋さえ通せば話は分かる」とも述べている。




◇ リアルな理解が国際政治の基礎


 樋口がユダヤ人にここまで協力したのは、若い頃ポーランドに駐在武官として赴任していたとき、ユダヤ人たちと親交を結び、また彼らに助けられたから、さらに37年に独に短期駐在して、ナチスの反ユダヤ主義に強い疑念を抱いていたから、といわれる。


 戦後、ソ連極東軍は米占領下の札幌にいた樋口を戦犯としてソ連に引き渡すよう要求した。その理由は、樋口がハルビン特務機関長だっただけでなく、敗戦時には札幌の北部司令官であり、樺太や千島列島最北の占守(しゅむしゅ)島でのソ連軍との戦闘(占守島でソ連軍は苦戦した)の総司令官だったからだ。


 しかし、マッカーサー総司令部は樋口の引き渡しを拒否した。後で判明したことだが、ニューヨークに総本部を置く世界ユダヤ協会が、大恩人の樋口を守るために米国防総省を動かしたのである。


 私たちは、同じように日独関係の政局に抗して数千人のユダヤ人を救い、映画にもなった外交官の杉原は知っていても軍人の樋口についてはあまり知らない。それは「将軍=軍国主義=反人道主義」「諜報機関=悪」といった戦後パターン化した認識があるからではないか。ビロビジャンのユダヤ教会も、遠いリトアニアの杉原は知っていても隣の満州の樋口は知らない。露でも「軍国主義の戦犯」は歴史から抹消されたからだ。

 
私は、リアルな歴史認識こそが国際政治や安保政策の基礎だと思っているので、自身も長年知らなかった事実を紹介した。(新潟県立大学教授・袴田茂樹 はかまだ しげき)














  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国共産党は戦争を躊躇しない…今や戦争をする条件は満ちた 

2017-09-14 00:16:55 | 正論より
9月13日付    産経新聞【正論】より


中国共産党は戦争を躊躇しない…今や戦争をする条件は満ちた 

東京国際大学教授・村井友秀氏


http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130007-n1.html


 中国は1949年の建国以後、朝鮮戦争、中印戦争、中ソ国境紛争、中越戦争、南沙海戦など主として国境の外で戦ってきた。現在も東シナ海や南シナ海で周辺国を威嚇している。中国共産党の戦争体質を検証する。




 ≪軍事力を使う5つの要因≫


 国際政治を見ると、(1)軍事政権(2)独裁政権(3)「構造的暴力」がある国(4)民族主義国家(5)戦争のコスト(都市化、対外依存度、少子化)が小さい国-は、軍事力を使って問題を解決しようとする傾向がある。

 軍事政権では軍人が政策を決める。軍人は戦争の専門家であり、戦争で問題を解決しようとしがちである。

 独裁政権は国民の支持ではなく軍隊や警察といった強制力によって支えられている。外敵が存在すれば、外敵から国民を守るという名目で軍事力を強化することができる。国民は自分たちを外敵から守る政権を支持するだろう。外敵が存在すれば、強制力の強化と国民の支持を同時に手に入れることができる。このため独裁政権は、外敵をつくる傾向がある。

 「構造的暴力」とは自然災害や伝染病、政治的弾圧などによって多数の死者が発生する状況をいう。戦争以外の原因で多数の死者が発生するような国では、多数の死者の発生を防ぐために戦争を避けるという思想は希薄になる。

 民族主義も戦争に傾きやすい。人々は自分の生命よりも、民族や国家の方が価値があると信じる場合に民族や国家のために戦う。民族主義や愛国主義は人々に「民族や国家の価値は個人よりも高い」と教える。


 一方、戦争のコストをみると、戦争で物流が滞れば、外部の供給に頼る都市は混乱する。他方で農村は自給自足が可能であり、都市化するほど国家は戦争に対して脆弱(ぜいじゃく)になる。戦争になれば対外貿易は縮小するため、対外貿易に依存する国家は、戦争を避ける傾向がある。

 また少子化の進行も若年層を減らし、兵士の供給源を縮小させることになる。国家の繁栄に不可欠な若年層が戦争によって消耗すれば、国家は危機的状況に陥ってしまう。よって少子化が進行すれば戦争する可能性は低くなる。





 ≪民族主義をあおる「兵営国家」≫


 次に、中国は戦争する条件を持っているか検証する。

 1980年代、党総書記は胡耀邦、趙紫陽であり、最高指導者のトウ小平は共産党のトップではなかった。肩書は党中央軍事委員会主席である。すなわち、党中央軍事委員会主席は党総書記よりも権力があった。毛沢東は「鉄砲から政権が生まれる」と言っている(『毛沢東選集』)。現在は党総書記と党中央軍事委員会主席は同一人物(習近平氏)である。現代の中国は軍と党が一体化した「兵営国家」である。


 さらに中華人民共和国憲法の前文には「中国の諸民族人民は、中国共産党の指導の下、人民民主独裁を堅持しなければならない」と明記されている。人民民主独裁とはプロレタリアート独裁、すなわち共産党独裁である。

 「構造的暴力」も存在している。建国後、共産党は経済不振を脱却する「大躍進」(1958~61年)を唱え、その後「文化大革命」(66~76年)を開始した。「大躍進」では非現実的な農業政策や工業政策によって1千万人から4千万人が餓死し、「文化大革命」では多くの国民を巻き込む権力闘争によって数百万人から1千万人が死亡した。他方、戦争による死者は朝鮮戦争が50万人、中越戦争は2万人である。


 一方、中国の民族主義の状況はどうか。現代中国は政治が共産主義、経済は資本主義という矛盾を抱えている。これを解決するために共産党政権は、共産主義でもなく資本主義でもない「偉大な中華民族の復興」という民族主義をスローガンにして正統性を維持しようとしている。





 ≪「専守防衛」は愚策と認識≫


 戦争のコストについてはどうか。経済発展に伴って3億人が農村から都市へ移動し、農村人口は全人口の4割まで低下した。毛沢東が人民戦争を構想していた時代の中国では農村人口が8割を超えていた。

 また現在、対外貿易が国内総生産(GDP)に占める比率は3割である。戦争になって対外貿易が縮小すれば中国経済は深刻な打撃を被る。中国には中東からのシーレーンを守る軍事力はない。


 「一人っ子政策」によって中国では出生率が低下し、2011年には生産年齢人口の減少が始まった。15年の合計特殊出生率は1・05まで低下した(日本の合計特殊出生率は1・44)。16年に「一人っ子政策」が廃止されたが、少子化の傾向は続いている。少子化の時代に人海戦術は無理である。

 現在の中国は戦争のコストが上昇しているが、基本的に戦争する国の条件を満たしている。

 毛沢東は「専守防衛」を愚策と言い「積極防衛」を主張した(『遊撃戦論』)。中国は戦争を躊躇(ちゅうちょ)することはない。(東京国際大学教授・村井友秀 むらい ともひで)








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本「核武装」議論を忌避するな まずは通常戦力による敵基地攻撃力の整備に乗り出してもらいたい

2017-09-07 08:46:34 | 正論より
9月6日付   産経新聞【正論】より




日本「核武装」議論を忌避するな まずは通常戦力による敵基地攻撃力の整備に乗り出してもらいたい 

福井県立大学教授・島田洋一氏



http://www.sankei.com/column/news/170906/clm1709060006-n1.html



≪米国に出始めた積極的容認論≫


 「日本核武装を対中カードに」という声が再び米国で聞かれ出した。中国が最も危惧するのは、北朝鮮の動きに対抗して日本が核ミサイル開発に乗り出す事態である。従って、中国を対北制裁に本気で取り組ませるためには、俗に言えば「中国の尻に火を付ける」には、日本の核武装を容認、それどころか積極的に促す必要があるという議論である。

 ここであるやりとりを思い出す。8年前、国家基本問題研究所が訪米団(櫻井よしこ団長)を出した際、政府要職も歴任した中国専門家との間で「日本核武装」が話題になった。その専門家は一言、「日本には能力はあるが意思がない。どこにも変わる気配はない。中国は見切っていますよ」。だから対中カード云々(うんぬん)という米側の期待は虚(むな)しいというのである。

 北の核が文字通り日本の生存を脅かすに至った現在、改めて問題を整理してみよう。日本は拒否的抑止力(ミサイル防衛など)は持つが、「核の傘」を含む懲罰的抑止力は全面的に米国に依存するという政策を取ってきた。ところで北朝鮮の場合、特に明確だが、懲罰の対象は一般民衆ではなく独裁者周辺である。指令系統中枢を確実に無力化する一方、一般民衆の被害を極力抑えられる攻撃態様があれば理想といえる。





≪対北「破壊能力」の共同開発を≫


 この点、河野太郎外相が8月中旬の訪米の際、米側に包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期批准を求めたという話には首をかしげる。米国では1996年、クリントン政権がCTBTに調印したものの、共和党議員の多くが同意せず、批准に至っていない。爆発実験が必須な新型核兵器が自国および同盟国の安全保障上、必要となるかもしれず、自ら手を縛るべきではないというのが反対理由である(ちなみに中国も未批准、北朝鮮は調印すらしていない)。

 実際、続く共和党ブッシュ政権が開発を進めた「強力核地中貫通弾」がそうした新型核の一例だった。地下に独裁者の隠れ家や重要軍事施設を集中させる北朝鮮を想定し、地上にはできるだけ被害を及ぼさず、司令部を瞬時に除去することを目指した兵器だった。

 大量にある生物化学兵器も小型核が発する熱波で蒸発、無害化されよう。ただし信頼性確保には、コンピューター・シミュレーションを超えた爆発実験が必要となるかもしれず、CTBT批准は国益に反するというのがブッシュ政権の立場であった。


 いま北の脅威に日米がどう立ち向かうかを協議する中で、日本の外相が米側にCTBT批准を求めるという行為に戦略的思考を認めることは難しい。そして、仮に将来、日本が独自核の保有に乗り出す場合、先制不使用を掲げた上で「地中貫通型」に特化するというのが有力なオプションとなろう。

 日本側が米側に要請するとすれば、CTBT批准ではなく、敵の地下司令部を破壊する能力の共同開発、データ共有ではないのか。

 なお、1998年に核実験を行った直後、パキスタンのシャリフ首相が朝日新聞のインタビューにこう答えている。「日本がもし核兵器を持ち、核を使う能力があったら、広島、長崎に原爆は落とされなかっただろう」。この意識は潜在的には多くの日本国民の中にもあろう。だからこそ「強い反核感情」が言われる中で、米国の核の傘に頼る政策が支持されてきたわけである。





≪攻撃力の実現に必要な言論空間≫


 70年2月、核拡散防止条約(NPT)の署名に当たり、日本政府は「条約第10条に、『各締約国は…異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認めるときは…この条約から脱退する権利を有する』と規定されていることに留意する」との声明を発している。


 今まさに、日本は極度に非人道的な政権が核ミサイルを実戦配備するという「異常な事態」に直面している。唯一の被爆国・日本がNPT脱退、核武装となれば、世界に核拡散の波を起こしかねないという議論があるが、よくも悪くも日本にそんな影響力はない。国際社会から制裁を科され経済が破綻してしまうという主張も、インドの前例に照らせば正しくない。

 2008年9月、国際原子力機関(IAEA)理事会において、NPTが「核兵器国」と規定する米露英仏中に加え、インドを例外的に核保有国として認める決定がなされた。米ブッシュ政権が主導し、日本も賛成票を投じている。中国はパキスタンも例外扱いすべきだと主張したが、北朝鮮などへの核拡散の「前科」を問われ却下された。ここにおいて、「信頼できる(responsible)国」の核保有には制裁を科さないという国際的な流れができたといえる。

 とはいえ、いま首相が核武装を口にすれば、日本の政界は大混乱に陥ろう。安倍晋三政権には、まずは通常戦力による策源地(敵基地)攻撃力の整備に着実に乗り出してもらいたい。その実現のためにも、核武装論議ですら何らタブーではないという言論空間が生み出される必要があるだろう。(福井県立大学教授・島田洋一 しまだよういち)











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする