「平和ボケ」認識に異議あり
元高校校長・一止羊大
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130629/edc13062907400001-n1.htm
国家観喪失や国防意識の希薄さに象徴される戦後日本の「ふぬけ世相」を「平和ボケ」と評する傾向が見られるが、「平和が国民をボケさせた」という認識では、事柄の本質を見失いはしないか。
わが国には、第二次大戦後の六十余年を凌駕(りょうが)する戦争の無い平和な時代が、歴史上何度かあった。卑近(ひきん)な例を引けば、250年余りも平和が続いた江戸時代がそうだ。
江戸時代の人々は平和ゆえにボケてしまっていたかと言えば、決してそうではない。その証拠に、ペリー艦隊襲来をはじめとする開国圧力に対して、叡智(えいち)と勇気を結集して明治維新の偉業を成し遂げ、他のアジア諸国に先駆けて近代化への道を切り拓いている。
それを可能にした背景には、藩校や寺子屋における教育の充実があった。藩校や寺子屋では、教材として用いられた『太平記』『日本外史』などを通して、武士も町人も日本人としての在り方の根本を学んだという。
『太平記』は南北朝時代を扱った軍記物語であり、『日本外史』は源平以降の武家の興亡を描いた史伝である。どちらも皇統を主柱にしたわが国の成り立ちと深く関わりのある物語であり、幕末の勤皇の志士達が行動規範をそこに求めたのは、至極当然の成り行きだったと言えよう。
天地開闢(てんちかいびゃく)や天孫降臨(てんそんこうりん)、肇国神話(ちょうこくしんわ)に連なる皇統の存在は、『古事記』『日本書紀』が記すように日本の歴史を貫く主柱である。14世紀前半、北畠親房は『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』を著したが、冒頭で「大日本者●國也(おおやまとはかみのくになり)」と喝破し、「天★(あまつみおや)はじめて基(もとい)をひらき、日●(ひのかみ)ながく統(とう)を傳給(つたえたま)ふ。我國(わがくに)のみ此事(このこと)あり。異朝(いちょう)には其たぐひなし」と日本の国柄を説き明かしている。
明治天皇は、日露戦争の開戦時に次のお歌を詠まれた。
しきしまの大和心のをゝしさは
ことある時ぞあらはれにける
国難に遭遇するたびに日本国民は皇統を心の支えとして力を注ぎ歴史を刻んできたが、このことを不気味に思い、強く嫌悪したのがアメリカだったことは否めない。
現在は日本の大切な同盟国だが、史実を辿(たど)ればアメリカは、日露戦争直後から日本を敵国視し始め、策を弄(ろう)して日本を第二次大戦に引き込み敗退せしめると、日本の歴史・文化・伝統を蔑(ないがし)ろにする占領政策を強行した。日本の国柄を削ぎ落とした憲法を押しつけ、肇国の物語と歴史を踏まえた教育勅語を廃止して、日本色の微塵(みじん)もない教育基本法を制定せしめたのだ。戦後の教育は全てここから始まっている。日本の歴史、文化、伝統は邪悪(じゃあく)なものとして貶(おとし)められ、便乗した自虐教育がそのことに一層拍車を掛けた。その結果、共同体の絆は弱められ、国家観が喪失し、国防の気概も希薄になった。これが戦後日本の「ふぬけ」の正体である。
平和が国民をボケさせたのではない。戦後の占領政策と自虐教育にこそ、本当の原因があったのだ。
このことを正視すれば、真の日本を取り戻すための根本課題が必然的に見えてくる。即(すなわち)ち、(1)日本の歴史・文化・伝統を踏まえた自前の憲法を制定すること(2)教育勅語の精神を現代風に甦(よみがえ)らせて教育の基本に盛り込むこと(3)日本肇国の物語と歴史を子供たちに正しく教えること、この3つである。「平和ボケ」などという能天気な認識から、私たちは一日も早く脱却しなければならない。
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【プロフィル】一止羊大
いちとめ・よしひろ (ペンネーム)大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』など。
●=示へんに申
★=示へんに組のつくり