1月30日付 産経新聞【正論】より
ヒトラーと東条を同列視する愚 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140130/plc14013003110001-n1.htm
いささか旧聞に属するが、昨年12月上旬、ドイツ・バイエルン州はヒトラーの『わが闘争』をめぐる騒動で揺れた。この独裁者は、ナチス・ドイツの無条件降伏直前の1945年4月末に総統官邸地下壕(ごう)で愛人とともに死を選んだ。出版元はミュンヘンにあったので戦勝4カ国はその著作権をバイエルン州政府に与えた。2015年末、この著作権期間が終わる。
≪発禁が解ける『わが闘争』≫
ナチスの聖典は戦前、何百万部も発行された。が、戦後は一転、1冊も刷られていない。同州が禁じたからだ。ただ、著作権期間終了後は、法的に禁じられている悪意の宣伝を伴わない限り、誰でも出版できる。自由流通時代!?
時刻表は既定なので、同州政府は令名高い「現代史研究所」に巨額の出版助成を提供し、厳密かつ詳細な学術的注釈つきで同書を出版するはずだった。興味本位の商業出版への対抗策として。ところが、州政府の態度が急変した。州学術相がイスラエルを訪問、意見交換の結果、いかなる形であれ公権力が同書出版に関与すべきでないと方針転換したのだ。かくなっては、現代史研究所は経費自弁ででも出版計画を進めるという。
現実は複雑だ。これまでも外国では同書は出版されてきた。日本でも邦訳が文庫本で手に入る。古書の国外流通は止めようがない。私は昔、スイスの古書店で入手した。ネット検索してみる。出版ではないので、ドイツ語全文が難なくダウンロードできる。で、議論は混沌(こんとん)としてくる。どうせ、あと2年で『わが闘争』は自由流通する。学術出版なる良貨で悪貨を駆逐できるものか。いや、ネオナチの増殖が心配だ。馬鹿な、おつむの弱いあの連中がこんな分厚い本まで読むものか…。いずれにせよ、ドイツは頭が痛い。
ここで話は一転する。
昨年末の安倍晋三首相の靖国参拝には、中韓が、いや米国までもが敏感に反応した。年が明けると、北京の猛烈な反安倍キャンペーンが国際的に始まった。最も激越なのは、イスラエルの英字紙、エルサレム・ポストへの高燕平・現地駐在中国大使の1月21日付の寄稿、「ホロコーストを二度と繰り返させるな」だろう。
≪嘘も百回言えば真実の世界≫
表題からはヒトラーのユダヤ殲滅(せんめつ)策を断罪したかのような予断が生まれるが、違う。同稿は本稿の倍近くの長文で、6割以上が日本非難だ。靖国に合祀(ごうし)されている東条英機を「アジアのヒトラー」と呼んだ旨は産経新聞が短く報じたが、その原文全体を読むと非難の執拗(しつよう)さに多くの日本人は驚倒しよう。あの世の東条もヒトラーも、これを読めばやはり呆(あき)れ、「奴(やつ)と一緒にされたのではかなわんな」と苦笑いするだろう。
東条を弁護する必要はないが、両人は大きく違う。『わが闘争』とヒトラーの独裁は、この人物が天才的な悪魔だったことを物語る。東条は天才的軍人でも頭抜(ずぬ)けた悪党でもなかった。敢(あ)えていえば凡庸。魔書の著述もない。時代の弾みで戦時内閣を率いたが、戦争末期には交代、戦後、絞首台に消えた。その程度のことは、普通に歴史書に親しめば誰にでも分かる。問題は、中国のプロパガンダ機構の史実クソ喰(く)らえ姿勢だ。
北京は怒るだろうが、中国のプロパガンダ戦法は何となくナチスのそれに似ている。ドイツ第三帝国プロパガンダの天才、ゲッベルス宣伝相が「嘘は百回も繰り返すと真実になる」と豪語したとか伝えられるが、よもや北京もそう思っているのではないでしょうね。
≪中国宣伝戦ゲッベルスばり≫
ゲッベルスの嘘は主に国内向けだったが、北京の史実無視プロパガンダは、専ら国際社会向けである。この狡猾(こうかつ)さの意味は重要だ。今日、往時のドイツのナチズムと日本軍国主義の相違なぞ、日独以外の国の普通の市民には分からない。ナチズムとは何かは、勝利した米国さえ理解しなかった。戦後初期の米国のドイツ非ナチ化政策は噴飯物だった。米国はやがてそれに気付いたが、時の経過に連れて、戦前の歴史的体験も歴史的知識も摩耗している。嘘のような本当の話だが、イスラエルにもネオナチがいて政府は悩んでいる。だから真実とは無縁の政治宣伝がよく効く。このことに心すべきだ。
中国は共産党一党支配国家だから、史実クソ喰らえの政治宣伝に国内からブレーキはかからない。国際的には良識ある歴史家以外には、日独両国民だけが事の当否を判断できるにすぎない。が、「東条はアジアのヒトラー」論でドイツが日本擁護の中国批判に立ち上がるはずはない。北京の宣伝で自国が損をするわけではないし、そのうえ、ドイツ国内には他国にはない『わが闘争』自由流通時代の到来という頭痛の種があるからだ。この問題では、われわれには自力対応しかない。
いずれ駐イスラエル日本大使が前掲紙に反論を書くだろう。紳士の外務省では無理だから、私が尋ねる。中国の主張を裏返すと「ヒトラーは欧州の東条」だ。それでよいか。答えが然(しか)りなら、世界から対中ブーイングが起こる。(させ まさもり)
ヒトラーと東条を同列視する愚 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140130/plc14013003110001-n1.htm
いささか旧聞に属するが、昨年12月上旬、ドイツ・バイエルン州はヒトラーの『わが闘争』をめぐる騒動で揺れた。この独裁者は、ナチス・ドイツの無条件降伏直前の1945年4月末に総統官邸地下壕(ごう)で愛人とともに死を選んだ。出版元はミュンヘンにあったので戦勝4カ国はその著作権をバイエルン州政府に与えた。2015年末、この著作権期間が終わる。
≪発禁が解ける『わが闘争』≫
ナチスの聖典は戦前、何百万部も発行された。が、戦後は一転、1冊も刷られていない。同州が禁じたからだ。ただ、著作権期間終了後は、法的に禁じられている悪意の宣伝を伴わない限り、誰でも出版できる。自由流通時代!?
時刻表は既定なので、同州政府は令名高い「現代史研究所」に巨額の出版助成を提供し、厳密かつ詳細な学術的注釈つきで同書を出版するはずだった。興味本位の商業出版への対抗策として。ところが、州政府の態度が急変した。州学術相がイスラエルを訪問、意見交換の結果、いかなる形であれ公権力が同書出版に関与すべきでないと方針転換したのだ。かくなっては、現代史研究所は経費自弁ででも出版計画を進めるという。
現実は複雑だ。これまでも外国では同書は出版されてきた。日本でも邦訳が文庫本で手に入る。古書の国外流通は止めようがない。私は昔、スイスの古書店で入手した。ネット検索してみる。出版ではないので、ドイツ語全文が難なくダウンロードできる。で、議論は混沌(こんとん)としてくる。どうせ、あと2年で『わが闘争』は自由流通する。学術出版なる良貨で悪貨を駆逐できるものか。いや、ネオナチの増殖が心配だ。馬鹿な、おつむの弱いあの連中がこんな分厚い本まで読むものか…。いずれにせよ、ドイツは頭が痛い。
ここで話は一転する。
昨年末の安倍晋三首相の靖国参拝には、中韓が、いや米国までもが敏感に反応した。年が明けると、北京の猛烈な反安倍キャンペーンが国際的に始まった。最も激越なのは、イスラエルの英字紙、エルサレム・ポストへの高燕平・現地駐在中国大使の1月21日付の寄稿、「ホロコーストを二度と繰り返させるな」だろう。
≪嘘も百回言えば真実の世界≫
表題からはヒトラーのユダヤ殲滅(せんめつ)策を断罪したかのような予断が生まれるが、違う。同稿は本稿の倍近くの長文で、6割以上が日本非難だ。靖国に合祀(ごうし)されている東条英機を「アジアのヒトラー」と呼んだ旨は産経新聞が短く報じたが、その原文全体を読むと非難の執拗(しつよう)さに多くの日本人は驚倒しよう。あの世の東条もヒトラーも、これを読めばやはり呆(あき)れ、「奴(やつ)と一緒にされたのではかなわんな」と苦笑いするだろう。
東条を弁護する必要はないが、両人は大きく違う。『わが闘争』とヒトラーの独裁は、この人物が天才的な悪魔だったことを物語る。東条は天才的軍人でも頭抜(ずぬ)けた悪党でもなかった。敢(あ)えていえば凡庸。魔書の著述もない。時代の弾みで戦時内閣を率いたが、戦争末期には交代、戦後、絞首台に消えた。その程度のことは、普通に歴史書に親しめば誰にでも分かる。問題は、中国のプロパガンダ機構の史実クソ喰(く)らえ姿勢だ。
北京は怒るだろうが、中国のプロパガンダ戦法は何となくナチスのそれに似ている。ドイツ第三帝国プロパガンダの天才、ゲッベルス宣伝相が「嘘は百回も繰り返すと真実になる」と豪語したとか伝えられるが、よもや北京もそう思っているのではないでしょうね。
≪中国宣伝戦ゲッベルスばり≫
ゲッベルスの嘘は主に国内向けだったが、北京の史実無視プロパガンダは、専ら国際社会向けである。この狡猾(こうかつ)さの意味は重要だ。今日、往時のドイツのナチズムと日本軍国主義の相違なぞ、日独以外の国の普通の市民には分からない。ナチズムとは何かは、勝利した米国さえ理解しなかった。戦後初期の米国のドイツ非ナチ化政策は噴飯物だった。米国はやがてそれに気付いたが、時の経過に連れて、戦前の歴史的体験も歴史的知識も摩耗している。嘘のような本当の話だが、イスラエルにもネオナチがいて政府は悩んでいる。だから真実とは無縁の政治宣伝がよく効く。このことに心すべきだ。
中国は共産党一党支配国家だから、史実クソ喰らえの政治宣伝に国内からブレーキはかからない。国際的には良識ある歴史家以外には、日独両国民だけが事の当否を判断できるにすぎない。が、「東条はアジアのヒトラー」論でドイツが日本擁護の中国批判に立ち上がるはずはない。北京の宣伝で自国が損をするわけではないし、そのうえ、ドイツ国内には他国にはない『わが闘争』自由流通時代の到来という頭痛の種があるからだ。この問題では、われわれには自力対応しかない。
いずれ駐イスラエル日本大使が前掲紙に反論を書くだろう。紳士の外務省では無理だから、私が尋ねる。中国の主張を裏返すと「ヒトラーは欧州の東条」だ。それでよいか。答えが然(しか)りなら、世界から対中ブーイングが起こる。(させ まさもり)