「口語短歌・水曜サロンの会」(その83) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。
「薔薇 ラブミーテンダー」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】拙者ブログ「富嶽36景」から詠んでいますが、葛飾北斎の富嶽36景は
楽しいですね。
下手なりにも詠んでいてとても楽しいです。江戸時代の庶民の生活が
垣間見られているかも知れません。
註)「上総ノ海路」千葉県安房郡鋸南町
☆房総は輸送帆船行きかいし 水平線のかなたに富士が
註)「登戸浦」千葉市中央区・登戸神社
☆登戸は穏やかな時流れるも 江戸時代の風情垣間見る
註)「東海道品川御殿山ノ不二」東京都品川区北品川三~四丁目
☆御殿山富士に桜の名所こそ 庶民の楽しみ今昔同じ
浅間山明鏡止水さん
【解説】
富嶽三十六景は葛飾北斎の代表作にして、浮世絵風景画の代表作ですが、前に
詠んで頂いた「両国橋夕陽見」や、今回の「御殿山ノ不二」は、余りにも有名ですね。
三首目の「御殿山ノ不二」浮世絵には、今とは変わらない花見を楽しむ人々の様子が
活き活きと描かれており、人々の視線の先には桜と海、富士山をたどることが
できますね。人物のしぐさや持ち物の描写まで詳細に描かれており、楽しい作品と
なっていますが、この景色を歌で描写する挑戦は素敵な試みと考えます。
この三首目を視点を少し変えて詠んでみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★御殿山 桜と海と富士山と 今も昔も花に酔いしれ
【詞書】自分のブログにて神社を掲載するような大それたことをやらしてもらって
いるが、初詣で許してもらえるようにお祈りしたことを詠ませていただきました。
☆ブログにて神社を掲載しぬれども
初詣にて許しを乞いぬる
【詞書】雨の日にアヤメが綺麗だと思い眺めていたが、雨のしずくに映っているアヤメ
の花は、更に美しいと思い詠ませていただきました。
☆雨の日の菖蒲に魅かれ眺むるも
雫に映る花ぞ更なり
西BOOさん
【解説】
平群町久安寺の「素戔嗚神社」「船山神社」等々神社の写真をはじめ、多くの寺社の
写真を、ミノルタαシリーズを中心に撮影データと共に紹介いただいている作者の
活躍に拍手を送っている者の一人です。
一首目は、そんな活動の一齣を控えめに、かつ、ユーモアを込めて詠った一首は
納得のいく分かりやすい歌と思っています。
二首目の結句の「雫に映る花ぞ更なり」は、作者の観察眼の鋭さが光る素敵に歌に
なっていると考えます。このようなディテールに宿る「美」の存在を見逃さず、
それを作品に詠いきる感性の躍動を大切にしていきたいと、改めて教えて頂きました。
「磐座・石仏信仰」を研究される作者の真摯な姿勢と、撮影データの開示は私達
後進の大いなる参考になり感謝しつつ、頭が下がります。
【詞書】花水木に関連して、詠ませて頂きました。
☆顔上げて憲法九条守らむと立つ人よ 花水木の花よ
みっちっちさん
【解説】
5月3日の朝日新聞に「言わない意見は世論になりません」とのメッセージと共に
「意見広告」が掲載されました。「憲法九条も平和も民主主義も、主権者の不断の
努力によってこそ守り、実現させることが出来ます」との意見と共に・・・。
戦後日本の基本政策でありました「専守防衛」が、国会の論議も経ずに実質的に
変えられつつある現状に、私たちも一市民の立場から顔を上げ、声をあげていく
ことが大切と痛切に感じます。そんな想いが「花水木の花よ」に溢れていると
感じます。このような社会詠も挑戦したい分野と考えています。
☆返信の途絶えし人の胸中を思い巡らす捩花の咲く
【詞書】長い間生きてきて、年を重ねたなぁという感慨を込めての「生老」ですが、
生老病死から採りました。
☆生老を迎えた朝の静けさよ この背を春の陽に温めている
☆歌一首アップルパイの生地に込め ほどよき色に焦げてゆくまで
夕庵さん
【解説】
二首目の「生老」は「生老病死」からの転用との説明を頂きました。「生老病死」
とは、仏教用語ですが、生まれること、老いること、病気になること、死ぬことの
4つの苦の事と言われています。この「苦」は「苦しみ」という意味ではなく
「自分の思うようにならないこと」の意味で、生きている限りは避けることの
できない、この世での人間の苦悩を指しているとの事です。これらを踏まえて、
二首目を少し添削させて頂きましたが・・・。
【ご参考】
★重ねたるよわい想える春の朝 陽ざしに背なを温めている
【詞書】私事でございますが、現在鬱の真っ最中でございまして他の皆様のように
前向きな歌が詠えませんので、お目汚しの歌で申し訳ございませんが、
おかまいなければ加えてくださいませ。
難聴の私は在住しております川西市の難聴者の会に参加しておりますが、
最近新しく参加されました方が「私は聞こえにくいだけで難聴者では
ありません」と言われるのを聞き、その方の難聴者と呼ばれたくない自尊心を
詠わせて頂きましたのが一首目の歌でございます。後はそれに対する私の
感慨を詠った歌でございます。
☆難聴を認め得ざりし自尊心みみ遠くなりはじめし頃の
☆難聴でさへなかりせばと何千回わが思ひしか諦めきれず
☆あきらめることのしがたきわれゆゑに鬱は深まる何事につけ
suisenさん
【解説】
「鬱の真っ最中」にあるとおっしゃりながらも、日々自らの想いを歌に表現し
続けている作者の姿勢には頭が下がります。前にも申し上げましたが、その表現の
過程で自らの想いを整理し、鎮め、さらに前向きな姿勢を見出していくことも可能と
思っています。歌にはその力もあると思っています。
人は自らが直面した問題に、真向かいつつ、それとの格闘の連続の中で生きていく
のだと考えます。突破するか、かわすか、逃げるか、その選択の結果が現在の自分を
造っているとも考えています。手に余る時にはかわして、留まり逃げることも大切と
考えます。「あきらめるのではなく、かわす」中で、時が解決してくれる場合も
多々あろうかと思います。
軽々には申し上げられませんが、辛さは十分に分りますし、サロンの皆さんは
お見方と思っています。なお、出詠して頂いた作品は、それぞれの方の、また
この「水曜サロン」にとっても大切な「宝物」です。いずれの作品も掲載に、
不都合などは一切ありません。
「空向き咲くや 花水木」
【詞書】述懐三首
☆人は『斯くあるべし』の河を渡ろうと必死にもがき溺れてゆく
☆誰もがオカシイと感じているのに誰も止められない不思議なもの
☆壊れかけたものを必死に直そうとするが。
雨はまだ止まないか…
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
今回も20年も前の短歌です。仕事に行き詰まっていた時期だったので短歌もネクラ
ばかりです。述懐歌は、和歌の一ジャンルです。
一首目
プロバガンダという危険をマスコミの人はよく知っているが、今それに手を貸して
いるなどとは誰も思っていない怖さがあると思いました。
社会というのは、人に「斯くの如く在るべき」という存在しないものを追わせ、
自分を偽わらせる事を強い、不都合を縫い合わせて存在しているものと思います。
そしてそれについていけない人々が、毎日壊れていっているのでは無いでしょうか。
今も新聞やネットを読んでいると頻りにそう思います。
二首目
戦争に導こうとする時、まず始めに情報を操作し、世論をマスコミを通じて広め、
気が付いたら誰も止められなくなっているものだが、今の世の中もその傾向が強く
なっており、その事に気が付いた人を魔女狩り的に排除します。
三首目
前より弱くは無いと言い聞かせているが、自分の弱さが見える様になった分だけ
風は強く感じました。
【解説】
三首とも、世情の本質を突いた歌ですが、状況が20年前とあまり変わっていない
ことに怖さを感じます。
特に二首目は、ナチスの台頭と第一次世界大戦との関連は言うまでもありませんが、
今回のロシアのウクライナ侵略戦争等々を見ても明らかですね。
これらの歌は「述懐歌」ではありますが、政権のプロバガンダに対する危機感の薄い
私たちへの「警告歌」になっていますね。
なお、述懐歌は、当初、我が身の願望を表現する和歌でしたが、ほとんどの場合、
我が身の不遇や老いを嘆くといった否定的契機を通して表されるのが、一般的で
あったと理解しています。ただ、平安時代末期の院政期以降は祈願や祝意の表現の
形を取ることもあったようですね。
現在の世情を「述懐歌」として詠う試みは、ある意味革新的ですらあると考えます。
これを自由律で詠む試みも挑戦したい分野ですね。新たな示唆と、方向性を提示
いただき感謝致します。
【詞書】4月25日の朝日新聞「天声人語」に、現在放送中のNHKの朝ドラの絡みでか、
牧野富太郎博士のエピソードが紹介されていました。文章の終盤の一文に、前日の
24日が、“牧野博士の誕生日にちなんで「植物学の日」であった”とあったもんでした
から、私は「え゙っ?!」となりました。…何か、何とも言えませんでした。「らんまん」は
見てないんですが、子供の頃に読んだ「日本の偉人」みたいな本にあった、少年時代の
牧野博士が、“動く植物(食虫植物かな、と)”をじーっと見続けていた話はあったん
でしょうか…?…植物は面白いですよね。(前回、投稿しなかった作品です)
☆何となく植物の図鑑買った日が 牧野博士の誕生日でした
【詞書】5月6日のチャールズ国王の戴冠式。会場のほど近くでは王政反対を叫ぶ人々が、
シュプレヒコールを挙げていました。主張する自由、それを認める自由。戴冠式その
ものも、なるべく簡素化し、“多様性“や“男女の平等”に配慮した式だったようですね。
お伽話のような風景と、それを祝い、楽しむ人々と、反対する人々…。…何か上手く
言えませんが、イギリスやなあ…って思いました。
☆英国の戴冠式のすぐそばで
「No King!」掲げる人々の自由
【詞書】私は40年以上前に、以前住んでいた堺市にあるカトリック系の高校に通って
ました。その学校で、「宗教」という授業を受けてましたが、聖書を読んだり、聖歌を
習って歌ったりが主な内容でしたが、その中で5月になった時に、カトリックの
キリスト教では、5月を聖母マリアを讃える“聖母月”としている、と教わりました。
その時習った聖歌の出だしが“青葉若葉に…”だったこともあって、今でも5月には、
目に鮮やかな木々の若葉や、さあっとした涼しく爽やかな風を感じたりすると、
その歌を思い出したりします。その頃の友人は、一人は数年前に亡くなりましたが、
もう一人は今でも年賀状のやりとりをしています。最近よく、高校の頃の事を思い
出したりしますね。……金曜5時の「ガンダム」(1stです)の放送に間に合うよう3人で
駅まで急いだりしたこととか、校舎の裏にピンクの可愛い花がたくさん咲いて
いたこと(近年にムシトリナデシコと判明)…、在学中に建ったチャペルで、手術を
受ける友人の無事をもう一人の友人と祈りに行ったこと…。何もかも皆
懐かしい…と、しみじみすることの多い5月です。あ、ちなみに私んちは曹洞宗です。
☆高校の遠い記憶の“聖母月”
青葉若葉の季節の中で
ちがやねこさん
【解説】
三首の歌は「牧野博士」「英国の戴冠式」「青葉若葉」と、いずれも今日的なホットな
話題と、季節感を詠んで頂き、新鮮な歌となっています。
二首目は、イギリスの「多様性」と、「自由」の尊重と、懐の深さを掬い取り上手く詠った
手際が光ります。
なお、イギリスは、国際通貨基金(IMF)が、今年年初に発表した世界経済の改訂見通しで
先進国の中で唯一、マイナス成長となるとの見方が示されましたが、これら懐の深さは
学んで行きたい国としての在り方ですね。
三首目の歌。「青葉若葉の季節」は爽やかな風に包まれながら、いつまでも忘れない
懐かしい記憶がよみがえる季節でもありますね。そんなしみじみとした想いを味わい深く
詠っています。
「薔薇 プリンセスミチコ」
☆------------☆ 「ネット歌会」開始 ☆-----------☆
引き続き「ネット歌会」として展開された詠歌を掲載致します。
注) ☆:元歌 ★:返歌
☆嫌な事 洗濯 シャワー ヘアカット洗い流して風ここち好い
自閑さん
★シャワーして前頭葉のここちよく ちさき恋でも始まりさうな
みっちっちさん
☆返信の途絶えし人の胸中を思い巡らす捩花の咲く
夕庵さん
★返信を出さぬまま時過ぎ去りぬ 小鳥の切手買ひたるものを
みっちっちさん
★元気ならせめてラインのスタンプを 雨に籠もれる長きひと日を
夕庵さん
★ 雨音を聞きつ不精の筆取らむ 歌詠めばなほ癒せる心
みっちっちさん
★ジャスミンの甘き香りに癒やされて ゆるり生きむと白きパラソル
夕庵さん
★パラソルをかざして歩む幻か 仏蘭西の野のコクリコの中
ポエット・M
☆------------☆ 「ネット歌会」了 ☆------------☆
☆桐の花散り敷くさにわ むらさきに 染めて静まり誘う寂しさ
ポエット・M
【解説】
他の花々と同様に、例年より早めに開花した桐の花が、散り時を迎えています。淡い
紫色の花を鈴なりに咲かせ、静かに散る様は桜と異なり静寂ささえ感じさせます。
清楚な花姿ながら「鳳凰の止まり木」との高尚な伝説もあり、狭庭を紫に染め散り敷く
そんな花の姿に寄せて詠んでみました。
「ハマナス」
「五行歌集 ―君へのレクイエム― 」鑑賞 嵯峨吹雪著 (26)
7.折々の歌(5)
尊さは貧しき歌に出で来たり
花の香りを風に蒔く人 嵯峨吹雪
鈴蘭の
二つの花の
提灯か
暗い廊下の
良の目玉は ※
コスモスは
乙女のごとき
花なれば
風と戯れ
ひねもす笑う
忘却の
花よ密かに
我が胸に
咲きて消し去れ
哀しき種子を
忘却の
天才汝(な)れは
にほんじん
我もポピーの
園を歩めれ
あの夏の
出来事すらも
風化させ
日本人の
忘却の才
※ 良:愛猫の名前
「紫つゆ草」
【短歌入門・質問・提案コーナー】先週に引き続き掲載致します。
【チョウキチさんからの質問】
海ならずたたへる水の底までに淸きこころは月ぞ照らさむ 菅原道真
初歩的質問ですが、この「海ならず」はどう解釈すべきでしょうか。月と
どういう関係性を持たせているのでしょうか。
【ポエット・M】第一次回答をさせて頂きます。
先ず、「海ならず」は 「海よりもさらに深い水」、
「月ぞ照らさむ」は 「水が清ければ水底まで月の光がとどく」と解釈
しました。これらを前提に、この歌の意訳をさせて頂きますと、
「海よりもさらに深い水を湛える水底にも、水が清ければ月が照らすように、
いつか無実の罪が晴れ、私の澄んだ心を光が照らしてくれるだろう」
となります。
故なき罪で大宰府へ流される菅原道真公が、大宰府へ赴く前に詠ったと言われる
詠歌です。
【ネット歌会について】
「ネット歌会」は、「お題」を決めて短歌を詠みあうという方式ではなく、
「水曜サロン」へ掲載された、各位の歌に対して「返歌」するという自然発生的な
歌会です。従って掲載された歌の中に自分に響くものがありましたら、それへの
返歌として大いに詠んで頂き、コメント欄に記入して頂ければ幸いです。
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
(1) 投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。なお、ブログの
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(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
了