四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

薔薇の公園へ

2024年05月05日 10時29分16秒 | お出かけ

 最長10連休と言われた今年のゴールデンウイークも今日を含めて2日を残すのみとなりました。昨日4日は、5月にして全国23の地点で真夏日となり、東京都心でも27.8度を観測し夏日となりました。
 5月5日の今日は「子どもの日」ですね。五月晴れの空の下、久しぶりに子供たちの歓声が聞こえてきます。また、街路には萌えだした新芽と共に新緑が光をはねています。

     「薔薇 ピース」

 連休前半に息子たち二家族が我が家に揃い、久しぶりに我が家が満杯状態になりました。その合間を縫って、ヴェルニー公園へ細君共々薔薇を見に行って参りました。
連休後半には、その公園で「春のローズフェスタ2024」が開催され、混雑が予測されますので、混雑を避けて前半の晴れの日を選んで出かけました。

     「ヴェルニー公園 景観 一部」

 ヴェルニー公園は、このブログでも幾たびか触れましたが、今回は薔薇の写真と共に公園の名前の由来となったヴェルニーについて、少し触れたいと思います。

 フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1908)はフランス人の造船技師で、海軍増強を目指した徳川幕府の要請により、横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年に来日しました。明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台や走水の水道の建設、レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の養成に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍した後、1876年に帰国しました。

      「ヴェルニーと小栗上野介忠順の胸像のある広場」

 このヴェルニーの支援の下に、横須賀製鉄所(造船所)建設を推進しましたのが、小栗上野介忠順(1827~1868)でした。彼は、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行を歴任しましたが、軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献しました。その後、大政奉還後に徹底抗戦を主張したために役職を解かれ領地の上野国権田村(群馬県倉渕村)に隠遁していましたが、官軍により捕縛され斬首されました。

     「薔薇 ホワイトクリスマス」

 この経緯には徳川埋蔵金説等を含めて未だ謎が多く、明確な背景は明らかにされないまま今日に至っております。いずれにしましても、先見の明を持ち、日本の近代化に邁進した政治家というより、優れた財政家であり、テクノクラートを抹殺した歴史の闇は深いと考えます。なお、司馬遼太郎は小栗上野介忠順を「明治国家の父の一人」と記しています。

     「薔薇 プリンセスアイコ」

 ヴェルニー公園は、ヴェルニーと小栗上野介忠順の胸像、広場を中心にフランス式花壇や噴水、洋風あずまやなどが設けられ、今の季節フランスの品種を中心とした約130品種・約1,300株の薔薇が彩りを添えています。皐月の空の下、色とりどりの薔薇が咲き競い、花の命の艶やかさをいかんなく発揮しているさまに出会うことができました。

     「薔薇と米軍の基地と艦船」

 海沿いにはボードウォークがあり、潮風の中で散歩を楽しめますし、横須賀本港を一望でき、係留されている艦船を見ることができます。公園から見て、右手に米海軍基地、左手に海上自衛隊地方総監部が望めますが、「ピース」との名をもつ薔薇と、戦艦、潜水艦の並び立つ公園の景観には未だなじめないものを感じてしまいます。

 公園の汐入側の入り口近くに、正岡子規の文学碑が立っており
  ☆横須賀や 只帆檣の 冬木立
 と、書かれています。
 明治21年(1888年)8月、正岡子規は夏季休暇を利用して、友人と汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉で過ごしています。碑の句は、横須賀港内に連なる、はんしょう帆檣(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集「寒山落木」に収録されています。

     「正岡子規の文学碑」

 今の季節、美しく咲き競う薔薇の花を眺めつつゆったりと公園を散策するのもいいものと感じました。

コメント (5)
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