この日は東京都世田谷区の九品仏駅から上野毛駅までを歩き、紅葉を楽しむイベントを開催した。参加者は管理人も含め10名で、内訳は男性5名、女性5名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名。
当初の予定では、イベントの最後の方で上野毛駅近くの五島美術館で美術鑑賞をする予定だったが、入場に1時間待ちというひどい混み具合だったため、予定を変更し二子玉川駅周辺を歩き、二子玉川駅で解散した。
当初の予定になかった玉川大師の地下霊場が非常によかった。地下霊場では真っ暗闇の中を手探りで歩くときには不安もあったが、霊場巡りを終わるころには心身ともに清浄になった感じがした。 個人的にまた行ってみたいと思った。
肝心の紅葉はというと、いちょうはちょうど見頃だったが、もみじは木によってばらつきがあった。もみじの見頃は来週以降だろうか。浄眞寺のいちょうがよかった。
【コース】
九品仏駅→九品仏浄眞寺→玉川神社→満願寺→等々力渓谷→等々力不動→善養寺→六所神社→野毛大塚古墳→上野毛自然公園→玉川大師→兵庫島公園→二子玉川駅解散
(紅葉以外の写真のほとんどは下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■九品仏浄眞寺
江戸時代初期・延宝 6年(1687)創建の浄土宗の寺院。九品山唯在念仏院浄眞寺といい、開山は江戸初期の高僧「珂碩上人(かせきしょうにん)」で、奥沢城跡に浄土宗所依の経典である感無量壽経の内容に基づき堂塔を配置。
都の文化財に指定された9躰の阿弥陀如来像から九品仏の名で親しまれ、3年に1度、8月に「来迎会(らいこうえ)(お面かぶり)」が行われる。来迎会は、念仏行者の臨終時の西方浄土からの阿弥陀如来の来迎を儀式化したもので、阿弥陀如来や菩薩のお面をかぶった信者が本堂と三仏堂の上品堂の間にかけられた橋を渡る。
参道。
参道のもみじ。
総門。
開山堂。開山の珂碩上人像を安置。
仁王門。寛政5年(1793)建立。「紫雲楼」とも呼ばれる。楼上には阿弥陀如来と二十五菩薩像が安置される。
鐘楼。寛政5年(1793)建立。現在工事中でシートに覆われている。梵鐘は宝永5年(1708)頃の製作といわれる。阿弥陀仏坐像と六字名号、天人等が鋳出してある銅製の梵鐘。寛文年間(1661 ~1673)頃、京都の鋳工が始めた朝鮮鐘の例に倣ったもので、江戸には遺作がほとんどない。
鷺草園。鷺草は、ラン科の植物で、飛んでいる鷺の姿に似た白い花を7~8月に咲かせる。世田谷区の花で、大正末ごろまでこのあたりに自生していた。
鷺草の写真。
イチョウ。向かって右側のが都指定天然記念物。幹囲4.4メートル、高さ約17.9メートルに及ぶ雌株の巨木。
仏足石。釈迦の足跡を刻み信仰の対象としたもので、天保年間(1830~1843)のもの。
本堂。元禄11年(1698)上棟。堂内には珂碩上人作と伝えられる木造釈迦如来坐像が安置。
本堂とイチョウ。
カヤ。都指定天然記念物。幹囲5.4メートル、高さ26.5メートル、枝張りは東西が12.2メートル、南北が17.9メートルにおよぶ。都指定天然記念物のカヤでは最大のもの。
開山廟。開山の珂碩上人の墓所。
三仏堂の一つ、上品堂。
三仏堂は元禄11~12年(1698~1699)に建立。九体一組の阿弥陀如来(九品仏)が 安置される仏堂で、向かって中央の上品堂には「上品上生」「上品中生」「上品下生」、 右の中品堂には「中品上生」「中品中生」「中品下生」、左の下品堂には「下品上生」 「下品中生」「下品下生」が安置される。
中品堂。
下品堂。
九品仏の一つ、上品上生仏。
都指定有形文化財。九品仏は、極楽往生には人間の努力や心がけ等の条件で9つの段階があることを表すもので、全ての阿弥陀如来の手の位置や印契が異なる。九品仏は藤原期に多く造営されたが、現在では京都府にある浄瑠璃寺に現存するのみ。
当寺の九品仏は、珂碩上人作と伝えられるもので、いずれも寛文7年(1667)以降、延宝2年(1674)以前の作品と考えられている。
阿育王塔。阿育王(アショーカ王)は、紀元前3世紀のインドの王で、仏教を国教とし、法(ダルマ)に基づく政治を行った。王はダルマを国民に知らせ守らせるためにダルマを刻んだ石塔をインド各地に立てた。塔は日本様式のもので、天保年間(1830~1843)のもの。
お手植えの松。大正8年(1919)、当時皇太子だった昭和天皇が植樹された。
境内の紅葉。
当初の予定では、イベントの最後の方で上野毛駅近くの五島美術館で美術鑑賞をする予定だったが、入場に1時間待ちというひどい混み具合だったため、予定を変更し二子玉川駅周辺を歩き、二子玉川駅で解散した。
当初の予定になかった玉川大師の地下霊場が非常によかった。地下霊場では真っ暗闇の中を手探りで歩くときには不安もあったが、霊場巡りを終わるころには心身ともに清浄になった感じがした。 個人的にまた行ってみたいと思った。
肝心の紅葉はというと、いちょうはちょうど見頃だったが、もみじは木によってばらつきがあった。もみじの見頃は来週以降だろうか。浄眞寺のいちょうがよかった。
【コース】
九品仏駅→九品仏浄眞寺→玉川神社→満願寺→等々力渓谷→等々力不動→善養寺→六所神社→野毛大塚古墳→上野毛自然公園→玉川大師→兵庫島公園→二子玉川駅解散
(紅葉以外の写真のほとんどは下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■九品仏浄眞寺
江戸時代初期・延宝 6年(1687)創建の浄土宗の寺院。九品山唯在念仏院浄眞寺といい、開山は江戸初期の高僧「珂碩上人(かせきしょうにん)」で、奥沢城跡に浄土宗所依の経典である感無量壽経の内容に基づき堂塔を配置。
都の文化財に指定された9躰の阿弥陀如来像から九品仏の名で親しまれ、3年に1度、8月に「来迎会(らいこうえ)(お面かぶり)」が行われる。来迎会は、念仏行者の臨終時の西方浄土からの阿弥陀如来の来迎を儀式化したもので、阿弥陀如来や菩薩のお面をかぶった信者が本堂と三仏堂の上品堂の間にかけられた橋を渡る。
参道。
参道のもみじ。
総門。
開山堂。開山の珂碩上人像を安置。
仁王門。寛政5年(1793)建立。「紫雲楼」とも呼ばれる。楼上には阿弥陀如来と二十五菩薩像が安置される。
鐘楼。寛政5年(1793)建立。現在工事中でシートに覆われている。梵鐘は宝永5年(1708)頃の製作といわれる。阿弥陀仏坐像と六字名号、天人等が鋳出してある銅製の梵鐘。寛文年間(1661 ~1673)頃、京都の鋳工が始めた朝鮮鐘の例に倣ったもので、江戸には遺作がほとんどない。
鷺草園。鷺草は、ラン科の植物で、飛んでいる鷺の姿に似た白い花を7~8月に咲かせる。世田谷区の花で、大正末ごろまでこのあたりに自生していた。
鷺草の写真。
イチョウ。向かって右側のが都指定天然記念物。幹囲4.4メートル、高さ約17.9メートルに及ぶ雌株の巨木。
仏足石。釈迦の足跡を刻み信仰の対象としたもので、天保年間(1830~1843)のもの。
本堂。元禄11年(1698)上棟。堂内には珂碩上人作と伝えられる木造釈迦如来坐像が安置。
本堂とイチョウ。
カヤ。都指定天然記念物。幹囲5.4メートル、高さ26.5メートル、枝張りは東西が12.2メートル、南北が17.9メートルにおよぶ。都指定天然記念物のカヤでは最大のもの。
開山廟。開山の珂碩上人の墓所。
三仏堂の一つ、上品堂。
三仏堂は元禄11~12年(1698~1699)に建立。九体一組の阿弥陀如来(九品仏)が 安置される仏堂で、向かって中央の上品堂には「上品上生」「上品中生」「上品下生」、 右の中品堂には「中品上生」「中品中生」「中品下生」、左の下品堂には「下品上生」 「下品中生」「下品下生」が安置される。
中品堂。
下品堂。
九品仏の一つ、上品上生仏。
都指定有形文化財。九品仏は、極楽往生には人間の努力や心がけ等の条件で9つの段階があることを表すもので、全ての阿弥陀如来の手の位置や印契が異なる。九品仏は藤原期に多く造営されたが、現在では京都府にある浄瑠璃寺に現存するのみ。
当寺の九品仏は、珂碩上人作と伝えられるもので、いずれも寛文7年(1667)以降、延宝2年(1674)以前の作品と考えられている。
阿育王塔。阿育王(アショーカ王)は、紀元前3世紀のインドの王で、仏教を国教とし、法(ダルマ)に基づく政治を行った。王はダルマを国民に知らせ守らせるためにダルマを刻んだ石塔をインド各地に立てた。塔は日本様式のもので、天保年間(1830~1843)のもの。
お手植えの松。大正8年(1919)、当時皇太子だった昭和天皇が植樹された。
境内の紅葉。