(その2はこちら)
■明治天皇宮ノ前行在所
清水本陣があった場所で、明治天皇は明治元年(1868)10月の御東行の際を初めとして、5回宿泊された。本陣は勅使や、公家、大名、幕府の公用旅行者などが宿泊・休憩するための施設。清水本陣は小田原宿の4軒の本陣のうちの筆頭で、面積はおよそ240坪あった。
■松原神社
平安時代・久安元年(1145)~久安7年(1151)創建と伝わる小田原宿の総鎮守。北条氏、稲葉氏、大久保氏と歴代の小田原城主に崇敬された。
吉兆の大亀。10円を納めると10日、100円だと100日寿命が伸びる、とのこと。
神社のスタンプラリーはいまや携帯でバーコードを読み取る時代。
■小田原宿なりわい交流館
昭和7年(1932)に建てられた旧網問屋を再整備し、市民や観光客の「憩いの場」として開放。建物は、小田原の典型的な商家の造りである「出桁造り」という建築方法が用いられている。
■徳常院
曹洞宗。
大仏。八百屋お七の恋人吉三郎が、お七の菩提を弔うために作ったという伝承から、吉三地蔵との別称を持つ。正徳3年(1713)に造られ箱根芦ノ湖畔の賽の河原に安置されていたが、明治2年(1869)の廃仏毀釈で東京の古物商に売り渡され運ばれる途中、この地で動かなくなった。像に触れると発熱する者が続出したため地元の人が買い戻して当院に安置した。
■明治天皇本町行在所
片岡本陣のあった場所で、明治天皇は明治11年(1878)の北陸・東海御巡幸の際に宿泊された。
■滄浪閣跡
明治23 年(1890)に伊藤博文が建てた別荘の跡。当時、ここで民法草案の起草委員を命ぜられた積陳重穂、富井雅章らと民法を起草したことから「民法発祥の地」とも言われる。明治30年(1897)の大磯への滄浪閣を移した後、建物は旅館として利用されていたが、大正12年(1923) の関東大震災により全壊した。滄浪閣旧跡の碑と伊藤博文の胸像が残る。
滄浪閣旧跡の碑。
伊藤博文の胸像。
■御幸の浜
明治6年(1873)、明治天皇・皇后が当海浜で漁夫の地引網をご覧になったことから「御幸の浜」と呼ばれるようになった。夏には海水浴が楽しめ、元旦には初日の出にあわせて新春初泳ぎが行われる。
■おまけ
二宮町のマンホールのふた。
小田原市内のマンホールのふた。酒匂の渡しが描かれている。
参加者の方が食べていた「小田原どん」。「小田原どん」はお店によって内容が異なるが、「小田原の海と陸で育った食材を一つ以上用いること」、「器に伝統工芸品の小田原漆器を使用すること」が満たされる必要がある。
東海道沿いのレストラン。建物がにやりと笑う人の顔に見えてしまう。
■明治天皇宮ノ前行在所
清水本陣があった場所で、明治天皇は明治元年(1868)10月の御東行の際を初めとして、5回宿泊された。本陣は勅使や、公家、大名、幕府の公用旅行者などが宿泊・休憩するための施設。清水本陣は小田原宿の4軒の本陣のうちの筆頭で、面積はおよそ240坪あった。
■松原神社
平安時代・久安元年(1145)~久安7年(1151)創建と伝わる小田原宿の総鎮守。北条氏、稲葉氏、大久保氏と歴代の小田原城主に崇敬された。
吉兆の大亀。10円を納めると10日、100円だと100日寿命が伸びる、とのこと。
神社のスタンプラリーはいまや携帯でバーコードを読み取る時代。
■小田原宿なりわい交流館
昭和7年(1932)に建てられた旧網問屋を再整備し、市民や観光客の「憩いの場」として開放。建物は、小田原の典型的な商家の造りである「出桁造り」という建築方法が用いられている。
■徳常院
曹洞宗。
大仏。八百屋お七の恋人吉三郎が、お七の菩提を弔うために作ったという伝承から、吉三地蔵との別称を持つ。正徳3年(1713)に造られ箱根芦ノ湖畔の賽の河原に安置されていたが、明治2年(1869)の廃仏毀釈で東京の古物商に売り渡され運ばれる途中、この地で動かなくなった。像に触れると発熱する者が続出したため地元の人が買い戻して当院に安置した。
■明治天皇本町行在所
片岡本陣のあった場所で、明治天皇は明治11年(1878)の北陸・東海御巡幸の際に宿泊された。
■滄浪閣跡
明治23 年(1890)に伊藤博文が建てた別荘の跡。当時、ここで民法草案の起草委員を命ぜられた積陳重穂、富井雅章らと民法を起草したことから「民法発祥の地」とも言われる。明治30年(1897)の大磯への滄浪閣を移した後、建物は旅館として利用されていたが、大正12年(1923) の関東大震災により全壊した。滄浪閣旧跡の碑と伊藤博文の胸像が残る。
滄浪閣旧跡の碑。
伊藤博文の胸像。
■御幸の浜
明治6年(1873)、明治天皇・皇后が当海浜で漁夫の地引網をご覧になったことから「御幸の浜」と呼ばれるようになった。夏には海水浴が楽しめ、元旦には初日の出にあわせて新春初泳ぎが行われる。
■おまけ
二宮町のマンホールのふた。
小田原市内のマンホールのふた。酒匂の渡しが描かれている。
参加者の方が食べていた「小田原どん」。「小田原どん」はお店によって内容が異なるが、「小田原の海と陸で育った食材を一つ以上用いること」、「器に伝統工芸品の小田原漆器を使用すること」が満たされる必要がある。
東海道沿いのレストラン。建物がにやりと笑う人の顔に見えてしまう。