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生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年4月4日 古河桃&桜散歩イベント主催(その3)

2010年04月06日 | 都外散歩イベント主催
(その2はこちら


■永井路子旧宅
歴史小説家永井路子の旧宅を修復し一般公開。永井は東京生まれで、間もなく母親の郷里である古河へ移り、結婚するまでの約20年間を過ごした。旧宅は江戸末期に建てられた約93平方米の2階建土蔵造りの建物で、1950年代に永井家から別の所有者へ譲渡された際一部取り壊された。永井の幼少期から青春時代の写真や経歴を紹介するパネルや作品などを展示。






下見のときも当日もここで休憩。くつろげる場所だった。


■正定寺
江戸時代初期、家康・秀忠・家光の三代に仕えた古河城主・土井利勝の開いた寺で、土井家の菩提寺。黒門は江戸の本郷にあった旧古河藩主土井家の下屋敷表門を昭和8年(1933)に移築したもの。


本堂。


土井利勝像。


黒門。


■隆岩寺
徳川時代最初の古河城主小笠原秀政が、妻の父松平信康の菩提のために開基した寺。信康は徳川家康と正室築山御前との間に生まれ、天正 7年(1579)織田信長の命により、母の築山御前ともに命を奪われた。




■旧武家屋敷
旧武家屋敷の土塀が残る。




■日光街道古河宿道標
文久元年(1861)に建てられた常夜灯形式の道標。正面に「左日光道」、右側面に「右筑波道」、左側面に「右江戸道」とある。




■本陣跡
日光街道は、五街道の一つで東照宮が日光に造営された元和3年(1617)以降、日光社参と奥州への道として整備され21宿あった。古河宿は江戸から8番目の宿場で、全長1850メートルほどあった。本陣は大名等の貴人を泊める宿で、庶民の家では造ることができない門、玄関、書院を設けることが許された。




■高札場跡
本陣跡の反対側に立つ。高札場は藩や幕府のおふれ書「高札」を立てた場所。




■今日の顔ハメ看板


古河総合公園にて。古河市内には静御前ゆかりの寺、光了寺がある。


■おまけ


渡良瀬川と花火をあしらったマンホールのふた。



古河文学館の近くにある雪の結晶をあしらった歩道。古河藩主土井利位が雪を科学的に研究し、その成果をまとめた雪の結晶の観察図鑑「雪華図説」の雪の結晶の絵からちなむものと思われる。


永井路子旧宅の隣の石油店。


わんこ4兄弟。いずれも1メートル近い大型犬。下見の時に通り過ぎたときには大声で吠えられた。当日も最初は吠えたがそのうち塀から顔をだしたり身を乗り出してしっぽを振ったりと私たちに友好的になりカメラを向けるとカメラ目線でポーズをとってくれた(笑)。しばらく写真撮影に興じた。私たちが立ち去る時にはさびしげな表情をしていた。


カメラ目線のわんこ。


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