生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年7月4日 宇都宮散歩イベント主催(その1)

2010年07月19日 | 都外散歩イベント主催
翌日が祝日のこの日は、遠出をして栃木県宇都宮市を散歩した。市内中心部を散策、名物の餃子に舌鼓を打った後、石の里大谷で幻想的な巨大地下採掘場跡や様々な奇岩といった独特の世界を楽しんだ。この日はとても暑い日で、昼食に餃子をしっかり食べてスタミナをつけたつもりだったが暑さには勝てなかった(苦笑)。 帰りの電車では赤羽あたりまで爆睡状態だった。

参加者は管理人も含め9名で、男性が2名、女性が7名(参加者の皆様、ありがとうございました)。男性の参加者が2名になったのは初めてだ。初参加の方は3名。


【コース】
宇都宮駅集合→餃子像→旧篠原家住宅→およりの鐘→二荒山神社→松が峰教会→大銀杏→昼食(餃子)→越路岩→大谷資料館→大谷景観公園→大谷寺→大谷公園→宇都宮駅解散

(写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■餃子像
餃子の街宇都宮のシンボル。餃子の皮に包まれたヴィーナスをイメージした像で地元特産の大谷石で製作。



餃子像。宇都宮は日本で一番一世帯あたりの餃子消費額が多く、約30軒の餃子専門店がある「餃子の街」として知られる。餃子消費額の多い理由は「宇都宮は夏暑く冬寒い内陸型気候のため暑さ寒さを乗り切るためにはスタミナが必要なので牛王座が好まれた」「戦前に宇都宮に旧陸軍第14師団の駐屯地があり、中国東北部への出兵で現地の餃子のうまさを知った人達が宇都宮に広めた」といわれている。


■旧篠原家住宅
明治28年(1895)に建てられた江戸時代から続く豪商の旧家。母屋と新蔵は国重要文化財。栃木地方特有の大谷石張の町家建築であり,数少ない遺構として貴重。篠原家は宇都宮城下の東端の奥州街道の起点に立地し,江戸時代末期から醤油醸造業を興し、明治期には,肥料業なども営み,県内有数の豪商となった。


母屋と新蔵。


帳場。


大黒柱。約45センチ角のケヤキの立派な柱で、二階大広間の床柱を兼ね、棟木まで伸びている。素人目で見ても大黒柱にお金がかかっていることが分かる。


大広間。


文庫蔵の内部。嘉永4年(1851)に建てられたもの。


■およりの鐘
宝蔵寺にある鐘で宇都宮氏が寄進したと伝えられる。「おより」の由来は「鐘の音が一里四方に聞こえたから」、「身分の高い人が宇都宮にお寄りになったときに撞いたから」等諸説ある。




■二荒山神社
仁徳天皇の御世(313~399)に創建、承和5年(838)に現在地に遷座。御祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)で、毛野國(栃木県、群馬県)を拓いた第十代崇神天皇の第一皇子。武徳にも優れていたため古くから武将の信仰も篤く藤原秀郷、源頼義・義家、源頼朝、徳川家康等が戦勝祈願し神領・宝物の寄進や社殿改築を行ってきた。当社が「下野一の宮」と呼ばれていたことから、宇都宮の地名がついたといわれる。社宝の鉄の狛犬(建治3年(1277)製作) と兜(南北朝時代(14世紀頃)製作)は国重要美術品。






明神の井。明治天皇の行幸の折、茶湯に使われた湧き水。この水を使うと書道が上達するとの言い伝えがある。


■松が峰教会
昭和7年(1932)に建てられたロマネスク様式の聖堂で国登録文化財。設計者のマックス・ヒンデルはスイス人で大正末期から昭和初期まで日本に滞在、函館のトラピスティヌ修道院などを設計。建物は、外壁・内壁ともにそのほとんどが大谷石造り。昭和20年(1945)の宇都宮空襲において、屋根と礼拝堂が被災し焼失してしまったが、戦後すぐに復元。






■大いちょう
市の天然記念物で、樹齢約400年、高さは33m。いちょうの立つ場所は、かつての宇都宮城内であった。




昭和20年(1945)の宇都宮大空襲で真っ黒に焼けるほどの被害を受けたいちょうの写真。いちょうは翌年には新芽を吹き見事に再生した。いちょうの生命力の強さに驚かされるばかり。


■来らっせ
宇都宮の餃子店27軒の味が日替わりで味わえる店。


8店の焼き餃子を頼んで食べ比べをした。同じ焼餃子でも店によって微妙に味が異なる。


店の前にあった顔ハメ看板。



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