ある散歩イベントに参加する前に時間があったのでお茶の水駅から待ち合わせ場所の神田駅まで散歩した。
【行き先】
お茶の水駅→ニコライ堂→聖橋→湯島聖堂→神田明神(神田神社)→伊勢丹発祥の地→神田やぶそば→たけむら→いせ源→ぼたん→まつや→鷹岡→山本歯科医院→神田青果発祥の地→松本家住宅→神田駅北口
■ニコライ堂
日本では最大のビザンチン様式建築で、国の重要文化財。
正式名称は「日本ハリストス正教会復活大聖堂」(ハリストスとは「キリスト」のギリシア語発音読み)。
カサーツキン・ニコライ神父の企画で、ロシア人建築家ミハイル・シチュールポフと鹿鳴館の設計で知られるジョサイア・コンドルの設計により明治24年(1891)に完成。関東大震災で崩壊したが、岡田信一郎の設計により昭和2~4年にかけて復興工事が行われた。
聖堂内は写真撮影禁止。見学時には七五三の祈祷が行われていた。教会関係者によれば、子供の成長を祝う七五三は良い風習なので正教会でも取り入れているとのこと。
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■聖橋
昭和2年(1927)完成。大胆なアーチが特徴的。橋の名称は「ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶ橋」にちなみ、一般公募で決められた。
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■湯島聖堂
元禄3年(1690)、徳川五代将軍綱吉により儒学の振興のため創建。寛政9年(1797)幕府直轄学校として、「昌平坂学問所」を開設。
明治時代には、聖堂・学問所は新政府の所管となり、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されていたが、明治4年(1871)に廃止となり文部省が置かれた。この地には、明治5年(1872)に東京師範学校が開校、隣接地に東京女子師範学校が置かれた。後に前者は筑波大学に、後者はお茶の水女子大学へと発展した。
大正12年(1923)の関東大震災でほとんどの建物を焼失、昭和10年(1935)伊東忠太の設計により鉄筋コンクリート造りで現在の形に再建。
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入徳門(にゅうとくもん)。宝永元年(1704)建造の木造の門。
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杏壇門(きょうだんもん)。
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大成殿(たいせいでん)。孔子像と孟子・顔子・曽子・子思の像を祀る。
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孔子像。昭和50年(1975)に台湾のライオンズ・クラブから寄贈される。
■神田明神(神田神社)
江戸時代から庶民に親しまれた神社。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、平将門。
天平2年(730)創建と伝えられ、当初は大手町の将門塚付近にあった。慶長8年(1603)駿河台へ移り、元和2年(1616)二代将軍秀忠のとき江戸の総鎮守とされ、現在地移転。昭和9年、鉄筋コンクリート造りの上に本漆を塗った社殿に再建。
日枝神社と隔年で行われる神田祭りの祭礼は天下祭と呼ばれ、神幸行列が江戸城内に入り、将軍の上覧を受けた。
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隨神門 。昭和50年(1975)築。総檜・入母屋造。外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」といった大貴己命の神話をモチーフにした彫刻が飾られている。また二層目に平将門の家紋に由来する「繋馬」の彫刻が飾られている。
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社殿。国登録有形文化財。昭和9年(1934)築。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった近代神社建築・都市建築を代表する建築家により設計。
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獅子山。享保年間(1716~1735)に武州下野の名工石切藤兵衛が作ったと伝えられる。能の出し物『石橋(しゃっきょう)』にちなみ、親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とするという内容を造形化したもの。
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銭形平次の碑。銭形平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公。昭和45年(1970)有志の作家と出版社が発起人となり、寛永通寶を形どって建立された。脇にがらっ八の小さな碑もある。
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国学発祥の碑。荷田春満が江戸に下ってより初めて国学の教場を開いたのが、当神社社家芝崎邸内であったことから江戸における国学の発祥の地とされる。
■男坂
天保年間(1830~1843)に作られたと伝えられる坂。眺めがよいことから、毎年1月と7月の26日に観月(夜待ち)がおこなわれた。また当時の江戸湾を航行した船の灯台の役割も果たしていたといわれる。
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■伊勢丹発祥の地
昌平橋交差点に近い、ヤマギワリビナ館の隣のビルの角にひっそりと立つ。明治19年(1886)この地(当時は神田旅籠町)に伊勢屋丹治呉服店を創業した。
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■藪蕎麦
蕎麦屋。大正12年(1923)築。板塀で囲まれ、門から店舗まで独特の雰囲気を醸し出した数寄屋造りの建物。 奇跡的に戦災から焼け残った。この建物と以下の「ぼたん」、「いせ源」、「まつや」、「竹むら」は東京都選定歴史的建造物。
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■たけむら
汁粉屋。昭和5年(1930)築。入母屋造りで2階の欄干に竹と梅模様が彫られ、軒下に木製の提灯が下げられている。外観は屋根と庇で4層に見える。
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■いせ源
天保元年(1830)創業のあんこう料理店。昭和7年(1932)築。入母屋造りと2階の欄干に施された、菱形模様の彫りが特徴。木製の看板は建築当時から使用(平成8年補修済)。
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■ぼたん
明治30年頃創業の鳥のすきやきの専門店。昭和4(1929)築。玄関の格式の高い式台が通りすがりに見える。入母屋造りで、一部改修されているが建設当時の界隈の雰囲気をよく伝える。
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■まつや
創業明治17年の蕎麦屋。大正14(1925)築。左右の出入り口の上部に松模様の欄間飾りを施してある。平面を見れば、入口の部分が土間であったと考えられる。現在、コンクリートが敷いてある。
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■鷹岡(株)
昭和10年(1935)築の鉄筋コンクリート造・地上5階、地下一階の建物。 1階の外壁は石積み風に仕上げられ、2階以上は薄茶色のスクラッチタイル貼りの外装で、軒に帯飾りを施した三層の構成。昭和モダニズムを象徴するシンプルな外観が特徴。
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■山本歯科医院
国登録有形文化財。明治30年以前に現在の神田須田町1-1あたりで創業。関東大震災で被災、昭和3年(1928)に診療所兼住宅として新築。震災復興期に見られる看板建築3階建ての建物で、軒蛇腹、看板、菱形装飾などによる正面の外観意匠に、創建当時の特徴を残す。
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■神田青果発祥の地
石碑自体は見つからなかったが、多町通りに神田青果市場に関する説明板があった。
このあたり一帯には江戸から大正時代にかけて巨大な青果市場があったが、昭和3年(1928)には秋葉原西北に、平成2年(1990)には大田区へと移転。
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説明板。
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多町通りには古い家が残る。
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■松本家住宅
国登録有形文化財。江戸明暦の大火後、須田町・多町は青物商が集められて栄えた。この建物は元青果物問屋の店舗兼住宅で、昭和6年(1931)建築。切妻造り、平入で、正面は出桁造り。北妻面は窓が少なく防火に備えた造り。
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■今日の顔ハメ看板
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神田明神にあった銭形平次の顔ハメ看板。
■今日のにゃんこ
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湯島聖堂にいた猫。
【行き先】
お茶の水駅→ニコライ堂→聖橋→湯島聖堂→神田明神(神田神社)→伊勢丹発祥の地→神田やぶそば→たけむら→いせ源→ぼたん→まつや→鷹岡→山本歯科医院→神田青果発祥の地→松本家住宅→神田駅北口
■ニコライ堂
日本では最大のビザンチン様式建築で、国の重要文化財。
正式名称は「日本ハリストス正教会復活大聖堂」(ハリストスとは「キリスト」のギリシア語発音読み)。
カサーツキン・ニコライ神父の企画で、ロシア人建築家ミハイル・シチュールポフと鹿鳴館の設計で知られるジョサイア・コンドルの設計により明治24年(1891)に完成。関東大震災で崩壊したが、岡田信一郎の設計により昭和2~4年にかけて復興工事が行われた。
聖堂内は写真撮影禁止。見学時には七五三の祈祷が行われていた。教会関係者によれば、子供の成長を祝う七五三は良い風習なので正教会でも取り入れているとのこと。
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■聖橋
昭和2年(1927)完成。大胆なアーチが特徴的。橋の名称は「ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶ橋」にちなみ、一般公募で決められた。
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■湯島聖堂
元禄3年(1690)、徳川五代将軍綱吉により儒学の振興のため創建。寛政9年(1797)幕府直轄学校として、「昌平坂学問所」を開設。
明治時代には、聖堂・学問所は新政府の所管となり、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されていたが、明治4年(1871)に廃止となり文部省が置かれた。この地には、明治5年(1872)に東京師範学校が開校、隣接地に東京女子師範学校が置かれた。後に前者は筑波大学に、後者はお茶の水女子大学へと発展した。
大正12年(1923)の関東大震災でほとんどの建物を焼失、昭和10年(1935)伊東忠太の設計により鉄筋コンクリート造りで現在の形に再建。
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入徳門(にゅうとくもん)。宝永元年(1704)建造の木造の門。
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杏壇門(きょうだんもん)。
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大成殿(たいせいでん)。孔子像と孟子・顔子・曽子・子思の像を祀る。
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孔子像。昭和50年(1975)に台湾のライオンズ・クラブから寄贈される。
■神田明神(神田神社)
江戸時代から庶民に親しまれた神社。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、平将門。
天平2年(730)創建と伝えられ、当初は大手町の将門塚付近にあった。慶長8年(1603)駿河台へ移り、元和2年(1616)二代将軍秀忠のとき江戸の総鎮守とされ、現在地移転。昭和9年、鉄筋コンクリート造りの上に本漆を塗った社殿に再建。
日枝神社と隔年で行われる神田祭りの祭礼は天下祭と呼ばれ、神幸行列が江戸城内に入り、将軍の上覧を受けた。
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隨神門 。昭和50年(1975)築。総檜・入母屋造。外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」といった大貴己命の神話をモチーフにした彫刻が飾られている。また二層目に平将門の家紋に由来する「繋馬」の彫刻が飾られている。
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社殿。国登録有形文化財。昭和9年(1934)築。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった近代神社建築・都市建築を代表する建築家により設計。
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獅子山。享保年間(1716~1735)に武州下野の名工石切藤兵衛が作ったと伝えられる。能の出し物『石橋(しゃっきょう)』にちなみ、親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とするという内容を造形化したもの。
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銭形平次の碑。銭形平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公。昭和45年(1970)有志の作家と出版社が発起人となり、寛永通寶を形どって建立された。脇にがらっ八の小さな碑もある。
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国学発祥の碑。荷田春満が江戸に下ってより初めて国学の教場を開いたのが、当神社社家芝崎邸内であったことから江戸における国学の発祥の地とされる。
■男坂
天保年間(1830~1843)に作られたと伝えられる坂。眺めがよいことから、毎年1月と7月の26日に観月(夜待ち)がおこなわれた。また当時の江戸湾を航行した船の灯台の役割も果たしていたといわれる。
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■伊勢丹発祥の地
昌平橋交差点に近い、ヤマギワリビナ館の隣のビルの角にひっそりと立つ。明治19年(1886)この地(当時は神田旅籠町)に伊勢屋丹治呉服店を創業した。
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■藪蕎麦
蕎麦屋。大正12年(1923)築。板塀で囲まれ、門から店舗まで独特の雰囲気を醸し出した数寄屋造りの建物。 奇跡的に戦災から焼け残った。この建物と以下の「ぼたん」、「いせ源」、「まつや」、「竹むら」は東京都選定歴史的建造物。
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■たけむら
汁粉屋。昭和5年(1930)築。入母屋造りで2階の欄干に竹と梅模様が彫られ、軒下に木製の提灯が下げられている。外観は屋根と庇で4層に見える。
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■いせ源
天保元年(1830)創業のあんこう料理店。昭和7年(1932)築。入母屋造りと2階の欄干に施された、菱形模様の彫りが特徴。木製の看板は建築当時から使用(平成8年補修済)。
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■ぼたん
明治30年頃創業の鳥のすきやきの専門店。昭和4(1929)築。玄関の格式の高い式台が通りすがりに見える。入母屋造りで、一部改修されているが建設当時の界隈の雰囲気をよく伝える。
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■まつや
創業明治17年の蕎麦屋。大正14(1925)築。左右の出入り口の上部に松模様の欄間飾りを施してある。平面を見れば、入口の部分が土間であったと考えられる。現在、コンクリートが敷いてある。
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■鷹岡(株)
昭和10年(1935)築の鉄筋コンクリート造・地上5階、地下一階の建物。 1階の外壁は石積み風に仕上げられ、2階以上は薄茶色のスクラッチタイル貼りの外装で、軒に帯飾りを施した三層の構成。昭和モダニズムを象徴するシンプルな外観が特徴。
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■山本歯科医院
国登録有形文化財。明治30年以前に現在の神田須田町1-1あたりで創業。関東大震災で被災、昭和3年(1928)に診療所兼住宅として新築。震災復興期に見られる看板建築3階建ての建物で、軒蛇腹、看板、菱形装飾などによる正面の外観意匠に、創建当時の特徴を残す。
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■神田青果発祥の地
石碑自体は見つからなかったが、多町通りに神田青果市場に関する説明板があった。
このあたり一帯には江戸から大正時代にかけて巨大な青果市場があったが、昭和3年(1928)には秋葉原西北に、平成2年(1990)には大田区へと移転。
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説明板。
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多町通りには古い家が残る。
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■松本家住宅
国登録有形文化財。江戸明暦の大火後、須田町・多町は青物商が集められて栄えた。この建物は元青果物問屋の店舗兼住宅で、昭和6年(1931)建築。切妻造り、平入で、正面は出桁造り。北妻面は窓が少なく防火に備えた造り。
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■今日の顔ハメ看板
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神田明神にあった銭形平次の顔ハメ看板。
■今日のにゃんこ
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湯島聖堂にいた猫。
お年寄りかもしれませんね。
だいぶ、お年寄りでしょうかね。
ちょっと眠そうですね~。