生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年9月19日 向島押上散歩イベント主催(その1)

2010年09月20日 | 都内散歩イベント主催
この日のイベントでは東京都墨田区の向島から押上にかけて散歩した。参加者は管理人も含め10名で、内訳は男性5名、女性5名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は6名。初参加の方が半数を越えることはしばらくなかったので新鮮だ。

この日も多少暑かったが、前に比べて歩きやすくなった。向島百花園の名物の萩のトンネルは残念ながら猛暑により開花が遅れ期待していたものが見られなかったが、さまざまな草花が楽しめたのでよかったと思う。

スカイツリーは当日時点で461メートル。すでに3分の2以上完成したことになる。今後の成長ぶりや完成後の姿、周辺の街の変化が非常に気になる。とにかく無事故で完成してほしいものだ。


【コース】
堀切駅→多門寺→白鬚神社→向島百花園→昼食→東武博物館→幸田露伴旧居跡→鳩の街商店街→墨堤植桜之碑→長命寺→弘福寺→三囲神社→すみだ文化資料館→牛嶋神社→墨田公園→東京スカイツリーインフォプラザ→東京スカイツリー→押上駅解散


(写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■多門寺
平安時代創建の真言宗の寺院。最初は不動明王が本尊で、隅田川沿いにあったが、戦国時代に現在の場所に移り、弘法大師作と伝わる毘沙門天像を勧請、現在隅田山吉祥院多聞寺と改称したと祝える。狸にまつわる伝承があることから、たぬき寺とも呼ばれた。七福神の毘沙門天を祀る。


山門。江戸時代中期頃に造られた墨田区最古の建造物。墨田区では震災や戦災で多くの木造建築が失われてきた。


本堂。


隅田川七福神の碑。篆額は幕臣、政治家で晩年向島に住んだ榎本武揚。碑面には「隅田川七福神之内 毘沙門天 正二位子爵榎本武揚」と記される。
隅田川七福神は、文政年間(1804~1830)に佐原鞠塢が開いた向島百花園に集う、大田南畝・亀田鵬斎・加藤千蔭・酒井抱一などの文人たちによって始められた。隅田川七福神めぐりは、平成15年に墨田区無形文化財に登録された。


狸塚。村人や旅人たちにいたずらし続け、本尊の毘沙門天に成敗された狸を供養する塚。


狸塚。


■白鬚神社
天暦5年(951)に慈恵大師が白鬚大明神の分霊を祀ったことから始まるとされる。祭神は猿田彦命で、国土の神、道案内の守神、隅田川沿いの道祖神として信仰されてきた。かつてはこの地は白鬚の森と呼ばれる緑の美しい場所で向島八景、隅田川二十四景のひとつに数えられていた。江戸の風流人、文化人の詩碑、墓碑などが数多く残される。江戸時代に隅田川七福神を決める際に「白鬚」大明神が「白い鬚の老人の神様」を連想させるとの理由で、七福神の寿老神を祀る。




詩碑や墓碑。


■向島百花園
江戸時代後期の文化・文政年間(1804~1830)に、骨董商の佐原鞠塢が交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て花の咲く草花鑑賞を中心とした花園として開園。開園当初は、360本の梅が主体だったが、後に詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにした。文化人、茶人、墨客が集い、大いに賑わったが戦災で焼失、昭和33年(1958)に現在の姿に回復、昭和53年(1978)に国名勝及び史跡に指定された。芭蕉句碑や山上憶良歌碑など多くの碑がある。七福神の福禄寿を祀る。






池の背後にスカイツリーが見える。


芭蕉「春もやや けしき ととのう 月と梅」の句碑。


山上憶良の秋の七草の歌碑


福禄寿尊堂。


萩のトンネル。百花園の名物で、ハギを竹の柵にそわせてトンネル状にした園路。9月には全長約30mにわたって花のトンネルになる。 当日は見頃には早かった。


園内の萩。


葛。


女郎花。


しろみのこむらさき。


花魁草。


団子菊。


玉簾。


初めて見た生姜の花。


石榴。


糸瓜。沖縄で糸瓜炒めを食べたことがあるが、あっさり味でとろっとした触感でおいしかった。


蛇瓜。形が蛇のよう。インドや東南アジアでは食用とする。機会があれば食べてみたい。


瓢箪。


寺島茄子。江戸時代のこのあたりは茄子の産地だった。当時栽培されていた茄子を地元の小学校が復活させた。


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