生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2008年1月20日 大井散歩3

2008年01月26日 | 都内散歩
前回の続き

■大福生寺

明治15年(1882)開創の天台宗の寺院。日本橋蛎殻町にあったが、明治26年に現在地に移転。本尊は大聖歓喜天(秘仏)で、「大井の聖天」として知られる。


山王鳥居。


本堂。


鶯亭金升の歌碑。明治から昭和初期にかけて活躍、最後の戯作者と言われた。「花は笑顔のおもてに咲いて月は心の裏にすむ」の都都逸が刻まれている。


■ヘルマン坂


戦前、ヘルマン・スプリット・ゲルベルトというドイツ人が、この坂の途中に住んでいたことから名づけられた。


■嶺雲寺

慶長9年(1604)越前出身の商人吉田半左衛門が創建した曹洞宗の寺院。


閻魔堂。石彫りの閻魔像と脱衣婆が安置される。


■勝島運河


もともとは雑草が生い茂り、ごみや空き缶、犬の糞が散乱し地元の人でさえ近づかなかった場所だったが、平成14年に「勝島運河の土手に花畑を作ろう」を合言葉に地元の商店街が中心となり「しながわ花海道プロジェクト」が設立された。春には菜の花、秋にはコスモスが約2キロの土手沿いに一面に咲き通行人の目を楽しませる。


船だまり。


まだ冬なのにもかかわらず、花を咲かせていた菜の花をわずかながら見つけた。


■坂本龍馬像


平成15年に高知市から寄贈された像で、京急立会川駅前に設置されている。立会川の近くに土佐藩の下屋敷があり、嘉永6年(1853)にペリー来航に備え立会川の河口付近に江戸城防御のために土佐藩により浜川砲台が築かれた。若き日の坂本龍馬も浜川砲台で警備に携わった。


■浜川神社


江戸後期に修験者の教光院了善が厄神大権現を祀ったのが始まりで、明治維新後、浜川神社と称した。土地の鎮守ではないので、氏子を持たず信徒によって維持されている。神社はマンションの二階にあったが、一階の入り口が施錠されていて入れなかった。


■鈴が森刑場跡

「2008年1月1日 東海七福神巡り2」で日が暮れてから一度訪れているが、撮影できないものもあったので明るいうちに再度訪問。


外観。


題目供養塔。


首洗いの井。


水難者供養塔。この他、馬頭観音や鯉塚、大震火災殃死者供養塔等がある。


大経寺。刑死者達の供養のために開かれた日蓮宗の寺院。

(終わり)



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2 コメント

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おつかれさまです (いちごパフェ)
2008-01-27 18:05:46
ちくわさんのブログを毎回読ませていただいていますが、毎回、すごく細かく説明してくれているから
こういう発見があったんだ!というものが多くて、
楽しく読ませていただいています。
坂本龍馬さんの銅像が東京にあるのはびっくりです。
寒いのに菜の花が咲いているところがあるなんて
すごいですね。これからもブログ楽しみにしていますね。
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いちごパフェさんへ (生姜ちくわ)
2008-01-28 22:36:21
毎度書き込みありがとうございます。拙いブログですが、楽しんでいただいているようでうれしいです。調べて説明を書くので結構時間がかかりますが、とてもためになります。

坂本龍馬像は以前立会川駅を利用した際に発見したもので今回紹介しました。像を発見するまで立会川周辺の地域が坂本龍馬ゆかりの地だとは知りませんでした。まだまだ知らないことが多いので散歩はとても勉強になりますね。

こちらこそ今後ともよろしくお願いします。
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