生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

8月6日(日) 白金台美術館巡り(前編)

2006年08月10日 | 美術館・博物館巡り
先週に続き、この日もぐるっとパスを持って美術館巡りをした。行き先は4月下旬に訪れた、白金台にある東京都庭園美術館、国立科学博物館附属自然教育園、松岡美術館の3箇所。


東京都庭園美術館では、旧朝香宮家の邸宅だった美術館の建物自体を特別公開していた。この期間は、普段は禁止されている写真撮影が一部の部屋で許可されていたので、写真を取りまくった。

建物は、アール・デコ様式の鉄筋コンクリート造二階建てで、昭和8年(1933)に完成した。設計は、宮内省所管の建築、庭園、土木などを担当した宮内省内匠寮(たくみりょう)工務課が、主な内装は、当時パリで活躍していたアンリ・ラパンが行った。室内空間全体はもちろんのこと、シャンデリアや扉などのデザインも非常にすばらしい。邸内を歩きながら誰よりも邸宅建築に情熱を傾けた朝香宮ご夫妻の思いを強く感じた。建物が戦災から免れ、内装・外装共にほぼオリジナルの状態で今なお残っているのは幸運なことだ。今後も残って欲しいと心から思う。




  モダンな外観。玄関側から撮影。




  庭園側から見た外観。この写真からは分かりにくいが、一階の列柱や二階ベランダ周りに装飾が施されている。




  ルネ・ラリックによる玄関扉のガラス・レリーフ。扉には同じデザインのレリーフが4枚はめ込まれている。繊細な美しさに見とれてしまう。現在、扉は締め切られた状態なので、隣の出入口から出入りをする。




  玄関のモザイクの床。




  玄関隣の応接室。




  大広間。装飾を抑えた重厚な空間で、天井には40の半円形の照明が整然と並ぶ。




  大広間のレリーフ。彫刻家イヴァン=レオン・ブランショによるもので戯れる子供達を表現。




  大広間と大客室をつなぐ次の間。落ち着いた雰囲気の大広間とは対照的に華やかな空間。中央は「香水塔」と呼ばれるオブジェ。アンリ・ラパンがデザイン、国立セーヴル製陶所が製作、フランス海軍から朝香宮家に寄贈された。名前は、朝香宮家で、客を迎える際に、上部の照明内部に香水を入れ照明の熱で香りを漂わせたことから由来。




  次の間の奥にある小客室。ここで重要な客をもてなした。部屋の四方に描かれた壁画はアンリ・ラパンが製作。これまでは非公開だったが、修復工事が完了したので公開された。




  壁画。淡い緑色を基調に、森の情景が描かれている。




  大客室。次の大食堂とならび邸内で最もアール・デコ的な空間。室内装飾はアール・デコ特有の幾何学的にデザインされた花がモチーフになっている。




  ルネ・ラリックによるシャンデリア。




  エッチング・ガラスのパネルをはめこんだ扉。




  おしゃれな暖房装置。




  大食堂。窓側は庭園に向かって半円形に張り出している。




  大食堂。暖炉の上の壁画はアンリ・ラパンが製作。壁画には泉とパーゴラ、果物などが描かれている。




  ルネ・ラリックのシャンデリア。食堂ということで果物がデザインされている。




  暖房カバー。こちらも食堂ということで魚や貝がデザインされている。




  ブランショによる大食堂の壁面のレリーフ。




  大広間から二階広間に続く階段の手すり。幾何学的花模様があしらわれている。




  二階広間。当時の朝香宮邸では、一階はパブリック・スペース、二階はプライベート・スペースと分けられていた。広間には作り付けのソファーがあり、ピアノが置かれ、ご家族がくつろいだ。二階のほとんどの部屋では残念ながら写真撮影禁止だった。




  幾何学的花模様があしらわれた二階広間の照明柱。




  庭園に面した二階ベランダ。




  姫宮寝室前の階段の手すり。




  その階段の近くにある照明器具。




  3階の「ウインターガーデン」という名の温室として使用されていた部屋。市松模様の床がモダン。


(後編に続く)


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7月30日(日) 上野公園散歩(後編)

2006年08月08日 | 美術館・博物館巡り
上野公園散歩(前編)の続き)

この後、以前利用したことのあるぐるっとパスを再度購入し、公園内の美術館・博物館巡りをした。

最初に訪れたのは、旧東京音楽学校奏楽堂。明治23年(1890)に東京芸術大学音楽部の前身、東京音楽学校の施設として建てられ、昭和62年(1987)に現在の地に移築・一般公開された。日本最古の木造の洋式音楽ホールとして国の重要文化財に指定されている。



  奏楽堂の外観。




  ホール。舞台では芸大生が練習をしていた。舞台奥にあるパイプオルガンは、大正9年(1920)に侯爵・徳川頼貞がイギリスから購入し、昭和3年(1928)に東京音楽学校に寄贈したもの。ホールは、現在もコンサート会場として使用されている。


次に国立西洋美術館で常設展を観覧。国立西洋美術館の所蔵品は、(株)川崎造船所社長であった故松方幸次郎氏(1865-1950)が、1916~1923年にかけて収集した中世から20世紀半ばまでの西洋美術作品が核となっている。絵画ではモネ、彫刻ではロダンの作品数が多い。常設展では、混雑せずにゆっくりと作品を鑑賞できるのがよい。以下印象に残った作品を一部掲載。




  コロー「ナポリの浜の思い出」(1870~72年)。コローらしい、銀灰色を帯びた、詩情あふれる風景画に仕上がっている。彼の風景画を見ると心が和む。




  ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち(またはハーレム)」(1872年)。ドラクロワの「アルジェの女達」から着想を得て描かれた初期の作品。ルノワールが明るい色彩に満ち溢れた印象派の作風に達するまでの作風の変化が興味深い。




  モネ「睡蓮」(1916年)。ずっと見ていても飽きない。




  ロセッティ「愛の杯」(1867年)。女性の訴えるような目つきとドレスの赤色が印象的。




  ミロ「絵画」(1953年)。ミロが何を表現したいのか正直分からないが、なぜか画面に引き付けられる。


最後は、国立科学博物館で常設展を観覧。館内には夏休みの子供達が多かった。常設展は、じっくり観覧すれば半日はかかるほどの規模。時間があまりなかったので、2階の江戸時代以降の科学技術の展示室以外はじっくりと見る余裕がなかった。2階には、江戸時代の時計や地球儀、明治時代以降の機械、自動車等の実物や模型が展示され、視覚的に科学技術の歴史を知ることができた。日頃科学から縁遠い生活を送っているが、たまには科学系の博物館に行くのも楽しいと感じた。



  特別展の内容を説明するロボット。ロボットの割には動作が滑らか。




  万年時計。(株)東芝の創業者で通称「からくり儀衛右門」の田中久重が嘉永4年(1851)年に製作。和時計の最高傑作で、和式時刻の他、洋式時刻や月齢、日付などを表示。美術工芸品としても優れた作品。重要文化財。




  平賀源内製作のエレキテルの複製。エレキテルは静電気の発生装置のことで、18世紀半ばにオランダから伝わり、医療器具や見世物として使用された。




  日本の航空技術を代表する飛行機、零式艦上戦闘機。通称「零戦」。昭和47年(1972)にパプアニューギニアの海底から引き上げられた。エンジンが見えるようにエンジンカバーをはずして展示。




  日本で最初に稼動した電子計算機、FUJIC。昭和31年(1956)完成。計算速度は人手の約2000倍。


暑くて野外の散歩がつらいこの時期には、美術館・博物館で過ごすのが最良だ。ぐるっとパスの有効期限は9月末。この夏の週末は美術館・博物館巡りに専念しようと思う。


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7月30日(日) 上野公園散歩(前編)

2006年08月06日 | 都内散歩
この日は、少し早起きして上野公園を散歩した。

まず、蓮を見に不忍池へ。蓮の葉にくまなく覆われた不忍池に驚く。一面蓮だらけの池と背後のビルの組み合わせが不思議な雰囲気を醸していた。肝心の蓮の花だが、今年は蓮の生育状況があまりよくないようで、開花した花もつぼみも少なかった。極楽浄土を思わせるような、蓮の花が咲き乱れる光景を期待していたので残念だったが、蓮の花そのものがとても美しかったので、結果的に見に行ってよかった。



  不忍池の蓮。




  不忍池の蓮。後方の建物は不忍池の中の島にある弁天堂。




  蓮の花。




  双子(?)の蓮の花。




  ふくらむつぼみ。




  弁天堂。寛永2年(1625)に天海僧正が琵琶湖に見立てた不忍池を造成、池の中央に竹生島に見立てた島を造り、竹生島から弁天を勧請し弁天堂を建てた。


その後、公園内の上野東照宮へ。上野東照宮は、徳川家康の遺言を受けた藤堂高虎と天海僧正が寛永4年(1627)に造営し、慶安4年(1651)に江戸幕府三代将軍・家光が現在の状態に改築した。家康の他、八代将軍・吉宗、最後の将軍・慶喜が祀られる。全体の規模は到底日光東照宮には及ばないが、日光東照宮と同様の、建物の豪華さと細部に至るまでの装飾の凝りようは見ごたえがあった。




  お化け灯篭。高さ6.8メートルもあることからこの名が付いた。日本三大灯篭の一つ(他は京都南禅寺と名古屋熱田神宮の灯篭)。寛永8年(1631)佐久間勝之が奉納。




  唐門。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。総金箔の豪華な門で、門の内外の柱4箇所に、名工・左甚五郎による昇り龍、降り龍の木彫りがある。




  透塀。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。総金箔にする予定だったが、予算がなかったため下地漆塗りになっている。塀の上欄には花木山禽、下欄には水草鳥魚をあしらった彫刻が約300枚あったが、戦後進駐軍の土産に持ち去れ、現在は約250枚残っている。




  透塀の彫刻。鹿と紅葉。




  透塀の彫刻。水鳥と波。




  拝殿。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。内部には狩野探幽の壁画もある。




  拝殿の庇の内側。こういうところにも極彩色で彩色され彫刻で飾られている。


(後編に続く)


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7月9日(日)~15日(土) 北海道旅行(7日目 函館)

2006年08月03日 | 国内旅行
とうとう北海道旅行最終日。この日は函館山周辺以外の見所を回った。



  市電。写真は函館競輪の広告車両。このようなカラフルな車両が走っている。


最初に訪れたのは、トラピスチヌ修道院。明治31年(1898)にフランス人修道女が開いた日本初の女子修道院で、現在も70名程の修道女達が祈りと労働を中心とした自給自足の生活を行っている。内部は見学できないが、前庭は一般開放されている。ヨーロッパの修道院の雰囲気が漂う空間だった。手作りのバター飴やクッキーで有名なトラピスト修道院は、函館より約30キロ離れた場所にあるので、残念ながら行く時間がなかった。



  修道院の前庭。




  修道院の建物。




  聖母マリア像。




  フランスにある聖地ルルドの洞窟を模したもの。奥は聖母マリア、手前は聖ベルナデッタ。


五稜郭観光前に、五稜郭タワーの展望台に上った。展望台から五稜郭の特徴的な星形を確認できた。星形の理由は、防備の死角をなくすためだ。展望台から函館山や函館市内も一望できた。



  五稜郭。タワーから近すぎるため五稜郭全体を撮影できず。




  函館山と函館市内。


函館のシンボル・五稜郭は、元治元年(1864)に完成した日本初の西洋式城郭で、4年後の明治元年(1868)には、榎本武揚、土方歳三ら旧幕府軍に占拠され、明治新政府を相手にした戊辰戦争の最後の戦場となった。大正2年に五稜郭公園として一般公開され、昭和27年に国の特別史跡に指定された。五稜郭公園は、緑に覆われ、かつて戦場だったことがすっかり忘れ去られたようなのんびりとした雰囲気の公園だった。



  堀から撮影した五稜郭公園。




  園内。




  睡蓮の浮かぶ堀。


湯の川温泉の市営熱帯植物園は、温泉熱を利用した温室とサル山がある。温室には約700種の熱帯性植物が植えられていてちょっとした南国気分が味わえた。サル山では寒くなると温泉につかるサルの姿を見ることができるが、時期柄温泉に入るサルは一匹もいなかった。



  温室内。




  同じく温室内。




  温室内のサボテン。




  サル山。




  サルと温泉。


空港に行く前に、あるホテルで温泉に入った。汗をかいた後に一風呂浴びると身も心もさっぱりした。普段の散歩でも取り入れたいと思った。その夜、北海道に別れを告げ、東京に戻った。東京では昼間のじっとりとした嫌な暑さが続いていた。涼しい北海道の夜が恋しくなった。


7日間の初めての北海道旅行はあっという間に終わってしまった。とても楽しい旅行だった。日本離れした雄大な風景、過ごしやすい夏、おいしい海の幸がとても気に入った。北海道のリピート確定だ。次回は、知床か再度美瑛を訪れたい。


【おまけ】



  まずくて大評判!? 北海道名物(?)「ジンギスカンキャラメル」。ジンギスカンの甘いタレの味がする。まずいというほどではなかったので、味が改良されたのだろう。




  こちらも北海道名物(?)「サッポロビールキャラメル」。ビールと言うよりも甘酒のような味がする。




  最後は胸を張ってお勧めできる「夕張メロンキャラメル」。きちんとメロンの味がしておいしい。これら3種類のキャラメルは18粒入って105円。おみやげにどうぞ。


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7月9日(日)~15日(土) 北海道旅行(6日目 函館その2)

2006年08月02日 | 国内旅行
6日目 函館その1の続き)

旧函館区公会堂のそばの元町公園は、江戸時代に奉行所が置かれたのを初めに昭和25年まで行政の中心地だった場所で、現在は公園として整備されている。園内には、明治時代の旧北海道庁函館支庁庁舎と旧開拓使函館支庁書籍庫が残る。



  旧北海道庁函館支庁庁舎。明治42年(1909)完成。現在、1階は観光案内所、2階は函館市写真歴史館。


次に旧イギリス領事館へ。旧イギリス領事館の建物は、大正2年(1913)に建てられたもので、昭和9年(1934)年まで領事館として使用されていた。現在は開港記念館で、映像や模型などで開港当時の函館の様子を伝え、当時の領事館の部屋の一部を再現している。庭園は、ばらが満開でとてもきれいだった。



  旧イギリス領事館。




  領事執務室。




  庭園入り口のばらのトンネル。




  庭園。




  庭園のばら。


函館中華会館は、函館在住の華僑達が本国から建築、彫刻、漆工などの技術者を呼び寄せて明治43年に建設した、日本で唯一つの純中国様式の建物。外観は地味だが、内部は非常に豪華だそうだ。




海の見える高台にある外国人墓地は、ペリー来航の際に亡くなった水兵2人を葬ったのが始まりで、プロテスタント墓地、ロシア人墓地、中国人墓地に分かれている。墓標は全て海に向かって立っていた。故人の望郷の思いが感じられた。



  プロテスタント墓地。日本の墓地と違って、明るい雰囲気。


外国人墓地の後は、古い建物を見て回った。



  相馬株式会社。建物は大正5年(1916)完成のルネサンス様式の木造2階建て。現在も営業中。




  函館市文学館。旧第一銀行函館支店の建物で、大正10年(1921)完成の煉瓦・鉄筋コンクリート造の3階建て。




  函館博物館郷土資料館。明治13年(1880)に建てられた旧金森洋品店の建物を復元。




  赤レンガ倉庫群。明治42年(1909)年に建てられた倉庫で、現在はショッピングモールやビヤホールなどに利用されている。一部は現役の倉庫として使用。




  箱舘高田屋嘉兵衛資料館。高田屋嘉兵衛は18世紀末にロシアとの海運や北方漁業開拓などで函館繁栄の基盤を築いた人物。建物は、明治36年(1903)と大正12年(1923)に建てられた昆布倉庫を改装したもの。




  はこだて明治館。旧函館郵便局の建物で、明治44年(1911)完成の煉瓦造。

 
この夜、函館名物の夜景を見に出かけた。函館山行きのロープウェイ乗り場で「山頂に霧がかかっているため夜景が見えない」と係員に言われたので、夜景を断念した。そのまま帰るのは惜しいので元町周辺を散歩。ハリストス正教会、旧函館区公会堂などがライトアップされていて美しかった。



  夜の旧函館区公会堂。


宿に帰ろうと市電乗り場に向かっている時に、ふと函館山を見ると山頂にかかっていた霧がほとんど消えていた。「夜景が見られる」と思い、急いでロープウェイ乗り場に行った。

ロープウェイで山頂に着いた時も霧がほとんど消えた状態だった。天候のせいか「100万ドルの夜景」と称されるほどのレベルではなかったが、なんとか夜景が見られたのでよかった。



  夜景。宿の人によるときれいな夜景が見られるのは冬とのこと。


山頂到着後、10分ちょっとで再び霧が発生し、夜景が全く見えなくなってしまった。霧が消えるのを待ったが、一向に消える様子がないのでしぶしぶロープウェイで下山することにした。下山中、突然ロープウェイのゴンドラが前後に大きく揺れ、空中で止まった。

ゴンドラ内では恐怖で騒ぐ乗客もいたが、係員の冷静な対応により乗客が落ち着いた。おそらく宙吊り状態は5、6分程度だったと思うが、「明日までこのままだったら・・・」「ロープからゴンドラが外れたら・・・」と悪い考えが頭の中を駆け巡り続け、ゴンドラが動き出すまでの時間が非常に長く感じられた。最終的に無事下山できたのでよかったが、今後ロープウェイを極力利用したくないと思った。



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