生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年10月24日 池袋・目白・雑司ヶ谷散歩イベント主催(その3)

2010年11月11日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら


■雑司ヶ谷旧宣教師館
明治40年(1907)にアメリカ人宣教師マッケーレブが自宅として建てた2階建ての木造洋館。19世紀後半のアメリカの郊外住宅の特色を持つ住宅で、豊島区内で最も古い近代木造洋風建築。館内にはマッケーレブの活動や生活の様子、雑司ヶ谷等に関する展示がある。都有形文化財。






マッケーレブが使用したベッド。


■雑司ヶ谷霊園
明治7年(1874)開園の広さ約10万平米の都立霊園。江戸時代の寛永15年(1638)には薬草栽培の御薬園となり、享保4年(1719)には御鷹部屋として将軍の鷹狩りに使う鷹の飼育や訓練が行われた歴史がある。


夏目漱石。慶応3年(1867)~大正5年(1916)。近代日本文学の代表的作家。「吾輩は猫である」で文壇に登場。「坊ちゃん」「三四郎」「それから」「こころ」「道草」「明暗」等の作品を生んだ。「こころ」には雑司ヶ谷霊園が登場。 


竹久夢二。明治17年(1884)~昭和9年(1934)。大正ロマンを代表する画家、詩人で、夢二式美人画や「宵待草」などの叙情的な詩歌は大流行した。若いころ雑司ヶ谷に住んだ。


中濱(ジョン)万次郎。文政10年(1827)~明治31(1898)。土佐(高知県)中浜村で貧しい漁師の子として生まれ、14歳で出漁中に遭難、アメリカ船に助けられて渡米。アメリカで航海術などを学び、帰国後は新知識と英語力が重用され、通訳として活躍した。


島村抱月。明治4年(1871)~大正7年(1918)。早稲田大学教授。自然主義文学を提唱。松井須磨子らと芸術座を興し、近代劇の普及に努めた。


サトウハチロー。明治36年(1903)~昭和48年(1973)。詩人。戦前の「二人は若い」、戦後の「リンゴの唄」で圧倒的な人気を生んだ。


荻野吟子。嘉永4年(1851)~大正2年(1913)年。男尊女卑が横行していた明治時代に日本で最初の公認女性医師となった。


小泉八雲。嘉永3年(1850)~明治37年(1904)。本名、ラフカディオ・ハーン。 父はアイルランド人、母はギリシア人。アメリカで新聞記者などをした後、来日のち帰化。英語・英文学を教えるかたわら、「怪談」「霊の日本」等を著し世界に日本を紹介した。


羽仁もと子。明治6年(1873)~昭和32年(1957)。女性初の新聞記者として活躍、夫の吉一とともに出版社の婦人の友社を設立。自由学園の創立者。


永井荷風。明治12年(1879)~昭和34年(1959)。作家。欧米留学後、「あめりか物語」「ふらんす物語」「すみだ川」等を発表、耽美派の中心的存在となる。後に花柳界の風俗を描くようになり「腕くらべ」「濹東綺譚」等を発表。


■大鳥神社
雑司ヶ谷鬼子母神境内に祀られていた「鷺大明神」が、明治元年の神仏分離令により移転し大鳥神社と改称。出雲藩下屋敷で藩主松平公の嫡男が疱瘡にかかった時、鷺明神に祈り治ったことから、厄病除けの神として尊崇されている。




■鬼子母神大門ケヤキ並木
鬼子母神に続く参道沿いのケヤキ並木。昭和12年(1937)頃には18本あったケヤキが、 現在は4本を残すのみ。天正年間(1573~1591)に雑司ヶ谷村の住人長島内匠が奉納したものと言われ、樹齢400年を越える。都天然記念物。




■雑司ヶ谷案内処
雑司ヶ谷の観光案内、地域情報提供、郷土玩具の「すすきみみずく」などの展示・販売、 雑司ヶ谷ゆかりの作品を展示。建物は漫画家の手塚治虫がトキワ荘から移り住み3年間程創作活動を行なった「並木ハウス」の別館、並木ハウスアネックスで、手塚治虫が描いた並木ハウスでの創作風景のスケッチをパネル化したものを常設展示。


並木ハウスアネックス。


二階の展示スペース。


手塚治虫による並木ハウスのスケッチ。


すすきみみずく。


■雑司ヶ谷鬼子母神
永禄4年(1561)、清土(文京区目白台)の地の辺りより掘り出された鬼子母神像を東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に安置したのが始まり。江戸時代には多くの参詣者を集め、門前には茶屋や料亭が建ち並び繁盛した。鬼子母神はインドの邪神だったが釈迦により改心し、安産・子育ての神となったとされる。雑司ヶ谷鬼子母神では、正式には角(ツノ)のつかない鬼の字を用いる。




大イチョウ。高さ30メートル、幹周り8メートル、樹齢600年に及ぶ。都内では麻布の善福寺のイチョウにつぐ巨木。都天然記念物。


鬼子母神堂。本殿は寛文4年(1664)、拝殿は宝永4年(1707)に建立。都有形文化財。


上川口屋。創業天明元年(1781)の都内最古の駄菓子屋。


鬼子母神像。


■音羽家
郷土玩具の「すすきみみずく」を製作・販売している唯一のお店。すすきみみずくには、 「親孝行の娘が鬼子母神のお告げによりすすきの穂でみみずくを作って売り、そのお金で病気になった母親のために薬を買った」との言い伝えがある。




■豊島みみずく資料館
世界中のふくろうに関した資料収集家でもある元東大名誉教授の故飯野徹雄氏が、豊島区に寄贈したおよそ4000点のふくろうコレクションのうち200~300点を展示公開。 館内は、ふくろうの生活・イメージ・かたちの3つのテーマで構成され、石・木・ガラス製のふくろうの置物や、彫刻、玩具など、世界各国のふくろうやみみずくの珍しいコレクションを見ることができる。ふくろうととみみずくはどちらもフクロウ科だが、羽角(頭にある角のように突き出た羽)がないものはふくろう、あるものはみみずくと呼ばれている。






■法明寺
弘仁元年(810)に真言宗の寺院、威光寺として創建、正和元年(1312)日蓮宗に改宗、 法明寺と寺号を改めた。江戸時代から桜の名所として知られている豊島区内最古のお寺。






■威光稲荷
法明寺の境内にあり、迷路のようにくねった細い道沿い建ち並ぶ鳥居の先に祀られている。写真撮影できず。


2010年10月24日 池袋・目白・雑司ヶ谷散歩イベント主催(その2)

2010年11月10日 | 都内散歩イベント主催
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■目白庭園
滝に築山、池を配した伝統的な回遊式庭園。池に面して立つ茶室「赤鳥庵」は、大正7年(1918)にこの地で創刊された童話雑誌「赤い鳥」に由来する。










■目白千種画廊
大正7年(1918)に童話雑誌「赤い鳥」を創刊した鈴木三重吉の旧宅兼赤い鳥社跡。「赤い鳥」は昭和11年(1936)まで発行され、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や有島武郎「ひとふさの葡萄」などの童話から、北原白秋の「赤い鳥小鳥」、西条八十の「かなりや」などの童謡まで、多くの傑作が発表され、児童文学の育成に大きな役割を果たした。




■学習院
明治10年(1877)に華族会館による市立の華族学校として四谷区尾張町(現在の新宿区四谷)に設立。明治17年(1884)宮内庁所轄の官立学校となり、皇族・華族の子弟の教育にあたった。明治41年(1908)に現在地に移転。戦後は学校法人経営の私立大学となった。「学習院」の名は嘉永2年(1849)孝明天皇より「学習院」の勅額が下賜されたことに遡る。 平成21年に構内の7件の建物が国登録文化財となった。


正門。明治41年(1908)の目白移転の際に造られた煉瓦造りの門。国登録文化財。


東別館(旧皇族寮)。大正2年(1913)当時全寮制だった学習院の皇族寮として竣工。木造2階建で、正面玄関には馬車を寄せる車寄せがある。国登録文化財。


北別館(旧図書館)。明治42年(1909)に図書館として竣工した瓦葺の木造平屋建。廊下の持送りや床下換気口は校章である桜の意匠を見ることができる。国登録文化財。


南1号館(旧理科特別教場)。昭和2年(1927)に中等科・高等科の理科特別教場として竣工。1階窓の尖塔アーチ等、垂直性を強調したネオゴシック様式の鉄筋コンクリート造の建物。国登録文化財。


西1号館(旧中等科教場)。昭和5年(1930)に中等科教場として竣工。南1号館と同様、ネオゴシック様式を基調とした鉄筋コンクリート造の建物。国登録文化財。


厩舎。明治41年(1908)に建てられた木造平屋建の厩舎。昭和2年(1927)に現在地に移築。国登録文化財。


榊檀。明治42年(1909)、明治天皇の目白新校舎の行幸の記念に建てられた。周囲に石を巡らして築いた前方後円風の壇。石の一部は院長乃木希典が当時の日本の国境から集めたもの。


乃木館(旧総寮部)。明治41年(1908)竣工の木造平屋建の建物。竣工当時は乃木希典が起居した院長室、会議室、事務室、購買部、倉庫などで構成されていたが、昭和19年(1944)の取り壊しの際に、院長室を「乃木館」として保存、この地に移築。国登録文化財。


血洗いの池。湧水でできた池で、昔は灌漑に用いられた。学習院の構内になってから、赤穂浪士の一人、堀部安兵衛が高田馬場の決闘で叔父の仇を討った際、この池で刀を洗ったという伝説ができ、「血洗いの池」と呼ばれるようになった。


■宿坂
目白通りから今乗院までを下る緩やかな長い坂。坂の名は中世に宿坂の関と呼ばれる場所がこの辺りにあったことから由来すると言われる。江戸時代には樹木が生い茂り昼でも暗く、くらやみ坂と呼ばれ狐狸が通行人を化かしたと言い伝えられている。


現在は狐狸が出てきそうもない明るい雰囲気の坂。


■金乗院
天正年間(1573~1592)創建の真言宗の寺院。目白の地名の由来でもある、江戸五色不動の一つの目白不動尊は、文京区関口の新長谷寺にあったが戦災により焼失したため、戦後当時に移された。




不動堂。


倶利伽羅不動庚申塔。寛文6年(1666)に建てられた庚申塔。


丸橋忠弥の墓。槍の名人で、慶安4(1651)由井正雪らと幕府転覆を謀り鈴が森で処刑された。


■のぞき坂
宿坂の西側に平行している急で短い坂で、東京で最も急な坂と言われる。別名、胸突坂。


あまりに急な坂なのでボールを落としてどのくらい速く転がるか見てみたくなる・・・。

2010年10月24日 池袋・目白・雑司ヶ谷散歩イベント主催(その1)

2010年11月09日 | 都内散歩イベント主催
この日は東京都豊島区の池袋、目白、雑司ヶ谷を歩くイベントを主催した。参加者は管理人も含め10名で、内訳は男性5名、女性5名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名。

今回の出発地は池袋駅だったが、駅を少し離れるだけで駅周辺の喧騒がうそのような静かで落ち着いた街になった。自由学園明日館や郷土資料館等見どころも多かった。

学習院の構内は意外に緑が多かった。雑司ヶ谷では鬼子母神、霊園、旧宣教師館と見どころが多かった。霊園では有名人のお墓めぐりをしたが、お墓に個性があって面白かった。

雑司ヶ谷鬼子母神を出るころには雨に降られたが昼間は雨に降られなかったので助かった。時間の関係で豊島みみずく資料館と威光稲荷に立ち寄れなかったのが残念だったが。


【コース】
池袋駅→池袋西口公園→東京芸術劇場→元池袋史跡公園→全国伝統的工芸品センター→池袋防災館→豊島区立郷土資料館→自由学園明日館→上り屋敷公園→目白庭園→目白千種画廊→学習院→宿坂→金乗院→のぞき坂→雑司ヶ谷旧宣教師館→雑司ヶ谷霊園→大鳥神社→鬼子母神大門ケヤキ並木→雑司ヶ谷案内処→雑司ヶ谷鬼子母神→豊島みみずく資料館→法明寺→威光稲荷→東池袋駅解散


(写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■池袋西口公園
豊島師範学校(現在の東京学芸大学の前身となる学校の一つ)跡地に出来た公園。東京芸術劇場に隣接し、噴水やオブジェが設置されている。平成12年(2000)に放送されたテレビドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の撮影の舞台になったことでも有名。




オブジェ。


■東京芸術劇場
大、中、小のホールがあり、連日、クラシックコンサートや演劇、ミュージカルなどが開催されている。大ホールには世界最大級のパイプオルガンが備えられ、月1回30分程度の入場無料のパイプオルガンコンサートが行われている。




ホール。


■元池袋史跡公園
「池袋」という地名の由来となった袋の形をした池「丸池」があり、下水道工事のために閉鎖された「元池袋公園」のやや東側に平成10年に作られた公園。園内には「池袋地名ゆかりの池」の石碑や復元した小さな池がある。かつて丸池を水源にした弦巻川が雑司ヶ谷を流れていた。




■全国伝統的工芸品センター
国の指定を受けた伝統的工芸品の全国唯一の総合展示場。織物、染色品、陶磁器、漆器等を展示、販売。伝統的工芸品に関する資料、図書、映像を無料で閲覧できるライブラリもある。2週間ごとに展示が替わる「特別展」も開催。




入り口そばのディスプレイ。


■池袋防災館
地震、消火、煙、救急などの防災シミュレーションを体験できる施設。地震コーナーでは震度7までの地震の揺れが体験でき、体験後にVTRでチェックすることもできる。




「人が倒れている!」と思ったら救命救急講習用の人形だった。


地震コーナー。


VTRで体験の様子をチェック。


■豊島区立郷土資料館
豊島区の歴史や民俗に関する資料や収集品の展示を行う施設。常設展は、「雑司ヶ谷鬼子母神」「駒込・巣鴨の園芸」「長崎アトリエ村」「池袋ヤミ市」をテーマにしており、長崎アトリエ村と池袋ヤミ市の模型の展示もある。企画展も開催。




雑司ヶ谷鬼子母神コーナー。


長崎アトリエ村の模型。


池袋ヤミ市の模型。


■自由学園明日館
出版社の婦人之友社設立者の羽仁吉一・もと子夫妻が大正10年(1921)に創立した女学校、自由学園の校舎。設計者は旧帝国ホテル設計者として知られる、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト。
大正10年(1921)に中央棟、西教室棟が完成、大正14年(1925)に東教育棟が完成。高さを低く抑え地を這うようなたたずまいが特徴的なプレーリースタイル(草原様式)。講堂はライトの弟子の遠藤新が設計、昭和2年(1927)完成。
平成9年に国の重要文化財に指定。現在は多目的スペースとして展覧会やリサイタルなどに利用されている。


ライト設計の校舎。






講堂。


講堂内部。


■上り屋敷公園
「上(あが)り屋敷」とは江戸時代の狩場の休憩所のこと。閑静な住宅街の中にある公園で、園内中央の大きなムクの木がシンボル。