PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



以前、スピードスケートの小平奈緒選手のコーチ、結城匡啓さんの講演録を読んだことがあります。パチパチ!
結城匡啓さんの指導理論はさておき、印象深かったのは、小平選手のようなトップアスリートは、自分の意志が確立しているし、ボキャブラリーが豊富だなと。
「みんながそうしているから」とか「なんだか分からないけど」、「ハァハァ、覚えていないっす」、、、は無いんです。

私が未だに法話でよく取り上げるアレクサンダー・カレリンは「レスリングが強くなりたければ本を読め」と現役時代にしきりに言っていました。
「レスリングは一瞬として同じ体勢が無い。自分の今の状況を把握するためには、それを瞬時に言語化できなければいけない。だから本を読んでボキャブラリーを増やせ」
が言わんとするところでした。

小平選手も、練習の後、
「足で氷を蹴るんじゃない、お腹で氷をつかむ、、、」
のように、自分の得た感覚を言葉にするということを繰り返していたそうです。言葉に出来ないと、再現しずらいから。

そして、コーチのやり方を支持しながらも
「先生、違います」
と、コーチの表現方法を自分の言葉に直したそうです。


かつて私自身、ソムリエの言う
「このブーケは、森を散歩する少女の靴についた枯れ葉の香り、、、」
とかいうのに嫌悪感をもっていましたが、具体的な言葉にしないと伝わらないことが最近ようやく分かりました。失礼しました。

ソムリエの田崎真也氏が
「肉汁がじゅわっと広がる」という表現は、ただ肉汁の量を表しているだけである、「牛肉がたっぷり入ったコロッケ」などというのも視覚から来た「量」を表しているにすぎない、「プリプリした刺身」「ほくほくのポテトサラダ」も、それは触感に基づく擬声語的な表現にすぎない。「ほっこりした味わい」「まったりしたうま味」などというのも、人によって定義が違う言葉。「手作り」「厳選した素材」といった表現も、プロセスにすぎないから、美味しさを表す要因にはならない、、、、、
と語っているのを知り、自分の表現力の無さに凹みました。
仏教では不立文字と言って、言葉に出来ない世界があるのですが、、、、、それでも言葉にすることを試みたいです。そのプロセスも自分にとってはきっと大切なのかなと。


とまれ、小平選手応援してます。がんばれー!



写真~
今日の流山立木観音像。仏様は形が無い。だけど、なんとして立体に表現したものが仏像です。





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