先日、何かで読んだのですが(どんな媒体だったかすっかり失念)、流山の飴屋さんが唄っていた飴屋唄の歌詞が気になったので図書館で調べてみました。パチパチ!
戦前は、飴屋さんが太鼓を叩きながら、頭の盤台に乗せた飴を売りに来たのだそうだ。そして、買ってくれた子には、紙で作った小さな日の丸の旗をおまけに配ったのだとか。
流山市立博物館友の会による『流山研究におどり 第3号』に平和台在住の青木更吉さんが「流山の放浪芸ヨカヨカ飴屋物語」というタイトルで寄稿されています。
そこに記された飴屋唄の歌詞は、
ハーエヨー 一つはよ市野谷のよ天神様 二は日光の東照宮
ハーエヨー 三はよ佐倉の宗五郎 四にはまた信濃の善光寺
ハーエヨー 五つはよ出雲の大社 六つ村村鎮守様
ハーエヨー 七つは成田の不動様 八つまた八幡宮
ハーエヨー 九つはよ高野の弘法様 十また東京神宮様
と、十まで続く手まり歌で、これに飴屋節という節をつけて歌われたのだそうです。採譜されたものも載っていました。
「これだけの有名社寺の中に市野谷の天神様が入っている!」と感動したのですが、なんてことはない、本来は「一番初めは一の宮」と唄う部分に、地元の神社を入れ込んだだけのようです(^^;)
市内の夏祭りに、こういう昔の大道芸や放浪芸をやってくれる人が来たら、ノスタルジックで楽しいと思うんだけどなあ。
バナナのたたき売り、ガマの油売り、紙芝居、、、、(くっ、、、オイラがやるか、、、、メラメラ~)
ちなみに流山のヨカヨカ飴屋さんであった橋詰留吉さんは、戦後に飴売りを辞め、流山の町議会議員になりました。お墓は木の観音寺(真言宗豊山派)にあるそうです。
『におどり3号』は昭和59年発行で、今は仏さまの仲間入りをしている私の師僧(光明院の先代住職)の文章も載っており、しみじみと読み返しました~。
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