教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

凹む

2006年06月26日 20時18分01秒 | Weblog
 今日は17時から例の討論会。
 それまでは7月末〆切(自己設定)の論文を書いてました。
 討論会では、先生の言われた通りに書き直したら、やっぱりここまでは言えないよな、ということになり、今回の論文で言える範囲で小さくまとめよ、という指示が出る。私も実は、先生に言われたようなことは、この論文の範囲では言えないし、一冊の本になる程度の分量でも(当然、博論の分量でも)足りないだろう、とはなっから思っていたので、結果的には落ち着くところに落ち着いた、ということになる。ただ、正直、見捨てられたような気分がしてかなり凹む(苦笑)。さらに、少し見えてきていた博論がさらに遠ざかって見えなくなったような気がして、めまいがする(苦笑)。
 まあ、仕方ないか。
 とりあえず、目の前にあることをしなくてはならない。課題は、「大日本教育会・帝国教育会像の再構築によって、日本教育史の何が変わるか」を明らかにすること。これを書かないと、研究科紀要の投稿すらOKが出ないので。従来は、「教育運動団体」「職能団体」「翼賛団体」として捉えられてきた大日本教育会・帝国教育会。教育運動団体としての両会像は、教員たちの政治的自立の歴史を描くのに役だった(多くは逆説的な意味で、だけど)。職能団体としての両会像は、教員の専門職化につながる職業的自律の歴史を描いていた。では、私は何を描くか。私が問題としたいのは、政治運動じゃないんだ。教員だけの話じゃないんだ。
コメント
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