道徳的に完全な人間など存在しない。したがって、人間が道徳を教えることはできない。
この言は果たして真理か。
否。
人間の道徳的不完全性は、むしろ道徳教育を可能にする。
人間は道徳的に不完全であるからこそ、道徳的実践に努力する。道徳とは、単なる道徳的知識や社会のルールではなく、道徳的知識やルールに対する納得に基づく実践である。それゆえに、納得づくの道徳的実践に対する努力は、道徳そのものになる。道徳的実践は感化の力を有する。深く広い道徳的理解に基づいて、道徳を実践しようと努力する教師の姿は、被教育者の道徳性を目覚めさせることができる。
道徳教育の目的は、道徳を知識として教えることではない。道徳を知識として教えることは、道徳教育の目的ではなく、その手段である。道徳教育は、人間が本性として有する道徳性を喚起して自覚させ、道徳的判断力を育成して日常的に道徳的実践に取り組む態度・習慣を涵養することを目的とする。そのため、教師の道徳的実践に対する努力は、子どもがそれに感化される時、道徳教育の手段の一つとなる。
道徳的に不完全な人間だからこそ、道徳的実践に努力することができ、道徳教育を可能にする。
(参考:高山岩男の道徳教育論)