「三田の文部省」と呼ばれた福沢諭吉は、明治初期の学校制度発足期において、学問について次のように考えた。学問は、自然・人事を統制し、一人ひとりの精神の独立・自由を実現するものである。学問は、国家が民衆を支配するためのものではなく、民衆が自ら学んで独立不羈の国民になっていくためのものである。福沢流に考えれば、学校はそのための学問をするところであった。
今の学問は、このような学校で行われるにふさわしいものになっているか。すなわち、物事を主体的に判断できる国民を育てるにふさわしいものになっているか。われわれ学者は、常にこのことを考えながら研究に取り組まなければならない。学問教育の問題をさておいて、学問研究を行うことはできない。
今の学校は、独立の国民になっていく場としてふさわしい指導・環境を提供しているか。子どもたちを、学生たちを、思考停止させていないか。誰かの判断に安易に身を委ねさせていないか。われわれ教師は、子どもたち・学生たちに対して、自ら考え、判断し、行動する境地に導かなければならない。子どもたち・学生たちに、自ら考え、判断し、行動する上で必要な知徳体を育てなければならない。
学問・学校は、人間が独立するためにあるが、社会・国家から切り離されてはならない。過去・現在の国家・社会における、思想・政治・制度・文化・宗教・外交などと切り離して存在することはできない。むしろ、それらと正面から向き合うことが重要である。向き合うことそのものが、新しい知を生み出し、新しい国民を育てる。