教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

歴史研究としての教育史研究

2024年03月01日 19時56分00秒 | 教育研究メモ
 「教育学としての教育史」という立場は、教育史研究に歴史学と縁を切ろうと言っているのではない。まったくその逆であり、歴史学と連絡しつつ教育学として研究を進めようと考えている。教育史研究は歴史研究の一種であり、それゆえに教育学研究の欠かせない一つの方法となりうる。教育学研究と教育史研究と歴史研究は接続してこそ十分な研究が可能になる。

 歴史研究とは何か。過去の真理を明らかにすることか、過去の資料・事実を解釈することか。または、過去に対する共感/非難する実践か、それとも歴史像や概念の再構築を進める実践か。
 歴史研究の意味するところは研究者の立場や目的によって異なるので、歴史研究とはという問いに唯一の答えがあるわけではないが、研究に取り組むにあたって自分の研究が何を目指しているのかは自覚する必要がある。例えば、過去に対する共感を求めての研究であれば、共感できない事実や不都合な事実は見えなくなりがちである。自分の研究の立場を自覚しなければ、研究の課題や可能性・限界は見えてこない。
 歴史研究は何を問題にすべきか。言説や行為の倫理性か、事実の再現性の程度か。問題設定も研究者によって異なるので、この問いにも唯一の答えがあるわけではない。社会史・文化史の研究では、物事や関係者の関係性や集合性、親和性、そのネットワークの在り方、研究対象のおかれた状況や場の文脈を問題にしようとしている。歴史は、多様な文脈を総合的に把握しながら考察しなければならない。各時代独特の感情の在り方や、町・街(ストリート)レベルで起きたこれまでの経緯などを踏まえることも求められる。
 歴史研究において、現在の視点のみで過去を解釈しようとする「現在主義」に陥らないことは重要である。しかし、現在とまったく無関係に過去を研究することは不可能である。研究者は、現在に生きて物事を考えているので、時間を超越した考察はできないし、どんなに努力しても無意識・無自覚に一定の現在的な価値観をもって過去を見てしまう。そうであれば、現在を振り払おうとしてかえって困難に陥るよりも、現在を適切に踏まえて過去に向き合うことが、研究者としてふさわしい態度であろう。
 教育学は様々な方法で教育を研究し、現在の教育を見直し、未来の教育をよりよくすることを目指す傾向が強い。教育学として教育史を研究する場合、単に過去の教育を研究するだけでは教育史研究の有用性は疑われてしまう。教育学としての教育史研究は、「現在主義」の批判を前提として、現在を見る研究者自身の視点・考え方・問題意識等を自覚して、過去の同時代の視点・考え方・問題意識等を尊重しながら過去に向き合う姿勢を身につけなければならない。
 我々が教育について議論する場合、自覚的または無自覚的に教育史に触れざるを得ない。教育史とは、過去の教育から現在の教育に至るまでの過程であり、「教育」という概念によって捉えられる文化的な現象の流れである。教育史研究は、過去を検証することによって、現在までの歴史的経緯や現在に影響する基本的な構造を探究する役割を果たす。教育学は教育史研究によって教育を歴史的・構造的に検証・探究することができる。教育史研究は歴史研究として必要なだけでなく、教育学研究としても必要である。
 また、我々は、しばしば過去の教育の取り組みを顕彰・追憶しようとする。しかし、いま、我々の生きる時代は、近世以前の教育や近代の国民教育の取り組みを丸ごと肯定できるような単純な時代ではない。ジェンダーや身分、階層、障害、民族などの多様な立場に配慮しようとするとき、教育史(特に近代学校教育史)の理解・利用は批判的に検証される必要がある。
 我々が、教育の過去を検証して適切に賞賛/反省し、現在に至る歴史的経緯と課題を発見して、未来の教育をよりよくしていくために、教育史研究は必要である。過去の教育を味わい、過去から現在までの教育を反省し、未来の教育を創っていくのは、市民一人一人である。研究者にとってだけでなく、よき市民として生きるためにも、教育史研究は必要である。

参考文献:Johannes Westberg & Franziska Primus, "Rethinking the history of education: considerations for a new social history of education", Paedagogica Historica, Vol. 59, (2023), 1-18. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00309230.2022.2161321


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