教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索

2024年03月08日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 昨年末に出た本学紀要で拙稿を活字化しましたが、ウェブで公開されてからと思いながら待っておりましたが、年度が終わりそうなので先に紹介します。このペースだと、ウェブ公開は例年の通りで、おそらく5月か6月くらいかなあ? いまは図書館で複写依頼をしてくだされば読めます

白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学』第58号、2023年、11~25頁。

 はじめに
1.「教育学としての教育史」の教育という歴史的課題
(1)教員養成における教育学教育の一環としての教育史教育
(2)教員養成大学・学部の設立による教育学教育・教育史教育の問題化
(3)教員養成の構造変容のなかでの教育史教育の模索
2.歴史教育としての教育史教育の課題
(1)通史教育・問題史教育と問題史的通史教育
(2)どのような歴史的思考を何のために育成するか
(3)近代化・大衆化・グローバル化の歴史をめぐる解釈の複数性と対話
3.高大接続・教員養成・教育学教育としての教育史教育の課題
(1)能動的学修と「歴史的な見方・考え方」を働かせる問いの表現
(2)将来の職業・市民生活につながる教育史教育の内容
(3)「教育学としての教育史」の教育における教育問題の研究
 おわりに

 本稿は、歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育を模索するために、現代日本における教育史教育の課題について明らかにすることを目的としました。
 ちなみに、「教育学としての教育史」とは、教育史研究・教育が同時に教育学研究・教育となることを積極的に目指す立場を指しています。教育史には多様な立場(歴史学としての教育史とか、歴史社会学としての教育史とか)があり、その中の一つの立場を指すために最近使ってきた概念です。
 学問の社会的機能には「研究」と「教育」の2つがあります。そのうちの「教育史研究」の課題については日本教育史に限って前稿(拙稿「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁)でまとめたので、今回は「教育史教育」の課題を明らかにすることにしました。前稿と今回の稿は、もともと学問領域としての教育史の社会的機能(有用性)を明らかにするために1つの研究として合わせて書き始めたのですが、1つの論文に収まらなかったので、2つの論文にしました。いずれも、「歴史学としての教育史」という先行研究の立場(主には辻本雅史氏や沖田行司氏、橋本伸也氏、岩下誠氏らの仕事を想定しています)に対して「教育学としての教育史」を再構築し、ポストモダン以降の「現在の教育学の揺らぎ」に向き合う足場を固めよう、という意識の下に研究を進めてきました。

 本稿では、教育史教育の課題を明らかにするために、明治から現在までの教育史教育独自の歴史と、歴史教育としての教育史教育、高大接続・教員養成・教育学教育を同時に実現させる大学における教育史教育の5つの視点から研究を進めてきました。明らかにできたことは次の4つに整理できます。
 第1に、戦後の教員養成大学・学部の成立が旧制の教育史教育では見られなかった問題(個別問題や学生に応じた大学教育、教育史教育の現場の多様化など)を顕在化させたことを明らかにしました。第2に、1970年代の「問題史的通史」教育が、教育史教育独自の課題意識(通史の位置づけなど)と関わっていた可能性があることを明らかにしました。第3に、1980年代以降の歴史教育論を踏まえると、教育史教育において教育史や歴史学のディシプリンを教えることが必ずしも正当化されないことを明らかにしました(学習者自身が現代社会の諸課題に対して何ができるか、何をするかなどが問題)。第4に、教育史教育において学生の具体的ニーズや教育経験に応じて能動的学修を引き出し、授業者と学生がともに教育問題を研究することが重要であることを明らかにしました。
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