教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

半徹夜、そして原因概念?

2006年06月09日 18時35分45秒 | 教育研究メモ
 最近朝起きられないことはくどいほどお伝えしておりますが、同時に夜眠れなくなっております(苦笑)。運動と研究で体も頭も疲れ切っているはずですし、きちんと眠くなるのですが、眠れません。午前4時少し前に寝るのを諦めて(熟睡ではないにしても4時間ぐらいは横になったので)、登校。
 まだ暗い中、教育史学会発表申込のための研究を開始。結局昨日考えていたことは資料が少ないようなので、まったく違うことをすることにしました。ちょっと教育史学会には「ふさわしくない」研究になりそうだけど… まあ、投稿を前提として考えているのはいつものことですが、今年度中に博士論文を書くなら投稿・掲載は間に合わないし、書けないなら掲載可否にこだわりはない。それに、私としては、大日本教育会・帝国教育会研究の極めて重要な研究だと思うので、これで掲載されないならまあいろんな意味で「そこまでだろう」、と思っています。これまで手を着けていた論文(未発表)を土台にしているので、朝方には半分ぐらいできました。これ以上はさらなる調査が必要なので、今日はおしまい。
 10時半から授業。それから特研(ゼミ)。今日はI先生とIW先輩の発表でした。S先生が退職された後、単位とは関係ないけど、こうして特研が開けるとは思いもよりませんでした。これも、二人でもやろうとIW先輩に強く迫った結果受け入れてくださったから、そしてI先生が加わってくだっているからです。感謝。
 寝たんだかどうだかわからない状態から早朝起床で、ほとんど徹夜状態の私は、すでに夜が明けたぐらいから猛烈に眠い状態。がんばって起きていようとしているから、目が痛い。でももう一がんばり。
   
 今日もクーンを読みました。今日は、T・クーン「物理学の発達における原因の諸概念」(我孫子誠也・佐野正博訳『科学革命における本質的緊張』第二章、みすず書房、1998年)。先日のに比べると遙かに論文分量が少ないので、眠い中がんばって読む。でも、抽象的すぎてわけがわからない。したがって、いつもの要約も不十分きわまりないものになりました。ちなみに、この論文は、"Etudes d'épistémologie génétigue 25"(1971年)に載せた論文だそうです。
 変化の原因は、アリストテレスによると、どのような変化も四つの原因(質料因 material cause 、作用因 effcient cause 、形相因 formal cause 、目的因 final cause )のそれぞれの型の原因をもっています。「彫像がなぜ存在するか」についての例によると、質量因は大理石、作用因は彫刻家の工具によって大理石に及ぼされた力、形相因は彫刻家が心の中に抱いていた理想化された完成品の姿、目的因はギリシア社会の構成員が鑑賞することができる美術品数の増加、であるといいます。17世紀の間にこの種の説明は言葉遊びや同語反復として避けられるようになったけれども、自然現象を説明するという意味においては何の論理的欠陥もありませんでした。実際、以後の物理学は、形相因や作用因によって数学的に説明してきたのです。そして、従来のままでは説明できない現象を説明するために、特定の原因を分離して考えるようになり、説明のための基本的に異なる形相の個数はどんどん増大していきました。科学の発達は、つねにより精密な現象の説明を可能にしてきたが、説明の観点からは科学の簡潔さは時代とともに失われてきました。原因(説明)の観念だけを取り上げて研究した場合には、原因(説明)の観念は、科学的知性の進歩について何も証拠を示さないのです。
 本文の内容は、かなり飛ばして要約してマス。言いたいことは、科学の原因概念をめぐる歴史的展開からは科学の進歩は見いだせない、ということでしょうか…。う~ん、わかったような、わからないような、、、
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