今朝は、昨日に引き続いて徹夜明け。一心不乱に、主任指導教員から以前出されていた課題に取り組んでいました。課題とは、大日本教育会・帝国教育会の事業全体における教育研究活動の位置づけ。細かい内容はさておき、「大日本教育会規則」「帝国教育会規則」を使って位置づけてみました。まあ、私の仕事は両会の通史を書くことではないですから、こんなもんではないかと。午前7時半ごろ書き終わり、一段落。
すき屋で納豆朝食を食べた後、再び研究室へ戻る。その後何をしたかは思い出せないや(笑)。10時半くらいに市体育館へ運動へ。12時少し前に帰宅し、洗濯をしながらすこし仮眠。14時ごろ再び研究室へ。その後、博論の構想を練り直し始める。
教育研究に教員研修の意味がある、というのは周知の事実。各事典にも書いてあるし、戦前日本の教員研修史として教育会の教育研究活動に着目した研究もある(佐藤幹男『近代日本教員現職研修史研究』風間書房、1999年)。こういう教育会における研究活動のとらえ方は私もちょくちょく口にしていたので、そろそろちゃんと博論の研究目的に位置づけようと思い、教員研修史研究の一環として大日本教育会・帝国教育会における教育研究活動を分析します、という方向で研究目的を書いてみました。しかし、ひとしきり書いた後、ふと次のように思いました。
「なんだか、佐藤幹男先生の後追いみたいだな…」
そう。確かに大日本教育会・帝国教育会を教員研修史に位置づけて研究した人はいない(ただ、無理矢理解釈すれば、思い当たる研究論文もないでもない)。副次的な結論として教員研修上の意義を明らかにするのはもちろん問題ないけど、それを研究そのもののオリジナリティとするのはどうか。これは純粋なオリジナリティではなく、研究そのものの意義を薄れさせるもののように私は思うのです。
では、何を私の博論のオリジナリティにするのか。私は、「研究活動」そのものの独自の意義に正面からぶつかっていくしかないんじゃないかと思います。でも、なかなか周囲の理解が得られないんだよなぁ~ とりあえず、その方向で修正してみた。
すき屋で納豆朝食を食べた後、再び研究室へ戻る。その後何をしたかは思い出せないや(笑)。10時半くらいに市体育館へ運動へ。12時少し前に帰宅し、洗濯をしながらすこし仮眠。14時ごろ再び研究室へ。その後、博論の構想を練り直し始める。
教育研究に教員研修の意味がある、というのは周知の事実。各事典にも書いてあるし、戦前日本の教員研修史として教育会の教育研究活動に着目した研究もある(佐藤幹男『近代日本教員現職研修史研究』風間書房、1999年)。こういう教育会における研究活動のとらえ方は私もちょくちょく口にしていたので、そろそろちゃんと博論の研究目的に位置づけようと思い、教員研修史研究の一環として大日本教育会・帝国教育会における教育研究活動を分析します、という方向で研究目的を書いてみました。しかし、ひとしきり書いた後、ふと次のように思いました。
「なんだか、佐藤幹男先生の後追いみたいだな…」
そう。確かに大日本教育会・帝国教育会を教員研修史に位置づけて研究した人はいない(ただ、無理矢理解釈すれば、思い当たる研究論文もないでもない)。副次的な結論として教員研修上の意義を明らかにするのはもちろん問題ないけど、それを研究そのもののオリジナリティとするのはどうか。これは純粋なオリジナリティではなく、研究そのものの意義を薄れさせるもののように私は思うのです。
では、何を私の博論のオリジナリティにするのか。私は、「研究活動」そのものの独自の意義に正面からぶつかっていくしかないんじゃないかと思います。でも、なかなか周囲の理解が得られないんだよなぁ~ とりあえず、その方向で修正してみた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます