Sunday Songbook Playlist

2007年11月18日 | Sunday Song Book

<11月18日プレイリスト>
[P. F. スローン特集 Part 2]
パレード/マヤ・ヒラサワ "THOUGH I'M JUST ME" '07
EVE OF DISTRUCTION/BARRY McGUIRE '65
FROM A DISTANCE/P.F. SLOAN '65
WHERE WERE YOU WHEN I NEEDED YOU/THE GRASS ROOTS '66
AUTUMN/THE THOMAS GROUP '66
UNLESS YOU CARE/TERRY BLACK '64
TAKE ME FOR WHAT I'M WORTH/THE SERCHERS '65
A MUST TO AVOID/HERMAN'S HERMITS '65
YOU BABY/THE TURTLES '66
SECRET AGENT MAN/JOHNNY RIVERS '66
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■内容の一部を抜粋
・近況
先週と同じ家で曲書きで「お籠り」。

・ パレード
日系ハーフのスウェーデン人マヤ・ヒラサワのアルバムに入ってるスウェーデン語版の「パレード」。

・P. F. スローン特集
十一月いっぱい三週間の予定。先週は'60年代初期のデビューからサーフィン、ホット・ロッドが中心。今週はフォーク・ロック・ムーブメントの中のスティーブ・ヴァリとP. F. スローンのソング・ライターとしての活動、ほかの人に書いたヒット曲を中心にPart.2。来週はP. F. スローンのシンガー・ソングライターとしての面、作家として人に提供したレアな曲。その後の活動を特集する。

・EVE OF DISTRUCTION
1965年、ルー・アドラーはダンヒル・レコードを設立。
1965年といえばフォーク・ソング・ブーム、プロテスト・ソング、メッセージ・ソングの台頭、イギリスからビートルズをはじめとするビート・バンドの上陸(ブリティッシュ・インベーション)、それからテレコ、楽器、エフェクターなどの革命的な変化、進歩があり、幾多の名曲、名アルバムが生まれた時代。
ルー・アドラーはボブ・ディランがエレキ・ギターを持ったことに象徴される時代の変化を敏感に感じとり、いわゆる「フォー・ロック」運動にひじょうに反応し、ニュー・クリスティ・ミンストレルというフォーク・グループのリード・シンガーだったバリー・マクガイアをダンヒル・レーベルに引き抜いた。それでP. F. スローンの作品を歌わせたところ、これが大センセーション、全米No.1となった。「EVE OF DISTRUCTION」の原題は「破滅の前夜」、邦題は「明日なき世界」。ミリオンセラーとなった。保守派からは大批判を浴び、プロテスト派からは大絶賛された。当時の東西の冷戦を歌った内容で、アメリカ、イギリスでは放送禁止となった。右翼からの大攻撃に遭った。ファンタスティック・バギーズの名付け親とされるミック・ジャガーは「この曲には真実がない」と、サーフィン、ホット・ロッドからいきなりプロテスト・ソングを作ったことに対して揶揄した発言をしたそうだ。賛否両論を巻き起こした曲。この曲もドラムはハル・ブレイン。この曲は仮ミックスのデモのままシングルとしてリリースされたという。

・FROM A DISTANCE
P. F. スローンは、当時、ボブ・ディランから強く影響を受けていたと後にインタヴューで答えている。しかし、どれほどプロテスト・ソングやメッセージ・ソングに自覚的に取り組んでたかはわからない。ルー・アドラーをはじめとしてレコード会社からの指示で作ったが、やがて自分の中で自覚的に爆発していって、ポップ作家の枠を超えたいという欲求からシンガー・ソングライターの道を突き進んで行ったのではないかと、タツローさんは想像する。キャロル・キングとアイドル歌謡を作っていたジェリー・ゴフィンがボブ・ディランを聴いて、自分の詩に疑問を持って、そこから逃れたいともがいた、そういう時代だった。結局、P. F. スローンはスティーブ・ヴァリと分かれてシンガー・ソングライターの道を突き進む。それまでどちらかというと陰の存在だったスティーブ・ヴァリはその後、大プロデューサーとして生き続けるという皮肉。
日本でP. F. スローンといえばこの曲だが、日本とイタリアでしかヒットしてない。邦題は「孤独の世界」。作家時代はフィル・スローンだったが、シンガー・ソングライターとなってからはP. F. スローンに変えた。

・WHERE WERE YOU WHEN I NEEDED YOU
グラス・ルーツはスティーブ・ヴァリとP. F. スローンの架空のグループとしてスタートした。ルー・アドラーがフォーク・ロックのムーブメントを前進させようとして作ったグループ。最初のシングルが評判よく、スティーブ・ヴァリとP. F. スローンを作家のまま置いて、新たにライヴだけを行うバンドを探した。当時よくあることだったという。それでベドウィンズに白羽の矢がたった。ビル・フィルトンというリード・ヴォーカルはP. F. スローンと声がよく似ている。P. F. スローンがビル・フィルトンに似させたのかもしれない。そうしてベドウィンズをグラスルーツに仕立ててアルバムの制作をはじめた。スタジオはスティーブ・ヴァリとP. F. スローンが行い、ライヴ・ツアーはバンドが行うということを繰り返すうちに、制作側とバンドが衝突してしまい、バンドは分解した。しょうがないのでスティーブ・ヴァリとP. F. スローンがアルバムを続行するものの、あまり話題にならなくなった。そうするうちにビル・フィルトンがリード・ヴォーカルで歌うシングルがチャートイン。やはりグループが必要だということになり、新しいグループを探してきた。そしてサーティスホラを新しいグラスルーツとして活動させる。このリード・ヴォーカルが徴兵されたので、新しくロブ・グリルというヴォーカリストを加入させた。「WHERE WERE YOU WHEN I NEEDED YOU」は最初P. F. スローンのヴォーカルで録音されたが、ビル・フィルトンに差し替えシングルをリリース。1966年に全米28位となった。だがアルバムはなぜかP. F. スローンのヴォーカル・ヴァージョンのまま。その後、現在のCDやベストにはロブ・グリルのリード・ヴォーカルのヴァージョンが入ってる。3ヴァージョン存在する。カラオケはすべて同じ。今回はP. F. スローンのヴォーカル・ヴァージョン。

・AUTUMN
トーマス・グループはダンヒルからシングル4枚リリースしたがヒットはしなかった。P. F. スローンはヴォーグスの感じを狙ったという。

・UNLESS YOU CARE
カナダ出身のシンガー、テリー・ブラッグがアメリカ発売に際して、ルー・アドラーがスティーブ・ヴァリとP. F. スローンににプロデュースを任せた。1964年全米99位。もともとはP. F. スローンがエルヴィスに歌ってもらいたくて書いた曲。

・TAKE ME FOR WHAT I'M WORTH
P. F. スローンの曲はイギリスのビート・グループに人気があった。「TAKE ME FOR WHAT I'M WORTH」はイギリスのサーチャーズが取り上げた曲。1965年リリース、全英11位、全米76位。

・A MUST TO AVOID
ハーマンズ・ハーミッツのマネージャー、ミッキー・モストがP. F. スローンに直接オーダーした曲。1965年、全米8位。邦題「あの娘にご用心」。

・YOU BABY
タートルズが1966年にリリースしたシングル。全米20位。

・SECRET AGENT MAN
ジョニー・リヴァースが1966年にリリースしたシングル。全米3位。ヴェンチャーズが競作し全米54位。

・プレゼント
フォーシーズンズを取り上げたミュージカル『ジャージー・ボーイズ』の観劇みやげでキャップを5名にプレゼント。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
11月11日・18日・25日は、「P.F.スローン特集」。
12月はお馴染み「年忘れリクエスト大会」。
コメント
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