2013年06月02日プレイリスト
「アラン・オデイ追悼 Part 1」
1. THE THEME FROM BIG WAVE / 山下達郎 "ビッグ・ウェイヴ" '84
2. EVERY NIGHT / 竹内まりや "ミス・M" '80
3. YOUR EYES / 山下達郎 "フォー・ユー" '82
4. MAGIC WAYS / 山下達郎 "ビッグ・ウェイヴ" '84
5. ONLY WITH YOU / 山下達郎 "ビッグ・ウェイヴ" '84
6. THE GIRL IN WHITE / 14 KARAT SOUL '88
7. LOVE STORM / NICK DeCARO "LOVE STORM" '90
8. FISH! / JEFFREY FOSKETT '96
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■内容の一部を抜粋
・近況
番組は前倒しで収録しているそうだ。新曲の曲書きに入っていて今月下旬までにあげなければならないとか。曲書き、歌詞、スタジオでレコーディング、ミックス、マスタリングとお籠りが続くという。
・アラン・オデイ追悼特集
「わたくしの英語の詩、わたくし英語の曲をずいぶんたくさん歌っておりますが、ほとんど英語の詩はアラン・オデイというシンガー・ソングライターに作詞を依頼して三十数年やってまいりました。アラン・オデイ、カリフォルニア生まれのですね、わたくしの英語のパートナーが先日亡くなりました。享年72歳でございます。1940年の10月3日生まれでございます。わたくしとちょうど一回り違う人なんですが。突然の訃報でありまして。ひじょうに衝撃を受けております。なんと申しましても彼にずーっと英語の作詞を依頼しておりましたのでですね、彼以外でもう誰も、ここの二十数年間ですね、やったことがありません。そのうえに彼はひじょうに私と気が合う人でですね、私の歌詞の、こう歌いたいというそういうような世界を的確に実現して、表現してもらっておりましたので、これからもう英語の詩の新曲は作れないのかなという、そういうようなことも考えつつ、今日はアラン・オデイの追悼特集をさせていただきます。今まで番組で追悼特集というのをたくさんしましたが、本当の身内というのは生まれて初めてでございますのでですね。大変残念なんですが。本当はアラン・オデイのソングライター、あるいはシンガー・ソングライターとしての軌跡を先にやるべきなんでしょうが、身内なのでアランと僕の作品の歴史を辿りつつ、彼の追悼するほうが本筋だと思います。今日は追悼特集のパート1で、今週来週二週間かけまして、山下達郎とアラン・オデイのコラボレーションの作品の数々、わたくしが歌ってる作品、それから人のために作った作品、いろいろんかたちがありますが、いろいろな音源をお聴きいただきつつ、アラン・オデイの業績を偲びたいと思っております。それが済みましたらアラン・オデイのアメリカでのいろいろな作品ご紹介できればと思っておりますが、とりあえず今週来週はわたくしとアランの作品でお聴きをいただきたいと思っております」と達郎さん。
・THE THEME FROM BIG WAVE
1980年ぐらいから仕事をはじめて、英語の詩がアラン・オデイとうまくいったので、1984年に来日してもらって、一ヶ月ほど滞在してもらって作詞を頼み、それで出来上がったアルバムが1984年の『BIG WAVE』という作品。サーフィン映画のサウンドトラックとして作られたアルバム。達郎さんがアラン・オデイと「サーフィンというのはひじょうに孤独なスポーツなんじゃないか。海の上でひとりで波を待っている。それは社会生活不適応であったり、人とコミュニケーションを取りにくかったり、そういう人たちが波の上でひとりで波を待ってるときが、いちばん彼にとっての真実の時間なんじゃないか」とディスカッションしていたら、達郎さんの投げかけたテーマに興味を持ち、アランが書いてきたのが「THE THEME FROM BIG WAVE」の歌詞だった。
・EVERY NIGHT
アラン・オデイは5月17日に72歳で亡くなった。もともと達郎さんのビジネス・パートナーの小杉理宇造さんが音楽出版社にいるときに、南沙織さんのレコーディングでLAに行ったときに、曲かコーラスかどちらかでアラン・オデイが来て仲良くなった。36年前のこと。小杉さんは当時、達郎さんのディレクターだったこともあり、もともと洋楽指向だった達郎さんが英語の詩を作って曲を書きたいと言ったら、アラン・オデイに声をかけて、アランが詩を何編か送ってきたそうだ。いちばん最初はその詩に曲をつけるかたちではじまったとか。最初に世に出た曲が「EVERY NIGHT」。まりやさんの1980年のアルバム『ミス・M』に収録されている。「EVERY NIGHT」はまりやさんに書いた曲ではなかったが、まりやさんがロスで録音するのに曲を探していたので、達郎さんが「この曲どうだ?」と言ったらこの曲が採用されたという。デヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドン、ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ハンゲイト、スティーヴ・ルーカーサーというエアプレイのメンツと、アラン・オデイがコーラスで参加。達郎さんのベスト『OPUS All Time Best 1975 - 2012』初回盤のボーナスCDには未完成のセルフカヴァーが収められている。
・YOUR EYES
「EVERY NIGHT」がうまくいったので1981年からは本格的にアラン・オデイに作詞を依頼するようになる。当時はネットなどない時代だったので、カセットにデモを入れて空輸し、郵便で返ってくると素晴らしい詞がついていた。1982年のアルバム『FOR YOU』から「YOUR EYES」。
・MAGIC WAYS
「YOUR EYES」がうまくいったので英語のアルバムを制作することを考えるようになったという。その矢先にサーフィン映画のサウンドトラックの話が舞い込み、当時のサウンドトラックは曲集だったので、半分英語の詩のオリジナルで、半分はビーチボーイズのカヴァーという企画になった。それが『BIG WAVE』という作品。オリジナルは全面的にアラン・オデイに英語の作詞を依頼して、それまで出ていた「悲しみのJODY」を英語詞にした「JODY」もあるが、純粋に新曲に詩をつけてもらうことになった。前のようにカセットを空輸してたら間に合わないので、来日して一ヶ月ほど滞在してもらって、ディスカッションして作詞してもらうことになった。それまでは日本にいるアメリカ人やイギリス人に英語詩を書いてもらっていたが、どのくらいプロフェッショナルなのかよくわからず、そういうのがあまり好きじゃなかったので、どうせやるならアメリカで実績のある職業作家に書いてほしかったが、当時はなかなかスムーズにはいかなかったそうだ。アラン・オデイと達郎さんの場合は個人的なコネ、個人的な人間関係ではじまり、ひじょうに幸運だったとか。『BIG WAVE』から「MAGIC WAYS」。
・ONLY WITH YOU
1984年の『BIG WAVE』から「ONLY WITH YOU」。アラン・オデイに1983年の後半に来日してもらい、ディスカッションしながら作詞をしてもらった。その中でレコーディングでは歌のディレクションもしてもらって、そのときに「おまえの英語はおかしい」と言って徹底的にしごかれて、そのおかげでいわゆる雰囲気英語を直せたのだという。そういう原則性を教えてもらって感謝してもし足りないと達郎さん。今聴くと「YOUR EYES」は適当な英語なので不完全だが、『BIG WAVE』以降はアランに教えてもらったことを踏まえつつ発音を矯正していったそうだ。アラン・オデイも達郎さんの歌い癖とかそれほど英語が完璧ではないとわかったので、気を遣って歌い易い言葉を使って、言いにくい言い回しを使わずに、それに彼のロマンチシズムが加わって、いい仕事ができるようになった。「ONLY WITH YOU」はサンデー・ソングブックのオープニング・テーマとして長く使ってる曲で、そのヴォーカル・ヴァージョン。アラン・オデイの女性に対する忠誠と不信、彼独特のロマンチシズムが遺憾なく発揮された詩。
・THE GIRL IN WHITE
後半は達郎さんとアラン・オデイのコラボレーション作品の中から人が歌ってくれた曲を集めて。1988年にCMの仕事で、ニュージャージーの黒人のアカペラのコーラス・グループ、14カラット・ソウルを起用するので、そのCMの曲を書いてくれという仕事が舞い込む。ウィスキーのCMで、それだったらアラン・オデイに作詞してもらって出来たのが「THE GIRL IN WHITE」。日本で14カラット・ソウルのシングルとして発売された。いわゆる逆輸入もので日本人がプロデュースした外国人の作品。達郎さんの曲とプロデュース。14カラット・ソウルは'70年代から活動していて、ドゥーワップのグループでもアカペラ専門。リズムボックスもピアノもない正真正銘のアカペラ。その場でダビングしてしまう。最後にピッチが崩れた。1988年のアルバム『僕の中の少年で』で達郎さんもセルフかヴァーしている。
・LOVE STORM
1990年を過ぎた辺りから逆カヴァー・ブームが起こる。日本の曲を外国人のシンガーが歌う、英語の詩をつけて歌うのがブームになった。そうなると勝手に英語の詩をつけられてどんどん出ることになった。「クリスマス・イブ」だけでもいくつ英語の詩があるかわからない状態になり、オフィシャルな英語詞を付けることになったので、アラン・オデイに依頼することになった。そんな中で有名なアレンジャーのニック・デカロ、もう故人となってしまったが、トニー・リプーマと一緒にクリーブランドから夢を求めてLAに出てきてLAを代表するアレンジャーになった。1990年にニック・デカロが日本の資本(ビクター)でソロ・アルバムを作ることになり、それが達郎さんのカヴァー集にするという驚くべき企画となり、達郎さんも選曲を手伝うなど参加することになった。LA録音でメンツがデヴィッド・T・ウォーカー、ディーン・パークス、ニール・ラーセン、ハービー・メイソンなどいいメンバーだったが、プロデュースの詰めが甘く、トニー・リプーマだったらすごくよくなったかもしれないが、それはそうとして、とてもニック・デカロはいい人だったそうだ。昔、達郎さんはニック・デカロに頼もうとしたことがあったものの、性格が悪いからやめたほうがいいと言われたことがあって諦めたことがあったとか。でも会ってみると本当に素晴らしい紳士で、人の言うことは全く当てにならないなと思ったそうだ。1990年のアルバム『LOVE STORM』から「スプリンクラー」の英語ヴァージョンで「LOVE STORM」。英語詩はアラン・オデイ。
・FISH!
今やブライアン・ウィルソンのライヴには欠かせないメンバーとなったジェフリー・フォスケット。もともと裏声のとてもきれいな人で性格もとてもいい。「踊ろよ、フィッシュ」をカヴァーしてくれることになり、アラン・オデイに英語詩を依頼して出来たのが「FISH!」。1996年にシングル・カットされた。
■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係
06月09日は、「アラン・オデイ追悼 Part 2」
http://www.tatsuro.co.jp