2019年04月07日プレイリスト
「内田正人さん追悼 ザ・キングトーンズ特集 Part 2」
1. DOWNTOWN / SUGAR BABE '75
2. 一度だけのディスコ / ザ・キングトーンズ '76
3. LET'S DANCE BABY / ザ・キングトーンズ & マリエ "レザレクト" '78
4. TOUCH ME LIGHTLY / ザ・キングトーンズ & マリエ "レザレクト" '78
5. DOO WOP TONIGHT! / ザ・キングトーンズ '80
6. IN THE STILL OF THE NIGHT / ザ・キングトーンズ '80
7. ラストダンスはヘイジュード / ザ・キングトーンズ '81
8. SWIMG LOW, SWEET CHARIOT / ザ・キングトーンズ "渚の「R&B」" '82
9. 夢の中で会えるでしょう / ザ・キングトーンズ "ソウル・メイツ" '95
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■内容の一部を抜粋
・近況
サンデー・ソングブックは当初はサタデー・ソングブックとして1992年10月に放送がスタートして、この4月で放送26年半を迎えることになった。本年10月に27周年になる。この番組はオールディーズの番組で、オールディーズとは古い曲のことで、古くてもいい曲、"OLDIES BUT GOODIES"という呼び方をするけれど、古いけれどいい曲をかける番組。山下達郎自身の新譜、関係各位、そうしたものの新譜がかかることもあるけれど、基本的には"OLDIES BUT GOODIES"、古いけれどもいい曲をかける番組。「この番組はいわゆる台本がございません。喋ってることは全部その場で考えてるアレでございます。曲の順番だけありますけれども、放送作家、構成作家という存在がございません。私とそれからディレクターの山岸女史と、それから技術の丸山くん、そしてアシスタントのオオツカくん、今日から新参加になりました。この4人だけでやっております。完全家内製手工業の番組でございます。27年間ですね、不都合もございましたけれど、基本的に(笑)、長いことやれております。今年度も引き続きお世話になります。引き続きリスナーのみなさまにはご愛顧の程を何卒よろしくお願い申し上げます」と達郎さん。
番組は直近で収録していて、東京は花冷えなのでスタジオの外の半蔵門のお堀にはまだ桜が咲いているという。達郎さんはお籠りで曲を書いてるそうだ。
・内田正人さん追悼 ザ・キングトーンズ特集 Part 2
先週から年度をまたいで「内田正人さん追悼 ザ・キングトーンズ特集 Part 2」。先週は1970年代の中期、ポリドール時代までだったが、今週はポリドールを離れ、いろいろなレコード会社に移籍した'70年代中期以降の曲を聴きながらヒストリーを辿る。
・DOWNTOWN
年度替わりなので1曲めは番組がスタートしたときいちばん最初にかけたシュガーベイブの「DOWNTOWN」。この曲はもともとキング・トーンズに提供するつもりで書いた曲だが没になってしまったのでシュガーベイブのレパートリーになった。シングル・カットもされて今やシュガーベイブの代表曲。
・一度だけのディスコ
1976年に東芝に移籍して第一弾のシングルが宇崎竜童さんのペンになる「一度だけのディスコ」。作詞は島武実さん、作曲は宇崎竜童さん、編曲は萩田光雄さん。未CD化。達郎さんは宇崎さんのところに話を伺いに行ったという。宇崎さんは「一度だけのディスコ」より以前キング・トーンズに曲を書いたが、結局使われないで終わってしまったそうだ。その曲は裏声を使った作曲技法で書いたというが使われなかったので、ダウンタウン・ブキウギ・バンドのシングル「スモーキン・ブギ」のB面に収録。アルバム『続 脱どん底』にも収録した「恋のかけら」だとか。作詞が阿木燿子さんでないのは、曲の依頼をしてきたのがキング・トーンズの所属事務所、小澤音楽事務所の創設者の小澤惇さんで、ダウンタウン・ブキウギ・バンドの東芝のディレクターを通して行われ、ちょうどその打ち合わせのときに近くにいたのが島武実さんだったということ。キング・トーンズには阿木燿子さんより島武実さんのほうがあってるんじゃないかという判断だった。プロデュースをしているのが東芝の渋谷森久さんで、越路吹雪さんや加山雄三さん、クレイジー・キャッツなどのプロデュースをした大物プロデューサー。東芝を辞めた後も劇団四季からディズニーランド、本田美奈子さんを手掛けた昭和史を彩る大プロデューサー。レコーディングの歌入れに宇崎さんは立ち会ったそうだが、内田さんは基本的にディレクターやA&Rの指示通りに歌う、'60年代の歌謡シーンを生きてきた制作態度だったとか。
・LET'S DANCE BABY
シングル「一度だけのディスコ」の後にキング・トーンズは東芝からアルバムを出すことになるが、そのアルバムに達郎さんが書き下ろしたのが「LET'S DANCE BABY」。1978年のことだが当時達郎さんはCMをずいぶんやっていて、小澤音楽事務所の子会社からCMの発注があったという。そんな関係であるとき音楽出版社に出向いたら、小澤音楽事務所の出版社のディレクターから「山下くん、君のことを探してたんだ。今度キング・トーンズのアルバムを作るんで曲を書いてほしいんだ。詞はもうできてるんだ」と言われたとか。コンセプト・アルバムで3曲分の詞を渡されて、そのうちの2曲が日本語詞で吉岡治さん。演歌の大御所で代表作は「大阪しぐれ」。もう一曲は当時YMO関係にたくさん詞を提供していたクリス・モスデルさん。でも達郎さんはその当時、曲書きのスランプだったのでウンウン唸ってやっとこさ3曲書き上げたそうだ。キング・トーンズのレコーディングには一切関わらなかった。1978年はそんなわけでスランプで曲が足りず、ちょうどいいからアルバムに収めようとしたら、「これはいい曲だから」とシングル・カットされることになった。達郎さんの生まれて初めてのシングル・カットになったナンバーでもある。キング・トーンズの1978年のアルバム『RESURRECT』から「LET'S DANCE BABY」。
・TOUCH ME LIGHTLY
キング・トーンズの1978年のアルバム『RESURRECT』から「TOUCH ME LIGHTLY」はクリス・モスデルさんの英語詞に達郎さんが曲を付けたもの。内田さんを想定して当時のスウィート・ソウル路線で一曲書いてみようと思ったのだとか。達郎さんも自分で気に入り1979年のアルバム『MOONGLOW』でセルフ・カヴァーしている。リスナーから『RESURRECT』の「TOUCH ME LIGHTLY」のベースは誰かという質問。「高橋ゲタ夫さんです。うまいですよね。ドラムは林立夫さんだと思います。ギターは松原くんかなぁ? 松木さんのクレジットもありますが、松木さん、もうちょっと手数少ないので。松原くんかなぁって気がしますが。いずれにしましても素晴らしいプレイと素晴らしい歌であります」と達郎さん。でも東芝時代はヒット曲が出ずに「アルバムもあの。。いま聴くといいんですけれど(笑)。これ進み過ぎてるんですよ。40年前ですからね(笑)」と。
・DOO WOP TONIGHT!
1980年にSMSレコードに移籍。シングル「DOO WOP TONIGHT! 」は大瀧詠一さんのプロデュース。その筋では話題になったが、これも進み過ぎている一曲。ヴェルベッツの1961年の「TONIGHT」を脚色して翻案。訳詞も大瀧詠一さん。「しかもダイレクト・カッティング、一発録り、モノラル盤。大瀧さんらしい一作」と達郎さん。
・IN THE STILL OF THE NIGHT
シングル「DOO WOP TONIGHT! 」のB面はファイブ・サテンズの「IN THE STILL OF THE NIGHT」。訳詞はキャロルとかフィンガー・ファイブの担当A&Rの方がペンネームで書いている。どちらの曲も1981年のアルバム『DOO-WOP STATION』に収録されているが、アルバムはDJで繋ぐノンストップ・スタイル。
・ラストダンスはヘイジュード
SMSから何枚かアルバムを出すのだが、現在のキング・トーンズ評価の根幹はこのSMS時代の一連のレコードでそれに深く関わっているのが大瀧詠一さん。シングル「DOO WOP TONIGHT! 」の後に一年のあいだにキング・トーンズはたくさんシングルを出すことになる。メンバーの加生スミオさんの作品、井上大輔さんの作品といい曲があるけれど時間の都合で今回はかけられないとか。この後1981年の「ラストダンスはヘイジュード」は再び大瀧詠一さんと組んだ作品。ビートルズの大ヒット曲「HEY JUDE」は作者のポール・マッカートニーがドリフターズの「ラストダンスは私に」にインスパイアされて作ったのでコード進行が似ている。そのエピソードからこの2曲を同じコード進行上で繋げたシングルを作った。大瀧詠一さんのプロデュース。B面は「グッドナイト・ベイビー」の英語ヴァージョン。達郎さんはチャートに入ってるのか調べたそうだが入ってなかったという。
・SWIMG LOW, SWEET CHARIOT
SMS時代にアルバムを3枚リリースしている。独立記念日に横須賀の米軍キャンプでライヴ演奏したライヴ・アルバム、大瀧詠一さんのプロデュース作品をまとめてDJ形式でノンストップで繋いだ『DOO-WOP STATION』、1982年にはカセットだけの企画(当時はカセットが大きなシェアを占めていた)、カヴァーで網羅された一枚『渚の「R&B」』。メンバーの成田邦彦さんはインタビューで「『渚の「R&B」』は自分が一番好きな作品かもしれない。自分たちの好きなようにやれた作品だから」と話している。事実キャンプで歌っていた曲はのびのびと歌っているが、そんな中の一曲でアメリカのトラッド・ソング「SWIMG LOW, SWEET CHARIOT」。完全なバーバーショップ・スタイル。米軍キャンプでやっていたスタイルだと思われる。
'60年代の保守本流の歌謡曲からみれば異端だが美しき異端といえる。日本のフォーク・ロック・ムーブメント、同じようなインディ、保守本流から外れたメカニズムが、だんだん運動論として発展するのに連れて、それまで得なかったキング・トーンズの美しき異端性がシンパシーを生んだ、そういうものを持っていたと言える。昔は今と比べてアメリカの文化は遠かった。そういう憧憬が音楽を志す者にとって重要な要素だった。また圧倒的な情報不足からくる誤解もあって、そんな時代にロックンロールに対する認識がなまじ正確だったためにいろいろと苦悶、努力された先輩方、それがキング・トーンズという存在だった。
・夢の中で会えるでしょう
大瀧詠一さんや達郎さんと同じようにシンパシーを抱いたひとり高野寛さん。今週の最後は高野寛さんがキング・トーンズにインスパイアされて作った曲「夢の中で会えるでしょう」(1994年)。それを1995年のキング・トーンズのアルバム『SOUL MATES』でカヴァーした「夢の中で会えるでしょう」。
・今後の予定
曲書きで追われてるので来週は「リクエスト特集」。一段落したら「裏声男性シンガー特集」をやってみようと思ってるそうだ。
■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係
2019年04月14日は、「リクエスト特集」
http://www.tatsuro.co.jp