こんなこと考えました

ニュース・映画・本・電車の中の風景などなどで、感じたり思いついた事を不定期に書き込んでいきます。

エジプト政変は、アカデミー競争で「S・N」に有利になるか?

2011-02-16 20:29:05 | Weblog
エジプト紛争の火付け役として、「フェイスブック」が重要なツールに夏ている。と報道されている。
その事が、タイミング良くアカデミー賞候補の「ソーシャル・ネットワーク」に有利に働くのだろうか?
イギリス贔屓と定評のあるアカデミー会員だから、「英国王のスピーチ」が確定的な本命、と思われているんだけど、
ここに来て、世界的な影響力のある事件の影に、「フェイスブック」が関連しているとなると、下馬評的には上がるだろう。
外国のコンテストだから、日本でいくら騒いでも影響力は無いんだけどね。
時々、アカデミー賞は日本人には、理解し図来作品を選ぶ事が多いので、単なる映画ファンにはわかりにくいけどね。
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皆が思っている「普通」とは

2011-02-16 16:19:40 | Weblog
どんな事件でも、インタビューでも「私(あの人)は普通」を強調している。
「ふつう」って何だ? とたまにテレビで放送されるんだけど、大抵は、「個人によって違う」程度で終わるのがパターン(普通)だ。
お笑い系の芸能人(何所の人でも)が「普通でしょう」と自己弁護をしているのを見た時に思ったのが
「普通」とは「正常」だと考えている事だ。多分日本人全てがそう思っていると思う。
そう考えると、誰もが「普通」にこだわるのが説明出来る。

周りの人との「共同幻想」を維持するのが、日本人社会にとって、個人の思想よりも上にあるものだ。
その共同幻想の範囲に入るのが「普通」という概念なんだろう。
一般常識というものを他人にも共用しようとするのは、自分が油断をしていても、危険が及ばないようにするため。
だから、常識の範囲内の言動=身の安全と繋がっている。
この事を、オブラートにくるんでいる言葉が「普通」なんだろう。
普通を身の回りに置き換えてみると
・食べ物の普通は、美味しくもまずくもないけど、体に危険な物ではない。
・人だと、きらいでも好きでもない、殴られたり刺されたり、はしてこなそう。
という風になる。
仲間内で「ふつう」の関係だと言われて傷つくのは、自然と理解しているからなんだろう。

恋愛ドラマを見ていないからわからないんだけど、
同僚や同級生の重要な役じゃない奴が、最終回で主人公2人の関係が落ち着いた後で「・・・だから何? 亜通にある事じゃん」で締めくくったら、視聴者はどんな気持ちになるんだろうね。
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被害者の写真を出す必要があるのか?

2011-02-16 08:57:03 | Weblog
特に未成年の場合は、「関係者や事件の情報を持つ物に知らせる為に」なんて方便を使って放送しているようだけど、ほとんどの人には必要の無い情報だろう。

ものすごく不謹慎な言い方をする事も出来る、万が一にも、被害者の家族に伝わる事を考えて書かないけど、関係ない人の事はいくらでも笑い話にしてしまえる。
何故、加害者を公開しないか? と言えば裁判で有罪が確定しないと、告訴される可能性があるからだろう。
被害者家族にも同じように、取材を受けて近隣への迷惑が出たりして、精神的被害を受けた。として、告訴する弁護士団が現れてもいいと思う。
そうすれば、過剰な報道合戦やサスペンスドラマのような、被害者のプライバシーを暴くワイドショーは無くなると思う。
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