こんなこと考えました

ニュース・映画・本・電車の中の風景などなどで、感じたり思いついた事を不定期に書き込んでいきます。

運命は定まっている。側の考えをしてみた。

2012-08-22 09:42:10 | Weblog
個人的には,運命は定まっていないし,あるとも思っていない。が、有ったら面白いなあ。程度の認識だ。
この前,教えてgooの方でそんな質問を見たので,信じている側に立って考えてみた。

とりあえず,運命の定義を自分なりにする。
・未来を予想をし、気に入らない出来事には、不満を持つ考え方を持つ、人間が対象。
・宗教的な神の意志は介入しない。
・絶対に不可避で変更も出来ない。
・未来を知る事は,原則出来ない(占い師・超能力を信じている人が、運命を信じている人に覆いから)

この事を考え始めた時に,昔何かで読んだのだが「人生は本に記載された物語にすぎず,読者がページを開いた時にだけ意識を持ち行動出来るようになる。しかし,ストーリーからは慣れて行動する,思考する事は出来ない。本を閉じられたら一瞬にして来得てしまう。動画も同じ」
と言うのが、取りかかりになるだろう。
ここで,問題になるのは,誰が目にするのか?
現在70億近くの人間全部に読者や視聴者が居るのか?
何の為に見ているのか?
自分以外の全ての物は,夢幻である。と何かの説が有ったように,自らの感覚も全て準備再現されているだけ。と考えれば精神的に楽になれる。

信じている側の多くは,不幸だと自認している場合が多い。
震災などで,身近に人を多く失った場合,神や悪魔などのイメージ化されてしまっているもの所為にするには,各人の中では矮小すぎるのだろう。
宇宙規模の所為でもなければ,釣り合いが取れないと思っているのではないか?

「運」と書いて「定め」と読ませる事もあるので,「定められた命」では,残された者が悲しいと思い,「運命」と使っているのではないか。
残った者が,精神の安全弁として使っている。これを否定する人は少ないだろう。
問題は,恋愛などで使われる,自分に都合のいい解釈の「運命」の出会い/出来事だろう。
これは,端から見れば,自己欺瞞・自己弁護を目的として、責任放棄に近い使われ方をする。だから,多くの人に反発されるのだろう。

最近の言葉の使い方で言うと,「やばい」と同じように,元々は「負」をイメージするのだが,アイドルが「良すぎてどう対処していいか分らない」の意味を込めて使い始めたのが現在にいたっている。
伝える事の責任放棄で始まっているので,高齢者には反発する者が多いのだろう。

結論として,使い方次第で肯定も否定もされる事を,普通の言葉と同じに考えればいい。特別に力のある言葉ではない。
コメント
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