Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

三陸鉄道全線復旧を祝う【2日目その2】「あまちゃん」の足跡を巡る

2014年04月09日 | ■旅と鉄道
 三陸鉄道北リアス線の全線復旧に立ち会うべく、4月6日に訪ねた岩手県・北三陸。もう3度目になる土地ですが、毎朝欠かさず見ていた朝の連ドラ「あまちゃん」の放送以降では、初めてになります。
 袖が浜のモデルになった小袖海岸まで行く余裕はありませんでしたが、三鉄に乗って久慈をたずねる旅程は、図らずともロケ地巡りになったのでした。


 畑野駅として描かれた田野畑駅は、最終回で登場。ドラマの中でも部分復旧の終点として描かれ、手作りで掲げられた「この先へ」の垂れ幕が印象的でした。
 今日からは「この先」へ行けます。ドラマの中の「北三陸鉄道リアス線」も、きっと全線復旧していることでしょう。


 夏ばっぱが大漁旗を振って見送った海岸は、列車が徐行し案内も流してくれますので、見逃すことはありません。
 ドラマで描かれたアキの旅立ちの日のような、澄み渡る青空が印象的でした。


 袖が浜駅のモデル、堀内駅。袖が浜海岸から すぐ上にある駅として描かれていますが、小袖海岸とはまったく別の場所になります。
 また北三陸駅の1駅隣で、震災後数日で運行再開した区間という設定にもなっていますが、実際は久慈駅までは4駅離れています。ただ再開に賭けた北鉄社員の熱い思いは、三鉄の事実に忠実です。


 久慈に向かう列車は陸中野田から内陸部に入り、田園地帯を走ります。オープニングで流れていた北三陸鉄道の列車の映像は、この付近で撮られたものだとか。
 また並行する道路も、何度か劇中に登場しています。


 久慈駅に停車していた、お座敷列車。劇中では重要な役回りを「演じた」列車ですが、全線開業に向けて新しいお座敷列車が導入され、一線は退くようです。「こたつ列車」のフトンが上げられた状態は、なかなかシュールな光景でした(笑)。
 ただ あまちゃんファンが乗りたいお座敷列車は、まさにこの車両では?


 久慈駅の跨線橋では、潮騒のメモリーズ号の運転士になれます(笑)。


 北三陸観光協会が入居していた、駅前のレトロな「駅前デパート」。北三陸鉄道の大きな看板も出ています。
 ただ再開発の波に呑まれ、解体の予定だとか。


 商店街には、あまちゃんハウスが登場。


 ドラマに出てきた、あんなアイテムやこんなアイテムまで展示中。


 北三陸観光協会がコツコツ作り上げた模型も、実物が展示されています。


 駅前商店街の「もぐらんぴあ まちなか水族館」は、沿岸部で津波被害にあった水族館をまちなかで再建した施設。無料で楽しめる、充実した観光名所です。
 外ではあまりアピールされていませんが…


 館内には「あまちゃん」関連の展示がてんこ盛り。あまカフェのコーナーには、ゆかりの品々が。


 さらには北三陸鉄道・北三陸駅のセットまで。精巧に作り込まれていて、ついつい見入ってしまいます。


 切符売り場には、北三陸鉄道開業25周年記念入場券セットまで!
 ただドラマでは畑野駅となっているはずの田野畑駅は、幻の中の幻の駅「北三陸鉄道田野畑駅」になっていました。袖が浜駅が見当たらなかったり、「北リアス線」の字があったり、劇中では別会社のはずの「南三陸鉄道」があるのもご愛嬌です。


 お座敷列車の再現コーナーはかなりデフォルメされてますが、作り込まれたポスター類には唸らされます。


 気軽に海女体験できるコーナーもあり(笑)。


 八戸線で通った種市駅。種市先輩の名前の由来ともなった場所です。

 ドラマや映画の世界に入り込むのは楽しいもので、毎日楽しんだ朝ドラならなおさらです。次回こそは、袖が浜まで足を伸ばしてみたいものだと思いました。

三陸鉄道全線復旧を祝う【2日目その1】再建かなった島越駅を超えて…北リアス線

2014年04月09日 | ■旅と鉄道
 明けて4月6日(日)は、北リアス線の全線復旧の日。せっかく宮古に泊まったので、宮古発の一番列車に乗るべく5時20分に起きました。


 さめやらぬ街を宮古駅に歩くと、5時40分、すでに三鉄宮古駅には行列ができていました。
 早朝5時50分には窓口を開けることが告知されていましたが、繰り上げて対応されたようです。


 久慈行きの復旧一番列車は、2両編成。沿線の皆さんの他、鉄道ファンや報道関係者の姿も多くみられました。
 東北の地方紙、河北新報の記者さんからインタビューを受け、「復旧後10年で廃止された島原鉄道のようにならないよう、遠くからも応援したい」と答えましたが、紙面には乗ったかな??




 2両編成だったのはありがたく、海側のボックス席を確保。先頭部分には、マスコミ各社が陣取っていました。運転士さんからは乗客へ、再開までの支援を感謝するメッセージが伝えられ、胸が熱くなりました。
 6時8分、汽笛を鳴らし宮古駅を出発。車内は拍手に包まれました。外では、沿線の方々が手を振って見送ります。さらに制服姿で横断幕を持つのは、都営地下鉄の運転士さんら。多くの人に見守られての、第二の開業です。


 周辺に津波の爪痕を感じられる田老駅では、復旧した区間を通過してきた正真正銘の一番列車、宮古行と交換。こちらの久慈行きよりも、空いているように見えました。
 乗り移ってくる人も見られ、車内は早朝の列車とは思えない熱気に包まれてきました。


 昨日までの終着駅・小本駅では、小旗を手に見送る人の姿が多数。
 南リアス線と同様、新たな復旧区間は徐行になります。長いトンネルを、ゆっくりゆっくりと、踏みしめるように走って行きます。


 トンネルを抜ければ、島越駅。頑強な高架橋は集落もろとも押し流され、北リアス線ではもっとも難工事となった区間でした。
 まだ7時前という時間ですが、大漁旗を手に見送る地元の方々の姿がありました。


 さらにトンネルを抜け、やはり昨日までの終着駅・田野畑着。震災から約3年1ヶ月、ついに線路は通じました。
 サクラに飾られた駅舎は朝陽に輝き、どこか誇らしげに見えます。


 『負けない心 朗らかに 前身』


 上り列車に乗り、島越駅までバックします。こちらでも地元田野畑の皆さんが、大漁旗で見送ってくれました。


 単行の列車でしたが、車内は余裕がありました。昼にかけて、混雑していくのでしょう。


 島越駅下車。駅前に建てられた仮設パイプの展望台には、大勢の地元の方の姿がありました。


 瀟洒な駅舎は高架とともに流され、島越駅に残されたのは9段目までの階段と、宮沢賢治の歌碑のみ。それらは遺構として、今も残されています。
 作り変えられた線路は築堤となり、防波堤を兼ねる頑強なものになりました。


 駅舎の再建も開業に間に合う予定でしたが、資材不足により数ヶ月、ずれ込むことになりました。
 海を眺めながらのんびりと時を過ごせることで人気だった喫茶店も、ふたたびお目見えするのでしょうか…?


 『復興の始発駅』


 8時45分発の久慈行きは、約10分遅れで到着。頂いた小旗を振って、歓迎しました。


 島越~田野畑間では、地元からの記念品が配られました。ワカメにシイタケにマッシュルーム…新鮮な地元の食材に、感謝!


 田野畑駅では、久慈発の記念列車と交換。時間が下るにしたがって、見送りの人々も増えてきました。


 三陸鉄道を寸断したのも海ですが、大きな恵みもやはり海。集落をまたぐ高架橋からは、太平洋の大海原を望むことができます。
 10分遅れで、久慈で接続の八戸線の列車も待たせている状況でしたが、橋上での観光停車はダイヤ通りに行われました。観光客なしでの活性化はあり得ない、三鉄の今が見えるダイヤでもあります。


 松原と堤防で、海までの視界がさえぎられていた野田村は、今も海が見えるままです。
 しかし堤防の復旧工事は、着実に進んでいます。


 北の始発駅、久慈駅に到着。この日、公式の式典は宮古駅前で行われていたのですが、久慈駅でも市民手作りのイベントが企画されていました。
 まずは、縁起もよろしく餅まきからスタート。何歳になっても楽しい行事で、夢中で手を伸ばしていました。


 続いて朝ドラ「あまちゃん」で、久慈駅ならぬ北三陸駅の大吉駅長・吉田副駅長を演じた杉本哲太さん、荒川良々さんも登場。部分復旧時に片目を入れた「つながるんだるま」へ、もう片方の目を入れました。
 「北鉄の駅長としても、ほんとうにうれしい!」と叫んだ杉本さんに対し、荒川さんは「名誉駅長は一人で岩手県のCMやってます。一緒にやろうと誓ったのに、裏切者です!」という全線復旧とは無関係なコメントで、笑いを誘っていました。


 この日、記念列車とは別に、イベント列車として「大吉駅長・吉田副駅長と行く!!!『北三陸満喫号☆』」も設定され、久慈駅の出発式はこの列車で行われました。一般市民も見送りにホームに入ることができて、こ線橋も周囲も人でいっぱいに。
 「あまちゃん」劇中で描かれた、北三陸鉄道開業記念式典をはるかにしのぐ賑わいで、おそらく30年前の三鉄開業時以来の人出になったのではないかと思います。吉田副駅長も、笑顔で手を振って出発です。


 最後尾に乗り込んだ大吉駅長も、地元の方とタッチを交わして祝福。地元ブラスバンドの奏でる「銀河鉄道999」のテーマに乗せて、出発していきました。

 喜びの中で再スタートした三鉄ですが、赤字体質なのは震災前からのことです。震災に伴う沿線人口そのものの減少と、街の高台移転で、状況はさらに厳しくなっています。運行本数が震災前より減っているのも、厳しい再出発であることを暗に示しています。
 今日の賑わいが、かつて黒字経営を達成していた頃のような、沿線の「マイレール」の気持ちの再興へとつながりますように。そう願わずにはいられません。

三陸鉄道全線復旧を祝う【1日目その2】超満員の列車も思い出の一つ

2014年04月09日 | ■旅と鉄道

 4月5日(土)、BRTに乗り陸前高田から盛駅まで出てきました。盛駅で、南リアス線全線復旧の記念フリー乗車券を購入。盛~釜石間の片道運賃は1,080円のところ、乗り降り自由で1,000円なのだから、かなりお値打ちです。
 列車は、昨年の盛~吉浜間の部分復旧時に導入された、クウェート寄贈の新型気動車。正面には三井不動産提供のヘッドマークが添えられ、全線復旧を祝います。


 列車は1両きりの単行編成。8:50の釜石行きは、朝から3本目の列車です。乗り切れるのかなと心配でしたが、意外と車内には余裕がありました。


 盛を後にした列車は、ループを描いて大船渡市内を北へと向かいます。大船渡市内も大きな被害を受けており、沿線には仮設の建築物が並んでいました。


 吉浜までは、昨年春に部分復旧した区間ですが、各駅では大漁旗をなびかせてお祝いしていました。
 三陸駅では盛行きの上り列車とすれちがい。あちらは、ぎっしり満員です。こちらの列車に乗り移ってくる人もおり、立つ人も出はじめました。


 防波堤の復旧工事現場にも、三鉄の未来を応援する力強いメッセージが。


 吉浜駅では、地元の少年たちが太鼓で出迎えてくれました。太鼓のリズムに送られながら、今日復旧した区間へと踏み出して行きます。
 工事が終わって間もないことから、開業区間は徐行運転。これまでの復旧区間でも、概ね半年程度は徐行運転が続けられてきました。


 トンネルの合間から見える海は、穏やかな春の表情です。


 周辺が浸水したという唐丹駅でも、大漁旗の見送りが。


 平田駅からは戦場カメラマン(?)が乗り込み、釜石までの1駅を生中継で同乗取材。「本体」は釜石駅にいるようで、2元中継を行っていました。


 新しいショッピングセンターが見えてくれば、間もなく釜石。昨秋は吉浜までしか行けなかった線路は、確かにつながっていました。


 釜石駅に到着。ホームは、マスコミ各社が集っていました。岩手県内のテレビ局各局は土曜の朝ワイドの時間のようで、競って中継を行っていたようです。
 そんな中の岩手放送の記者さんにつかまり、カメラの前へ。岩手県内へ生中継で流れてしまいました。沿線の盛り上がりに感動した、これからも応援してます…としゃべったように記憶していますが、うまくできたかな?


 地下道には応援メッセージの寄せ書きコーナー。


 賑わう駅前を横目に、さきほど車窓に見えたショッピングセンターをのぞき見に。通常なら屋上にある駐車場を1階に設け、津波被害に耐えるように設計された防災型のSCです。館内にも、避難経路があちこちに記されていました。


 釜石駅前は、お昼に向かうにつれて賑わいが増してきました。


 13:30からの開業記念式典まで時間があったので、お隣の平田駅まで往復することにしました。
 小さな築堤上の無人駅は、大漁旗と、町内会が掲げた横断幕で飾られていました。


 傷跡残る街にはためく、青い空をバックに映えるノボリ。


 盛駅11時発の列車は、約10分遅れで到着しました。造花で飾られた車内は、ご覧の通りの超満員状態。ホームの人が数人乗り切れない状態だったので、中の人にトイレへ詰めてもらうように頼んで、どうにか全員乗ることができました。感謝!
 30年前の三鉄開業時のルポに、トイレまで超満員になった列車のエピソードがあったと記憶しており、図らずとも30年前の再現となりました。


 釜石に戻り、駅横のシープラザ釜石でお昼ご飯。新鮮な魚介類は、三陸沿岸の楽しみです。


 13時30分から、特設会場では全線運行再開記念式典が開かれました。会場はテントでしたが、寒さ対策のためか透明な壁で覆われていました。入りきれなかった僕らは、ガラス越しに見学です。
 式典は、震災犠牲者への黙祷から始まりました。沿線首長や国土交通大臣に続き、三鉄の望月社長が全線開業を宣言。「第2の開業」という言葉が重かったです。赤十字大使として藤原紀香さんも姿を見せており、多くのギャラリーが詰めかけていました。


 ホームに移動して、記念列車をお見送り。レトロ列車を併結した3両編成で、招待客と抽選で当たった一般市民のみ乗車できるものでした。僕ももちろん応募していましたが、あえなく落選でした。
 くすだま割りと万歳三唱に続き、盛駅へと出発していきました。


 明日開業の北リアス線の始発駅・宮古へと向かいます。JR山田線は不通のままなので、まずは岩手県交通のバスで山田町まで向かいます。
 昨冬乗った際にはガラガラでしたが、今回は同じ目的の人も多いようで満員状態。補助椅子がついた一般路線バスを初めてみましたが、大活躍でした。


 船越駅前で岩手県北バスに乗り継ぎ。その合間に、休止中の山田線の駅を見に行きました。錆びついた線路と、板が打ち付けられた駅舎が、しばらく列車が来ていないことを伝えています。線路の草は刈り取られ、荒れた感じがないのは救いでした。
 JRが提案したBRTの仮復旧も沿線自治体は拒否し、代行輸送すら行われていない山田線。最近ではJRの負担で復旧し、三鉄に譲渡する案も提案されています。再び列車が走るのは、いつの日でしょうか…


 ただ県北バスで通った大槌駅の場所は、それがどこだったのかまったく分からない状態。山田町は木造家屋の基礎どころか、まだ3年前から手つかずの建物が多く残り、早期の鉄道復旧は険しい環境であることも感じられました。
 新しい街のデザインが決まり、その基幹交通として山田線が復旧する…そんな日が早く訪れることを願っています。


 宮古到着、市内のホテルに投宿しました。街中でフラリと入った、若い大将の居酒屋が大当たり。旅行者とみるや、メニューにない刺身の盛り合わせや、日本酒に合う燻製セットを出してくれました。
 飲み明かしたい気分にまでなりましたが、明日は北リアス線の一番列車に乗るため、5時起きの予定。10時には布団に入りました。