少し前の記事で『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書)と、その著者小澤徳太郎先生との出会いの報告をしました。
出会いといいましたが、『スウェーデンに学ぶ…』で知ったスウェーデンの政府が主導する〈緑の福祉国家〉構築への着実なステップは出会いを超えて衝撃でした。
続けてそこに紹介されている本と自分で買って積読になっていた本を何冊か読み、さらにスウェーデンものの本をさらに買い込み、衝撃はどんどん強くなっています。
過去の記事にも書きましたが、もう、「スウェーデン・ショック」状態で、このショック状態は今でも続いています。
岡沢憲芙『スウェーデンの挑戦』(岩波書店)は、すでに1991年に出た本で、出た時に買ってあったのですが、何と15年も積読状態でした。
なぜ、もっと早く読む気にならなかったのか(あの頃は「福祉国家」という印象だけで、環境の面をほとんど知らなかったせいもあります)。
ともかく、はなはだ残念です。
ここで受けたショックは、何よりも「権力は必ず腐敗する」――マナ識*が平等性智*に変容しないかぎり――と思っていたのに対し、統合的な理性――ウィルバーのいう「ヴィジョン・ロジック」――のレベルに成熟した指導者群と適切なチェック機能があれば、「権力は必ずしも腐敗しない」というスウェーデンの実例つまり事実(だと思われます)です.
(これは、ある種プラスのショックです。)
続いて神野直彦『人間性回復の経済学』(岩波新書、2002年)を読んで、経済学の分野でも「日本の構造改革を支えている経済政策思想は、『新自由主義』と呼ばれる」ものであり、「…新自由主義は人間の生活を破壊し、人間の生活をおびやかしていく。しかも、市場経済によって破壊される恐れのある人間の生活を保護する使命を担っている財政をも破壊してしまう」ことへの、論旨明快な批判がなされていること知りました。
「たしかに、重化学工業を機軸とするケインズ的福祉国家という、経済システム、政治システム、社会システムの結合方式は行きづまっている。とはいえ……ケインズ的福祉国家を解体して、市場経済つまり経済システムをむやみに拡大する構造改革を実行しても、社会的危機が激化するばかりである。」
ではどうすればいいのか。ここでもモデルはスウェーデンです。
「…現在のエポックで展開している第三次産業革命では…スウェーデンでかかげられている言葉で表現すれば、人間の歴史が工業社会から「知識社会」を目指して大きく動きはじめたのである。」
内容は簡単に要約できないので、関心のある方には本を読んでいただくほかないのですが、要するに「知識社会」へと産業構造を変革していく中で、経済と福祉と環境のバランスを取ることのできる「人間性回復の経済」が実現できるというのです。
もちろんスウェーデン・モデルをすべてそのまま日本でやれるわけではありませんが、原則は日本にも適用可能であり、どうすればいいか、神野氏は『二兎を得る経済学――景気回復と財政再建』(講談社α新書、2001年)で説得力のある提案をしておられます。
また、「小泉改革」が、「痛みだけの改革」であって、「幸せになる改革」ではないことへの、わかりやすく徹底的な批判を『痛みだけの改革、幸せになる改革』(PHP研究所、2002年)で書いておられますが、そこでも対案のモデルはスウェーデンです。
筆者はもちろん経済学・財政学はまったくの素人ですが、神野氏の論をたどりながら、「うん、これなら確実に行ける!」という感触をつかんでいます。
(これも、プラスのショックです。)
みなさんもぜひ読んでみてください。
それにしても、なぜスウェーデンはこういうふうになれたのだろうという疑問は、歴史的プロセスについては、これも積読だった百瀬宏『北欧現代史』(山川出版社、1980年)で半分くらい解けてきました。
第一次世界大戦、第二次世界大戦の中で、何とか巻き込まれず中立―平和を維持しようとしてきた北欧の人々のまさに血の滲む苦闘に心打たれました。
多くの人々の英雄的努力の集積なのです。考えてみれば当然のようですが。
さらに岡沢憲芙『スウェーデンは、いま』(早稲田大学出版部、1987年)、『スウェーデン現代政治』(東京大学出版会、1988年)、岡沢他編『スウェーデンの政治――デモクラシーの実験室』(早稲田大学出版部、1994年)を読んで、ごく早い時期にマルクス主義と決別し、資本家との協力・妥協の路線で、経済的発展と福祉の充実という一見相反しそうな課題をみごとにバランスをとって達成してきた、スウェーデン社会民主党のきわめて賢明なリーダーたちのことを知り、感動しました。
すでによく知られているのだと思いますが(私はぼんやりとしか知りませんでした)、訓覇法子『スウェーデン人はいま幸せか』NHKブックス、1991年)でスウェーデンの福祉のみごとさにうなってしまうとともに、武田龍生『福祉国家の闘い――スウェーデンからの教訓』(中公新書、2001年)と合わせて、福祉と財政のバランスの難しさも考えさせられました。
しかし先にあげた『スウェーデンに学ぶ…』や『二兎を得る経済学』によれば、それは九〇年代前半までのことで、神野氏の言葉では、「二〇世紀から二一世紀への峠を、スウェーデンは『自信と楽観主義』ととも越えた。スウェーデンの『予算説明書』は、そう胸を張って宣言している」のだそうです。
知れば知るほど、なんともみごとと言うほかありません。
日本の現状と比べてちょっとため息が出てきてしまいます。
(といってもなんの問題もない夢のような国だと思っているわけではありません。ただ日本の現状よりはるかにいいようだということです。しかし、内面の問題、特にニヒリズムの問題については解決できていないのではないかと推測されます。)
そういうことを可能にしたのは、まずイデオロギーで硬直していない非常に成熟した大人の知恵をもった政治家、それとみごとに連携・提携している社会科学者と自然科学者、そしてちゃんと協力・妥協することを知っている企業家、もちろんそうした優れたリーダーを生み出す能力をもった国民……。
なぜ北欧、とりわけスウェーデンに、柔軟で賢明で英雄的な指導者が次々と生まれてきたのか、そういう指導者を生むような文化、国民性がなぜ、どういうふうにして育まれてきたのか? これが私の当面の疑問です(ウィルバーの四象限理論でいうと左下象限の問題)。
一般的に指摘されるのは、冬の厳しい国で自分に責任を持ちながらしかし助け合わなければ生き延びられないという状況の中で「自律」と「連帯」の精神が養われたということです。
それから1809年にはすでに四身分(聖職者・貴族・市民・農民)の議会が成立し、1866年(日本では明治維新の二年前)には二院制議会になっていたという、民主主義の伝統―成熟が指摘されます。
おそらくは、その基礎としてプロテスタント・キリスト教によって培われてきた「愛」の精神が国民性に浸透していることがあるのではないか、と私は推測しています。
これから秋のシンポジウムに向けて、さらにいろいろ学んでいきたいと思っています。
ここのところ、読む本の90%くらいがスウェーデンもので、まわりの人に「スウェーデン漬け状態だ」と言っているくらいです。
しかし、どうも肝心の精神性に関するいい文献が見当たりません。情報をご存知の方、ぜひ教えてください。
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