先週は、私が教えている大学の3つの授業のうち2つが始まりました。
どんな新しい星の子たちに出会えるかという期待感と、なかなか腰の重い、「ダリー」とか言っている現代の若者を引っ張るエネルギーが大変だなというおっくうさとの入り混じった気持ちで、火曜日、大学へ出かけました。
毎年学生数が増えて困っていた社会学部は、今年は選抜するつもりで、去年の定員700名の最大の教室から、300名くらいの教室に変更してもらっていました。
ところが、今年はなぜか――単位を取りにくくすると去年言ったのが裏シラバスか何かで広がったのでしょうか――100名あまり(?)しか来ていませんでした。
まだ、試し受講期間中なので、今週もう少し増えるかもしれませんが、それにしても去年までよりはかなり少なくなりそうです。
正直ちょっと拍子抜けの感じもありましたが、一方的な授業ではなく、ワークショップ形式の授業もしたいと思っていて、何とか人数を絞りたかったので、喜んでいます。
例年のように「ぼくは本気だから、本気でない学生とは一緒にやりたくない。幸いこれは必修じゃなくて選択授業だから、本気じゃない人は、選択しないことにして帰ってくれるかな」という「帰れコール」から始めたのですが、例年と違って、マナーについて話し、おしゃべりを抑えて受講の姿勢になってもらうための時間はほんの30分で済んでしまいました。
おしゃべりをしていた数組の学生が出て行った後は、きわめて静かに聞き始め、それでも後ろの方の席にいた学生が多かったので、
「本気なら前に出てきてくれないかな。好きな歌手のライブ・コンサートに行って、わざわざ後ろの席に坐るのはいないだろう。まだ、この授業が好きになったわけじゃないだろうけどさ。本気なら、もっと前に来て学ぶ姿勢を示さないとね。」
と言うと、ほとんどの学生がすぐに動いて、前に出てきてくれました。
そして、初日から内容のある授業を始めることができました。
これは、初めから人数の少なかった初年度を除き、2年目から5年目までなかったことです。
「人間は、言葉を使って文化を形成して生きている動物で、言葉で世界の秩序を体系的に捉えた〈コスモロジー〉なしには生きられません。
前近代のコスモロジーは、神など人間を超えた大いなる何ものか(日本の場合は、神仏・天地自然・祖霊)がまずあり、それによって人間と人間以外の生き物と物とが創られたり、支えられていたりするという構造になっていました。
ところが、近代の理性・科学の主客分離、分析という方法によって、神は観察、実験、推論などの方法で証明できない、それどころか反証できてしまうために、神は否定されます。ニーチェのいう「神の死」です。
そして、神の死は、最初は人間が神(の名を借りた迷信や抑圧的な秩序)から解放されるという近代のプラス面をもたらしたんです。ルネッサンス-ヒューマニズム、ですね。
しかし、やがて科学の方法で世界を分析していくと、世界はすべて原子という「物」で出来ていると見えてきました。
さらに人間も分析的方法で調べていくと、器官、細胞、高分子、分子、原子と還元され、結局は「物」だということになります。
近代のコスモロジーは、最初は、神がいなくなって、人間と物だけがあるというかたち・ヒューマニズムになったのですが、やがて人間も物なので、世界はすべて「物」にすぎないという唯物主義・物質主義になっていきました。
そして「神(という絶対なもの)はいない」、「すべてはモノにすぎない」のなら、人生の絶対の意味はないし、絶対の倫理はないということになったんです。
ニヒリズムという近代の決定的なマイナス面ですね。
ニヒリズムに陥った近代人は、必然的に、突き詰めて考えると死にたくなるか、考えないで自分がいちばん大事・自分のために生きるというエゴイズム、そして自分の好きなことをすることにしか生きる理由はない――でも結局は無意味なんですが――という快楽主義になるほかなくなっています。
そういう近代的なコスモロジーを小さい時から学ばされてきた諸君が、しらけたり、空しくなったり、死にたくなったりするのは、ある意味で当然なんだよね。
だけど、現代の科学の世界そのものでは、そういう近代的な空しくなるばらばらコスモロジーではない、新しいコスモロジーが常識になりつつある時代になっています。
ところが、事情があって、日本の高校までの教育では、近代科学は教えても現代科学をしっかり教えていません。
特に現代科学のコスモロジーの面はまったくと言っていいほど伝わっていないんです。
だから、みんな考えると空しくなる。それはしょうがないことなんです。
でも、現代のコスモロジーをちゃんと学ぶと、世界が空しいどころか、輝いて見えてくるんです。
世界が存在し、自分が生きていることの、根源的な意味が見えてきます。
統計的にいうと、授業を最後まで聞いてアンケートに答えた人の90%がそうなります。
前期は、そういう生きる元気が湧いてくるコスモロジーを紹介していきます。
そして後期に、そういう現代科学のコスモロジーと日本の精神的伝統である仏教のエッセンスが、驚くほど対応している、という話をします。
そうすると、日本人として生きていることにも自信が湧いてくるはずです。
そういう話が、面白そう、自分にとって意味がありそう、本気で学びたい、と思った人は、また来週も来てください。」
去年までなら、学生たちの顔が輝いてくるのは授業がだいぶ進んでからだったのですが、今年はもうかなりたくさんの学生たちの顔が輝いてきました。
「今年はますます面白くなりそうだぞ」と思いながら、講師室に帰ってくると、今年度から非常勤で来られることになった(これは、もうまるで「共時性」!という感じだったですが)、『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書)の小澤徳太郎先生からの伝言が残されていました。
私の授業を去年取って、今年も単位にならないのに受講している学生が、月曜日1時限の小澤先生の授業に出て、私に紹介されたという話をしたのだそうです。
で、メールで連絡を取り合って、結局、今週お会いすることになりました。
早速、HPに公開している私の「自然成長型文明に向けて」を読んでくださり、「環境問題に関する基本的な見解が一致している」と言っておられましたので、そのことがさらに深く確認できるでしょう。
そうしたら、もしかするとますます面白いことが起こるかもしれません。
金曜日の文学部も似た状況で(人数は毎年もう少し少ないのですが)、さらにうれしい予想外だったのは、「帰ってくれないかな」と言っても、誰も帰らなかったことです。
そして、「帰れと言っても帰らない以上は、本気だということだよね」と問いかけると、「はい」と声に出して答えてくれる学生も相当数いました。
話の内容は、社会学部とほぼ同じでした(私は、講義や講演の原稿を作ることはほとんどなく、即興でやるので、まったく同じ話はしない、できないのです)。
授業後、いちばん前で頬を上気させ眼を輝かせながら聞いていた学生に、「どうですか。面白かった?」と声をかけると、「もうわくわくしてしまいました。もっと聞いていたかったです」と言ってくれました。
……というわけで、今年度は絶好調の滑り出しのようです(今週木曜日の人間関係学部がまだですが)。
コスモスの進化の流れの中にいることを自覚し、さらに進化の流れに能動的に参加する星の子が増えることを願いながら、楽しんで彼らとの学びを進めていこう、と思っています。
ネット学生のみなさん、約半年遅れの後輩たちです。
きっと、すごいスピードで追いついてきますよ。
追いつき、追い越されないように、みなさんもさらに学んでください。
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