何となく歩いた結果

デジカメを持って色々な場所に出没し撮影した写真を公開。最近は東京の夜と里山をメインテーマに撮影中。システム開発の話題も。

旧街道を訪ねて 茂原街道・潤井戸(3)

2015-01-29 13:32:46 | 旧街道を訪ねて
キリスト看板がある風景。隠れてるけど左手が茂原街道の旧道、正面に続くのがさらに古い道。


古い道標が残っていた、「うる井戸村」「江戸」と見えるので江戸時代からのものか。


すぐそばでは可憐な水仙の花が咲いていた。


茂原街道の新道を歩いていると大谷石でできた倉庫があった、こういう味のある物件もどんどん少なくなるな。


バイクをとめてあるショッピングモールへ戻る途中で日が暮れた。


この飛行機雲は成田発の飛行機のものか。

市原市潤井戸、なかなかいい雰囲気の場所だった。
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旧街道を訪ねて 茂原街道・潤井戸(2)

2015-01-28 13:23:53 | 旧街道を訪ねて
白幡神社という神社があったのでちょっとお参りしよう。イケメン狛犬さんがお出迎え。


街道からは階段を上ったところにある。


正月には地元民の初詣で賑わうのだろう。


神社の前には古くからあるような立派な塀が。農家というよりも武家屋敷のような感じだ。


古い土蔵も残っている、かつては藩があったことを考えるとこの辺りは裕福な土地だったのかも。


近くにあった別の土蔵、これは濃い物件が…。


小さなガソリンスタンドとよろず屋が残る風景、いつまで見られることか。


これはお米屋さん、店内に瓶のコーラの自動販売機が。

さらに周囲を散策、以下次回。
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旧街道を訪ねて 茂原街道・潤井戸(1)

2015-01-27 13:25:22 | 旧街道を訪ねて
茂原街道は、内房線浜野駅付近から外房線茂原駅付近まで通る街道。市原市潤井戸には江戸時代初期に潤井戸藩があったので古くから栄えた土地と考えられる。

まずは下の地図①付近で旧道を撮影、この辺りには曲がりくねった旧道を突き抜けるように新しいバイパスが通じている。ほとんど車が来なくなった道には枯れ枝が落ちていても片付ける者などいない。


GoogleMapで千原団地入口と書かれた付近。住宅・都市整備公団、現在はURが開発した大規模新興住宅地「ちはら台」がこの先に広がっている。


②の付近、旧道がここだけポツンと残されている。


③地点から先はまさに旧街道の雰囲気が色濃く残る。バイパスがすぐ横を走っているので交通量も少ない。


大きな農家が多い、藩があったことからも周辺地域の中心的な集落になっていたことが伺える。


農家を改造した古民家レストラン「カノン」、一度だけ入ったことがあったけど美味しい店だった。


この食料品店は既に閉店したか。経営者の高齢化と近くにできたコンビニの影響か。


旧街道の更に旧道が部分的に残っている、道幅が狭くなり普通の田舎道だ。

次回に続きます。

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旧街道を訪ねて 御成街道

2015-01-26 13:28:54 | 旧街道を訪ねて
徳川家康の鷹狩りのために造られたという御成街道。旧街道の痕跡を求めて千葉県若葉区界隈を散策。

まずは、御茶屋御殿跡。御茶屋というのは将軍の休憩所、ここに屋敷があったのだろうか。


空堀と土塁が残っている。


続いて金親町へ、大宮神社という小さな神社があったので参拝。


神殿上には見事な竜の彫刻が。


壁面も素晴らしい。


ご神木。触れると御利益があると書いてあるので諸々祈る。


大宮神社の前には見事な長屋門が2つ並んで建っている。


これは立派だ。竹で編んだカゴのような道具が見える。


この辺りだけ江戸時代にタイムスリップ。

この後、自衛隊志津駐屯地まで行ってみたけど古い建物等は皆無。

歴史があって人の往来があれば痕跡は必ず残るはずなので、
御成街道では人や荷物の行き来はさほどなかったのでは、という疑惑が深まった…。
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東金街道 旧道(野呂-仁戸名)(3)

2014-12-31 08:38:36 | 旧街道を訪ねて
道端に佇むお地蔵さん、これぞ江戸から続く名残り。街道から一歩入ったところにあるのは道路拡幅で場所移動した可能性が高いか。場所は下の①。




お地蔵さんの近くには「牛頭天王(ごずてんのう)」。


支川都川という川らしい、本千葉付近を通って東京湾へ流れていく。


そろそろ夕暮れも近づいてきた。


古地図を見ながら東金街道に沿って道を曲がると…。ん?「つるみや」ってどこかで見たな、(1)の野呂にも出てきた…。2軒が東金街道で繋がっているというのは興味深い、どの位前から商売をしているのだろう。


(!)ビックリマークの交通標識が!特に危険に見えないが…。


ようやく大網街道の青看が出てきた。これにて散策終了。バスで鎌取駅へ。

この区間、思ったよりも古い街道の雰囲気が残ってなかった。理由としては、東金までは、御成街道のほうがメインで交通量はさほど多くなかった、鉄道の開通やR126が整備された後は通る人もなく寂れた、とかかな、

旧街道歩きには、事前の調査で想像する楽しみ、実際に歩いて現地を感じる楽しみ、その後で、実地と歴史を突き合わせて思いを馳せる楽しみ、があると思う。

さて、今年も今日がラストの更新、来年はどんな年になりますか、よいお年を!
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東金街道 旧道(野呂-仁戸名)(2)

2014-12-30 08:58:05 | 旧街道を訪ねて
明治以前に使われていた旧東金街道を歩き街道の痕跡を探し、かつて旅人が歩いた当時に思いを馳せる。


熊野神社から佐和という集落を通り大宮中(上)へ至るのが旧東金街道。


地図に表示されている熊野神社。人や牛馬が往来する昔から自動車が走り抜ける現代まで、100年単位の時を刻んできたのだろう。


その周囲にかつては茅葺きだったと思われる民家が、左手には長屋門とその奥に大きな古民家が残っている。古地図を見ると、同じ場所に民家を表す■が…。明治から変わってない、というわけか。


佐和から先、旧街道っぽい雰囲気がなくなる。どうやら、大宮中の下へ伸びる道が本来の街道で、こちらはバイパス的に作られたものなのか。味気ない田舎道をひたすら歩く。


東金道大宮インター上から仁守寺方面へ向かうのが旧東金街道。


高田方面からの道と合流すると旧街道っぽい雰囲気が復活、かつてはこんな酒屋さんが町のあちこちにあったけど、今じゃ閉店したかコンビニに鞍替えしたのが多い。


東金道を渡る。生活感の感じられない鉄とコンクリートでできた現代の街道。

次回へ続きます。
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東金街道 旧道(野呂-仁戸名)(1)

2014-12-29 10:52:59 | 旧街道を訪ねて
東金街道は、京成千葉中央駅から東金へと延びる国道126号。古くから続いている道だと思い込んでいたけど明治時代の地図を見ると、現大網街道の仁戸名から川井町へと向かう小道が本来の東金街道らしい。旧街道の面影が残っているのでは、と期待して行ってみた。

スタートは野呂町、ここまでは家から歩き。古い国道沿いの風景に心落ち着く、このような小さなガソリンスタンドは近年次々と閉店してあまり見なくなってきた。隣の「つるみや」これ実は結構大事なポイント、また後で出てくる。


国道126号、スタート地点(千葉市若葉区野呂町)付近。


野呂はかつての宿場町なのか、この一帯だけ道幅が広く商店も多い、そういえば東金道には野呂パーキングエリアというのがあったな。


旧東金街道が分岐する箇所。左側の小道がそうらしいけど、壁面はコンクリートだし昔の面影は全くない。


セブン-イレブンの背後の小道を歩いて行く。


よくある田舎の風景だけど、江戸時代から続く道、と考えるとグレードアップするように思えてくる。


メジロが群れをなしてカキを食べている。メジロの群れって初めて見た。


高根辺りの風景、ポツポツと古い建物が残っている。それにしても道幅が狭い上、車の通行も多く歩くのは危険。

車に怯えながら歩いて行きます、以下次回。
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土気往還・旧大網街道(1)

2014-11-12 13:21:29 | 旧街道を訪ねて
千葉から外房線土気を経由し九十九里浜まで続く街道が土気往還。大網街道とも呼びイワシ等の海産物を運ぶ重要な街道だった。つい最近まで、現在の大網街道が昔から使われていたそのままの道筋だと思っていたけど、古くは千葉城から松が丘までは違う経路だったらしい。

ということで旧街道の痕跡を求めて千葉城をスタート。


鎌倉時代に名を馳せた千葉氏の居城として知られる千葉城。当時は砦のようなものだったらしいが、城と言えばやっぱりこういう風にしないと収まりが悪い、というのはわかる気がする。


それにしても香ばしい物件が続くエリアだ。かつては千葉の繁華街にも近く賑わったらしいが、人の流れが変わってしまい寂れたということか。


左手は千葉大医学部、かつての街道の雰囲気を残しているように思える。


これは凄い旅館だ、なんか出そうーとか思ったけど、既に廃業してた、千葉大に来た人とかが泊まったのかな。


美容院、理容室、文具等の店、大学は目の前だしかつては学生で賑わったことだろう。


山口ベニーサイクル、昔はよく見たけど今はもう無い自転車メーカー。

いやー続々と古い建物が出てきて興奮する。次回へ続きます。
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旧街道 千葉県・木下(2)

2014-08-29 13:49:40 | 旧街道を訪ねて
これは相当に古そうな車庫。バスやタクシーの営業所には萌える物件が多いが、これも通じるものがあるな。いやー萌えた萌えた。


踏切脇に趣きのある建物が。


そのそばには現役の丸ポスト、まさに旧街道の風情。だけど、古くから賑わった街にしては古い建物が少ない、佐原と比べるとよくわかる。


利根川の土手に上るとジェットスキーがやってくるのが見えた。なぜ古い建物が少ないのか、理由のひとつとしてはこの土手を作るために大規模な造成が行われ立ち退き等があったらしい。


利根川の向こうには筑波山がうっすらと。古い建物が少ない理由もう一つは、上野まで1時間、ベッドタウンとして人口が増え、古い建物は次々と新しくなったのではないかと。


木下には小さな川が流れていて、利根川との分岐の場所に排水機場が設けられている。


かつては荷物を運ぶ船がたくさん通ったであろう、


当時をしのぶような小舟がユラユラと揺れていた。
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旧街道を訪ねて 上総鶴舞

2014-08-06 13:09:19 | 旧街道を訪ねて
上総鶴舞には明治維新の頃に鶴舞藩という小藩があったそうで、古い町並みが残っていないか散策してみた。桜で有名な鶴舞公園入り口から街のメインストリートを望む。


やけに味わいのある建物だと思って見ていたら実は食堂だった、トンカツが絶品らしい。


食堂の反対側には、上総更級美術館という小さな美術館。


かつての街の中心部か、小湊鉄道の上総鶴舞駅は大分離れた場所にあり、中心部はさほど栄えてなかったのかも。


メインストリートを歩く。高校が近くにあり、落ち着いた感じの街並み。


裏道を歩いていると昭和初期の雰囲気を漂わせた建物を発見。


宮崎医院と書いてある、今は営業していないみたいだけど、この建物を発見したのが今回一番の収穫。


電話鶴舞二十番って、交換手が必要な時代か。

廃藩置県で廃止にならなかったら、地域の中心として発展しただろうに。
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