週末は地元土気を歩き回って写真を撮っている。特に珍しい風景では無いかもしれないが、何となく気になる場所というのがある。そんな場所の写真を思いつくままに掲載してみたい。
土気の現在の中心は、あすみが丘東急から創造の杜にかけての道路沿いという事になるだろうが、あすみが丘が出来る前は、駅前が中心地だった。更に江戸時代になると、1.5キロほど大網寄りの場所と時代と共に移ってきている。
土気駅から大網街道を昭和の森方面へ向かう。閉店したパチンコ屋と元コンビニ、今うどん屋がある交差点を左斜め前に急な坂道を登ると、生け垣が続き大きな農家が連なる何とも風情がある一画がある。少年時代に旅をした時に見たような風景だ。
ここが、戦国時代は土気城の城下町、江戸時代は宿場町だった場所だ。足もとには、道しるべ(写真左下)も残されている。昔は、東金や大網に向かう街道だった。
県道が、別のルートで通ったために、あまり変わらずに残ったようだ。近年、大網の季美の森に抜ける道路が整備されたので通行量は増えたと思うが、旧街道を感じさせる通りは、どことなく心の安らぎを与えてくれる貴重な場所である。
土気の現在の中心は、あすみが丘東急から創造の杜にかけての道路沿いという事になるだろうが、あすみが丘が出来る前は、駅前が中心地だった。更に江戸時代になると、1.5キロほど大網寄りの場所と時代と共に移ってきている。
土気駅から大網街道を昭和の森方面へ向かう。閉店したパチンコ屋と元コンビニ、今うどん屋がある交差点を左斜め前に急な坂道を登ると、生け垣が続き大きな農家が連なる何とも風情がある一画がある。少年時代に旅をした時に見たような風景だ。
ここが、戦国時代は土気城の城下町、江戸時代は宿場町だった場所だ。足もとには、道しるべ(写真左下)も残されている。昔は、東金や大網に向かう街道だった。
県道が、別のルートで通ったために、あまり変わらずに残ったようだ。近年、大網の季美の森に抜ける道路が整備されたので通行量は増えたと思うが、旧街道を感じさせる通りは、どことなく心の安らぎを与えてくれる貴重な場所である。