白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

永遠に残るものなど何もない

2016年08月14日 00時08分10秒 | 登山

山の日、奥秩父の国師ヶ岳に登るべく、北佐久で高速を降り、野辺山高原に向かって車を走らせていた。

タイヤから伝わる振動に違和感を覚え、停車してタイヤを見た。

タイヤのサイドが風船のように横に膨らんでいた。

スペアタイヤに交換しようと準備をしていると、大きな音がしてタイヤが破裂した。

タイヤは20センチ程度の長さの切り傷があった。

高速道路上でなくてよかったと、胸をなで下ろした。

千曲川源流の地、川上村の廻り目平から、ひどいガタガタ路が続く。

自足10キロから15キロほどのスピードしか出せない。

タイヤを痛めてはならない。もう替えるタイヤはないのだから。

結局大弛峠まで1時間を要した。

大弛峠は標高2300メートル以上あって、金峰山や国師ヶ岳などに楽に登れるところから、たくさんの車が停まっていた。

長野県側はひどいガタガタ路だが、山梨県側は舗装道路だ。ほとんどの車は山梨県側から来る。

 

 

昔ながらの雰囲気を漂わせる大弛小屋が国師ヶ岳への登山口。

1時間ほどで登れる山だけあって、たくさんの人が登っていた。家族連れも多い。

今回も、かみさんと77歳になる義姉が同行者だ。

奥秩父らしい森林の中、階段の路を歩く。

 

国師ヶ岳は山梨県の看板が出ているが、信州百名山のひとつでもある。

僕にとっては、信州百名山66番目の山だ。

ついでに近くの北奥千丈岳にも登った。

 

 

 

 

 

この山頂は奥秩父の最高峰だけあって、素晴らしく展望がよかった。

心地よい風が吹いていた。今日も暑いであろう下界のことを思うと、ここは天国だった。

岩に上に居る女の子ははるちゃんといって、年長組だという。3年前まで大弛小屋の管理人をしていたというおじいちゃんと来ていた。

人懐っこくて、明るい女の子だった。かみさんと義姉はいろいろ話しながら下山してきた。

「大きくなったら、またどこかの山で会おうね」僕は言った。

 

山の日、のんびり登山を終えて家に帰ると、「テレビのあたりで、ピシッピシッと変な音がする」と息子が言う。

調べてみると、外付けハードデスクからだ。パソコンで認識しなくなっていた。

ハードデスクは寿命が5~6年だという。

これはもう8年目だ。

このハードデスクには写真を保存していた。

何もかも消えてしまった。

いっそすがすがしかった。

永遠に残るものなど何もない。

改めて、今の自分にとって本当に必要なものは何か考えた。

もう終局の準備をしなければならない。

余分なものは捨てて身軽になろう。

そう考えると、よいきっかけになったのだと思う。

 

先日、義姉と同じ歳の田部井さんが富士山に登流番組をみた。

病気をして体力が落ちているという。

それでも、高校生を励ましながら山に登っている姿はすごいと思う。

義姉もそれに負けてはいない。

登れる間は、山に連れて行ってあげたいと思う。

人の命、体力も永遠ではない。

今、できることを精いっぱいやるだけだ。